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ブックマーク / tamanoir.air-nifty.com (14)

  • 2010.09.13 - 日記

    あまりにも暑いので最早映画館にもいかない大蟻なのだが、皆様いかがお過ごしであろうか。もう一息で最高気温が三十度を越えない平和な日々がやって来る筈だが、来年もこうだったら、気で移住を考えるしかない。亜熱帯に住むことは、私には不可能である。 で、週末は家から出ずにDVDで映画を見ていた。細田守の「サマーウォーズ」と「時をかける少女」である。 今頃何で、と言われるかもしれないが、話は簡単で、ジャパニメーションに傷していたからである。目のでかい解剖学的にあり得ない骨格の変な服着た萌えキャラがきゃぴきゃぴしたりじめじめしたり、とかいうのにうんざりしちゃったからである。理由はかなり色々あるが、FF13の糞紋切型を大真面目に作るんじゃねえあほんだら、で嫌悪が頂点に達してしまったせいもある(クールジャパンなんてさっさと滅びろ、だ)。最早ドラマトゥルギーもキャラも堪忍、になってしまい、そのせいでこの佳

    2010.09.13 - 日記
  • 2010.05.15: 日記 引っ越しに伴う書籍整理で気が付いた点について

    引っ越しに伴う書籍整理で気が付いた点について、愛書家の皆さんに注意を促したい。 1. は兎も角重い。引っ越し屋のくれる小さい段ボール箱一つで二十キロ程度になるらしい(運送屋談)。 2. 書棚の収容量は相当なものである。動かしたことのない人はあまり考えたことがないだろうが、高さ百八十センチの書棚四半で、段ボール箱二十箱は軽く越える可能性がある(即ち、四、五百キロにはなる)。 3. 一部書籍以外売却はほぼ不可能。引き受けてもらえたとしても値は付かない。図書館もまず引き受けない。断言しておこう——今や書籍には、持ち主自身にとっての使用価値しかない。 4. ビニールのカバーを被っている書籍のある方、今すぐ取って捨てるべし。十年経つとべたついて始末に負えなくなる。古いものは収縮しての表紙を傷める。プレイアッド版のビニールカバーの場合は湿度を篭らせて体の表紙に水膨れを作る。或いは接触するに張

    2010.05.15: 日記 引っ越しに伴う書籍整理で気が付いた点について
    shibudqn
    shibudqn 2010/05/26
    おれも次回引っ越しの時はscansnapするかもしれない、と数百kgの本を運んでおもた。
  • 2009.10.17 - 日記

    身内の行事に楽しく参加して帰って来ると、何とも愉快な事態が起っていたのであった。 この国のキリスト教批判やら無神論やらの人のうち相当数の根的な動機は排外主義にある、ということには薄々気付いていたのだが、ついに露呈した、という感じか。この間もmixiで反米と抱き合わせになった無神論(陰謀史観付)を見て辟易したばかりなのだが、この辺、これからは自称無神論者の所謂「デフォ」ってことになってくるのかもしれないね。アピール力強いぞ。堪忍しろよと言う奴の方が少なそうだ。何しろ一応の大学出て一応の企業の管理職やってる奴が「キリスト教徒は南米じゃ赤ん坊を焼いてったそうじゃないか」と口にして、何の顰蹙も買わない国だ。一応知識人の集まりで、結構な仏教研究者が平然と「神なんか信じる奴は強制収容所に送ればいい」と言い放つ国だ。 性暴力の表象の垂れ流しひとつ普通に規制できない国では当然と言えば当然の事態だが、そ

    2009.10.17 - 日記
  • 2009.7.22 - 日記

    さー日だ、とか言って観察用眼鏡を買おうとしたら、amazonは既に売り切れであった。亭主が渋谷に行って探したが、ハンズもビッグカメラも売り切れであった。悲しんでいると、厚紙を使って観察キットを作ってくれたので、わくわくしながら三時に寝た。 ところが、睡眠時間五時間でぱっちり起きたのに、太陽なんかどこにあるんだという曇天であった。再び悲しんでいると、亭主がNHKの日中継を見つけて来てくれた。ところが、その番組が、だ。 何考えてる、NHK。太陽が今や刻々と欠けつつある、という時に、スタジオの楽しいトークなんか映すなよ。屋久島撮影班、暗くなってきました、墨絵みたいです、と屋久杉の根元にたたずむ奴が何故か声を潜めていると言うのに(実際、その瞬間までは暗かった)、高感度カメラに切り替えるんじゃない——こっちは真っ暗になるのが見たいんだよ。結局、一番素晴らしいのは硫黄島の海岸にたたずむ先生とその周

    2009.7.22 - 日記
  • さて、言いたいことは単純明快だ——「ゴキブリを殺せ」というプロパガンダに相当するのは、陵辱ゲームと規制の主張、一体どちらか。2009.6.3: 大蟻喰の日記

    もういい加減にやめにしようと思っていたのだが、「ルワンダ虐殺のDJ」呼ばわりされては黙っている訳にも行かないので書くことにする。ちなみに『地を這う難破船』氏には常々深い敬意を抱いているし、言論商売人の言論などより一般のブログの方が余程ちゃんとしていると私が確信するに至ったのは、この方を含む何人かのブロガーが一読に値する以上のことを書いているからである。商売人なんて信用しちゃいかんよ、連中、『レイプレイ』問題に関しちゃまだだんまりを決め込んだまんまだろ? この件がどのくらい続くか、どのくらいの収穫の上がる畑か見極めて、事態を左右するには手遅れという段になってから、例によって役にも立たない、故に何を失うこともない、取り敢ず声は上げ続けてるから、という議論で稿料を稼ごうと思案してる最中だからね。そういう姿は教科書問題でとっくり拝ませていただいた後だ。一つ、賭けをしてもいい——この件に関して公のメ

    さて、言いたいことは単純明快だ——「ゴキブリを殺せ」というプロパガンダに相当するのは、陵辱ゲームと規制の主張、一体どちらか。2009.6.3: 大蟻喰の日記
    shibudqn
    shibudqn 2009/06/03
  • サンプリング調査にご協力ありがとう。今回の調査の成果は人間と社会に関する考察に益するところ実に大であった。2009.5.19: 大蟻喰の日記

    サンプリング調査にご協力ありがとう。今回の調査の成果は人間と社会に関する考察に益するところ実に大であった。その考察を何の役に立てるかは今のところ未定ではあるが、いずれ何らかの形で還元させていただくこともあるだろう。 まあ、すぐに還元できるだけの内容は還元しておくかな。 たとえば。反応を見ていて結構驚いたのは、まともな人の比率の高さであった。概ね半数が、こういう趣味嗜好は社会から受け入れられるものではない、潜るの上等、と考えていることを表明している。web上で意見を表明しない人々のことを考えれば、この比率は更に上がるだろう。文意の汲み方も概ね冷静で正確だ。こういう方がこっそりその種のゲームをやっていたとしても、他人があれこれ容喙すべきことではあるまい。その種の嗜好が何らかの形で現実の行動に反映することもなさそうだ。模範的な地下生活者、とでも言おうか。 更に四分の一ほどが、潜っていても暴かれる

    サンプリング調査にご協力ありがとう。今回の調査の成果は人間と社会に関する考察に益するところ実に大であった。2009.5.19: 大蟻喰の日記
  • 何か女を痴漢して強姦して孕ませて堕ろさせるゲームが問題になってるらしいんだが。2009.5.14:大蟻喰の日記

    何か女を痴漢して強姦して孕ませて堕ろさせるゲームが問題になってるらしいんだが。 前にも書いたけど、もう一遍書いておく。お前らは地下に潜るべきなんだよ。「ひでえゲーム」と話を振られたら「ほんとひでえよな、よくそんなのやるよ」と呆れてみせながら腹の探り合い、で、家に帰って部屋に籠ってからこっそりやるべきなんだよ。表ででかい声出すんじゃない。恥ずかしいな。何で人目に触れない世界でひっそりと繁栄できないんだ? どうしてまともな世の中に受け入れて貰いたがるんだ? そういうもんじゃないだろ、そもそも。 と言う訳で、官憲には徹底した弾圧を望む。連中、ちょっと揉んでやった方がいい。何かと言うと「表現の自由が」「表現の自由が」って黄色い声張り上げやがって。市場と法律に守られないとエロひとつできんのか。違法なのは恐いっ、無法地帯で怪しいぽん引きみたいな奴を探さないと買えないとかいうの恐いっ、時々中何にも入って

    何か女を痴漢して強姦して孕ませて堕ろさせるゲームが問題になってるらしいんだが。2009.5.14:大蟻喰の日記
  • 2009.5.3 - 日記

    ところで早川のStrange Fictionについて、編集側がうっかり信用してはならない人を信用してしまったが故の過誤とは切り離して(その件に関しては既に早川から謝罪を受けている)、客観的な感想を述べておこう。 こうした雑誌の必要性は疑いないところだ。純文学が果たして機能しているかどうかは兎も角として、その枠に収まりきれない——当然内部では評価されない作家が、現実に、存在している。事は所謂SFの側でも同様だ。かつて、SFは先鋭な文学への扉であった(いいや、そんなことはない——と、そうした傾向を代表していたある作家がいうのを聞いたことがある。あれは内部の執拗な嫌がらせに負けず個人的に頑張っていただけであって、日SFが先端の文学に向けて積極的に開かれていたことなんか一度もない、と——とすればその方の偉業に対しては感謝と尊敬あるのみだ)。それだけがSFの魅惑であって、ガジェットにもテクノロジー

    2009.5.3 - 日記
  • 佐藤亜紀 日記: 2009.3.29

    ごく一握りの誠実で有能な方を除いて——と言うことにしておこう、皆無と言う訳じゃない——現在日で文芸評論家として活動している人間は、概ね二種類に分けられる。チキンと、無能者だ。まあ文芸評論などというのは小説以上にえないから、出版社のお覚えを損なわないよう、業界の爪弾きにならないようチキン化するのは理解できないこともない。しかし無能者と言うのは! 読解し論じるスキルなぞ努力次第で使える水準まで上げることも出来ように、それを怠っているというのは、これはもう犯罪である。 だから文芸評論は使えないと作家に言われるのだ。チキンや無能者の評論を反省の種にする馬鹿はいない。評論と実作の間の良きフィードバックなぞ、勿論望むべくもない。 では仲俣暁生氏はどちらであろうか。ブログに載せていた2009年のベストを見る限り、チキンであることはほぼ間違いない。立派な御用評論家ぶりだ。ではスキルの方はどうか。 20

    佐藤亜紀 日記: 2009.3.29
  • 2009.3.27 - 日記

    NHKで例の「アブグレイブ刑務所ソドム百二十日事件」(と私は勝手に呼んでいる)の責任追及特集番組をやっていたので見る。何で NHKがそんなものを作らなければならんのか、という気はしないではないが、まあこういうのは自国じゃ作らないよね、確かに。 ところで途中で刑務所を部下ごと途轍もなく「24」な情報系の指揮官に乗っ取られ事件を引き起されて怒っている憲兵隊の准将、というのが、これはもう感服する他ないおばさんなのであった。まず元美女だし(いえいえ、今だって充分にお美しいです)、こういう人なので着るものは当然コンサバだがコンサバなりに趣味がいい。というか、アメリカ人とは思えないくらい色使いが繊細であり(偏見ではあるが、とはいえ偏見を打ち破るだけのアメリカ人って見たことがない——というか、打ち破るアメリカ人は既にアメリカ人に見えない)、この種の繊細な色使いをコンサバと組み合わせると大抵は目も当てられ

    2009.3.27 - 日記
    shibudqn
    shibudqn 2009/03/27
    「アブグレイブ刑務所ソドム百二十日事件」
  • 2008.11.4 - 日記

    タモガミ君、というのは大層覚えやすい名前で喜ばしくはあるのだが、残念ながら大阪のハシモト君と同様に文明人でないのは残念なことだ。 「古い歴史と立派な文化のある国」というものは、ほぼ例外なく、侵略国家であった経験を有する。そうでないのは侵略する程度の実力さえ持たなかった小国や低開発国だけだ。まあ辛うじて、ぎりぎり、侵略する側だった、ということに、国家と自分を同一視するという奇怪な習慣を持つ御仁は秘かな満足を噛みしめてしかるべきであろう。超下手糞だったことは自覚しなきゃいけないけどね。過ちに学ばないと上手くなれないよ。 一方、侵略はどこまで行っても侵略であり、諸国民の解放のお手伝いとか何とか理由を付けたところで、非難の対象となることは免れない。大体、たもがみ君が言っているような現地における貢献は植民地化の試みに付き物であって、だから無罪放免というのなら、フランスの北アフリカ支配もイギリスのイン

    2008.11.4 - 日記
  • 2008.10.8 - 日記

    一頃映画館で裁判員制度の政府広報をやっていた。小さな可愛い子供たちが出て来て、「**君が**の時間に**したのはいけないと思いまーす」という、我々の世代にはおなじみの吊るし上げと自己批判ごっこをやる、あれだ。 何だかねえ——あれに郷愁持ってる馬鹿がいるっての、初めて知ったよ。 私はよく知っているが、あれはいじめであった。犠牲者はあらかじめ決まっている。CMでは代弁してくれる奴も出て来るが、現実にはそういうことはなく、一人が「いけないと思いまーす」をやると、複数が一斉に糾弾を始める。人の弁明は許されない。即ち吊るし上げであり、教師は一切口を挟まない。口を挟むのは「刑」を決める時だけだ——私は三角帽子を被せられ、首から罪状を書いた看板をぶら下げて立たされた。コネ就職の田舎教師のざましてよくもまあ、文革ごっこなんて知ってたもんだな、人間の屑が! と言う訳で、多分不評だったのであろう、あの広報は

    2008.10.8 - 日記
    shibudqn
    shibudqn 2008/10/08
    激しく同意。漏れはつるし上げられるとむかついて椅子を投げてたけどな
  • 2008.9.2 - 日記

    どうも期待されているような気がするので一言。 福田康夫にはひとつ、大いなる美点があった。個人的に非常に好ましいというだけではなく(いや、昨日の記者会見にも、ひとつならず、にそにそするようなところがあったよ——女記者が質問すると答え方が何故か親切丁寧、とか、馬鹿には飽くなく冷たい、とか)、その点において私は高く買っていた。それは何かと言えば 所謂「ヴィジョン」とか「リーダーシップ」とかを振り回さないところだ。 いや、国民の相当数にとって、この「ヴィジョン」とか「リーダーシップ」とかが最重要らしいことは理解している。オピニオン・リーダー系の人々が福田に関して批判することの第一にそれが来ることも理解している。ところで、理性的に考えて、「ヴィジョン」やら「リーダーシップ」やらが今日び何かの役に立つだろうか? このどっちに流れるか判らないご時世、「ヴィジョン」や「リーダーシップ」を高々と掲げても、舵

    2008.9.2 - 日記
    shibudqn
    shibudqn 2008/09/02
    「ひとつならず、にそにそするようなところがあった」
  • 日記: 2007.6.13 新聞の書評で見て、『滝山コミューン1974』を読んでいる。

    新聞の書評で見て、『滝山コミューン1974』を読んでいる。ほとんど終るところだ。ぶっちゃけた話、もっと別な書きようのあるだ。七十年代前半の郊外団地とその政治傾向、日教組系の怪しい教育方針とその影響、その怪しい方針に翻弄されながらも鉄道への愛に目覚め四谷大塚に通う小学生の回想、どれを取っても優に一冊分の量を必要とする内容だ。だが、短すぎる、盛り込みすぎる、が最大の欠陥と言うのは、むしろ天晴れなことだと言わざるを得ない。当時の同級生たちや当のカリスマ教師にも直接取材、というなら、その辺、もっと生な素材を見せていただきたかった気もするが。 私は今、猛烈に怒っている。ちっくしょう、そういう仕掛けだったのかよ、であり、人の貴重な時間を詰らんことのためにくすねやがって、であり(学校なんか行かずに家でピアノ弾いて英語習って、残りの時間読みたいを読みたいだけ読んで過ごしていたら、私はもう少しましな教養

    日記: 2007.6.13 新聞の書評で見て、『滝山コミューン1974』を読んでいる。
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