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ブックマーク / www.furutasigaku.jp (2)

  • よみがえる倭京(太宰府) -- 観世音寺と水城の証言 古賀達也

    shibure
    shibure 2014/01/17
  • 九州王朝の末裔たち 『続日本後紀』にいた筑紫の君

    古賀達也 九州王朝の残映 「どんなにもっともらしい理由があるにせよ、他国の領域に武力を行使し、それによって長期間影響力をもちつづけようとする大国は、すべて亡び去るほかない。それが歴史の鉄則だ。外に対する圧力は、必然的に内部の腐敗と矛盾を招き、ついにはみずからの基盤を掘りくずしてしまう。九州王朝は、みずからの全歴史をもって、この真理を実証し終ったのである。」 古田武彦氏は、その著書『失われた九州王朝』(朝日新聞社、角川文庫)の末尾をこのような一節で飾られた。 四世紀から七世紀にわたり、朝鮮半島に大軍を送り続けた九州王朝が白村江の敗北を機に滅亡にむかい、近畿なる大和朝廷に列島の代表者の地位を明け渡したのは七世紀末のことであった。 滅亡後も九州は半独立性の残映をもって、朝鮮半島側に映じていたことを古田武彦氏は前掲書で示された。『三国史記』の次の記事がそうである。 A(哀荘王三年、八〇二)冬十二月

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