以前日記で「自分は"向かって右"とはどこの右なのか分からない」というようなことを書いたのだが(2005年7月27日「天動説」)、要するにオレは、写真なんかで「向かって右から3番目の人」などと言われてもどっちの右から3番目なのか判断できないボンクラ頭をしているのである。 自分が主体と考えるなら自分の右側はどちらかぐらいは分かる。相手にとっての右側はどちらなのか、それも分かる。しかしモノの右側、と言われたら分からなくなるのである。例えば目の前に黒い板があるとする。この黒い板の右側とはどっちか、となると、それは黒い板にとっての右側になるのか、自分の鏡面として眺めた右側になるのかが分からない。というかモノには人格が無い以上「モノにとっての右側」という言い方は語義矛盾しているのではないか。というか既に書いていて自分で何を書いているのか全然分からなくなってきている。 さてこれが人の写っている写真だとす
原田知世という少女 1982年初頭、角川書店・東映は第二の「薬師丸ひろ子」を求めて「角川映画大型新人女優コンテスト」を開催します。グランプリ受賞者には角川映画最新作『伊賀忍法帖』(原作・山田風太郎)ヒロインの座が約束され、3月の応募締切までには57480名の応募がありました。 コンテスト最終選考会でグランプリを獲得したのは渡辺典子(当時16歳)、準グランプリには河合理英・津田由香理の2名が選ばれました。そして事前には定められていなかった<特別賞>を当時14歳だった、「原田知世というひとりの少女」が受賞します。 原田知世 長崎県出身 1967年11月28日生まれ(応募当時中学2年生) 募集要項である「15〜20歳の女性」という枠組みから(7ヶ月ほどとはいえ)外れた彼女に、<特別賞>を設けてまで受賞させたのは、審査員の中心にあった角川春樹でした。映画『時をかける少女』監督・大林宣彦はハルキ文庫
wikipediaにおけるクライン孝子氏の項目がおかしいと本人が怒り狂っていきなり該当項目を編集し、ノートで自分のブログ記事を貼り付けるなどし、しまいにはなぜか自分のアカウントのパスワードを公開したらしく、当然のことながらブロックをされてしまったことでよりご本人の闘争心に火をつけられたモヨウ。項目執筆者に「住所名前を教えろ」と迫っています。「なんで書く前に私の許可を得ないのか」とか「経歴についてはメールで聞け」とか無理難題というよりもwikipediaはおまえの自己アッピールの場じゃねえんだよというかwikipediaというものがまったくぜんぜんこれっぽっちも理解してないというか。とりあえずごらんあれ。 ノート:クライン孝子 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A
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