タグ

ブックマーク / vergil.hateblo.jp (71)

  • 「かわいそうなぞう」まで日教組が悪いことにしてしまう、いろいろこじらせた人たち - 読む・考える・書く

    検索してみると、「かわいそうなぞう」の真相を取り上げたブログがいくつか見つかる。その中の一つであるこちらのブログ(記事1、記事2)は、この虐殺が空襲による猛獣脱走の危険を避けるためにやむなく行われたことではなく、「『戦争の怖さも知らないでいる国民に自覚させる』という精神論のためになされた」ことを指摘し、きちんと批判している。 そこまではいいのだが、続きを見ていくと、どういうわけか日教組が一番悪いことになってしまうのだ。 ■責任転嫁の論理 どうしてそうなるのか? その理屈はこうなっている。 1.これは軍の命令じゃない この話は、戦争の悲惨さを伝えるものとして、語り継がれています。 それはそうなのですが、その際に、ほとんどの場合、この戦時猛獣処分は、『軍の命令』で行われたという話になっています。 ところが、どの資料を探しても、『軍の命令』などみつからないのだそうです。 2.命令したのは東京都長

    「かわいそうなぞう」まで日教組が悪いことにしてしまう、いろいろこじらせた人たち - 読む・考える・書く
  • 「かわいそうなぞう」を殺した大達茂雄が戦後は文部大臣となって歴史教育を殺した - 読む・考える・書く

    「かわいそうなぞう」で描かれた猛獣虐殺を命じた東京都長官大達茂雄の経歴を見ると、いくつか重要なポイントが見つかる。 昭南特別市長(兼陸軍司政長官) 1942年3月—1943年7月 東京都長官 1943年7月—1944年7月 内務大臣(小磯内閣) 1944年7月—1945年4月 文部大臣(第5次吉田内閣) 1953年5月—1954年12月 昭南特別市とは、シンガポールのことである。アジア太平洋戦争の開戦直後、日軍はタイ・マレー国境付近に上陸し、そのまま南下してマレー半島全域を制圧、翌1942年2月15日にはイギリス軍の重要拠点だったシンガポールを陥落させた。 その直後から、シンガポールおよびマレー半島各地で中国系住民(華僑)に対する大虐殺が始まった[1]。今でも正確な被虐殺者数は不明だが、少なくともシンガポールだけで数千人以上が殺されたと推定されている。 シンガポールは人口の八割近くを華僑

    「かわいそうなぞう」を殺した大達茂雄が戦後は文部大臣となって歴史教育を殺した - 読む・考える・書く
    shidehira
    shidehira 2016/05/15
    ”大達と二人の特高官僚による教育行政の最大の目的は、本来なら未来の世代に過ちを繰り返させないために教育を通じて徹底的に批判しなければならなかった大日本帝国の悪行(略)の隠蔽と正当化”
  • 「そうだヘイトしよう!」 はすみとしこ本の嘘(3)「帰化」 ― バカにされているのは読者 - 読む・考える・書く

    『そうだ難民しよう!』は、文の半分近く、その他を含めた全体から見ても1/3強を在日や韓国・朝鮮への誹謗中傷に費やしている。 その先頭に置かれているのが「そうだ在日しよう!」だ。この項によると、在日コリアンには「被害者利権」「カンタンに生活保護」「何か困れば通名変えて人生リセット」などなど、数々の美味しい特権があるらしい。 ところが、そこからたった十数ページ先に進むと、「私の帰化した理由」というのが来る。それによると、日のパスポートが持てるとか国会議員に立候補できるからという理由で在日は日に「帰化」するのだそうだ。 在日コリアンは、現在毎年約1万人が「帰化」していると推定されている[1]。累計では30万人を越えているだろう。いったいそのうち何人が国会議員になりたくて「帰化」したというのか。 だいたい、ついさっき、「こんな特権手放す馬鹿がいるものか」と自分で断言したばかりではないか。 普

    「そうだヘイトしよう!」 はすみとしこ本の嘘(3)「帰化」 ― バカにされているのは読者 - 読む・考える・書く
  • 水木しげるが目撃した朝鮮人差別 - 読む・考える・書く

    安倍大惨事(第三次)内閣が看板に掲げ、担当大臣まで置いている「一億総活躍」。戦時中の「一億火の玉」「一億特攻」といったスローガンと重なって嫌な思いをしている人も多いだろう。 そもそも、「一億○○」といった上から目線のスローガンは、自国の民衆をいくらでも好きなように動員し利用していい道具と見ているからこそ出てくるのであって、そのメンタリティは戦前戦中の支配層と何も違わない。だから、きちんとした歴史認識を持っている人ほどこれを危惧するのは当然である。 ところで、「一億火の玉」とは言うが、大戦当時の日人は一億人もいなかった。国土交通省のデータによると、開戦直前の1940年の段階で、日の人口は約7,300万人である。(開戦後は戦争による死者数に誕生数が追いつかず、さらに減っていく。) これを、大雑把すぎる四捨五入を行って「一億」と言ってしまったのだろうか。 そうではない。戦時中のスローガンの「

    水木しげるが目撃した朝鮮人差別 - 読む・考える・書く
  • それは違うよ斎藤さんヽ(´Д`;)ノ - 読む・考える・書く

    東京新聞に週一で連載されている斎藤美奈子氏の「音のコラム」。いつも舌鋒鋭く安倍政権の暴挙を批判していて楽しく読んでいるのだが、10月14日掲載コラムの中の下記の記述には驚いた。中国からの申請により、ユネスコ世界記憶遺産に「南京大虐殺」関係資料が登録された件についての文章だ。 南京大虐殺の死者については二十万人説(東京裁判)、三十万人説(中国政府)などがあり、最近は四万人説が有力らしい。が、たとえ四万人でも日軍が南京攻略に際し、非戦闘員を含む万単位の人を殺戮したのは歴史的な事実である。死者数を是正したければ、歴史を謙虚に受け止め、反省を示すのが先。「気に入らないから金は出さない」では桐喝でしょ。 いったいいつから「四万人説」などが有力になったのか。これでは、東京裁判や中国政府の言う被害者数は大幅に過大だという歴史修正主義言説を認めた上で、国際社会の「誤解」を解くには今のようなやり方ではダ

    それは違うよ斎藤さんヽ(´Д`;)ノ - 読む・考える・書く
    shidehira
    shidehira 2015/10/24
    “「四万人説」は秦郁彦の主張を指しているのだろうが、秦の主張など、学問的にはとっくに否定された恣意的な過小評価でしかない”
  • 関東大震災時の朝鮮人虐殺 -- 冷静に考えれば朝鮮人暴動などあり得ないことは最初から分かっていた - 読む・考える・書く

    朝鮮人が井戸に毒を入れている、といった類の流言が事実ではあり得ないことについては、震災当時でも、ある程度の科学的知識のある人々にとっては常識だった。そのことについてはこちらの記事にも書いた。 物理学者の寺田寅彦は、井戸への投毒と爆弾騒ぎについて以下のように書いている[1]。 例えば市中の井戸の一割に毒薬を投ずると仮定する。そうして、その井戸水を一人の人間が一度飲んだ時に、その人を殺すか、ひどい目に逢わせるに充分なだけの濃度にその毒薬を混ずるとする。そうした時に果してどれだけの分量の毒薬を要するだろうか。この問題に的確に答えるためには、勿論まず毒薬の種類を仮定した上で、その極量(きょくりょう)を推定し、また一人が一日に飲む水の量や、井戸水の平均全量や、市中の井戸の総数や、そういうものの概略な数値を知らなければならない。しかし、いわゆる科学的常識というものからくる漠然とした概念的の推算をしてみ

    関東大震災時の朝鮮人虐殺 -- 冷静に考えれば朝鮮人暴動などあり得ないことは最初から分かっていた - 読む・考える・書く
    shidehira
    shidehira 2015/05/18
    “荒唐無稽な当時の流言蜚語を事実だと主張するヘイト本が出版され、しかもそんな妄想を簡単に信じ込む一定の層が存在する”与野党の議員似いっぱいってのが・・・
  • 関東大震災時の朝鮮人虐殺 -- 否定論者がこの史料を避けて通ることは許されない - 読む・考える・書く

    加藤康男著『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』(ワック 2014年)(以後、「なかった」と略す)は、朝鮮人による暴動は実際にはあったのに、これを後藤新平内相を中心とする政府が隠蔽したのだと主張している。 この主張をもっともらしく見せるため、「なかった」は、まるで見てきたかのように後藤の心理を描写してみせる。 国体=摂政宮の安全を維持するのが自分の使命だと後藤は腹を決めていた。そのためには宥和策を選び、一時しのぎをする作戦に切り換えるのが得策だと考えたに違いない。この点は震災と朝鮮政策を考えるうえで見逃せない政策変更の要である。おそらくこの選択は、後藤新平が下したこれまでの裁断のなかでも際立って難解なものといえるだろう。(P.180) …朝鮮人の襲撃自体は事実だが、新内閣の内務相・後藤新平はある決意と策謀をめぐらせて親任式に臨んでいた。 その後藤の腹のうちとは、現在進行形の朝鮮独立運動家

    関東大震災時の朝鮮人虐殺 -- 否定論者がこの史料を避けて通ることは許されない - 読む・考える・書く
    shidehira
    shidehira 2015/03/05
    ”彼らがこの重要史料の存在を知らなかったはずがないのである。にもかかわらずこれを無視するのは、歴史の「実証」を目指すと称する者として、到底許されることではない”
  • 戦前の教科書は神話をそのまま歴史として教えていた・・・わけではない。 - 読む・考える・書く

    関連記事: 「神功皇后の三韓征伐」という大嘘 戦前(敗戦までの戦中を含む)の教科書では、神話をそのまま歴史として教えていた、とよく言われる。 これは、確かに間違いではないのだが、正確な表現とも言いがたい。 まだ国定化される前の、初期の段階の教科書では、確かにほとんど記紀のダイジェスト版のような内容を載せていた。たとえば、明治中期に使われた『帝国小史』(1893年)[1]は、こんなふうに「神代の概略」から始まる。 しかし後期になると、教科書の記述は近畿天皇家の正当化を目的としていた記紀の単なる繰り返しではなくなってくる。どのように変化したのか、「神功皇后の三韓征伐」説話の描写を例にとって、その違いを見てみよう。 こちらは前述の『帝国小史』(1893年)での描写。ほぼ日書紀での記載をそのままなぞった内容となっている。 これに対して、皇国史観に基づく歴史教科書の、いわば最終進化形と言える『初等

    戦前の教科書は神話をそのまま歴史として教えていた・・・わけではない。 - 読む・考える・書く
  • 米倉斉加年さんとモランボンの「ジャン」 - 読む・考える・書く

    名優、米倉斉加年(よねくら・まさかね)さんが亡くなられた。 米倉さんといえば、「モランボンのジャン」のCMを抜きには語れないと思うのだが、主要メディアの訃報でこれを取り上げたものがあっただろうか? Web上では、かろうじて次の二つが見つかっただけだ。 スポーツ報知(8/28): ◆米倉 斉加年(よねくら・まさかね)1934年7月10日、福岡県生まれ。西南学院大在学中に演劇に目覚め、57年に中退。劇団民藝に入団する。60年に常田富士男らと劇団青年劇場を結成して一時は退団も、65年に民藝に復帰。以降、2000年に退団するまで劇団の中心人物の1人として活動しながら映画テレビなどにも出演。品メーカー「モランボン」の焼き肉のたれ「ジャン」のCMも話題となった。絵作家としても知られ、83年の「おとなになれなかった弟たちに…」は中学1年の国語の教科書に採用された。 zakzak(夕刊フジ)(8/2

    米倉斉加年さんとモランボンの「ジャン」 - 読む・考える・書く
    shidehira
    shidehira 2014/09/02
    "マイノリティのみならず、マイノリティの側に立とうとする者にまで向けられれるこの社会の異常な敵意に対して、どのように向き合わなければならないかを教えてくれている”
  • 「君が代」とイギリス国歌はこんなに違う - 読む・考える・書く

    上記記事へのTwitterでの反応。 君主を讃えるのがアプリオリに「おぞましい」ということは、英国その他の国歌も「おぞましい」ということですね、わかります。 「君が代」とはどういう歌か - 読む・考える・書く (id:Vergil2010 / @vergil2010) http://t.co/ofU3tJIrda— 無道入人 (Day-Bee-Toe) (@DayBeeToe) 2014年1月15日 私は「君が代」が果たしてきた「役割」がおぞましいと言っているのであって、君主を讃えるのがアプリオリにおぞましいなどとは言っていないのだが、それはともかく、君が代を批判されるとイギリス国歌を引き合いに出して反論したつもりになるのが大方のパターンのようだ。 では、「君が代」とイギリス国歌「God Save the Queen」(男王の場合はQueenがKingに変わる)は、どのくらい似ているのだろ

    「君が代」とイギリス国歌はこんなに違う - 読む・考える・書く
  • 「君が代」とはどういう歌か - 読む・考える・書く

    昨日、TwitterでTLにこんなものが流れてきた。 大嘘である。 こういう嘘がまかり通るのは大変良くないので、「君が代」に関する事実を書いておく。 まずは明治初期における制定の経緯について。 大山巌元帥が「君が代」の制定に深く関わっていたことはよく知られている。その大山元帥の証言[1]。 「頃ハ明治三年ノ末若クハ四年ノ初ナリシナラン、薩長其他ヨリ御親兵ヲ出シタ後、未ダ久シカラザル時デアッタ、自分ハ薩藩カラ出タ砲兵ノ隊長ヲ勤メテ居タ時ノ事デアル。外国ノ陸海軍ニハ各々軍楽隊卜云フモノガ有ルニ我国ニハ此頃マデ、マダ、其レガ無カッタカラ、新タニ、之ヲ置カネバナラヌト云フノデ、年齢十六七歳バカリノ青年二三十名ヲ選ンデ横浜二遣り、同地在留英国軍楽隊二就キ練習セシメタ。 其時、英国ノ楽長某(姓名ヲ記憶セズ)ガ、欧米各国ニハ皆其国々ニ国歌卜云フモノガ有ツテ、総テノ儀式ノ時二其楽ヲ奏スルガ、貴国ニモ有ルカ

    「君が代」とはどういう歌か - 読む・考える・書く