画像説明, EU離脱後のイギリスのビジネスについて、事業主たちは「いらだちが募った。怖かった。売り上げが大きく落ちた。欧州での競争力が落ちた」と語った 化学、金融サービス、航空宇宙、ケータリング、そしてプレゼント用の小さな化粧箱メーカー――。小企業のオーナー12人が、私のパソコンの画面に現れた。みんな穏やかな物腰だ。
画像説明, EU離脱後のイギリスのビジネスについて、事業主たちは「いらだちが募った。怖かった。売り上げが大きく落ちた。欧州での競争力が落ちた」と語った 化学、金融サービス、航空宇宙、ケータリング、そしてプレゼント用の小さな化粧箱メーカー――。小企業のオーナー12人が、私のパソコンの画面に現れた。みんな穏やかな物腰だ。
英ロンドン中心部で開かれた欧州連合(EU)残留派の集会で演説する同市のサディク・カーン市長(2016年6月22日撮影、資料写真)。(c)AFP/NIKLAS HALLE'N 【6月25日 AFP】英国の欧州連合(EU)残留か離脱かを問う国民投票で離脱派が勝利したことを受けて、数万人のロンドン(London)市民が同市の独立とEUへの残留を求めるネット上の請願に署名した。また、ロンドンのサディク・カーン(Sadiq Khan)市長は、英国のEUからの離脱交渉において、ロンドンには発言権があるはずだと語った。 署名サイト「change.org」に立ち上げられた「英国からのロンドン独立を宣言し、EUへの加盟を求める」とする請願にはこれまでに4万人以上が署名している。 23日の国民投票では、英国の登録有権者の52%が「離脱」に投票したが、ロンドン市民の60%は「残留」に投票した。ロンドンの他には、
<1面からつづく> ◇「欧州安定」同床異夢--ドイツ統一、サッチャー首相抵抗 ドイツ統一へのフランスの前向きな姿勢が初めて明らかになった仏外交文書。そこからは「欧州の安定」という共通の目標を持ちながら、ドイツ統一への賛否に分かれた英仏の外交路線の違いがくっきりと浮かび上がる。 ロンドン、90年3月11日。晩さん会はサッチャー英首相の独演会だった。フランス大使公邸には首相と、仏の大物実業家10人が招かれていた。首相はドイツ統一に反対する持論を3時間話し続けた。 「首相は今、この問題にとりつかれている」。駐英フランス大使の極秘公電(90年3月13日)は英首相の言動を、詳細に伝えた。 「(統一)ドイツは欧州の最強国になり、東欧諸国は政治・経済的に独に従属するでしょう」。「欧州の核保有国である英仏は、(統一)ドイツの脅威の前に団結すべきだ」。英首相は「例によって戦闘的」(仏大使)だった。 矛先は西
ロンドンにブリティッシュ・ミュージックの博物館、British Music Experienceがオープンした。1945年から現在にいたるまでのメモラビリアが多数展示されている。100以上のアーティストが、総額5億ポンド(約700億円)相当の品を寄贈したという。 会場は年代別に7つのセクションに分かれており、ザ・ビートルズ、ザ・ローリング・ストーンズ、ザ・キンクス、デヴィッド・ボウイ、ザ・フー、クイーン、ポール・ウェラー、オアシス、エイミー・ワインハウスなど英国を代表するアーティストのコスチュームや楽器を見ることができる。 1975~1985年のセクションには、ボウイのジギー・スターダスト・コスチューム、デュラン・デュランが「Rio」のPVを撮影した際に着用していた服などを展示。1993~2008年のセクションにはノエル・ギャラガーのユニオン・ジャック・ギター、ブラーのグレアム・コクソンが
英西部ウィルトシャー(Wiltshire)州エイヴバリー(Avebury)で、朝日に浮かび上がる巨石遺跡ストーンヘンジ(Stonehenge、2007年6月21日撮影、資料写真)。(c)AFP/CARL DE SOUZA 【2月17日 AFP】土地所有者の許可を受けずに、または遺物の発掘が禁止されている場所で、金属探知機を使って遺物を探知し持ち去る人々、通称「ナイトホーク(ヨタカの意)」たちが、英国の重要な遺産に不法に侵入して遺物を略奪している。歴史的建造物の保全機関「イングリッシュ・ヘリテッジ(English Heritage)」は16日報告書を発表し、このような実態を明らかにした。 巨石遺跡群ストーンヘンジ(Stonehenge)などを管理する同機関によると、こうした泥棒たちは最先端の金属探知機を装備しており、遺物に関する情報をネットで共有し、持ち出した遺物をネットを通じて販売もしてい
北アイルランド紛争について、FAQ形式で、基本的なことを書いていきます。 tnfuk [today's news from uk+] の別館です。 全体の目次はこちらへどうぞ。 ※現在仮運用中につき、カテゴリなどは試行錯誤中です。 本家ブログに、1996年2月9日のドックランズ爆弾事件(IRAの攻撃)について書きました。冒頭を抜粋します。 1996年2月9日は金曜日だった。当時、金融・商業の一大拠点として大規模な再開発が進められていたロンドン東部のドックランズ地区は、既に「閉鎖された港湾施設の跡地」、「寂れたウォーターフロント地域」ではなくなっていた。この一帯の港湾施設が現役だった時代に使われていた貨物鉄道の線路を利用して整備されたDLR(ドックランズ・ライト・レイルウェイ)が1987年に最初に開通したカナリー・ウォーフ(「ワーフ」は日本語で変な読みが定着したもの)地域は、1990年代初頭
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