島嶼部 池端雪浦編 (世界各国史, 6 . 東南アジア史||トウナン アジアシ ; 2) 山川出版社, 1999.5 新版 タイトル読み トウショブ
島嶼部 池端雪浦編 (世界各国史, 6 . 東南アジア史||トウナン アジアシ ; 2) 山川出版社, 1999.5 新版 タイトル読み トウショブ
東南アジア世界の形成 石井米雄, 桜井由躬雄著 (《ビジュアル版》世界の歴史 / 板垣雄三 [ほか] 企画委員, 12) 講談社, 1985.9 タイトル読み トウナン アジア セカイ ノ ケイセイ
援助する国される国 飯田経夫著 (日経新書, 216) 日本経済新聞社, 1974.9 タイトル別名 援助する国される国 タイトル読み エンジョ スル クニ サレル クニ
東博のタイ展に行ってきた。日タイ修好130周年記念ということだが,1887年に明治政府とラタナコーシン朝政府の間で国交が樹立されたのを起点としているとのことである。日清修好条規や日朝修好条規と比べて遅いのは仕方がないとしても,1887年とは意外と遅れた印象がある。本展はタイの仏教文化及び日本とタイの交流の歴史に着目し,関連する文物を展示したものである。 タイの仏教文化については完全な時系列で,タイ人というよりも現在のタイの地域にフォーカスしたものであるので,スタートはドヴァーラヴァティーとシュリーヴィジャヤ,アンコール朝であった。ドヴァーラヴァティーはチャオプラヤ川下流域に6世紀頃に成立した国家であると言われているが,建国したのがモン人であったということと,東南アジアではいち早く上座部仏教を摂取したということ以外はあまりよくわかっていない。この頃の仏像は艶かしくふくよかでインド的な造形。
ある日あなたの家――農家であったと仮定しよう――に突然外国人がやってきて、「今日からもうサトウキビは植えつけなくてもいい」「ゴムのタッピング(樹液採集)もしなくていい」「若い衆は、こんなところで農業をやっていないで、○○の飛行場建設現場で働けばもっといいカネになるぞ」とか、「この稲は収量が悪いからこの新しい品種に植え替えて、せいぜい増産するように」などと命令口調で言い、勝手に家計の経済活動を変えてしまうとしたら、あなたはどうするだろう。その外国人の言い分は「もうお前たちを圧迫していた悪徳地主は追い払った。これからは我々が、お前たちが幸せになれるよう指導してやる。悪いようにはしないからついてこい」ということなのだが、それでも「そんなに突然、何の権利があって……」と誰もが戸惑うだろう。あなたたちの土地や資源に対して何の法的権利ももたないはずの外国人が、自分たちの都合でかき回してそのような要求を
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本巻は、著者の長篇歴史ルポルタージュ三部作の記念すべき第一作『マラッカ物語』と、その関連論考・評伝を一挙に収録する。 「始まりは、10行にも満たない新聞記事である。そこから私は、マラッカ海峡の古代にまで遡る長途の旅に出ることになった」。このインドネシア領スマトラ島とタイ・マレーシア領マラヤ半島に挟まれた、狭く細い海峡は、東西交通の十字路であり、古くから多彩な交流の舞台であった。精力的な踏査と文献の博捜を通じ、鶴見良行は、緻密な筆致で、権力者たちと地域の人びとの終わりなき闘争=歴史をヴィヴィッドに描き出す。 姉妹編として書かれた連作評伝「アジア叛徒列伝」と関連エッセイ、そして作家池澤夏樹氏による透徹した理解に支えられた力作解説を併収する。 1926年、アメリカ合州国カリフォルニア州ロスアンゼルス生まれ。外交官の父の仕事にともない、少年時代、ワシントン、ポートランド、ハルピンなどで在外生活経験
・中国とタイ、マラッカ海峡回避するため運河を建設へ、メディア「米国の封鎖を破る」(新華ニュース) → マラッカ海峡とクラ“地峡”が経済戦争をしていたのは1400年ほど前の話。西暦600年頃までのマラッカ海峡は交通の難所で(ある程度は現在でもそうだが),安全に通れる保証が無かったため,不便は承知でクラ地峡で陸揚げし,横断して別の船に乗り換えていた。それゆえにタイ湾沿岸部が栄え,特に現在のベトナムの最南端に位置した港市オケオが繁栄した。しかし,インド人の航海技術が進歩した結果,それなりにマラッカ海峡が使えるルートとなり,すると陸揚げの手間をさけるべくこちらに商人が集中するようになる。結果的にオケオは没落し,代わってマラッカ海峡沿岸部が繁栄を始める。その原初としてのシュリーヴィジャヤ,15世紀以降のマラッカ,近現代のシンガポールとその繁栄は続く。というわけで,クラ地峡が1400年ぶりのリベンジを
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