日本の近代建築 藤森照信著 (岩波新書, 新赤版 308,309) 岩波書店, 1993 上下 タイトル読み ニホン ノ キンダイ ケンチク
建築探偵の冒険 藤森照信著 (ちくま文庫) 筑摩書房, 1989.12 東京篇 タイトル読み ケンチク タンテイ ノ ボウケン
庭園美術館の七宝焼:並河靖之展に行ってきた。七宝焼とは主に金属(銅や鉄など)にガラス質の釉薬をかけて焼く金属工芸のことである。明治期に隆盛し,非常に細かい文様から陶磁器や漆器などと並ぶ明治期の人気輸出商品であり,「明治期の超絶技巧」として近年脚光を浴びている。しかし,陶磁器や漆器と決定的に違う点がある。陶磁器や漆器は江戸時代から日本で盛んだった伝統工芸であり,明治初期までに大きな蓄積があった上で西洋の影響を受けて(陶磁器ならば宮川香山などの努力により)超絶技巧を達成したのだが,七宝焼の場合,幕末までの蓄積があまりない。並河靖之ら数人の技術者によって,幕末から明治初期に急速に発展した。並河靖之自身,出発は中国の七宝焼であると述べていたそうだし,並河の企業は本展覧会でも「ベンチャー企業」と称されていた。つまり七宝焼は明治日本らしい,あるいは19世紀末の東洋らしい「新しい伝統工芸」とも言えよう。
日本を代表する建築家の一人、村野藤吾(1891~1984)が戦時中に設計した日本製鉄(現・新日鉄住金)八幡製鉄所の工場が、北九州市戸畑区に現存し、稼働していることが分かった。刊行されている村野の年譜には同製鉄所の複数の工場を設計したとの記録があるが、実際に建てられたのかはこれまで不明で、「幻の工場」だった。 村野が設計したのは、八幡製鉄所の戸畑地区にあるロール加工工場。幅60メートル、奥行き150メートルの鉄骨造で、新日鉄住金の子会社の日鉄住金ロールズが所有している。1941年に建てられ、当時も今も、鉄板を延ばす円柱のロールを製造している。 京都工芸繊維大の笠原一人・助教(近代建築史)がこのほど、同大の美術工芸資料館が所蔵する5万点を超える村野の図面の中から八幡製鉄所の三つの工場の設計図を確認した。 設計図の表題はいずれも八幡製鉄所が所有する建物の記録と一致。その一つが「戸畑ロール旋削工場
かつて文人らも泊まった横浜の風雅な元料亭が、格安の宿に生まれ変わろうとしている。築80年超の木造2階建てで、国の登録有形文化財。狙いは日本情緒を求める外国人観光客だ。 海に近い住宅街の一角に、今年2月で営業を終えた料亭「金沢園」(横浜市金沢区)がある。1929年完成のレトロな入り母屋造りで、当初は海辺の景勝地に立つ料理旅館だった。与謝野晶子や高浜虚子が詩歌の会を開いた大広間や、色ガラスをあしらった風呂場もある。2004年に登録有形文化財になった。 ここで「ホステル金沢園」を始めるのが喜多正顕さん(36)。留学生向けシェアハウス手配の事業で知り合った建築家に昨年、金沢園を紹介された。ホテルのような防音性やプライバシー確保は難しいが、素泊まり4千円程度で交流も楽しいホステルを構想。建物の今後を横浜市都市デザイン室などに相談していた所有者は、年輪こそ魅力というこの提案を歓迎した。 写真映えする「
明治初期に熊本洋学校の教師として来日した米国人教育者リロイ・ランシング・ジェーンズ(1837~1909)が暮らした県指定重要文化財の「ジェーンズ邸」(熊本市中央区)が地震で全壊した。 「ジェーンズ邸」は1871年築の県内に現存する最古の西洋建築として知られ、1970年に現在地に復元された。特徴的な西洋風の薄緑色の柱などがばらばらに崩れ、辺りには瓦が散乱。邸内に展示されていた教師時代の教科書やノートなどが、がれきの下敷きになった。 近くに住む男性(93)は「崩れる音も全くしなかったので、朝起きて見て、びっくりした。デザインもしゃれていて、県外からの観光客も多かったのに」と残念がった。 =2016/04/17付 西日本新聞朝刊=
ガルパンに登場する建物の幾つかは、元ネタがちゃんとあります。上画像の西住みほの実家、これは熊本市にあるという設定になっていまして、コミック版でも同じ姿で描写されております。 この建物、ガルパン交流板などで、変わった造りだとか、変てこな建物なのでアニメのオリジナルだろう、とか噂されてるみたいですが、私はこれとほぼそっくりな建物を知っております。 これですよ。この建物ですよ。私はこの建物によく出入りしてましたから、内部の間取りなどもよく知ってます。西住みほの実家の元ネタに間違いない、と思っております。 この建物は、奈良国立博物館の構内にある、仏教美術資料研究センターという施設です。仏教美術に関連する調査研究資料の作成・収集・整理・保管と、関係する図書・写真などの公開を目的とする、図書館の一種です。 建物自体は、明治35年(1902)の竣工で、設計者は、建築史学者として古社寺保存修理事業に尽力し
(CNN) アジアの宿泊施設のスター的存在だったホテルオークラ東京の本館が建て替えられることになった。1962年に開業し、時代の中に取り残されたような趣が魅力だったタイムカプセル的ホテル。2020年の東京五輪に向けて、本館の建物は来年8月に閉館となり、取り壊される。 オークラの内装やデザインは、開業から50年たってもほとんど変わっていない。柔らかな照明に照らされたメーンロビーは訪れた客を魅了し、セイコーの時計が入った世界地図には今でもレニングラード(現サンクトペテルブルク)の時刻が表示される。 バー「ハイランダー」では世界各地でとうに姿を消したカクテルが注文でき、係員の行き届いた応対もほかでは体験できなくなりつつある。 客室は60年代から改装されたとはいえ、現代の標準からみると窮屈で時代遅れな印象だ。100キロもある取材用のカメラ機材を特別小柄な女性スタッフに部屋へと運ばせるのは素晴らしい
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く