羽田孜(はた・つとむ)元首相が28日午前7時6分、老衰のため自宅で死去した。82歳だった。非自民連立政権の細川護熙内閣を引き継ぎ、1994年に第80代、51人目の首相となったが、少数与党で政権運営に苦しみ2カ月で退陣。その後は新進党や民主党に属し、一貫して「非自民」の立場から政権交代をめざした。 58年、成城大経済学部を卒業後に小田急バスに入社。父武嗣郎氏を継ぎ、69年衆院選で旧長野2区から自民公認で初当選。小選挙区制導入後は長野3区で当選を重ね、2012年に引退するまで当選14回。 故田中角栄、故竹下登両元首相に師事。故橋本龍太郎、故小渕恵三両元首相、当選同期の小沢一郎氏らとともに「竹下派七奉行」と呼ばれ、農林水産相や蔵相などを歴任。故金丸信・竹下派会長のヤミ献金問題に端を発した竹下派分裂で小沢氏とともに92年12月、羽田派を結成した。 93年6月、羽田派は宮沢喜一内閣不信任案に賛成し、
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く