バス停 « 前のページ次のページ » 新宿3丁目を「追分」と呼ぶ理由 July 15, 2010 Tweet 前回の「角筈二丁目」バス停から、新宿駅を挟んでちょうど反対側、伊勢丹南面の新宿通り上に立つのが、今回ご紹介する「新宿追分」バス停です。めまぐるしい雑踏の中心地ともいえる伊勢丹と丸井の狭間に、江戸時代の追分地名を残すバス停が立つ姿は、大変貴重な光景といえるでしょう。「追分」が街道の分岐点にみられる地名であることは、周知のことと思いますが、ここ新宿の追分は、甲州街道と青梅街道の分岐点であり、現在の新宿3丁目交差点がその跡地ということになります。 そもそも新宿の地には、家康の関東移封が決まる天正18年(1590)、小田原北条氏の攻撃に参加していた内藤氏が、国府道(後の甲州街道)と鎌倉街道の交差地点(現在の 新宿2丁目付近)に布陣し、家康入府後の慶長8年(1603)にそのままこの地を拝領す
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