江戸は人間と自然の調和がとれていた 一方、江戸の中心には寺社がなかった。 とりわけ明暦の大火後、多くの寺社が周縁に移転させられてからは、日枝山王社や平河天満宮、大名屋敷の邸内社、それに江戸城内の将軍霊廟れいびょうを除けば、外堀の内側には寺社がほとんど存在しなかった。 支配者の宮殿をしのぐ壮麗な教会が真ん中に鎮座し、神意に忠実であるよう人々に問いつづける西洋の都市との、なんたる違いだろうか。 代わりに、江戸は木々が自然に枝を伸ばす都市だった。緑が占める割合も、地肌が露出している面積も、フィレンツェなど西洋の都市にくらべ圧倒的に多かった。 大名屋敷内の庭園でも木々は刈り込まれたが、自然を支配した証しとして幾何学的に整える西洋とは、発想が正反対である。 江戸の庭園では自然が人工的に再現され、木々を刈り込む際も、枝がいかにも自然に伸びているように見せることに腐心する。 時に日本各地や中国の名勝がミ