2014.02.18更新 前回のお話で、会社というのは人間と人間が線の関係で結びつき、総体として網のようにつながった生命体のようなものであり、それぞれの関係を強化するのは礼儀などの行為であるのではないか、というお話をしました。 それぞれの個人個人が仕事をする理由はさまざまであるものの、個々の点と点が線として結びつく力として人間関係があり、その人間関係を強化する方法として、お金の流れや、組織の指示系統以外に、礼儀がとても重要ではないか、ということを書きました。 それでは、それぞれの個人はなぜ仕事をするのか。個別の点に注目してみたいと思います。こちらも、経済的な理由、つまり報酬を得て生活するため、であるとか、上司が指示したから、とか、仕事が楽しいから、夢を叶えるため、などいろいろあると思います。 点と点を線としてつなげる力として、1.経済的な力、2.組織的な力、3.人間的な力、の3つがあるの
京都に帰ってきてからもうすぐ6年になろうとしています。 2008年に京都に戻った時に20人ほどだった社員も、年々増え続けて今は70人近く、アルバイトのメンバーなどを含めると100名近い所帯になりました。この規模で企業が年々成長していくために、経営の仕事を洗練させていく必要がありました。 どんな内容の仕事でもそうだと思いますが、「それじゃ今日から経営の仕事に力を入れよう」、と心に決めて、さっと切り替えられるほど経営は甘くはありませんでした。たくさんの失敗もし、いろいろな人や本から学び、今に至っています。 今では社内にいくつもの組織ができ、それぞれのチームにはリーダーが置かれ、チームには年間の目標が設定されて、毎月目標の進捗を確認しながら、半期ごとに見直しや評価を行っています。現場のメンバーと社長の間には、1人から3人くらいの責任者が立ち、全体で3から5階層くらいの組織になっています。サー
第2回・第3回の連載でインタビュー記事を掲載したタテタカコさんが仙台でライブを行う時によく利用するLIVE HOUSE enn。 実は、他の多数のプロジェクトメンバーもなじみ深い場所でした。 私もその一人で、大学時代から今もずっと、好きなバンドを追いかけて半年に1回ペースで通っています。 音楽好きな私としては、ぜひこのLIVE HOUSE ennさんの魅力をもっと広く知っていただきたいと思い、取材を打診しました。 今回はその取材の模様をお伝えします。(文・写真 大沼真理奈) 加藤芳邦 1961年静岡県生まれ。仙台歴46年。 LIVE HOUSE enn社長。高校時代からドラムを始める。高校卒業後から勤めていた商社を退職し、その頃バンド活動も休止。その1年半後の2001年に仙台市青葉区本町に1号店(本店)をオープン。アマチュア向けの貸しホールとしてスタートするが、2003年にある
「みんなのミシマガジン」紙版9月号の「はじめに」で私は、鷲田清一先生著『おとなの背中』から、長い引用をさせていただきました。 「お一人の仕事が丁寧だと、以心伝心、メンバーが入れ替わった異分野の職人さんたちにもそれが感染していって、だれが指示したわけでもないのに佇まいが一定の感度にそろってくる。(略)将来、おなじ職工の眼にふれたときに恥ずかしくないような仕事をしておきたいというのである。職人のこだわりはじつに未来の職人に宛てられていたのである」 これを実践していくこと。 このミシマガジンも、ミシマ社の本たちも、上記の「職人さん」のようでありたい。そう誓った私は、本書をご執筆された鷲田先生に、お話をどうしても直接うかがいたく研究室を訪れたのでした。 仙台メディア・テークの館長もされている鷲田先生。超がつくご多忙にもかかわらず、これからの人生の指針となるべき大切なことをいっぱい教えてくだ
「みんなのミシマガジン」紙版9月号の「はじめに」で私は、鷲田清一先生著『おとなの背中』から、長い引用をさせていただきました。 「お一人の仕事が丁寧だと、以心伝心、メンバーが入れ替わった異分野の職人さんたちにもそれが感染していって、だれが指示したわけでもないのに佇まいが一定の感度にそろってくる。(略)将来、おなじ職工の眼にふれたときに恥ずかしくないような仕事をしておきたいというのである。職人のこだわりはじつに未来の職人に宛てられていたのである」 これを実践していくこと。 このミシマガジンも、ミシマ社の本たちも、上記の「職人さん」のようでありたい。そう誓った私は、本書をご執筆された鷲田先生に、お話をどうしても直接うかがいたく研究室を訪れたのでした。 仙台メディア・テークの館長もされている鷲田先生。超がつくご多忙にもかかわらず、これからの人生の指針となるべき大切なことをいっぱい教えてくだ
手で書いて生きていく ―― これから全4回に渡って『東京ドリーム』の執筆を振り返っていきたいと思います。大ファンをいたるところで公言しているCoccoさんの本を、こうしてミシマ社から出していただけるのが何よりも嬉しいです! まず、前の小説の執筆の際は手書きだと伺っていますが、本書もすべて手書きなんですよね? Coccoはい。全て手書き。うちにはパソコンないから。だからネットで何か調べたいときは、使える人がいるときにやってもらう。郵便番号を調べる時もだし、「◯◯さんにメール送っておいて」とかも誰かにお願い。バスなんかは困りもので...。今はバスの時刻表もくれない。 ―― 何でもかんでもネットですもんね。紙がどんどんつくられなくなっている。 Coccoだからバスは、乗るたびに発車時刻をバス停でちょっとずつメモって、家で少しずつ時刻表を完成させてた。でも、ついこの前「やった!完成した!!」と思
前回からちょうど一月空いてしまいました。無音をお詫び致します。 でも、忙しかったんです。ほんとに。 本2冊出して、テレビの収録が3日あって、新聞雑誌の取材を8回受けて、講演を5回やって、対談2回やって、合気道の合宿に2回行って、新幹線に12回乗って、原稿を5本書いて、ゲラ一冊分見て、仲人一回やったんですから。日記書いてる暇なんか、ありませんでした。 でも、ようやく最悪の時期は過ぎて、ここ2日ほどはちょっとほっとしております。その隙を突いて三島くんから「凱風館日乗更新されてませんけど・・・」という督促がありましたので、とりあえず一つ書くことにします。 でも、一月前のことなんか遠い過去のことで、もう思い出せませんので、とりあえず今日書いた話について。 これはある雑誌からの依頼で、「租税回避と共同体」について長いものを頼まれました。8000字ほど書いて、書き上げて「やれやれ」と肩をぽんぽん
ニートや非正規雇用者が多く、世代間格差は広がり高齢化社会においての若年層世代の負担は重くなる。そんな「割を食った」若者たちなのに、「国民生活に関する世論調査」によれば、20代の70%が現在の生活に「満足している」。 「なぜなら、日本の若者は幸せだからです」 古市憲寿の『絶望の国の幸福な若者たち』の有名なフレーズである 「たとえば、ユニクロとZARAでベーシックなアイテムを揃え、H&Mで流行を押さえた服を着て、マクドナルドでランチとコーヒー、友達とくだらない話を三時間、家ではYouTubeを見ながら Skypeで友達とおしゃべり。家具はニトリとIKEA。夜は友達の家に集まって鍋。お金をあんまりかけなくても、そこそこ楽しい日常を送ることができる」 古市憲寿は85年生まれの20代の社会学者だ。 対してK氏は50代。 ユニクロやZARAは着ない。みんな同じでダサいと思っているからだ。 カ
大阪(市)は、古墳時代まで上町台地をのぞいては河内潟、すなわち海の底だった。 大阪城は、豊臣時代に秀吉が築いたものではなく、徳川幕府が堀も石垣もすべて埋めて再築したものだ。 このような(案外)知られていない大阪のあれやこれやは実に多い。 同様に間違って知られすぎている「大阪の常識」みたいなのがあって、これがやっかいなのである。 とくに人のキャラクターについては顕著だ。 大阪人はよく喋っておもろい。口が達者で言うたもん勝ち。拝金儲け主義でケチ。ど根性。食べものにいやしい。派手好きで下品。どスケベ。せっかちでイラチ。並ばない。おばちゃん、ヤクザ、阪神タイガーズ。おっと、橋下大阪市長。 もちろんこんな人ばかりではない。これは何だかヘンだ。 そのヘンではないが、関西大学の社会学部の黒田勇教授がTBS系の番組『ここがヘンだよ日本人』での「関西人vs外国人」という特集について、いろいろ調べ
こんにちは。近藤と言います。「はてな」というインターネットの会社を経営しています。2001年に会社を作ってから、13年目になりました。思えば随分長い時間になってきました。 会社を作ったのは25歳の時。就職活動をちゃんとやらず、進んだ大学院も中退してぶらぶら、いや、悶々と過ごしていたんですが、ふとしたきっかけで会社を作ろうと思い立ち、気付けば13年もやっています。 よくここまで続いているな、という感覚もありますし、まだこんな所までしか進んでいないのかよ、という気持ちもあります。まあしかし、それが自分です。それ以上でもそれ以下でもない。たぶんもう一度やってもたいして違いはないでしょう。 なぜきちんと就職活動しなかったかというと、ひとことで言うと胡散臭かったんですね(笑)。 だいたい、中学生になったあたりから、僕は世の中とうまく折り合いがつかなくなってきました。だって、なんだか胡散臭くないです
「みんなのミシマガジン」の記念すべき特集第一弾は、「「みんなの時代」がやってきた!?」。 このタイトルを見ていかが思われましたか? そうなのか! と思われた方。 「!?」に真実あり。あんなこと言って、企画者もほんとは確信ないんじゃないの? と推論した方。 そもそも、「みんなの時代」の「みんな」ってなにさ? と疑問を感じた方。 というより、「これからって、逆に、みんなの時代じゃなくなるんじゃないの」と反論される方。 いろいろいらっしゃると思いますが、どれも「たしかに、そうですね・・・」とお答えするほかありません。 というのも、現時点では、本雑誌の編集長である私自身わかっていないのです。 ただ、そうなると面白いのにな、と思った。それだけです。 では、どこの何を「面白い」と私は感じたのか? ひねくれ者の私のこと。世間で言われる「みんな」という言葉とは違う意味をそこに感じたは
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