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ブックマーク / mb101bold.cocolog-nifty.com (65)

  • 大阪ダブル選雑感 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    2015年の大阪市住民投票後に「大大阪大阪都」という記事を書いたこともあるので、今回の大阪府知事、大阪市長のダブル選挙の結果について僕が感じたことをこのブログに残しておきたいと思った。 結果は大阪維新の圧勝、大阪自民、立憲民主、共産などが共闘を組んだ反維新陣営は惨敗だった。 僕は大阪都構想については大大阪幻想を喚起する「大阪都」というレトリックを軸に、そのレトリックが大阪府民、大阪市民にどう受容されてきたかという切り口で見てきた。住民投票の際には大阪にいたので各陣営の街頭演説を回ったり、在阪民放各局の報道のされ方をチェックしたり、かなりその空気感については理解をしていたつもりではある。一方で、今回、選挙期間中はずっと東京にいて、その空気感がいまいちわからない部分があり、結果を見て、「ああなるほど、そういうことだったのだな」と事後的に理解した部分が大きい。 「大阪都」というレトリックについ

    大阪ダブル選雑感 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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    shiraber 2019/04/09
  • 父の死 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    思想家の吉隆明さんが生前よく言っていた言葉に「死は自分に属さない」というものがあります。確か、湘南で海水浴中に溺れた後、目や体を悪くして、その際に読書や文筆に支障を来し、これからの人生をどうしようかと思い悩んだ末、辿り着いた結論だったと思います。簡潔に言えば、生きている意味がない思っていたけれど、やっぱり生きようと思ったということです。死は自分に属さないのだから、生きているうちは生きるにまかせるしかない、それが生きることだ、ということですね。 吉さんは文芸批評家でもあるわけだから、自死を積極的に否定するようなある種のヒューマニズムや、生きることこそ素晴らしいといった狭義の思想から導き出された言葉ではなく、生と死を突き詰めた、吉さんなりの原理的思考から導き出された言葉であると私は理解しています。 父は糖尿病を患い、随分前からインスリンを打っていましたし、糖尿病の合併症から片目と片耳が機

    父の死 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • ラジオのこと - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    ナイティナインのオールナイトニッポンが9月いっぱいで終わるそうですね。8月28日深夜放送分をradikoで聴きました。矢部さんが終わる理由を話していました。たぶん、その理由はいろんなところで報道されるでしょうから、ここでは詳しくは書きませんが、私はとてもいい終わり方だと思いました。こんな理由で20年続いた番組を終わらせることができるのも、ラジオというメディアのいいところだと思うんですよね。 ラジオの出演者はパーソナリティと呼ばれます。テレビではパーソナリティとは呼ばれません。ナイティナインはテレビで冠番組をいくつも持つ人気タレントです。でも、そんな彼らにもそれぞれの人生があるわけで、その中でテレビでは決して表現しないけれど、当然、人間として心のなかで感じていることもあるわけですよね。その秘めた思いを、きっとほんの少しだと思いますが、きちんと表現できるのが、映像を禁じられた音声メディアである

    ラジオのこと - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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    shiraber 2014/08/29
  • MacBook Air+外部モニターがとってもいい感じ、というか、こういうのがモバイラーの夢だったんだよなあ、というお話。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    MacBook Air+外部モニターがとってもいい感じ、というか、こういうのがモバイラーの夢だったんだよなあ、というお話。 私はモバイラー(この言葉、懐かしいですね)だったりするので、これまでたくさんのモバイルPCを持ち歩いてきました。最初がNECの文豪ARDATA。その次が富士通のIntertop 310。で、東芝のLibretto L3、PowerBook G4、MacBookと来て、現在のMacBook Air 11inchに至ります。 いろんな機種の使い心地には一長一短があって、ARDATAはワープロ文豪ベースだけに起動も速くて文字もサクサク打てて、そのうえバッテリーの持ちもよかったのですが、やはりあの頃のモバイル機はPCとは違うのでプリンタとかファイルの管理とか、いろいろ困ったこともたくさんありました。ただ、あの頃はメールなんかもあまり普及してなかったし、それはそれでよかったりし

    MacBook Air+外部モニターがとってもいい感じ、というか、こういうのがモバイラーの夢だったんだよなあ、というお話。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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    shiraber 2012/08/15
    前社でやっててたしかにこれは企画書がはかどった記憶があります。今は退行(-_-)
  • がんばれ、NHK_PRさん。応援してます。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    そもそもの問いが愚問だけど、今、この状況で、広告人として何ができるか、と問われれば、NHK_PRさんみたいなことかな、と答えます。それくらい、NHK_PRさんの中の人の仕事は見事だなあ、と思います。あっ、中の人などいない、でしたよね。失礼しました。 twitterをやっていない人はわからないかもしれませんが、NHK_PRは、NHK広報局の公式twitterアカウントのこと。NHKの番組の広報ツイートをtwitterで日々届けておられます。twitterのアカウントページの自己紹介は、こんな感じ。 名称 NHK広報局(番宣・広報/ユルいです) 自己紹介 このたびの大きな震災では、皆さん長い緊張状態が続いているようで、様々なところに、イライラと批判と強い口調の言葉が流れています。だからこそ、このアカウントでは出来るだけ日常的なユルいツイートを心がけております。ご批判もあるとは思いますが、ご理解

    がんばれ、NHK_PRさん。応援してます。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • ここ数日のこと - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    ブロガーなんだし、地震発生からこれまでのことを、自分のためにも備忘録として記録しておこうと思い、エディタを開いた瞬間、また大きな揺れ。震源は静岡東部。震度6強。東北地方太平洋沖で発生した地震だけど、今回は広範囲で次々と地震が起る。twitterでフォローしている方に、仙台在住の方もいる。お会いしたこともないし、やりとりもしたことはないけれど、たまに私のブログやツイートの言葉について言及してくださるので前から気になってはいて、その方のアカウントページを覗いては現状を確かめたりしている。現在進行形の被災の姿がそこにあって、胸が痛む。 11日の地震発生時、東京の勤務先にいた。強烈な横揺れだったけれど、感覚的には阪神淡路大震災に大阪で感じた揺れよりも若干弱く、その分、妙に落ち着いた気持ちでいた。不謹慎かもしれないが、この揺れではまだ大丈夫。そんな感覚があった。 twitterにアクセス。阪神淡路大

    ここ数日のこと - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 個人がメディアを持てるようになったということ - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    私がここで書いていることも、個人がメディアを持てるようになったという時代を象徴していると思うし、言葉で伝えたい私にとっては、ブログがその中心的なツールになったし、映像で伝えたい人にとっては、YouTubeやニコニコ動画、USTREAMなのでしょう。 個人がメディアを持てる、ということ自体は、インターネットができたときから実現していることであり、とりたてて今言うべきことではないかもしれないけれど、それでも、今なお言えることは、今も進行しつつあるメディア環境の変化は、やはり、個人がメディアを持てるようになった、という変化を中心にして起きているものである、ということだと思うのです。 ●    ● 広島市の秋葉忠利市長が、テレビでの退任会見ではなく、自らが語る14分50秒の動画をYouTubeに投稿しました。秋葉市長は、マスコミをすべて拒んだわけでなく、4日には地元民放の生放送に出演し、その後に複

    個人がメディアを持てるようになったということ - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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    shiraber 2011/01/07
    拝読しますRT @mb101bold: エントリの結びで述べた「根本的な問題」について、長めのコメントを書きました。『個人がメディアを持てるようになったということ』
  • 「このブログ、広告がすごく好きだということが伝わってくるんだけど、ときどき、本当は、広告がすごく嫌いなんじゃないか、と思うことがあるなあ。」 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    「このブログ、広告がすごく好きだということが伝わってくるんだけど、ときどき、当は、広告がすごく嫌いなんじゃないか、と思うことがあるなあ。」 長いことブログをやっていると、私に向けてではない言葉で私について言及されていることもたまにあって、まあ、それなりに俗な人間でもあるので、それなりに見つけては読んだりしているんですが、ずいぶん前にですが、その中で少し気になる言葉があったんですね。 その言葉は、特に批判や反論というわけじゃなく、私のブログを読んでの感想みたいな言葉でした。確か、はてなブックマークか、ブログかで語られた言葉ですが、探してみたけど見つかりませんでしたので、だいたいこんな感じ、と思っていただければと思います。 「このブログ、広告がすごく好きだということが伝わってくるんだけど、ときどき、当は、広告がすごく嫌いなんじゃないか、と思うことがあるなあ。」 確かになあ、そうなんかもなあ

    「このブログ、広告がすごく好きだということが伝わってくるんだけど、ときどき、本当は、広告がすごく嫌いなんじゃないか、と思うことがあるなあ。」 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 中央線 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    中央線のオレンジ電車が引退しました。約30年間のお勤めだそうです。お疲れさまでした。正式な名称は、201系と言うそうです。 東京で仕事を始めてから、毎日のように乗った電車でした。ずっと中野で暮らしているので、かれこれ20年近く乗り続けていたことになります。その間に、いろいろと職場が変わったりはしましたが、中央線には乗り続けてきました。 近頃は、もっぱらアルミでできたE233系ですが、ときたま201系に出会うと、ほんの少し得した気分になったりもしました。なんでしょうね、あの気分。 広告屋なので、車内広告を眺めることが多いです。最近は、ローンの広告やパチンコの広告の隣に、法律事務所の広告があったりして、広告は世相を表すなあ、と思ったりしていますが、そんな中に、ひっそりとJRの広告があって、その広告には、荻窪か三鷹あたりの風景写真に「中央線が好きだ。」と書いてあります。 運営している会社が「中央

    中央線 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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    shiraber 2010/10/18
  • 時限爆弾と世代論 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    所謂、「大阪地方検察庁による郵便不正事件に絡む証拠改ざん事件」。 ずいぶん重苦しい事件が起きてしまったものだなあと思います。重苦しい事件は数多くありますが、この事件は、自分にかかわるいろいろな領域と重なる部分もあります。私は、普段、こうした事件に言及しないし、言及するほどの能力も情報も持っていないので、ブログにはあまり書かないでいましたが、今回は、この重苦しさの理由について書いてみようかな、と思いました。 ●    ● この事件、もともとは、広告業界にからむ事件でした。事件のあらましは、こう。Wikipediaの「障害者団体向け割引郵便制度悪用事件」を引用します。 障害者団体とされる「凛の会」(白山会に改称)や「健康フォーラム」が、2006年〜2008年ころ、大手家電量販会社、紳士服販売店、健康品通販会社などのダイレクトメールを障害者団体の発行物と装い、「低料第三種郵便」として低価格で違

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  • 人はひとつの球しか受けきれない - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    私がやっている仕事って、何の仕事なんだろう。 いや、別に懐疑的になっているとか、そういうわけじゃなく。 簡単に言えば「広告の仕事」とか「コミュニケーションの仕事」とか、そんな話で済んでしまうんだけどね。でもね、じゃあ「広告」とか「コミュニケーション」を仕事にするって、どういうことなの、みたいな、ね、質的に、それはどういうことを意味しているんだろうか、なんてね。 ちょっと角度を変えて、たとえばコピーライターなら、言葉を書く人だし、アートディレクターならアートをつくる人。でもね、言葉を書く人も、アートをつくる人もいっぱいいますよね。だったら、その、コピーライターなり、アートディレクターなりの専門性って何なの、みたいな。 クリエイティブディレクターっていう役職がありますよね。それは、単にクリエイティブチームの責任者とか偉い人とか、そういう意味合いだけでなくてね。 クリエイティブディレクターって

    人はひとつの球しか受けきれない - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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    shiraber 2010/10/07
    営業の場でのワンメッセージってのもまさにそう。相手に残るメッセージひとつと思ってやってますがついいいすぎるのはよくあることです。
  • めしがうまけりゃ、なんとかなるさ。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    ということを、よく思います。 たとえば、なんか、人の問題とか、お金の問題とか、経営状態の問題やらで、やな感じになっているお得意先の仕事なんかで、でも仕事だからやらなくちゃならなくて、みたいなとき。どうやってモチベーションを高めるかというと、ビジネスに書いてあるようなことではまったく効かないんですよねえ。そんなもの、人間なんだから、やなもんはやなんです。 そんなとき、意外に効くのは、めし。 そのお得意先の近くに昼飯がおいしいべ物屋さんを見つけるんですね。で、それをたのしみにするんです。だから、打ち合わせは、できる限り、朝一にします。普通は、やな仕事だと、気分的に後まわしになるんですが、昼飯のために、あえて朝一にするんです。 そうなると、その仕事は案外好転するんですよね、なぜなら、と続くと、ライフハックになるんですが、まあ、現実は、あんまりそうはならないです。そんなにうまいこといくわけがな

    めしがうまけりゃ、なんとかなるさ。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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    shiraber 2010/09/30
    こんど新宿あたりのお店をおしえてもらお。
  • 「広告」というのはひとつのテクノロジーなのだと思う - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    それは、よきにつけ、悪しきにつけ。 当たり前のように広告の仕事をしてきて、それなりに広告の方法論を身につけて、広告という文化圏の中で息をして、広告というものの考え方にどっぷり浸かってきたけれど、その「広告」というやつは、「広告」というやつの外部から見れば、かなり異質なものの考え方のような気がします。 所詮はビジネスではあるから、いろんな組織のごたごたに従うしかないこともありますし、それが現場のリアリズムかもしれませんが、来的には、広告とは、そんなごたごたさえ排除するものの考え方のような気がします。だからといって、つくり手がいちばん尊重されるかというと、組織のごたごたさえ原理的には排除されるのと同様に、つくり手のプライドや自我さえ排除される、そんなものの考え方。ある意味で、きわめて悪魔的な考え方なのかもしれません。 つまり、なによりも尊重されるべきは、広告。そして、広告によってかたちづくら

    「広告」というのはひとつのテクノロジーなのだと思う - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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    shiraber 2010/09/09
    RT @mb101bold: 次世代広告テクノロジーの「テクノロジー」ではなくてドラッカーの言う「テクノロジスト」の意味合いでの「テクノロジーとしての広告」の話を書きました。まあ、わりと普遍的なテーマかもしれませんが。お
  • なぜ選挙ポスターはみんな同じなのか - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    私は1回だけ選挙ポスターを作ったことがあります。友人の親戚のおじさんが市会議員選挙に出るとのことで、とにかく目立つものを作ってほしいということでした。何か新しい方法はないものかと、あれこれ考えてはみたのですが、最終的にはごくごくありきたりなポスターになったことを覚えています。 公営の掲示板(今、街に立てられている白いペンキで塗られたベニア板のやつ)に貼られる選挙ポスターは、意外ですが、表現については規制はあまりないんですよね。つまり、文字だけでもいいし、掲示責任者と印刷責任者の明記があれば写真だけでもいいんです。ま、写真だけだと意味をなさないからあり得ないとは思いますが。虚偽と利益誘導は駄目。それくらいのもの。 一発勝負で今までにない手法を試してみるという手もありますが、そうもいかないのが選挙でしょうし、人生をかけた一発勝負になかなか冒険はできないでしょうから、結果として、広告やデザインの

    なぜ選挙ポスターはみんな同じなのか - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 「広告は性格の良い人がやるものではない」について考えてみました。: ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    リファラで気付いたのですが、Googleで「広告は性格の良い人がやるものではない」を検索すると、このブログの「「タイプ別性格判断」というものをやってみたのですが」という記事がトップに表示されるようです。ちなみに、当該エントリにはその答えは書かれていません。 それにしても、どういう事情でこんなワードで検索をしたんでしょうね。何か嫌なことでもあったのでしょうか。 若い広告クリエーターで、上司ができる人かつ性格が悪くて、その上司に自分の企画が通らなくて、そのうえ「君、広告向いてないんじゃないの?辞めれば?」みたいなことを言われて、「あのCDむかつく。性格最悪。だいたい広告なんて性格が悪くないとできないんじゃねえ?きっとそうだ。そうに違いない。」みたいなことなんでしょうかねえ。 ともあれ、「広告は性格の良い人がやるものではない」というフレーズは妙に気になります。どうなんでしょうね。そんな気もします

    「広告は性格の良い人がやるものではない」について考えてみました。: ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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    shiraber 2010/06/28
    性格の良い悪いに鈍感な自分ですが、お祭り体質であることは強みかなと思います。発露が派手かどうかは別問題として。。
  • ソーシャルメディアとの距離の取り方 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    これからはネットの時代なんだよ。 そんなふうに語られていた頃は、じつはマスメディアとネットという構図をとりながら、その台詞を口にする人の頭の中では、じつは別の構図が描かれていたんだろうと思います。当は、マス広告とネット広告という構図ではなく、純広告的アプローチと非純広告的アプローチの構図だったりします。純広告ではなく、タイアップ、コラボレーション、口コミなどなどでうまくやれないか、ということだろうな、と。うまくやれないか、という言葉の意味は、安くやれないか、ということなんでしょう。 マス広告とネット広告ということなら、わりと話は簡単で単純。不特定多数に広く伝えたいのなら、Yahoo! JAPANなどの大手ポータルサイトのバナー広告なんかは、もはやマス広告と言ってもいいだろうし、ターゲットセグメントで言えば、雑誌に出稿するのも、セグメントされたサイトに出稿するのも、手法的にはほぼ同じであっ

    ソーシャルメディアとの距離の取り方 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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    shiraber 2010/05/27
    ソーシャルメディアとの距離の取り方: ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね):
  • Twitterをはじめて思うこと - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    普段からおしゃべりはあまり得意ではないので、あまりつぶやいたりはしていないのですが、それなりに機嫌よくやっています。タイムラインをながめているだけでも楽しいです。なんとなくおだやかな感じ。その感覚は、今までのどのウェブにもなかったもののような気がします。それは、ソーシャルウェブというものの、ひとつの理想のかたちでもあるんでしょうね。 なぜそうなるか、というと、きっとそれはフォローというシステムのなせる技なのでしょう。私は、はじめた段階から、Twitterで最新情報を入手しようとか、あの人のつぶやきを眺めてみたいとか、あの人と話してみたい、というような感じではなかったので、基的にはフォローしていただいた方をフォローしてみる、というだけなんですが、だからこそ、なんとなくおだやかな感じがつくられているんだろうな、と思うんですね。 これは、フォローの仕方によって違う場をつくることもできるというこ

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    shiraber 2010/05/22
    Twitterをはじめて思うこと: ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね):
  • Thoughts on Flash vs Freedom of choice - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    どっちが正しいのかはよくわかりませんが、久しぶりに興奮しました。広告が届きにくくなったとか言うけどね、極限まで突き詰められたメッセージであれば届くんですよ。やっぱりね、広告っていうのはメッセージなんですよ。 ●    ● まずは、Appleのスティーブ・ジョブズが署名入りでウェブサイト上で表明。 http://www.apple.com/hotnews/thoughts-on-flash/ これを広告かと言えば、少し微妙なところがあるけれど、でもまあ、広告を「広告主が管理可能なメディアを通して広く社会にメッセージを伝える行為である」と定義すれば、これはまぎれもなく広告。というか、こういうのこそが広告。日語訳はこちら("Thoughts on Flash"(日語訳) - Kenichi Maehashi's Blog)。 で、このジョブズの表明に対してAdobeが反応。wired.com

    Thoughts on Flash vs Freedom of choice - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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    shiraber 2010/05/14
    広告人視点満載ですね。
  • 広告を残すか、商品を残すか。あるいは、「広告的」という考え方。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    若手だ、若手だ、と思いながらやってきて、いつのまにか「若手って、あんたいつまで。甘えんじゃねえ。」なんて言われるお年頃になってきました。この業界は、純粋に経験年数でキャリアを計りにくいとは思うんですが、なんだかんだで私も20年弱(弱って書くところが、甘えてるんだな、きっと)くらい広告で飯を喰ってきているわけでして、ベテランとは言わないまでも、まあ中堅くらいにはなるのかも。 私は、わりと若い頃から独り立ちして広告をつくってきたところがあって、ちょっと嫌な若手的な言い方になるけれど、CD(クリエイティブ・ディレクター)について制作スタッフとしてやってきた時でも、実質的には、私がCDをやっているみたいな感じが多かったです。なぜそうなったかというと、私の場合、会社をいっぱい移ってきたから。たいがい、中途採用として新しい会社に入る場合、問題のある制作チームの案件での人材募集が多いわけで、そんなチーム

    広告を残すか、商品を残すか。あるいは、「広告的」という考え方。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 140字の憂鬱 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    とまあ、憂なタイトルをつけてみましたが、内容はそうでもないです。ごくごく軽い話。Twitterを自発的に使ってみて、ああ、なるほど140字制限というのは発言の敷居がすごく低くて、これは気軽だなあ、と。こういう感想は、私が言わなくても、今までたくさんの人が言っていることだから、まあ、その追認という感じです。 でも、その逆のことも少し感じたりもしました。 ダイレクトメッセージというショートメール機能があるのですが、その際、140字制限は、逆に作用することもありますね。個人宛のメッセージに対する返答ですから、それなりにきちんとこちらの思いを言葉で伝えたいと思うのですが、それが140字だと、ちょっと辛いです。頭の中で感じたいろんな思いや、伝えたいことを、無理矢理140字に凝縮してしまおうとするんですよね。 これは、文字数の限られた紙媒体や電波媒体の広告をつくってきた職業病かもしれないですが、どう

    140字の憂鬱 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)