人生の機微を端正に描いた小説や、エッセー「大人の流儀」シリーズなどで知られる直木賞作家の伊集院静さんが、24日、亡くなりました。73歳でした。 伊集院さんは、1950年に山口県に生まれ、都内の大学を卒業後、広告代理店の勤務などを経て、1981年に作家デビューしました。 地元・山口県などを舞台にした自伝的長編小説「海峡」3部作や、瀬戸内海の島の小学校を舞台に教師と子どもたちの交流を描いた「機関車先生」など、人生の機微を端正な筆致で描く小説を数多く発表し、1992年に短編集「受け月」で直木賞を受賞しました。 その後も自身の人生観や仕事観をつづるエッセー集、「大人の流儀」シリーズがベストセラーとなるなど精力的に活動を続けてきました。 また、作詞家としても活躍し、近藤真彦さんの「ギンギラギンにさりげなく」や「愚か者」などのヒット曲を手がけています。 プライベートでは、1985年に当時の妻だった俳優
大橋純子さんは北海道夕張市出身で、1974年にデビュー。 伸びやかな歌声で人気となり、1978年、民放ドラマの主題歌になった「たそがれマイ・ラブ」がヒットしたほか、1982年には「シルエット・ロマンス」で、この年の日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞しました。 本人のホームページなどによりますと、大橋さんは2018年に食道がんを公表して休養し翌年には活動を再開していましたが、ことし3月にがんの再発が判明し活動を休止することを表明していました。 ホームページの投稿には「私としても、やっと世の中も緩和の兆しが見えてきていよいよこれから!と張り切ってリハーサルを始めた矢先の出来事にとても残念な気持ちでいっぱいなのと、楽しみにして下さっている方々に申し訳ない気持ちでいっぱいです。また是非!皆さまの前で歌えるよう暫くお休みを頂戴致します」と、つづられていました。 所属事務所の発表によりますと、大橋さん
体調不良のため先月、衆議院議長を辞任した自民党の細田博之氏が10日午前、東京都内で亡くなりました。79歳でした。 細田氏は衆議院島根1区選出の当選11回。旧通産省で勤務したあと平成2年の衆議院選挙で初当選し、これまでに官房長官や自民党の幹事長、総務会長などを歴任しました。 また、自民党安倍派の前身の細田派で会長も務めました。 そしておととし11月、前回の衆議院選挙を受けた特別国会で衆議院議長に就任しました。 細田氏は先月13日に記者会見を開き、ことし7月に脳梗塞の症状が出て別の病気も含め治療を受けていることを説明した上で「国会運営が停滞することは避けなければならない」と述べ、議長を辞任する意向を明らかにしました。 そして先月19日、海江田副議長に辞任願を提出し20日に辞任しました。 一方で、衆議院議員は続けるとして次の衆議院選挙の立候補に意欲を見せていました。 細田氏は旧統一教会との関係を
1968年に打ち上げられたアポロ8号で船長を務め、人類初となる月の周回を成功させた、NASA=アメリカ航空宇宙局の元宇宙飛行士、フランク・ボーマンさんが亡くなりました。95歳でした。 1928年にアメリカで生まれたボーマンさんは空軍のパイロットを務めたあと、NASAの宇宙飛行士に選ばれました。 1968年に打ち上げられたアポロ8号ではボーマンさんは船長を務め、人類初となる月の周回を成功させ、翌年行われたアポロ11号による月面着陸への道をひらきました。 月を周回する軌道上にいた12月24日、ボーマンさんら乗組員は聖書の一節を朗読して地球に送信し、大きな話題となりました。 宇宙飛行士を退いたあと、ボーマンさんは1970年代からアメリカのかつてのイースタン航空で社長を務め、経営者としての手腕も発揮しました。 NASAによりますと、ボーマンさんは今月7日、95歳で亡くなったということです。 NAS
アメリカの人気コメディードラマ「フレンズ」にチャンドラー役で出演した俳優のマシュー・ペリーさんが亡くなったと現地の複数のメディアが伝えました。54歳でした。 アメリカの複数のメディアは28日、俳優のマシュー・ペリーさんがロサンゼルスの自宅で浴槽の中で亡くなっているのが見つかったと伝えました。 ロサンゼルス・タイムズは捜査関係者の話として現場からは事件性を示すものや薬物などは見つかっていないとしています。 ペリーさんは1994年から10年にわたり放送され、アメリカをはじめ世界的な大ヒットとなったコメディードラマ「フレンズ」にチャンドラー役で出演し、辛口なジョークで一躍、人気を集めました。 「フレンズ」を放送したNBCテレビは「私たちはマシュー・ペリーがあまりにも早く去ってしまったことに途方もない悲しみを覚えています。彼は完璧な笑いのタイミングと皮肉のきくウイットで世界中の何億もの人たちにたく
李克強氏は安徽省出身の68歳。10代後半だった文化大革命の時期には安徽省内の農村での生活を命じられ、農業に従事しました。 その後、1976年に共産党に入党し、文化大革命後には再開された大学入試で名門の北京大学に入学し、法律を学びました。 共産党ではエリートコースである青年組織、共青団=共産主義青年団に参加し、1993年からは共青団トップの第1書記を務めました。 同じ共青団出身の胡錦涛前国家主席の信頼が厚いとされていて1999年に当時、省長としては最年少で河南省の省長になり、2002年にはトップの書記に就任しました。 その後も、遼寧省トップの書記を務めるなど地方で順調にキャリアを積みました。そして2007年の党大会で、習近平国家主席とともに異例の2階級特進で最高指導部の政治局常務委員に抜てきされました。 2013年からは2期にわたり首相を務め、経済政策全般を担いました。 中国の経済成長が減速
1960年代に人気を集めたコミックバンド「クレージーキャッツ」のメンバーで、俳優としても活躍した犬塚弘さんが亡くなりました。 犬塚弘さんは1929年に東京で生まれ、貿易関係の仕事をしていた父親の影響で、幼いころから海外の音楽などに親しみました。 兄が組んでいたバンドでベーシストとして活動する中、1955年にハナ肇さんに誘われて、ともにバンドを結成しました。 その後、「クレージーキャッツ」としてハナさんをはじめ、植木等さんや谷啓さんらほかのメンバーとともに、本格的な活動が始まり、1961年にはサラリーマンの悲哀を歌った「スーダラ節」のヒットなどでたちまち人気を集めました。 その後、犬塚さんは音楽以外にも活動の場を広げ、コメディアンとしてテレビや映画などへの出演を重ねました。 俳優としても、植木さん主演のコメディー映画「無責任シリーズ」や、山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズなどでは、コミカ
「ダンシング・オールナイト」などのヒット曲で知られ、「もんた&ブラザーズ」などで活躍したシンガーソングライターのもんたよしのりさんが今月18日、大動脈解離のため亡くなりました。72歳でした。 もんたよしのりさんは神戸市出身で、1971年にソロ歌手としてデビューした後、1980年に結成したバンド「もんた&ブラザーズ」で発表した「ダンシング・オールナイト」が若者たちから熱狂的な支持を集めて爆発的なヒットとなり、この年の紅白歌合戦にも出場しました。 1983年にはもんたさんが作詞作曲を手がけた西城秀樹さんの「ギャランドゥ」がヒットしたほか、映画や舞台にも出演するなど、幅広く活躍しました。 先月26日にはNHKの音楽番組「うたコン」に生出演し、衰えることのないハスキーボイスで「ダンシング・オールナイト」を披露していました。 所属事務所の発表によりますと、もんたさんは今月18日、大動脈解離のため72
1966年のサッカーワールドカップで地元イングランドを優勝に導いた伝説的な選手、ボビー・チャールトンさんが21日、亡くなりました。86歳でした。 チャールトンさんは1956年に18歳でイングランドの強豪、マンチェスターユナイテッドのトップチームで初出場し、抜群の得点力で頭角を現しました。 1958年には「ミュンヘンの悲劇」として知られる飛行機事故に巻き込まれ、チームメート8人が死亡しましたが、チャールトンさんは機内から救出されました。 そして、1966年のワールドカップでは開催地イングランドを悲願の初優勝に導き、代表での49得点は2015年に破られるまで、40年以上にわたって最多記録となっていました。 現役引退後はサッカーを通じた日本との交流にも取り組み、2002年のワールドカップ招致の際にはアンバサダーとして日本の魅力を発信し、開催を実現しました。 さらに、2011年には東日本大震災で被
甲高い声で「キビシーッ」と叫ぶ独特のギャグで人気となり、テレビや映画などで活躍した、俳優でコメディアンの財津一郎さんが、10月14日に慢性心不全で亡くなりました。89歳でした。 財津さんは熊本県出身で、高校卒業後に上京したあと、劇団などでの活動を経て、1964年、大阪の吉本新喜劇に入り、笑いの世界で頭角を現します。 1966年には、藤田まことさんが主演のコメディー番組「てなもんや三度笠」に出演し、甲高い声で「キビシーッ」と叫ぶ独特のギャグで人気を集めます。 その後は、演技の幅を広げ、映画やドラマ、ミュージカルなどで俳優として活躍するようになりました。 1995年には脳内出血で倒れますが、翌年に放送されたNHKの大河ドラマ「秀吉」で復帰し、竹中直人さん演じる秀吉の義父とされる役で話題を呼んだほか、2004年の連続テレビ小説「天花」では、ヒロインを見守る祖父を演じました。 また、歌も得意として
谷村新司さんは大阪府出身で、1972年にバンド「アリス」でデビューしました。 “チンペイさん”の愛称で親しまれ、堀内孝雄さんらとともに力強いボーカルで「チャンピオン」や「冬の稲妻」などヒット曲を次々と発表しました。 またシンガーソングライターとして「昴」など長く歌い継がれる名曲を生み出したほか、「いい日旅立ち」を山口百恵さんに提供するなど長年、日本の歌謡界を牽引してきました。 また、谷村さんは、中国・上海にある音楽学院で教授を務めたこともあり、中国で人気の日本人歌手として知られていて、2017年には上海で日中国交正常化45年を記念したコンサートを開いています。 代表曲の「昴」は中国語でもカバーされるなど広く親しまれているということです。 2015年には日本だけでなく広くアジアに受け入れられる作品を数多く生み出し、芸術文化の発展に貢献したことが評価され紫綬褒章を受章しています。 事務所のホー
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