思想に関するshoraishaのブックマーク (7)

  • asahi.com(朝日新聞社):思想家・吉本隆明さん(3) 忘れ得ぬ 太宰治の独演会 - on reading 本を開けば - BOOK

    思想家・吉隆明さん(3) 忘れ得ぬ 太宰治の独演会[掲載]2011年3月27日「鼻歌でも歌ってやろうと思って」=鈴木好之撮影 このごろうちに声楽科を出た人が掃除に来るものだから、僕の歌を聞いてもらっています。うちは家族がみんな年取って、家の中が馬鹿に寂しい。それで少しは声を出して鼻歌でも歌ってやろうと思ったわけです。 音楽も文学も、創作や鑑賞の環境がどんどん便利になっています。手元のボタン一つで「一級品」と呼ばれるものが手に入る。すると人間は「これを読まなきゃおられない」といった衝動的な感覚が薄れていくことになります。せめてそうありたくないと思うなら、例えば紙と鉛筆とがあるならそこに何か、自分の手を使って「あいうえお」でもいいから書いてみる。その「あいうえお」は確かに残ります。手を動かして詩を作る。歌ってみる。そういう根底を失わずにおれば、何とかなるよってことは言えるでしょう。 特に便利

  • はじめての小説論(幻の第1回) | エクス・ポ日記

    以下に公開するのは、昨年の秋に僕にとってはじめての格的な文芸評論の連載第一回として脱稿し、その後、ある雑誌の編集者とやりとりをしながら、連載開始の機を窺ってきたものです。何度か細かい書き直しを求められ、その都度スケジュールをやりくりして応じてきましたが、最終的に自分として、同編集者との信頼関係はもはや維持しがたいと結論するに至りました。また、最後に言及されている朝吹真理子『きことわ』が芥川賞を受賞したこともあり、脱稿後、半年を経て続きを書くことも出来ないまま(当初は月刊誌での連載の予定)、僕がそもそもしようとしたことからすると、内容的なタイムラグが埋め難くなってしまったと思われたので、稿料生活者としては忸怩たる思いですが、ここに全文を公開する次第です。 公開に際しては、編集者の要望に沿って行なっていった改稿後の最新ヴァージョンではなく、最初に書いたママに戻しました(ひとつだけ挙げておくと

    はじめての小説論(幻の第1回) | エクス・ポ日記
  • 政治的なものと公共的なもの――権力と期待 - on the ground

    政治的であることと非政治的であること われわれの出発点を何処に置こう。「個人的なことは政治的である!」――よろしい。では、個人的なことの全てが政治的であるか? あるいは然り、あるいは否。「全てがそう、とは言わないまでも、全てが政治的にはなりうる」――結構。区別は質的ではない。とはいえ、非政治的であるという意味で純粋個人的なものごともまた、「ありうる」わけだ。 ところで、非政治的なものごとは、政治学の対象たりうるか? たりえない――ならば、政治学は純粋個人的(私秘的?)なものごとに無関心である。そう言ってよい。政治学が個人的なものごとに関心を払うのは、そこに何らかの形で政治性――ある対象を非政治的と断ずる振る舞いも含めたそれ――が宿っていると認める限りである。 ところで個人的であること、――これは私的なことと言い換えて差し支えなかろうか? 両者の重なりは明らかでない・が、ここでは同じと見な

    政治的なものと公共的なもの――権力と期待 - on the ground
  • 経済学は何の役に立つのか? - himaginary’s diary

    昨今の経済学は科学か?という論争に絡めて、Mark ThomaがHal Varianの「What Use is Economic Theory?」と題された1989年の論文を紹介していた。以下はその概要。 経済学理論を審美的な観点から捉える人もいるが、そうした観点だけでは経済学理論というものの全体像を掴んだことにはならない。経済学は政策科学であり、従って経済学理論も経済政策の理解と遂行への貢献という観点から評価されるべき。 経済学が他の自然科学や社会科学と違うのは、人々の生活の改善をもたらす政策について説明する、と謳っていること。もちろん自然科学も人々の生活水準向上に貢献するが、それは、研究対象の機能の理解という来の知的活動の副産物に過ぎない。 多くの方法論者は、経済学のそうした質を見誤っている。経済学は、物理学ではなく工学、生物学ではなく医学と比較されるべきものなのである。ケインズが

    経済学は何の役に立つのか? - himaginary’s diary
  • 日本の保守主義理解を考察する - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    の保守主義理解は欧米と違っていておかしい。欧米の保守主義は、皆でいろいろとやりとりしながら地道に社会を改良していきましょう、と言う含意があるのに日ではそれがあまり見られない。ロマン主義と一緒にされたり、大衆社会批判と勘違いされたり、反近代主義にされたり、単なる反動と混同されたり、と奇妙なことになっている。 西洋の保守思想はフランス革命の悲惨な結末から生まれた考え方である。代表的な思想家は、バーク、トクヴィル、チェスタトン、T.S.エリオット、ハイエク、オークショットなどがいる。基的に一方的で急激な社会改造を嫌う特徴がある。実際に、その時代によってフランス革命批判や異端嗜好批判や全体主義批判などが保守思想では論じられてきた。その上で、議会活動などの地道な実践的活動が重視されることになる。しかし、日では保守主義がそういう理解をされているようにはあまり見えない。 日で保守主義論者とし

    日本の保守主義理解を考察する - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
  • Moji Pest Control

    When you hear the word sunroom many different pictures come into your head.  First and foremost is how much will it cost?  For those interested in these types of additions, price shouldn’t be a factor.  You need to look at this as an investment in your home and you will get the monetary value back out if and when you sell your home. This is why sunroom additions in Columbia, SC are so popular.  Pe

  • 【報告】近代東アジアの思考を解きほぐす―中国語圏の文学から | Blog | University of Tokyo Center for Philosophy

    2010年12月21日、張麗華(シンガポール南洋理工大学)、李婉薇(香港嶺南大学)、津守陽(UTCP)によるワークショップ「近代東アジアの思考を解きほぐす―中国語圏の文学から」を行いました。 ワークショップが議論の主眼としたのは、近代東アジアの著作行為において、人々の表現行為を載せる器である「文体」や「文学ジャンル」といった「形式」と、それが運ぶ「思考」との間に、いったい何が起こっていたのかという問題です。香港と中国の若手研究者を迎え、3名のメインスピーカーによる報告ののち、2名のコメンテーターを中心に討論が行われました。筆者の怠慢によりご報告が遅れたことをお詫びしつつ、当日の議論の様子をお伝えしたいと思います。なお当日のプログラム順序と異なり、それぞれの報告とコメントを並べて記述いたします。 ---------------------------- 一、張麗華「越境する文学ジャンル―魯

    【報告】近代東アジアの思考を解きほぐす―中国語圏の文学から | Blog | University of Tokyo Center for Philosophy
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