早春とフィルム写真 カラーネガフィルムとはなんとも不思議なメディアで、その季節の陽光だとか湿度が写真に乗ってくるような気がする。 冬の写真は暗くかさついているし春の写真は霞がかって見える。夏の写真は湿度100%に近い空間を貫いてくる強い太陽光がフィルムの乳剤面に記録されてい…
経済産業省のとある外郭団体の委員をしている方と話をしていたら「我が国のソフトウェア産業を改革するためには、ソフトウェアの部品化を推進しなければならない」と話していた。うーん……ソフトウェアの部品化かぁ……。正直、頭をよぎったのは1980年代後半に国内のソフトウェア部品の集積を目指して立ち上げられたが、失敗した「Σ(シグマ)プロジェクト」だ。 Σプロジェクトから20年の歳月を経て同じコンセプトが出現するには理由がある。日本の輸出を支えている製造業で、製品におけるソフトウェアの比重が高まるに伴って、業界全体がソフトウェア・エンジニアの不足および、ソフトウェア関連の障害の多発に悩まされているからである。 外注先企業が作ったソフトウェア障害に悩まされている製造業の視点から見れば「なぜ、ソフトウェアはこんなにトラブルが出るのか? 部品化して、それぞれの部品の品質チェックをもっと厳しくし、その上で再利
設計書の定義は、おおよそ開発標準や慣例で決まっています。逆に言うと、設計書名やその中身を書くと社名がバレるかもしれません。だからみんな書きたがらないのでは。中でもプログラム設計書はベンダによる違いが大きく、結果的に技術力の差となることが多いです。 前回のエントリでは、プログラム設計書のすべてが不要と言っているわけではありません。 プログラム設計書には、良い部分もあります。内部設計では表現できない設計思想が書いてあるので、変更容易性が向上します。例えば、クラス図からは具体的にどんなデータを扱って処理しているのか読み取れます。そもそもの話ですがインタフェースが決まらないと分業ができませんので、他所と共有するメソッドは設計書に落ちている必要があります。小規模だと細かいメソッド名まで決めない場合もあるし、逆にprivateメソッドまで決めてから実装する場合もあります。 ただ、言語レベルの記述方法ま
ちょっと書いてみる最近、PMBOKだかを読むような人も増えてると思うけど、いくら読んでもデスマは解決しないのは、PDCAを滝に対して垂直に回すから。PDCAと滝の関係はP設計D開発CテストA修正と水平に回るべきなのに、今はこうなってる。PDCA設計PDCA開発PDCAテストPDCA修正つまり、垂直に回っている。設計に対していくらPDCAをまわしてみても、せいぜい誤字脱字、書式が正しくない、更新日付が間違ってる、と言ったことしか見つからないし、こいつらは、プログラムに対してまったく関係がない。まったく関係がないミスをいっぱい見つけて、はい、これで完璧です。次のフェースに行きましょう。って言ってるのが現状。で、開発になってこの設計ではうまく行かない点が見つかって大騒ぎになっている。何でだ設計書は完璧なんだろう?はい完璧に誤字脱字はありません。ギャグですかと。テストになってバグがいっぱい見つかっ
最近よく思います。 システム開発の上流工程においてはコードは出てこない。言葉や図解で埋めつくされて、最終的には日本語でしかない。設計書とか仕様書とか。で、この大抵上流工程ではこれらのドキュメントに対するレビューなるものがあるのですが、これが実に無益なものだと感じることが多い。こんな所でPDCAまわして何が面白いんだろうとよく思う。 ここでチェックする多くのことは、言葉の解釈に関することがほとんどです。 この言葉はプロジェクトで使われていない 書き方が統一されていない 誤字脱字が多いので直せ。 この文章ではこのように解釈される恐れがある ここではこのような話になっていたがどうなのか こんなんばっか。どこもそうだと思う。解釈の違いは、要件の違い。なんちゃって。 で、結局こういうことを繰り返していくうちに段々とドキュメントがグダグダになっていく。そして繰り返していっても前提が変わってしまえば全部
http://anond.hatelabo.jp/20080323175904 半年前に「人月計算とExcelとスーツの世界より」を書いた増田だけど、この増田が他人に思えなかったので、半年ぶりに自分の話をしたいと思う。 半年前のエントリの内容、読んでない・読むのたるいって人のために簡単にまとめておく。 俺はCOBOLっていう昔々の言語を使って巨大な金融システムのお守りをしていた。それは誇らしい仕事(「これ読んで「転職考えろ」とか言ってるやつってアホだろ」的な意味で。これももっともな話だよね)ではあるんだろうけど、俺はやっぱりキャッチーな新技術がやりたくてたまらない。 そんなふうに増田に愚痴ったところ、なんか400以上のブクマがついた。以上がこれまでのあらすじ。 話の続きを始める。 あれほどのブクマを集めたことなど初めてだった。戸惑いながらも、日々増えていく皆のコメントを噛み締めた。 転職を
こんにちは。「livedoor 検索」担当の須田です。 今回はデスマーチを防ぐスケジューリングについて書きます。 以前紹介された、「4つのステップで作る webサイト開発のスケジュール作成」という記事も併せて参考にしてください。 みなさんは周囲で、「このお客様は大事なお客様なので、納期早めでお願いします」または、「大型の案件なので早めに作業してください」という声を聞いたことはありませんか? 仮に、優先すべき案件だとしても、無理なスケジュールで作業を進行することは好ましくありません。 デスマーチ状態に陥るようなスケジュールを作成してしまった場合、ディレクターとして以下のような原因が考えられます。 1)技術者を魔法使いであるという幻想を持っている。 ※これに関しては、「エンジニアは魔法使いという幻想」という記事にも紹介されています。 2)技術者の作業内容について、「結果」は知っているが、「過程
[みんなの回答]IT業界進化論: 絶望する前に”SIer 2.0”を目指せ 公開日時: 2007/11/12 08:51 著者: 吉澤準特 kennより: 日本のIT業界は救いようがない。絶望的としか言いようがない。 IT業界不人気なんて、この業界に重くのしかかる決して晴れることのない暗雲の氷山の一角に過ぎない。はてなの匿名ダイアリーにも[続きを読む] CNET japanブログで江島さんが「ニッポンIT業界絶望論」という過激なタイトルで興味深いエントリーを書いています。 出だしでバッサリと「日本のIT業界は救いようがない。絶望的としか言いようがない 」と切り捨てており、その後はSIerが本業としている受託開発の将来性の無さを率直に訴えかけ、「受託開発の世界にはエキサイティングな革命の歴史とは無縁である」と述べてます。 しかしながら、正直、私は同意できません。 むしろ、私の答えは
古典的なウォータフォールモデルでは、ソフトウェア開発を要求仕様分析、概要設計、詳細設計、実装(コーディング)、内部テスト、統合テスト、運用、保守みたいな工程にわけ、通常は各工程を別々の人が担当するというような方法がよくおこなわれている。 特に、要求仕様の分析、概要設計などは上流工程などとよばれていて、詳細設計、実装とは別の人ないしは組織が担当する。実装とかテストは下流工程などとよばれている。 よくあるパターンとしては元請けが上流工程を、下請け、孫請けが実装やテストなどを担当し、人月単価も下流の方が安い。 ウォーターフォールモデルでは各工程毎に成果物(仕様書や各種ドキュメント、プログラム)が大量に生産される。各フェーズ毎に定義された成果物がそろってから次のフェーズに移行するというのが建前なので、各フェーズでのドキュメントはどうしても冗長になりがちである。 一度固定した文書は次のフェーズで変更
今回の日本出張ではいくつかのプロジェクトの状況をみてきた。で、思ったこと。 「COBOL時代のデータ構造を引きずることで、生産性や保守性が落ちている」 フラグだらけのマスター 本物のコードをだすわけにはいかないので、すごく簡略化した例で説明したい。あるシステムを利用できるユーザのマスターテーブルがあるのだけど、そいつには「なんちゃらサービス利用可否フラグ」みたいなのがたくさんついているのね。 この方式の問題は以下の通り。 テスト負荷 フラグがあるということはそれをチェックするif文があるということ。 if文があればテスト件数は最低2件は増える。 入れ子になれば、4件、8件...と増えていく。andやorでも同じ。 コードの冗長性 「あるユーザがサービスAを使えるか」を調べる処理と「あるユーザがサービスBを使えるか」を調べる処理はほぼ同様になることは明らか。 「サービスAを使えるユーザ」を調
先日のエントリーがアツいことになっており、初のホッテントリ入りに若干興奮している今日この頃です。同じような問題意識を持っておられる方が多くいらっしゃることがわかり、改めて書いてよかったなぁと思っています。 話の流れは相当グダグダなのですがあのエントリーで表現したかったことは、「アメリカにSIerが存在しないのである」⇒「アメリカは素晴らしいのである」というのが骨子ではなく、いわゆるディフェンシブなシステム開発を強いられているSIerというのは、いわば奇形児のような存在ではないかということです。 改めて、ディフェンシブとは 言わずと知れた名エントリから。 ディフェンシブな開発とは、開発途上のリスクを計画上の時点でなるべく潰し、開発側に発生する利益分を減らさないような開発の進め方をすることを言っている。加えて、この場合、開発側はリスク分はなるべく多めに見積もり金額にいれようとしがちだ。 なぜそ
ウィリアムのいたずらが、街歩き、食べ物、音楽等の個人的見解を主に書くブログです(たま~にコンピューター関係も) 20年位前、1980年代終わりごろから、最近まで、ソフト業界とかその周辺の変遷について、特にソフト開発の立場を中心に見て行く、土日シリーズ「失われた20年-ソフト業界は変わったのか?」その第5回目。 今まで、第三次オンが終わったころ(1980年代後半)について書いてきたので、今回は、そのちょっとあとの1991年ごろについて書きたいと思います。 ■ダウンサイジング→オープンシステム そのころの日経コンピューターが、こんなかんじ 日経コンピューター創刊10周年記念号 1991年10月7日号の 特集が ダウンサイジング ホストなき世界の到来 ということで、このころ、ダウンサイジングが話題になる。 (アップサイジング、ライトサイジングなどといいだすひともいたけど) この流れが、オープンシ
ウィリアムのいたずらが、街歩き、食べ物、音楽等の個人的見解を主に書くブログです(たま~にコンピューター関係も) 大学で、情報処理学科で勉強しても、現場ですぐに役立たない、一方、情報処理学科でないひとが、コンピューターの会社に入って、それも情報処理学科の人と一緒に研修をうけて、SEとしてやっている。おかしいじゃないかという意見をきいた。 おかしくないとおもう。 情報処理学科で習うのは、コンピューターサイエンスであって、 会社で、システム開発でSEが行う作業は、「業務のモデル化」であって、それは、情報処理学科とも、いや、理系とも関係ない、というか、もっというと、文系に近い。 コンピューター工学は、コンピューターの(要素)技術をならう。 CGとか、ネットワークとか・・・ でも、システムを開発するとき、それらの要素技術を使ってもいいけど、使わなくてもいい(ローテクで固めてもシステムである。例:Ex
システム開発の日本人エンジニア派遣業は エンジニアのレベルに関係なく もうそろそろなくなるんじゃないかと感じる。 #何を今更、といわれそうなんだけど、 #両面とも臨界点に達した感じがする。 ---- これは悲しむべきことじゃなくて、 チャンスだと思ってます。 ---- 自分がどっちに転がるかは、自分の行動次第。 自分の周りがどっちに転がるかも、自分の行動次第。 ---- 今は、Web2.0とは何か? なんてことを後付けで考えるよりも、 同時代、同年代のエンジニアとして こっちから切り込んだほうが感覚的にわかることが多い気がする。 就業形態とかそういう点。いやもっと前段の話か。 両者はたぶん、どっかで繋がる。 ---- なんというか、 ベテランの方はどちらも肌で感じ取ることができないらしい。 ---- 「目線は自分の進みたい方向に向ける。」 とオートバイの教習所と、スキー学校の両方で習ったな
arclamp.jp アークランプ ITアーキテクトが、ビジネス書とかデザインとか建築とかからシステム開発を妄想するブログ ちょっと遅くなってしまいましたがお知らせです。2007年2月号をもって最終号を迎えるJavaWorldですが、少しだけお手伝いさせていただきました。 GPL Javaのインパクトを探る まずはSpecial Report「GPL Javaのインパクトを探る」。これは何よりも星さんの記事が面白いです。客観的な歴史的事実に立ちつつSUNによるJavaOSS化 格闘の歴史を知ることができます。特に後半では、GPL化といっても、そこには曖昧さがある点も指摘され、これからおこる未来への予感が書かれています。オススメ。 で、ちょろっとだけコメントをさせていただきました。 JVM実装に選択肢が増える可能性がある。JBoss(LGPL)に対してGeronimo(ASL v2)が作ら
佐藤正史 氏 JTB情報システム 代表取締役社長 当サイトにおいて、企業情報システムにかかわってきたベテランが引退する、いわゆる「2007年問題」について色々な議論がされております。私は1971年にJTBに入社して以来、ほぼ一貫して情報システムの仕事に従事してきました。私が情報システムに関係してきた期間は、日本における約40年の企業情報システムの歴史と概ね重なっております。 2001年から取締役(情報システム担当)として、CIO(最高情報責任者)の仕事をし、現在はJTBの情報システム関連会社の社長を務めています。おそらく、あと数年で2007年問題の一方の主役として、この舞台を去ることになるでしょう。まもなく企業人生を終えようとする一介のシステム屋ではありますが、ぜひとも多くの方に申し上げたいことがあり、この場を借りて思うところを綴ってみます。 私は今、日本のITを巡る状況に大変な危機感
レクサスは半ドアでも走行中に自動でドアがスーっと閉まる。 スーパーで売られている卵は保存が良いように尖った方が下に揃えられているし、パックの中身を確認しなくても、卵が抜けたり割れたりしていることはほとんどない。伊勢丹では販売員は売場をお買場と呼び、コンビニでは弁当の胡麻の数までチェックの対象になる。箱ティッシュには指を入れやすいように小さなミシン目がついており、トイレに行けばウォシュレットがある。 求められている品質を満たすのではなく、 求められていない品質を目指す。 それが過剰品質の美学である。 そしてそれがITの遅れの象徴であるかのように指摘する人もいる。 しかし一方で、 自分たちはオーダーメイドという最高の過剰品質を提供しているのだと誇る声も聞こえてくる。 私はパッケージ製品を開発している立場の人間であり、 オーダーメイドのための最高の部品を提供することが私の目指すところだ。 知人で
いつのころからか、 ソフトウェア開発がモノ作りに喩えられるようになった。 典型的なのは、製造業(例えば自動車製造)と IT 業界とを比較して、 前者が高度にシステム化されているのに対し、 後者がまるで家内制手工業のようだ、という批判である。 日経ビジネス online の記事に次のようなくだりがあった: 「というより、何といいますか、経営トップからすると、 ITはとにかく非常識な世界だ、としか思えないのではないかなあ。 例えば大きなシステム開発プロジェクトに取り組むと、 すぐ100億円を投資する、という話になってしまう。 100億円の経常利益を出そうと思ったら本当に大変。 ところが、100億円を投じたのに、期限までに完成しない、 出来上がってきたものが当初計画と違う、 直そうとするとさらに金がかかる。 こんなことが起きるわけですから、『一体なぜなんだ』と経営トップは思うわけです」 IT業界
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