sikimidaigardenのブックマーク (3)

  • 第3章 営林署から 第20話「ある見送り」 - 昭和40年代の営林局機関誌から選んだ「名作50話」

    私が現場にいた時、一人の署長が退職した。誠実で責任感が強く、当に人徳豊かな人物であっただけに、突然の退職は惜しまれるところがあった。 いよいよ任地を去る日に、見送りに行くべく単車の準備をしていると苗木が送られてきた。時間が差し迫っていたが、仕方がないので山元へ行き検収し、仮植の指示をした後、駅へと単車を飛ばした。 やっとの思いで駅にすべり込むと、既に向こうの上り線のホームから大勢の人たちが出口に向かっている。汽車は発車した後であった。わずかの違いで見送れずしょげきっていると、向こうのホームからTさんがきょろきょろしながら出てきた。 「やあ、一寸の違いで遅れてしまって」 バツが悪そうに話す私を見て、彼は 「いや、僕もこの汽車だと聞いて見送りに来たが、署長は乗らなかったよ。これから署に電話して、時刻を確かめてみるところだ」 彼はそういって駅前の電話ボックスに入った。 「次の汽車に変更になった

    第3章 営林署から 第20話「ある見送り」 - 昭和40年代の営林局機関誌から選んだ「名作50話」
  • 洞窟「穴禅定」のお寺 徳島県上勝町「慈眼寺」(その23) - ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

    別格第三番札所 慈眼寺 (じげんじ) 住所 勝浦郡上勝町正木字灌頂滝18 電話 0885-45-0044 鶴林寺から慈眼寺まで 距離  18.7km 標高差  +654m  -547m 鶴林寺から慈眼寺まで 洞窟「穴禅定」の寺 延暦年代(782〜806)に十九歳の弘法大師が巡錫にてこの地を訪れ、霊気漂う不思議な洞窟を発見する。大師は邪気払いのため洞窟の入り口で加持祈祷を行ったところ、洞窟内で巣っていた悪龍が飛び出し、猛然と襲いかかる。大師はひるまずに秘密真言を唱え続けたところ、その法力により悪龍は洞窟の奥へと封じ込められる。大師は更に十一日間の加持を行い、霊木に十一面観音を刻んで建立した堂宇に安置した。この洞窟は後に「禅定ヵ窟(ぜんじょうがくつ)」と呼ばれ、「穴禅定」という修業の地となる。「穴禅定」とは、先達に案内され、ローソクの灯りだけで往復100mの狭い洞窟に入堂してお参りをするもの

    洞窟「穴禅定」のお寺 徳島県上勝町「慈眼寺」(その23) - ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場
  • 阿波の関所寺 徳島県小松島市「立江寺」(その21) - ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場

    第十九番札所 橋池山  立江寺 (きょうちざん  たつえじ) 住所 小松島市立江町若松13 電話 0885-37-1019 恩山寺から立江寺まで 距離  4.5km 標高差  +11m  -73m 恩山寺から立江寺まで 聖武天皇の勅願寺。行基が光明皇后の安産を願い、一寸八分の延命地蔵を刻んで尊とし堂宇を建立する。弘法大師巡錫の際、この小さな尊を見た大師は後世失われる恐れがあるとし、自ら六尺ほどの延命地蔵像を彫り、胎内に行基作の尊を納める。その際に寺名を現在のものへと改めたことから、以後「子安の地蔵尊」「立江の地蔵さん」と親しまれ安産祈願の寺となる。当時は現在地より山寄りの景勝地にあり、七堂伽藍を備えた巨刹であった。その後天正の兵火に遭うが、尊は無事に残る。江戸時代に現在地に移転され再興されるが、昭和四十九年に再び出火。ここでも尊は無事運び出されたという。昭和五十二年に再建された

    阿波の関所寺 徳島県小松島市「立江寺」(その21) - ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場
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