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資料と文化に関するsink_kanpfのブックマーク (3)

  • 寺山修司:歌集「田園に死す」 題名決定を塚本邦雄に依頼- 毎日jp(毎日新聞)

    寺山修司が塚邦雄に歌集の題名決定を依頼した書簡。八つの案を記した右に、「この中から決めて下さい」と走り書きがある=2012年10月31日、大井浩一撮影 歌人で劇作家の寺山修司(1935〜83年)が歌集「田園に死す」(65年)の題名を、先輩歌人の塚邦雄(1920〜2005年)に決めてくれるよう依頼した手紙が見つかった。自らの監督・脚映画化した「田園に死す」は寺山芸術の頂点を成す代表作。「天井桟敷」のアングラ劇などでカリスマ的人気があった寺山の新たな秘話を示す手紙に、関係者は「第一級の資料だ」と驚いている。 手紙は7月、塚の遺族から日現代詩歌文学館(岩手県北上市)に寄贈された寺山の塚宛て書簡27通(封書9、はがき18)の中に含まれていた。寺山の名が入った専用の原稿用紙3枚に鉛筆で書いたもの。緑色の大判封筒に、昭和39(1964)年11月12日の消印が残っていた。 1枚目に「田園に

  • デカ過ぎ…引き取り手ない平城京と奈良町の模型 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    3月末に閉館した奈良市の観光案内施設「なら奈良館」で展示していた明治時代の奈良町と、奈良時代の平城京を再現した大型模型の〈第二の人生〉が決まらない。 1辺4~5メートルの大きさがネックになっているため。市は今月中に施設を明け渡し、模型を一時、旧都祁行政センターに移す考えだが、その後の行方は未定のままだ。 奈良町の模型は1990年製作。約1億2000万円かかったとされる。伝統的な町並みを伝えるため、現存する建物や過去の写真、住民への聞き取りなどで、明治時代中頃の様子を100分の1の大きさで再現。元興寺や間口が狭くて奥行きの長い住宅など数百の建物がずらりと並び、庭の木々や屋根の瓦など細部まで表現した精巧な造りだ。 一方、平城京の模型は2000分の1の縮尺。碁盤の目状に住宅や寺院が整然と配置され、周囲には水田を再現。奈良盆地に計画的に造られた都市だったことも分かる。 なら奈良館は2001年3月、

    sink_kanpf
    sink_kanpf 2011/08/03
    「なら奈良館は2001年3月、近鉄奈良駅の駅ビルに開館」「09年度の事業仕分けで「不要」と判断され、市は閉館を決めた」
  • asahi.com(朝日新聞社):終戦の日「力足らず、死に値す」 火野葦平のメモ発見 - 文化

    印刷 関連トピックス芥川賞・直木賞火野葦平が終戦日に手帳に書いたメモ=北九州市立文学館提供「麦と兵隊」を書いた1938年ごろの火野葦平  「麦と兵隊」などで知られる作家の火野葦平(あしへい)が、終戦日とその前後に手帳に記したメモが見つかった。敗戦を悲しみ、自らを責める様子が伝わる。前日に報道統制に関する記述も残り、葦平の戦争観を知る貴重な資料になりそうだ。  葦平は日中戦争従軍中に「糞尿譚(ふんにょうたん)」で芥川賞を受賞。国民的作家となった。戦後は戦争協力者として公職追放になっている。メモは、遺族から遺品の寄託を受けた北九州市立文学館が確認した。  終戦日、葦平は苦しい胸の内をつづる。「この数日のこと、筆とる心にもならず。(略)歯噛(はが)みて唇をやぶるといへども、胸ぬちの怒りと悲しみとは去らず。ああ、力足らず、誠足らずして、(略)罪、死に値す。(十五日)」  葦平は当時、福岡市の西部軍

    sink_kanpf
    sink_kanpf 2011/08/02
    「前日に報道統制に関する記述も残り、葦平の戦争観を知る貴重な資料」
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