thir ノート:覚え書き。断片的かつあまりまとまりのない文章を記録/公開しています。詳しい方針は自己紹介にて。
先日、海外出張から帰ってきて感じたのは、日本のテレビの異様さだった。どこの国でも、テレビニュースには基本的な順序があって、ラムズフェルド国防長官が辞任したときは、CNNのトップはいつもラムズフェルド関連ニュースだった。子供の自殺のような「町ネタ」は、取り上げるとしてもずっと下というのが常識である。ところが日本では、NHKの19時ニュースまで、最初からいじめと自殺の話。おまけに、それが学校教育と因果関係があるのかないのかよくわからないのに、校長が出てきて記者会見で頭を下げる。朝日新聞は1面で「いじめられている君へ」というシリーズを連載する。 これは日本のメディアの特殊性と関連する。たいていの国では、全国メディアと地方メディア、あるいは高級紙と大衆紙は歴然とわかれていて、前者には子供の自殺のようなニュースはほとんど出ない。後者(数の上では圧倒的多数)には大きく出るが、それはその国の世論の代表
高級(?)エンターテインメントである「朝まで生テレビ!」の11月25日の番組は、「いじめ」がテーマであった。最初の発言者の役割をふられた(進んでこの役割を買って出たのかどうか分からない)民間団体の老婦人(どうしてこの人が呼ばれたのかは分からない)は、いじめの責任は日教組にある、とのたもうた。同席した日教組委員長の先生は、この頃は日教組はいじめられ役である、という趣旨の自己紹介を行った。よく分かったうえで、この番組に出てきたのだ。はたしてこの実直そうな先生は、番組中いろいろの人からいじめられた。目立ったのは司会者によるいじめであった。司会者は「教師は聖職者ですか、それとも労働者ですか」などと、2、30年前にはやった言葉を責め道具に使った。相当の高齢者である拙者でさえも時代錯誤に聞こえた。カトリックの坊さんでもあるまいし、聖職者が労働者であってもいっこうに構わないではあるまいか。またこの司会者
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