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apapoyo.hatenablog.jp
先日、実家から妻との住まいに戻ってきた。 妻は「量子もつれ」とやらに興味を持ったようで、宇宙や物理学に関心を向けている年始の様子。 私は、年初から己の今年の行動の土台(=楽しい人生づくりの工夫)となる明確で良き方向性、指針設定(週1目安)ができ、嬉しい。 ーーーーーーー 2024年の資産に関する概算もでた。増加は金額で5本前後、割合では15%ほどの増加。絶対額で言えば、ひと昔前に流行語だった老後◯◯万某と叫ばれた額2〜3倍の資産増加だが、SNSの株クラ民マジョリティのように喜ぶ気持ちは湧いていない。 コロナ前と比べると、日本国内の物価は2〜3割上がっている。私は主夫なので食品の価格上昇について痛感中。ここ数ヶ月の白菜600円、キャベツ500円、大根300円という価格はコロナ前の倍額以上と感じられ、特にエンゲル係数の高い一般家庭の主婦たちが政府に対してデモをしないのが不思議なくらいだ。 食品
いつも通り昼前に起きました。 今日は少し早め11時前後の起床。 昨夜作った豚汁(ゴボウ入れすぎた?)を食べながら、ふと思う。 今日は何曜日? あれれ? 昨日が水曜だった気がするから、もしかして木曜!? えっ、妻が月曜にブルーな様子を出していたのがつい最近(昨日のことのよう)に感じるのに。 もしかして、もう木曜日!? と、半信半疑で携帯を確認するとやはり木曜日。 うわぁーーー、時が流れるのが速すぎる!! 今週は 月曜にブログ書いてジム行って 火曜は家でスマホ三昧 (面白いアニメを見つけた) 水曜はジムと料理 (丸々と太ったカマスが旨かったが、サワラの刺身はイマイチだった) 特に何もしてないうちに今週も平日3日が過ぎていた。。 ということで、朝食(昼飯)を食べていたら昼休憩の妻が来たので、一緒にご飯を食べながら妻の乳糖アレルギー再発の話など。 最近の妻は植物に水をやることが習慣化できてきたよう
午前中から妻が 「月曜はヤル気が出ないなぁ」 と言っていた。 ーーー 妻はワーカホリック気味な人なので、傍で見ている私からすると、毎日意欲的に仕事をしているように感じていたのだけれど。 どうやらそうでもないらしい。 妻は気分の浮き沈みや、ムラっ気のない人なので、仕事始まりの月曜でも淡々と仕事に取り組んでいるのだと思っていた。 どうやら彼女の中ではモチベーションの上下があるらしい。ただ、それをほとんど表に出さないタイプなので周りには気づかれないだけか。 実際はブルーマンデーらしい。 ーーーーー 私はというと、ブルーマンデーという概念すら忘れてしまっていたことを妻の言葉で気づいた。 隠居人生活が3年を超えた私には「曜日の概念」がない。 いつから曜日の概念が消えたのかと思い返すと、それはもうとうの昔。 退職から1年も過ぎた頃には「今日は月曜だけど仕事行かなくて良い!ラッキー!」という感覚はなくな
暑さ寒さも彼岸まで と言いますが、今年は彼岸を過ぎても暑いですね といっても、日差しが暑いだけで、湿度は低く、とても過ごしやすくて快適です 今夜は久々に夜のお出かけ 海外住まいの友人の一時帰国祝いを兼ねた音楽イベントへ行こうかと思っています 電車で行こうか、車で行こうか迷い中 過剰なお金の節約をする必要もないので、隠居後にグレード高めの車をお値打ち価格の中古で買いました 隠居生活をはじめてから満員電車に乗ることに嫌悪感を覚えることがしばしばあります 指定席でもない普通電車は、有象無象の中の1人になる感触が気持ち悪く、近頃はたいてい車で移動しています 隠居生活は、平日の昼下がりにお客の少ないノンビリ喫茶店でお茶したり、利用者の少ない公共施設をほぼ貸し切りで堪能したりするのが「日常(当たり前)」 ですので、そのような隠居生活の日常とは真逆の環境である朝夕の通勤通学人に埋まった車両は不快、そうい
お盆が過ぎれば秋の風 と、思っていたら暑さが続き その後は強烈な台風がどうこうと そのサンサン10号は去ったらしい 去ったというより消えたのか どちらにしても、やっと涼しくなった 明らかに過ごしやすい 梅雨明けの7月下旬から 台風到来の8月末まで 35℃を余裕で超える毎日だった 非常に暮らし辛い高温多湿の1ヶ月 というか危険な「熱さ」の毎日だった そして、やっと最高気温が35℃以下になってきた この気温だと陽のある時間帯に外を歩いても耐えられる 散歩や外出を楽しむことができる ヨカッタ ※今日は10日ぶりにジムへ。季節がかわったので、風呂→ストレッチ→筋トレではなく、通常のストレッチ→筋トレ→風呂流れ再開。歩いて往復する時間も気持ち良い。あとは資格の勉強をしよう。 ※※その後、夕暮れ時を歩いたら、とても気持ちが良く、どこまでも歩いていけそうな心地だった。Tシャツ1枚が最適な夜の気温はとても
相場が楽しくなってきましたね。 日経225もTOPIXも、1日でマイナス12%超え。下げ幅は史上最大、下げ率でも1987年のブラック・マンデー次ぐ堂々のワースト第2位。 TOPIX先物は2011(東日本大震災)以来のサーキットブレイカー発動でしたか?しかも2発。日経も午後の追証祭りあたりで発動かな。 と言っても冷静に眺めると、まだ日経225もTOPIXも年初来でマイ転したくらい、1年前の株価に戻った程度。5年前と比べたら+50%前後も高値ですから、現状なんてことはない。 急な値下がりだから話題性があるだけで、俯瞰すると大したことない。日米の金利の流れ(≒為替)を考えると今の日本株が特別な大安売りとは感じません。じっくり味わいましょう。 海外市場に目を向けると半導体、AI関連がダダ下がりなので、今夜のNASDAQあたりも祭りになりそうかな? 今年はこれから米国大統領選挙の本番もあります。毎度
得体の知れない開会式で始まったらしいパリ五輪。四半世紀前にテレビを捨てたので、五輪に関しては関心が薄いのだけれど。ジムで毎回眺めている大相撲名古屋場所が終わったので、ロッカールームのテレビでぼんやりと五輪を観た。 スケートボードで15歳前後の日本人選手が活躍したらしい。そういえば自分も大学入学当初に帰国子女グループと仲良くなりスケボー練習に混ぜてもらっていたことを思い出した。転んで膝を打つと非常に痛いので直ぐにやめたけれど。 アーチェリーも放送していた。普段は目にすることがないマイナースポーツの試合に関心を持つことが出来るのは五輪の良さだと思う。そういえば、これまた学生時代の友人(同ゼミ)が全国クラスのアーチェリーの選手だった。若くして既に落ち着いていてイイ男だったが、中年になった彼は元気にしているのだろうか。 スポーツ祭典である五輪の騒ぎを眺めていると、つくづく「パンとサーカス」だなと感
毎日が日曜日 毎日がフワリフワリと過ぎていく ジムへ行って、風呂に入って、ストレッチして、少し筋トレして、時々ウォーキングマシンで10〜20分歩いて そこらここらで小一時間ほど資格の勉強して ショッピングモールやスーパーで夕食などを買って 妻と一緒にご飯を食べて、軽く話して 動画視聴かネットサーフィンかゲームして 時に帰省し両親と時間を共有し 愛犬を連れて田舎を散歩し 季節の移ろいを感じたりして 週末は妻と外食を楽しんだり 平日は両親を旅行に連れて行ったり たまに友人と食事をしたりドライブしたり こんな風に日々が過ぎていく 最近は、ここ10年来付き合ってきている(命には関わらない)持病の状態が気になるけれど、体力があれば東ヨーロッパ方面を旅したいなぁ、と思う程度 そんな感じで日々が過ぎていく 元来、物欲も各種の欲望も強くないタイプなようで この人生に満足しているし、感謝している ありがとう
数日前からだろうか、ついに湿度がきた。 毎日のジム通いで歩く時間、日差しはキツくともサラリとした空気が気持ち良かったのだが、その季節は去ってしまった。 なんだか重たい空気に満ち、徐々に全てがジメジメとしてきた気がする。 時に肌寒さを感じることがあった夜が、ムシムシと寝苦しさで覆われてきた。 ついに梅雨がきたのだ。 寝苦しさや重さもカンベンだけれど、1番発生してほしくないのがダニとカビ。 早速ダニ捕りシートは設置したけれど、カビ対策はエアコンの除湿を1日中使い続ける以外にないのだろうか? そして、このジメジメ&ムシムシが終わる頃には、年々酷くなってきた灼熱の日本の夏が来るのだろうなぁ… 7,8月は海外避暑旅滞在しようかな。 ※と、思って先ほど外に出てみたら、予想外に涼しく湿度も低くて快適でした@深夜2時過ぎ 付記 昨日、行きつけのスーパーでオリーブオイルの価格を見て仰天。いつも使っている欧州
某動画サイトで政治関係の動画を見た。若い頃にリアルで頻繁に関わった有名政治家の話題があり、「彼はそうだよね、分かるなぁ」と妙に懐かしかった。 新コロ騒ぎ(=大社会実験&その観察会)で確信を得たのだけれど、日本に限らず人類は眼前思考者&イナゴ羊がマジョリティであるので、普通選挙制民主主義は衆愚政治になる構造欠陥を抱えている。 そうだとすると現代日本国は手遅れであり、一度ほぼ壊れるまで再起動は難しそうだ。これは政治=国民の質の問題ではあるだろうが、より俯瞰すると民主主義という制度上不可避の流れであり、構造的に衰退という“周期”にあるだけなのかもしれない。 もう四半世紀前、私がまだ20代だった頃に強く危惧して周りに訴えていた通り、今の日本の子供達(私の同世代がつくった子供達)は苦難の時代に生きることを強いられる可能性が高い。 私は実子をつくらず、同世代の友人たちにも子づくりをすすめなかったのだが
持って生まれた「気質」と生まれ育った「環境」によって、人それぞれ「当たり前」に大きな差がある。 これは、思っている以上に大きい。すべての判断(行動)の土台となる「感覚」の差なので、同じ事柄であっても、「当たり前」が異なると人によって大きく判断(行動)が変わってくる。 先の新コロ大社会実験でも証明されたし、私自身が中年まで生きてきて、リアル周りの友人知人の生き様や在り方、人生における判断を観察してやっと実感として分かってきた。 各個人個人で、あまりにも「当たり前」に差がある。だから相互理解が難しいだけでなく、そもそも言っていることやっていることが本当の意味では理解できていないことが大半。 私の場合は、「当たり前」が長期視点、長期思考で、何をやるにしても良くも悪くも先まで想像してしまってから眼の前の行動や判断に落とし込むということが多い。 全く逆に、先のことなんて一切考えず、目先のことにひたす
また旅に出ます。国内です。 2月に南の方を旅したのですが、また南に向かいます。期間は6週間。予算はコミコミで30万くらいかな。 2月の旅は10日間、10〜15万円くらいの支出だったので、それより1日あたりの費用は抑えめに。リュックサック1つと手提げ袋1つバックパッカー系の旅です。 泊まる宿は、ホテルではなく安宿。いわゆる民宿のような宿や、ドミトリーがある昔のユースホステルのような宿が中心。宿泊費は1泊3000円前後、食費は1日2000円くらいかな。 支出予想は1日5000円、44日間で22万。飛行機代が往復で3万円ほど。5万円くらいは余裕をみて、おおよそ30万円ですね。 ーーーーーーーーーー 昔(四半世紀前)、若者だった頃に貧乏学生バックパッカーとして旅した東南アジアは、1泊300〜1000円、食費は1日500円くらいでした。インドでは、1泊100〜300円、食費は日200〜300円くらい
なんだかんだ、若いうち、元気なうちに色んなことに挑戦しておいたほうが良いと改めて強く感じる。 現在の私は、年齢的には中年となり、資産的にもユトリのある部類に入るようだけど、もうコレと言って心の底から「やりたい!」と思うことが無い。 中年になっても色々とヤリタイことがある人もいるようだけれど、基本的に意欲や情熱は若い頃のほうが強く、年齢を重ねるごとに弱くなっていくと思う。 若い頃に旅した新興国(当時は発展途上国という呼び方だった国々)での貧乏バックパッカー旅や異国での長期留学、自由気ままにバイクを走らせてフラフラと深夜まで遊びまわった日々。 当時(若い頃)は倹約節約の4畳半貧乏学生生活だったけれど、得体のしれない鍋の中身をツマミながら友とワイワイ過ごした夜、それはとても楽しく充実した日々だった。 今、こうして中年隠居人として時間にもお金にもかなり余裕のある生活をしているが、幸せであるが充実感
私は、年齢的には、まだ中年だと思います。 しかし、2年ほど前に仕事を卒業して隠居(いわゆる完全FIRE)状態に入ったので、日本社会における老後のような生活をしているのかもしれません。 世間は今日から3連休らしいですが、私はもう700連休(?)を超えているような。。 だから何、ということもないのですが。 特に不満もありません。 振り返ってみると、妻と父母との時間を多く持てるようになったことが幸せです。 前職は、非常に恵まれた労働環境で、仕事内容も好きな業界だったのですが、コロナで考えました。 「このままでよいのか?」 お金は、子どもの頃から倹約節約で貯蓄、若いころから投資をしていたので、その時点(2年前)で蓄えも投資益もそれなりにあり、隠居しても良い状態と考えていました。 しかし、恵まれた職、毎月安定したそれなりの給与、毎年2度の結構な額の賞与、年に2度の vacation(3~4週間の休暇
毎年のように盆を過ぎたら空気がかわり、特に夜が涼しくなった。 昼の空気も澄みはじめ、重たく肌にまとわりつく湿気が消えていく。 夜に虫の音が聞こえはじめ、昼間の蝉の声もかわった。 四半世紀前、花粉症になるまでは3月〜5月の春の季節感が好きだった。 花粉症で春がツラくなってからの若い頃(10代後半〜30代)は、ギラギラした夏の暑さが好きだった。 中年になってから、夏の暑さがキツくなり、9月から11月が1番好きだ。 今日の昼の空も澄んでいて気持ちがいい。 夏の雲は少なくなり、秋の色を感じる雲が空にある。 午前中に起きるのは気持ち良いですね(苦笑 ※この夏の間、午前5時くらいに就寝、午後2時頃に起床という、暑さにヤラれたグダグダな生活が続いていた。しかし、そろそろ秋モードで、午前中に起き、日の高いうちから活動するマトモな生活へと修正していきたい。
若い頃から印象に残っている曲の詩↓ ------------------------------------------------------------------------------------- ♪ 自分が自分の世界の主人公になりたかった 子供の頃から憧れていたものに なれなかったんなら 大人のフリすんなぁ~ ♪ 『THE HIGH-LOWS 不死身のエレキマン』 ------------------------------------------------------------------------------------- ↑だよね。と、思いながら生きてきたのだけれど、 最近、ふと気づいたのです。 実際は、上記の歌詞とは逆 自分が自分の世界(人生)の主人公になれなかった人 = 大人 なのでは?? むしろ 子どものままだからこそ、人生の主人公でいられる のでは? もしく
www3.nhk.or.jp 口先だけで中身のない眼前思考の空気人間たちが、自分で調べることも考えることも放棄して、つくられた騒ぎに恐怖し、集団として社会劣化を招く方向の空気にイナゴフォローを繰り返した新コロ騒ぎ。 日本医師会の釜萢常任理事は記者会見で「65歳以上の人や基礎疾患がある人以外が重症になる割合はそれほど高くはない」と述べ、すべての人に積極的に接種を呼びかける必要はないという認識を示しました。 ↑ 2~3年前から、世界中の新コロ統計で分かっていたこと。 大半の人間は、自分から統計を調べ眺め考えようともせず、歴史を見直し過去から学ぼうともしない、基本的にウマシカ。もしくは、マスゴミの煽りによって増幅された毎度毎度の事件や出来事に飛びつき流れに乗ろうとすることしかできないイナゴ。投資でも同じだけれど、今回の全世界的な新コロ大社会実験で、個人的に確信。 自分で決めることも考えることもで
Only when the tide goes out you find who has been swimming naked. 新コロ怖い怖いでも、ワクワクワクチンでも、インフレでも、投資でも同じ。 時間が証明 ↑ マスゴミと空気に煽られ、不要な接種ダントツ世界1な思考停止の人間がマジョリティな愚かな普通選挙制民主主義の国は? そうやって、すべての負債を自分の子や孫にプレゼントして苦しめていく愚かすぎる人々。 長渕ポーさんが30年前に嘆いていた「平和ボケの馬鹿日本人マジョリティの姿(動画終盤参照)」。バブルが弾けてから30年も経過した@新コロ2020においても、相変わらず日本人の大半は己のない馬鹿空気民のままでした… ↓ 長渕剛が主演、1991年のテレビドラマ『しゃぼん玉』の最終回 www.youtube.com 2020年4月12日:新コロが世界中で発生して約3カ月後、日本中が ”遅
この数日間、数人の友人と時間を共有しました。 1人は、1か月ほど前とある場所で出会った隠居人。 1人は、主夫仲間でもある昔からの親しい友人。 1人は、これからかなりマイナーな国に数年単位の仕事に向かう旧友。 1人は、大学時代からの友人で、落ち着いているが心はアツい旧友。 皆、いわゆる中年世代、半数が隠居人、半数が現役人。 桜の花が綺麗な世界を演出してくれています。 遅い疎い人たちの間ですら新コロ馬鹿騒ぎがほぼ終わり、3年前の日常が戻った花粉の春… そういえば、3年前の今頃はすごい騒ぎでしたね… 過去から学べない、過去を眺めようともしないマジョリティ(苦笑) ↓ ↓ ↓ アノ3年前の春、必死で世界中の情報を集め、自分なりに俯瞰して分析した結果、己の資産管理方針(長期投資計画)に従い『Stay the Course』 で進みました。 世界中が新コロにブルガクしていた2020年、mRNAワクチン
久々にPCを開けたので、他者のはてなブログを眺めてみた。私は過去に遡ってみることが好き。するとQYLDの文字が。 昨年の今頃だったか、一昨年の今頃だったか正確には思い出せないが、ツイッターのバ株クラでQYLDが「高配当!」といって騒がれていた。 当時から私は「元本毀損型(タコ足喰い)のQYLDは、10年以上前にジャパの情弱騙しまくった毎月分配型投資信託と同じクズETF。こんなモノ考えなくてもゴミETFと分かるのに、なぜ褒めているのか? まして買うとかウマシカなの?」と何度か忠告した。 で、今眺めてみると、大半のバ株クラの投機ウマシカ達は、案の定QYLDを手放している。 苦笑しかない。 ウマシカは歴史から学ばない。 いや、ウマシカは歴史を学ぼうともしない。 歴史と言っても、こういう類は10年遡って眺めるだけでも勉強になる。数十年程度でも十分な学びがある。 私が学生だった頃は、起業ブーム、NP
飲み込まれるか、飲み込むか? 明治維新の気骨と大東亜戦争 現代中華のチベウイ香港、大日本帝国のアイヌ琉球、違いは? 実存は本質に先立つ 大抵の人は「他の人と違うこと」ができない。全員参加型の社会大実験だった新コロにおいて、それは「ノーマスクやノーワクチン」だった。空気人間は新コロ終わって1年も経過した今でも屋外でマスクしているらしい。基本屋外ノーマスクだった私だけれど、春の花粉のこの時期は毎年屋外マスク優等生(笑)。何度も言うけど、花粉症のほうが新コロより深刻だよ。 投資においては「目先でドカンを狙わず、コツコツ積み重ねる投資の継続」。眼前思考のマジョリティは空気人間だからか「当たり前」のことができないらしい。原因は、投資に手を出す人間の大半は生来の投機ギャンブル好きで、そこには分母偏りがあるからだろうか。 旅から帰ってきてからは「大学生の春休み」のような緩く穏やかな毎日をすごしています。
中年バックパッカー旅が面白かった理由の1つが分かった。 (旅人ではない)コッチの世界では、自分みたいに「時間に余裕を持って自由な暮らしをしている人」(との出会い)が極端に少ない。 逆に、旅をしていると「同類」に会える確率がかなり高くなる。 私の場合は、時間だけでなくお金にも余裕があるが、倹約バックパッカー旅のスタイルが好きなので出会う人達は「時間余裕系」が大半だ。 コノ国(ジャパ)で時間余裕系の旅をしている(学生ではない)大人は大きく2種類に分けられる。 それは 1.時間には余裕があるけれどお金には余裕のない沈没系の人達(社会不適合で逃げや諦めの世界にいる人達) 2.時間にもお金にも余裕があるFIRE自由民的な人達(資産形成やキャリア形成済みで社会を遊ぶ人達) で、2の人達も少なからずバックパッカー的な旅をしているということを前回の旅で知った。 お金に余裕のある人達は、自分のストックやフロ
バッパー旅も3週間近くになり、元気になってきた!(笑) 国内といえども、本格的なバックパッカー旅は10年ぶりどころではなかったので「取り戻す」までに20日間ほどかかったようだ。 やっとドミトリーやボロ宿、個性的な宿を泊まり歩く、リュックサック1つだけを背負った「旅人としての日常」に慣れてきたのかもしれない。別の言い方をすると「旅が日常になった」ともいえるか。 もしくは、先日から数日間、かなり野性味溢れる大自然の土地で、ボロボロの原付きに跨って、未舗装ガタガタ道なんかも攻めまくり、ヤンチャしまくったから元気になってきたのかもしれない。 「旅人」たちとの出会いもエネルギー源になっている気もするが、それはまた別の話。南米も興味あるけれど、個人的には東ヨーロッパやコーカサスの方が、より行ってみたいカナ。
バックパッカー経験者なら「宿選び」の大事さを分かってくれると思う。 他の宿泊者と関わりのない一般的なホテルなどと異なり、バックパッカーの利用するゲストハウスはキッチンやトイレなど色々な場所が共用で、宿泊者同士の交流機会が多い。 なので「どんな人が集まっているか=宿選び」は、バックパッカーの旅心地に大きな影響を与える。 外国のゲストハウスでも、日本国内のゲストハウスでも同じだが、「宿にはイロがある(宿泊者の出す雰囲気、つくりだす環境が全然違う)」。 同じような安宿でも、かなり汚く荒んだ宿もあれば、1泊2000円前後の宿でも快適で心地よい人々が集まっている宿もある。 この違いがどこに起因するのか正確には分からないが、宿の環境や客の出す空気感を左右する要因の1つは、オーナー(もしくはマネージャーなど現場責任者)の個性にある気がする。 過剰にルールが細かい宿、逆に宿泊者を放し飼いな宿。皆でお酒を飲
隠居主夫モドキ(流行り言葉だとFIRE生活)をはじめて1年と数カ月。分かったことは、「お金と時間の両方に余裕がある昼の有閑中年男性は驚くほど少ない」ということ。 大抵の同世代は、お金も時間もない。仕事、子育て、家族サービスのいづれか、もしくはそれらの重複や全てに時間的にも金銭的にも追われている。 既婚子無しの同世代の中には、少々お金のゆとりがありそうな人も見かけるが、基本的に週5以上でゴリゴリ仕事をしており時間的な余裕はない。 時間の余裕がある、というかフラフラしている未婚者もチラホラいるが、大半はお金がカツカツの様子。 ということで、お時間様にもお金様にも余裕のある私(FIRE人)と時間とお金の使い方が合うような同世代は非常に少ない。 第三号被保険者である私。妻は週5勤務のフルタイムワーカー。しかも、バリキャリ系の仕事中毒者なので平日は遅くまで仕事に追われており、夜一緒にアフター5や夕食
飲食店、入店時はマスク着用!と主張してくるが、入店して着席するとマスク外して談笑してても文句は言われない。夏の暑い日中、人もまばらな街中で屋外でもマスク着用して歩く。他の人もそうしているからと、9割の人間が同じように行動する。 この国民集団による愚かな意識と行動の延長線上に、100兆円の新コロ対策バラ撒きと、未だに2類指定で医療逼迫&一部の病院経営者+医療製薬関係者を儲けさせるという馬鹿げた国策が日本では未だに続いている。 協調という名の実態は単なる批判逃れ・責任回避の手段でしかない総体としては非合理的な行動によって、社会は莫大な不要コストを浪費している。 結果、将来あなたの子どもや孫が貧しく不安定な社会の中を生きることになっている。それでも、中身のない空気社会を許容して、今の在り方を続ける。己の保身による空気イナゴな決断や行動、そして無関心が自分の子孫を苦しめていると理解できないのかな?
昨年に続き、今年も良い年だった。 昨年は変化の年だったが、今年は安定の年だった。 雇われを辞め、久々に自由人に戻った。まるっと1年間も自由人生活をしたのは、約10 年ぶりだったかな。 来年は働くかどうか? 12月に入り、こんな相談を大黒柱の妻にすると「必要のない苦労はしなくていいんじゃない?」とのお返事。「やってみたい、経験してみたい、そんな仕事があるならやってみてもいいと思うけど。アナタは無理に働く必要はないんじゃない?」と。 そうなのですよね。いわゆるFIRE人であるのは、実は10年以上前からなのですが、今回は今までとは気持ちが違う。母国ジャパンに不要な希望を持っていない私になれました。 今までは、日本人もそこまで馬鹿じゃないと思っていたのですけど、今回の新コロ3年間の大社会実験と観察で「日本人の9割は、思考停止者、空気人間、完全な馬鹿」のいずれか、もしくはこれらの重複者であると分か
楽観主義が行き過ぎたとき、懐疑主義は悲観主義に傾く。悲観主義が行き過ぎたとき、懐疑主義は悲観主義に傾く。 日本人空気マジョリティは2020年の1月下旬に酒盛りしてノンビリ構えていましたよね。私はマスクと薬を買い溜めしてましたけど(笑) 職場で「中国の流行病がヤバい感じですね」と話しても「なんの話ですか? 大丈夫でしょ〜」との楽観的反応ばかりでした。 その1か月後、2020年2月中下旬にはダイヤモンプリンセス号がマスゴミのネタになりました。公立学校は2月末に突然の終業式を迎えました。 皆はマスクを求めて薬局に殺到しました。そこには、少しのマスクとタイレノールしか残されていませんでした。そして愚かなマスク価格バブルが起きました。 懐疑主義と悲観主義が同義語だと思ってる人が社会には多いんだよね。全然違うのにね。 私は、いつもやたら「ポジティブポジティブ!」みたいなノーテンキな楽観主義の人達はキラ
日本は大きなムラ社会。以前から言われていたことだけれど、全国民参加型の社会実験で実証された。都会に住んでいても9割はムラ人。閉鎖的相互監視「意識」で生きている。戦争をはじめたら、また「非国民」とか言い出すであろう危険な空気至上主義の国民性🤮🤮🤮 怖いのはコロナじゃなくて「他人の視線」 馬鹿騒ぎ開始から、そろそろ丸3年。社会を停止するほどの怖さはない流行病を過剰に怖がっている人は随分と減った。屋外も建物の中も人でいっぱい。もう風邪ウイルスのことなんか怖がっていない。それでも、まだみんな顔オムツ(マスク)。 ↑写真の麻生さんの発言は「もう1年半以上前」、2021年3月。 私は屋外マスクなどという意味不明でバカなことは2020年の夏からやってません(笑) 2020年の春から約3年間、このブログにデータやソースを明記して、新コロ過剰反応社会への警鐘と批判を書いてきました。 当初は、今は懐かし
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