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2024年、人工知能(以下、AI)は市民権を得たと言っても過言ではない。でも「仕事を取られそうでちょっと怖い」「どう使っていいかよくわからない」という声もあるだろう。 そんなイメージに逡巡しているうちに、AIは瞬く間に日常生活に広がっている。私たちは、 AIとの関わりを、どのように捉えたらいいのだろうか。 今回は、AIをテーマにした作品や、AIを使った動画や記事を、独自のユーモアで展開する作家・品田遊さんと、AIについて言語学の観点からわかりやすく紐解く言語学者・川添愛さんをお招きし、AIとどう関わっているのか、聞いてみることにした。 前編はこちら▼ 後編は、品田さんが作成したAI動画のことから、AIの人間らしさについてまで話が及んだ。いまのAIから見えてくる、これからの創造性を考える。 模範的なAIは、つまらない? 前編では、品田さんとAIが話す動画を拝見しました。改めておふたりはいまの
2024年、人工知能(以下、AI)は市民権を得たと言っても過言ではない。でも「仕事を取られそうでちょっと怖い」「どう使っていいかよくわからない」という声もあるだろう。 そんなイメージに逡巡しているうちに、AIは瞬く間に日常生活に広がっている。私たちは、 AIとの関わりを、どのように捉えたらいいのだろうか。 今回は、AIをテーマにした作品を独自のユーモアで展開する作家・品田遊さんと、AIについて言語の観点から紐解く言語学者・川添愛さんをお招きし、AIをどう認識し、どのように関わっているのか、聞いてみることにした。 実は会うのは初めてだというおふたり。前編は、両者のこれまでのAIとの関わりを紐解きながら、普段の使い方について話を伺う。 川添さんと品田さんの出会い おふたりの関係としては、品田さんの著書『名称未設定ファイル』(キノブックス、2017年)が2022年に文庫化されたときに川添さんが解
マーベル・コミックといえば、スパイダーマンやアイアンマンなど、数多くの人気キャラクターを世に生み出したアメリカの出版社である。コミックを手にしたことがなくても、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)というシリーズで展開される映画を観たことがある人も多いのではないだろうか。 そんなマーベル・コミックで活躍するひとりの日本人作家がいる。その名もピーチモモコ(Peach Momoko/桃桃子)。現在、過去のマーベル作品「X-MEN」を再解釈する「Ultimate X-Men」シリーズとして、日本を舞台にX-MENを描くコミックを連載中だ。彼女はマンガのアカデミー賞とも言われるアイズナー賞で、2021年に最優秀カバーアーティスト賞を受賞。世界中からコミックファンが集まるコミックコンベンションでは、長蛇の列を成すほど人気の作家である。 「なんか緊張しますね…!こういう単独インタビュー初めてで
俺たち何?え?チーム友達! “チーム友達”の流行語化がとまらない。始まりは、2021年にKOHHとしてのラッパー活動を引退した千葉雄喜が、今年2月に本名名義でリリースした曲「チーム友達」に由来する。——と断りを入れなければならないくらいに、1つの楽曲の域を超えて街中でもさまざまな人が“チーム友達”と口にしているのはご存知の通り。もはや発信元である千葉雄喜のこともKOHHのことも知らない層にまで伝播しているのが興味深い。 絶妙なタイミングでリリースされた「チーム友達」 元々“チーム友達”とは大阪拠点のラッパー・Jin Doggが仲間内で使っていた言葉で、大阪滞在時に彼と会った千葉雄喜がその場のノリでレコーディングして作ったようだ。千葉は事前にDJらに音源を配布しており、クラブでは局所的に認知されていたところ、リリースされ一気に全国区でヒット。Spotify国内バイラルチャートにて初登場1位を
2024年も、相も変わらず宮藤官九郎の年かもしれない。 2000年代初頭からひっきりなしに、何年かに1度「クドカンの年」があった。 その度にサブカルの民が、パロディや内輪ギャグまみれの反則的な脚本世界とともに、「脚本家先生」にしては妙にとっつきやすい飄々とした本人のキャラクターを甘やかしてきた。「クドカン」の存在は愛称とともにいつしかサブカルの村から染み出し、しれっと国民的存在になっていった。 そしてまた、2024年も、みんなが自分ごとのように「クドカン」ドラマを語る奇妙な1月クールで幕を開けた。一体いつまでクドカンの時代なのか。真剣に検証する時期が来ている。 ▼『宮藤官九郎論』前半はこちら クドカンドラマは「ずっと不適切」だった 宮藤官九郎が全話の脚本を手がけた連続ドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系、2024年)の完結からまもなく1ヶ月が経つ。間違いなく、彼のキャリア史上最も賛否
8人組ソウルバンド・思い出野郎Aチーム。2021年からはサポートミュージシャンと手話通訳者をメンバーに迎えた編成でも活動している彼らの楽曲に、「フラットなフロア」がある。 フラットなフロア つまづくような段差はない フラットなフロア 何かを遮る壁はない フラットなフロアに向かう 君が誰でもいいぜ スポットライトに照らされて 僕らの肌はまだら模様 話す言葉は歌に溶けて 聞いたことのないラブソング 信仰よりもコード進行 右左よりも天井のミラーボール ♫ フラットなフロア/思い出野郎Aチーム この楽曲で歌われる「フロア」とは、パーティーのダンスフロアを意味しているのみならず、私たちが暮らすこの社会そのものをも表しているのではないだろうか。思い出野郎Aチームでボーカルとトランペットを担当する高橋一(通称マコイチ)さんが、楽曲で、ライブMCで、デモの場で、差別と暴力への反対意志を表明していることから
金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』(2024年1月期TBS系・毎週金曜よる10時)が面白い。1986年から2024年に事故的にタイムスリップしてきたダメ親父・小川市郎(阿部サダヲ)が昭和の価値観を振り回しながら令和の価値観と衝突していくドラマだ。「せっかく人権が尊重されるようになった令和を『息苦しい』と揶揄する昭和礼賛ドラマだ」という批判も見かけるが、私にはそうは思えない。宮藤官九郎という脚本家が、自身のキャリアを賭けて首を洗って差し出しているような作品ではないか。6話まで放送された時点でドラマ全体の真価は見えないが、少なくとも今言える宮藤官九郎論をまとめていく。 「大人しくない」純子が指摘する令和の課題 6話で池田成志扮する「エモケン」という脚本家が登場する。1963年7月19日生まれで年は違えど宮藤と同じ誕生日、さらには構成作家出身という出自まで同じだ。代表作は『池袋ウエストゲートパ
いわゆるSDGs系の運動を見ていて不安になるのが、そこで唱えられる「持続性」というものが、「協調しながら」「皆が」持続するという前提に漠然と立脚していることだ。高級な理性的要素の集合体じみたものになっている、という表現も可能だろう。 私は思う。 いずれどこかで、自分たちの共同体が「持続」するために他の何かを公然と犠牲にするタイプのムーブが「SDGs」っぽい看板を掲げながら人々を誘惑してゆくだろう、と。「それはSDGsちゃうで!サバイバルや!」とツッコみたくなるが、現実的にみて、たぶんそのインチキくさい言説は通用してしまう。 重心不定なSDGs概念は、特定の思想誘導に利用されやすい 真面目なSDGs系の皆様からみると「ええっ?そんなバカな!」と感じられるだろうけど、実際、そもそもSDGsの概念や定義自体が重心不定な寄り合い世帯っぽいもので、包括的な理解には相当の知力と精神力が必須と言える。ゆ
いま、国内で最も新作を期待されている映画監督のひとりが三宅唱であることは、近年、日本映画を少なからず観てきた人々の間では、共通見解となっているだろう。耳が聞こえない元プロボクサー・小笠原恵子の自伝「負けないで!」を原案に映画化した前作『ケイコ 目を澄ませて』(2022年)が、国内の主要映画賞で大きな成果を上げたことも記憶に新しい。その三宅が待望の新作を劇場公開した。それが『夜明けのすべて』だ。本作は、瀬尾まいこの同名小説を映画化したもので、PMSを抱えた女性とパニック障害を抱えた男性の間に芽生える、助け合いの感情を描いている。 社会を前進させる情報発信を行う「あしたメディア」では、『夜明けのすべて』の劇場公開を迎えたタイミングで、三宅唱監督へのインタビューを実施、掲載する。前回の『ケイコ 目を澄ませて』インタビューと同様に、今回も三宅唱監督と映画解説者・中井圭との対談形式でお届けする。(本
「M-1グランプリ2023」で優勝した漫才コンビ・令和ロマン。芸歴5年目、初となる決勝の舞台で見事優勝。トップバッターでの優勝は初代王者の中川家ぶりとなり、脚光を浴びた。 そんな令和ロマンのボケであり、メインのネタ作りを担当しているのが髙比良くるまさん。M-1優勝時には、彼の「大会をもっと盛り上げたいから来年も出たい!」というある種、俯瞰的とも取れる発言が話題になった。準決勝でも、本番から結果発表までの僅かな時間に、ほぼ全組の漫才の感想と結果予想をYouTubeで生配信。勝負の場においても冷静に分析をするくるまさん。しかし一方で彼は漫才について話すことを心から楽しんでいるようにも見えた。 くるまさんが分析を通して感じている「漫才」や「お笑い」とはどのようなものなのだろうか。 劇場の空気を感じて、漫才をする M-1優勝後、分析キャラがさらに定着していますね。漫才や大会を分析しようと考えたのは
企業が掲げる「ソーシャル・グッド」の落とし穴 最近、「ソーシャル・グッド」という表現をよく耳にする。SDGsともからみつつ、企業の社会的責任を問題にする文脈で使われているようだ。製品であれサービスであれ、社会や環境に配慮したものを生産・消費することと、とりあえずは定義できそうである。 すばらしい、と思われる人が多いだろう。だが、本稿ではこの「ソーシャル・グッド」について疑問を呈しつつ、その理念と歴史について少し広く深く考えてみることで、その疑問に答えていきたい。 まず大きな問題は、この「ソーシャル・グッド」が結局は資本主義の理念に合致するかぎりにおいてしか実行されないということである。 環境問題について考えれば分かりやすいだろう。斎藤幸平は『人新世の「資本論」』(2020年、集英社新書)で、「SDGsは大衆のアヘンである」という主張をしている。つまり、地球温暖化が待ったなしの状況で、ガソリ
いま国内のポップミュージックが「面白い」と評されるのはなぜか? 国内の音楽が面白い――多くのリスナー、ジャーナリスト、メディア関係者が口を揃えてそう話すようになってからしばらく経つ。 個人的な肌感覚では、2018~2019年頃にさまざまなジャンルで現れた特段ユニークな試み――折坂悠太『平成』(18)、中村佳穂『AINOU』(18)、長谷川白紙『エアにに』(19)、三浦大知『球体』(18)など――によって徐々にミュージシャン同士が作品を通して創発し合う空気が生まれ、2020年以降になるとそれらエッジィな作品を前提としながら、数多くの若手音楽家が個々のアイデンティティを軽やかなポップさとともに発散させていったことで、徐々に国内音楽シーンに対する多彩な可能性についてのコンセンサスが形成されていったように思う。 結果、たとえばミュージック・マガジン(ミュージック・マガジン社)は2020年9月号で<
彼のルーツを辿ると、いつもインターネットがそばにある。 小学生の頃にインターネットを使い始めたという彼は、2009年に現在のX(旧Twitter)で「ダ・ヴィンチ・恐山」という名前のアカウントを作成。その独特な名前と投稿が注目を集め、早々にフォロワーを増やしていった。 若くして活躍するスポーツ選手がスカウトを受けるように、学生時代にウェブメディア「オモコロ」からスカウトを受け、ライター・編集者として入社。2015年には、個人ブログから派生した小説『止まりだしたら走らない』を「品田遊」名義で発表。いまではエッセイを含む4作の著書があり、作家としても活動の幅を広げている。 そんな彼が、2021年12月15日にXのサブアカウント(@d_d_osorezan)で突如として始めた漫画がある。 タイトルは『そういう人もいる』。 週1回のペースで更新されるその漫画は、平均して毎回5000以上の「いいね」
たとえばウクライナ戦争について。 日本で若者層に「あれをどう考えていますか?」とインタビューしても、マスコミやネット有識者の見解の簡易版みたいなものが(割と慎重な面持ちとともに)返ってくることが多く、「自分たちは世代としてこう主張したいんだ!」という点がなかなか窺(うかが)えない。 実はドイツをはじめとするヨーロッパでは、このへんの様相がかなり異なる。ありていに言えば、戦争は環境にやさしくない!だからプーチンは戦争を速攻やめろ!という若者たちが一大勢力を築いて声を上げているのだ。もちろん圧倒的多数というわけではない。が、とにかく大勢力であり、とうてい無視黙殺できない存在感を持っている。 ウクライナ戦争を機に動き出した、ドイツの若い環境活動家たち 実はウクライナ戦争の開戦後半年と経たず、2022年7月にはこのタイプの議論がドイツで巻き起こっている。およそ100年の歴史を持つフリードリヒ・エー
女性差別をなくそう。気候変動を止めよう。多様性を受け入れよう。そんなテーマをかかげた広告をこの連載では紹介してきた。欧米の広告業界では、商品を売るだけではない、社会を前進させる広告が評価されるようになっている。「ソーシャルグッド」と呼ばれるこの動きを日本の広告業界にも広めるべく、本連載を続けてきた。 しかし、ここに来てソーシャルグッドは曲がり角に来ている。ウォーク(Woke)という言葉で、ソーシャルグッドが批判されるようになってきたのだ。 ウォークはwake(目覚める)の過去分詞形で、「目覚めた」を意味する。社会問題に「目覚めた」リベラル層を揶揄するために使うスラングだ。日本語だと「意識高い系」に近い。 ウォークは英語圏のネトウヨ的な人たちが使う類の言葉で、大人が真面目に向き合うものではない…と、個人的には思っていた。しかし最近、少し状況が変わってきた。ソーシャルグッドを志すブランドが、ウ
(編集部注:記事内で『君たちはどう生きるか』本編の内容に触れています) 宮﨑駿監督の新作『君たちはどう生きるか』は、公開前の宣伝や情報公開を一切行わないという異例の状況のなかでの公開となった。私は期待と不安を胸に公開日に劇場に足を運んだが、その第一印象は、全部見たことがあるような気がするのに、全てが新しい、というものだった。宮﨑駿とジブリのこれまでが全て詰まっているにもかかわらず、確実にこれまで見たことのない、新しい宮﨑作品となっていることへの驚きだ。宮﨑駿という人の、枯れることのない創造力に心の底から驚嘆した。その印象は、鑑賞から数日経った今でも変わっていない。 その一方で、公開以降、私のような絶賛の声もあれば、「分からない」という声もまた目立った。まるで夢の中のように生起するさまざまな出来事や文物に、最終的に分かりやすい説明が与えられることはない。そのあり方はこれまでの宮﨑作品と比較し
筆者は男性だ。 月経をよく理解している男性はどれぐらいいるのだろうか。ある調査によると「生理について理解があるか?」と言う質問に対して「はい」と答えた男性は44.8%で、「いいえ」と答えた男性が41.5%であった。(※1)わずかではあるが、はいと答えた人の方が多いことから月経に対して関心を持つ男性が増えているのではないかと思う。その一方で、「はい」と答えた男性であっても実際の月経の痛さや精神的な辛さを知ることはできない。どうにかして理解するきっかけになることはないかと調べていると、月経痛を体験できるVR装置が奈良女子大学にあるとの情報を得た。問い合わせると、装置を体験させてもらえるというので、奈良県に出向いた。 ※1 参考:エラベル「男性は生理をどこまで理解してる?かかる費用や症状など理解度を調査【男性581人にアンケート】」 https://elabel.plan-b.co.jp/hea
京都を本拠地として活動する人気劇団「ヨーロッパ企画」。これまで「サマータイムマシン・ブルース」(2001)や「九十九龍城」(2021)などの本公演が高い評価を受けている。その「ヨーロッパ企画」の代表でもあり中心的存在が、上田誠。すべての本公演の脚本・演出を担当し、最近では映画の原案や脚本など、活動範囲を拡大している。そんな彼の創作のルーツは何なのか。京都にこだわる理由とは。 「あしたメディア」では、演劇から映画へと広げていく上田誠の仕事との向き合い方から、原案と脚本を担当した最新映画『リバー、流れないでよ』(6/23公開)まで、映画解説者の中井圭が、彼のクリエイティブの秘訣を掘り下げるロングインタビューを敢行した。 演劇は、他者とチームで作るから面白い 上田さんと言えば、やはり演劇の印象が強いですが、そもそも演劇との接点について教えてください。 中学や高校ぐらいの頃から、何かを創作するのは
TÀR/アメリカ/2022年 © 2022 FOCUS FEATURES LLC. 2023年3月に行われた米アカデミー賞では下馬評通りに『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(2022)が圧倒的な存在感を発揮し、これをもって2022年の賞レースを巡る喧騒もひと段落した感がある。しかし日本では、受賞こそならなかったものの、米アカデミー賞にノミネートされた重要作が満を持しての公開を控えている。トッド・フィールド監督、ケイト・ブランシェット主演の『TAR/ター』(2023年5月12日公開)である。 女性のオーケストラ指揮者を主人公とする『TAR/ター』こそは、社会的に成功を収めた女性が抱える闇光を野心的なタッチで描く真に重要な作品であり、本作が16年振り3作目の監督作でありながらその全ての作品においてアカデミー賞ノミネートを果たしているトッド・フィールド監督の才能が如何なく発揮
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(以下、『エブエブ』)は、2023年3月12日(米国ロサンゼルス現地時間)に開催されたアカデミー賞にて、今回最多の7冠を獲得した。個人的には、この映画が成し遂げた数々の快挙は自分ごとのように嬉しい。作中にはアジア系アメリカ人のリアルが詰まっており、監督も役者も製作陣も胸を張って世に送り出したいと思うメッセージがあり、勇気や教訓、そして愛を与えてくれる作品だからだ。 この快挙はアジア系アメリカ人コミュニティにとっても大きな出来事だった。ハリウッドをはじめとした映画業界、そして社会全体の変化の兆候を反映しているのだ。娘のアイデンティティとの衝突や夫への募る不満を抱えた、ある「普通の母親」が突然「マルチバースを救う」という任務を受けるという壮大なストーリーの核にあるのは、グローバルな規模で語られる機会のなかった、移民家族の葛藤、そしてアジア系
ヒップホップは、日本語ラップはこの社会に対して、なにを歌ってきたのだろうか。あるいは、日本語ラップは日本社会においていかなる位置を占めているのだろうか。アメリカで、ヒップホップと社会が強い結び付きを得たのは一般に、伝説的な1曲とされるGrandmaster Flash and the Furious Five「The Message」(1982)の瞬間であるとされる。ヒップホップは社会に対して「メッセージ」を持つべきだ、というような考えは、ひとまずここに遡(さかのぼ)ることができる。そしてそれは、日本にヒップホップが輸入されたときから意識されていた。というのは、日本初のヒップホップアルバムと呼ばれる、いとうせいこう『MESS/AGE』(1989)のタイトルを見れば明らかだ。先の1曲のタイトルのなかにスラッシュを差し挟むことで、新たな意味(メッセージ=混乱した世代)を作り出しているのだ。つま
連載「わたしと選挙を考える」では、政治や選挙、社会との関わり方について、これまでにもさまざまな方に発信いただいた。2022年夏、参議院議員通常選挙の投票日を目前に今あなたは何を思うだろうか。第5回は、日独翻訳や通訳・プロデューサーでありながら、職業:ドイツ人でもあるマライ・メントラインさんに思いを寄せてもらった。 日本の世間では、なんだかんだ言って「選挙ではどうせ何も変わらない」的な空気がけっこう支配的だ。もちろん、特に有識者やオピニオンリーダーのような人は「そうじゃない!」と力説し、その正論には正面を切って反論しにくい。かといって、それで「体感的な真実」っぽさが払拭できるわけではない。 このネガティブな説得力の正体は何なのだろう? ちなみにドイツ人の場合、私を含めて「選挙によって政治や社会のベクトルは変わる」と感じているケースが多いだけに、すごく気になるのだ。 私は社会人や学生の日独交流
「文化の盗用」と聞いた時、何を思い浮かべるだろう。日本の寿司をアメリカナイズしたカルフォルニアロール、キム・カーダシアン(Kim Kardashian)によるアパレルブランド「Kimono」、五輪メダリストで日本のスケートボード、スノーボードプレイヤーである平野歩夢選手のドレッドヘア... 日本ではそれほど議論されてこなかったテーマだが、世界ではレイシズムやそれに結びつく人権の保障のための法律にまで問題が及ぶという認識があり、特定の文化を盗用することがタブーとされることも少なくない。では、我々(文化を消費する側)はどうあるべきか。その理解を深めるために、本稿では特に黒人をルーツに持つ人々の髪型を例に文化の盗用をまとめていく。 文化の盗用(Cultural Appropriation)とは 文化の盗用はさまざまな説明が見受けられるが、基本的にはマイノリティ文化を他の人種・民族や文化圏の人々が
本連載は、「あしたメディア」の「社会を前進させる情報発信」というコンセプトに賛同し、国内外の先進的な広告事例の紹介を目的としている。しかし、今回は「きのう」の話からはじめることをお許しいただきたい。 誰もが知っていた広告を、誰も知らない 1998年6月19日、広告の歴史を変えることになる、一本のCMの放送が開始された。 画面に映し出されるのは、高級車に乗り込む重役然とした雰囲気の中年男性。「セガ・エンタープライゼス 専務 湯川英一」というスーパーが映し出される。どうやらセガのCMらしい。湯川専務の視線の先にあるのは、小学生の男子2人。彼らは、こんな会話をしている。 「セガなんてだせえよな!」 「プレステの方がおもしろいよな!」 スマホもタブレットもなかった当時、リビングのテレビにつないで遊ぶゲーム機は、子ども達の娯楽の王様だった。そのゲーム機の電源を切った瞬間、テレビにこのCMが映し出され
映画は世相を反映すると言われるが、そのあり方は様々だ。現代社会が直面する諸問題に対し、いかなる方法でアプローチするか。それこそ、表現者の腕の見せ所であろう。環境問題、セクシュリティー、ジェンダー、越境、移民、差別、ハラスメント、人権…。映画が取り組むべき主題は、その時代の流れに沿って次々と浮上してくる。世界各国で作られる映画がこれらの主題を語り、観客は世の中で何が起きているのかを知る。ニュース映像は知識を補完してくれるが、それはあくまでも情報だ。その事態が、ひとつの物語として映画で提示されたとき、それは情報ではなく、実感として観客の脳と心に刻まれる。 多くの重要主題のひとつとして、資本主義下の格差社会が挙げられる。少し昔なら「貧富の差」という表現がされていたが、「格差社会」の方がより深刻な構造上の問題として響き、政治の失敗を感じさせる。そして格差社会ほど、世界共通のタームはないかもしれない
インターネットで何か知らないものを調べようとしたとき、あなたならどこで調べるだろうか。筆者は高確率でウィキペディアに辿り着いてしまう。歴史的な事件から、芸能人のプロフィールまで、さまざまな情報がまとまった便利な百科事典にはお世話になりっぱなしである。 そんなウィキペディアだが、一方で情報の信憑性や、「荒らし」の出没など、いつも安心して使用できるかといったらそうでもないだろう。また、最近ではよく募金を募る表示も見かけるが、一体どのように運営がされているのだろうか。 今回の記事では、武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授で、シェイクスピア、舞台芸術史、 フェミニスト批評を専門とし、ウィキペディアン(※1)としても活動する北村紗衣さんに話を伺った。 ※1 ウィキペディアを執筆・編集するボランティアのこと。ウィキペディアンには誰でもなることができる。 ウィキペディアンになるまで ウィキペディアンは
出典:elleair公式ホームページより https://www.elleair.jp/attento/talk/ 「40歳のあなたの目の下のブヨブヨにおすすめです!」 買い物に出かけて店員がこんな接客をしてきたら、あなたはどう思うだろう。もう二度とここには来ないと決意して、店を後にするのではないだろうか。 こんな無礼なセールストークをされることなんて、実世界ではありえない。しかし、それが平然とまかり通るのが、ウェブ広告の世界だ。 ターゲティング広告の功罪 ウェブ広告は、テレビや新聞といったマスメディアと違い、誰に見られるかをターゲティング(※1)することができる。ソーシャルメディアのアカウント情報、閲覧履歴、位置情報などから、今スマホを見ているのがどんな人なのかを推測する。そして、その人に合った広告を配信するのだ。 個人の詳細なデータがわかれば、より深い人間理解に基づいた広告表現ができそ
©ヤマシタトモコ/祥伝社フィールコミックス 人気漫画作品『違国日記』。2017年に『FEEL YOUNG フィール・ヤング』(祥伝社)で連載が始まると、2019年以降宝島社の「このマンガがすごい!」や「マンガ大賞」などの賞に連続でランクインしている注目作品だ。 作中では、両親を亡くした少女、田汲朝(たくみあさ)と、その叔母であり朝の引き取り手となった、少女小説家の高代槙生(こうだいまきお)の暮らしが描かれる。主人公朝の親友であるえみりを筆頭に、個性豊かなキャラクターたちが、他人との違いに悩み葛藤しながらも、共に生きていく姿に共感や発見を得る読者も多いだろう。 本作では、家族、セクシュアリティ、有害な男性性、シスターフッドなど、現代を生きる我々が直面する身近な問題が散りばめられている。 作者は、漫画家ヤマシタトモコさんだ。近年では漫画『さんかく窓の外側は夜』(リブレ出版)が映画化、アニメ化さ
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