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会話術
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2012年11月27日17:49 カテゴリ 不可能だけど・・・ 昨日は、東日本大震災復興調査特別委員会が行われた。 先日ブログに書いたように、12.月予定されていた復興計画の住民説明のあり方などが説明されると思いきや・・・。 冒頭、委員長からの質問に対する執行部の回答は 「12月中の住民説明は難しい・・・」 国との協議がまとまっておらず、計画の提出までに至っていないとのこと。。。 本日の新聞報道でもあったが、【名取・閖上区画整理 計画人口3千人に下方修正】問題点は (1)計画人口5500人の根拠 (2)事業規模と土地利用計画 (3)非居住区域となる公園用地の規模 数々の問題に対して、事業認可が得られないと、”答えらない”、”着手出来ない”と動きようがないのが現実。 この状態が続くことはマイナスでしかない。 ・被災者の生活再建も遅れる。 ・人口流出の恐れ。 ・更地となった閖上はそのままで、被
2011年12月21日23:42 カテゴリ ”しなくてはいけないこと” 「洋ちゃん、何したい?」 11月のある日、Kさんが私に問いかけた。 仕事の中で、どんなことをやってみたいか? という意味で聞いたのだと私は理解した。 その日、私は迷いながら答えた。 それから2・3日、真剣に自分は何がしたいのか考えた。 仕事という括りだけではなく、私自身が何をしたいか。 今の仕事は楽しい。 尊敬出来る(ような出来ないような)人に囲まれ、吸収出来ることがたくさんある。 自分が成長出来ている実感さえあった。 こんな環境はなかなか巡り会えないと思う。 ”何がしたいか” 考えていると、 ”したい” ことよりも ”しなくてはいけないこと” がいつも先に出てくる。 それは地元、閖上の復興だ。 3日後、Kさんにこう伝えた。 「政治に挑戦しようと思います。」 Kさんはすぐに 「やめとけ!」 このやり取りが1週間は続いた
2011年08月23日18:32 カテゴリ 田舎 最近田舎に行く機会が多かった。 彼女の実家は福島県田村市。 こんなところ ちなみに福島第一原子力発電所からは40キロ前後のところ。 家の外には 梅が干してあった。 そこで初めておばあちゃんと会った。 話していると 「お父さんに野菜もってけ」 と言ってくれた。 おもむろにカゴを持ち外へ。 私も後ろから追いかけた。 まずはトマト 腰を曲げながら 「おっきい奴の方が皮やわいがら」 と大きいトマトをどんどんカゴに入れていく。 こっちは別の種類のトマト。 その隣には紫蘇が一面に広がっていた。 「この紫蘇で梅ば漬けんだ」 私が一番驚いたのはこれ オクラ。 なんと上に向かって生えている! 知らなかった。。。 しかし、おばあちゃんは私のリアクションも見てくれず、どんどん野菜を取る。 ナス モロヘイヤ 「おばあちゃん・・・そろそろ大丈夫だよ。」 さすがに食べ
2011年03月15日17:08 カテゴリ 地震から5日 東北地方太平洋沖地震が起きてから2日後我が家に向かった。 まだ連絡が取れない母・弟の手掛かりはないかと思い、朝6時M氏にゆりあげまで車で送ってもらった。 車を降りて歩いて我が家へ向かう。5分と経たずに涙があふれてきた。変わり果てた街の姿を目の当たりにし自然とあふれてくるのだ。車、木片、船ありとあらゆるものがそこには散乱していた。 足を進めるたびに絶望感に包まれた。そこにはとてもじゃないがなんの希望ももてない。 我が家へ続く道が閉ざされていて、仕方なく隣の道路を進む。ちょうど裏手と思われるところまで来た。 屋根から屋根へ飛び移りようやく見渡せた。 古い家が多いのだが、我が家は築3年目なのでしっかりとそこに建っていた。しかし、周りの光景はありえないものだった。 その屋根の上で我が家を見つめて30分は立っただろうか、ようやく決心をしゆっく
2011年05月24日22:26 カテゴリ 死ぬってなんだ? 今日は以前日記を書いて頂いた達也に石井さんが話を聞いた。 東部道路のすぐ近くにあるミニストップで待ち合わせた。 このブログで何回言っただろうか・・・でも言う。 「空が青い!」 青い空の中更地が広がる閖上を少し回ってみた。 「ん?ここどこだかわがんねーな」 「ここあれじゃね」 などと達也と会話を交わしながら。 目印の建物がないと地元でも道に迷いそうだ。 達也の家に到着。 石井さんと達也 その間少しブラブラと写真を撮った。 奥に見えるのがガレキの山。 その向こうは海だ。 バス。 なにがおきたの?って思ってしまうほど、めちゃめちゃだ。 閖上ではこんな車が目立つ。 津波の力はこんなところからも感じ取れる。 その後閖上小学校体育館へ 入るとすぐにあった。 またしてもメールをぶみこさんから頂いていた。 ”ありがとうございます” 私だったらこ
2011年05月21日17:55 カテゴリ どうなる閖上 昨日の”どうする閖上”で聞いたこと。 ①閖上公民館の近辺は液状化が起こっており、少し地面を掘ると水が出てくるとのこと。 ②閖上の地盤沈下。閖上中学校では28㎝の地盤沈下が起きてるとのこと。 知らなかった。。。 閖上は私が思っているよりも深刻な状態だった。 もしかすると1丁目の私の家でさえも、同じ場所には家を建てることは出来ないのかもしれない。 会議の帰りの車中で父にその話をすることは出来なかった。 母のこと・葬式のこと・保険や義援金の手続き・車・閖上のこと。 やらなければいけないこと。 考えなくてはいけないこと。 まだまだそんなことがたくさんある。 家のことはもう少し時間が経ってから父にどうしたいか聞いてみよう。 仮設住宅の入居に関して、気になる記事が3日前の河北新報に載っていた。 仮設住宅が出来ても、また新たな問題が出てくる。 す
2011年05月09日17:55 カテゴリ 地元の友達、達也君の日記。その③ 達也君の日記は今日で最後になりました。 その前に私のことを少し。 名取市役所建設課の方と話し、家の取り壊しを立ち合いに変更した。 そしてお昼ぐらいだろうか、電話が。 「取り壊しが明日になりました。」 ついに明日家が取り壊される。 明日、父と立ち合う。。。 ここからが達也君の日記です↓ --------------------------------------------- 3月19日 『人生で1番泣いた日・人生で1番後悔した日』 『今日こそ絶対ママ見つけてね!』 13日以降、嫁を探しに行く前に毎日ひかり(上の子)から言われる言葉だった。 そして市役所で情報を集めたり、病院に電話したり、同姓同名がいる少し遠い避難所に探しに行ったりしてた。 毎日新しい情報こそ耳にはするが、同姓同名という事以外で顔や特徴が一致する嫁
2011年05月08日18:07 カテゴリ 地元の友達、達也君の日記。その② 達也君の日記の前に、少し私の今日を。 従兄弟のH君・おじさん夫婦・私・父と食事会があり、その帰りに父の家に泊った。 すこし酔っていた父は 「しばらくぶりでビール飲んだな」 と、何度も言っていた。 そしてH君の趣味が格闘技だと聞いて、レスリングをやっていた父はとてもうれしそうだった。 「おんちゃんと勝負するべ」 と、H君に。 帰ってきて落ち着くと、Kおばちゃんから頂いたイチゴを食べた。 やはり朝起きると父の姿はなかった。 朝のサイクリングだ。 今日は母の日。 少し内容の濃い日だったので、次回改めて今日のことは書くとする。 写真だけ ここから達也君の日記2日目↓ ------------------------------------------------- 3月12日 『子供たちとの再会、そして・・・』 前日の夜
2011年05月07日16:11 カテゴリ 地元の友達、達也君の日記。その① 今日から地元の同級生のジャンボこと、達也君の日記を3日間載せていきます。 その前に2日前に閖上に行った様子。 更地が多くなってきた。 そして今日朝から 「閖上行ってくるから・・・」 と父から電話があった。 なぜ最近になって、こんなに頻繁に閖上に行くかというと。 我が家が取り壊される日が近いからだ。 それならなんで取り壊しにかかるとき連絡はいらないと言ったのだろう。。。 今日はまだ家があったらしい。 明日は母の日だ。 どこに母がいるのか分からない今、思い出の残っている家に花をプレゼントしに行こう。 なくなってたらどうしよう。。。 ここから達也君の日記↓ ------------------------------------------------ 3月11日 『絶望と恐怖』 この日は地震があった日でもあり、上の子
2011年05月01日21:49 カテゴリ 体育館清掃 昨日ブログランキング地域情報のカテゴリーで1位になりました。 このブログを応援してくれた方々、少しでも見て頂いた方、たくさんのアドバイスをくれた方、すべての人に感謝致します。 その時Kさんから 「第・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1位!」 と電話がきた。 ちょっと泣きました。 みなさん見て頂いてありがとうございます。 これからもよろしくお願いします。 --------------------------------------------------- 今日は体育館清掃の日。 名取市民体育館に8:30集合 朝からたくさんの仲間に集まってもらった。 総勢21名。 着るものがなく、ユニフォームで登場したコウジュ。 まずはボランティア登録をする。 そして長靴やらゴム手袋を装着。 道具を詰め込みバスでいざ閖
2011年03月27日21:01 カテゴリ 胸の傷 今朝は早く起きた。 引越しのためだ。私のデカイだけが取り柄のアストロさんに荷物を詰め込み、新居との往復。なんか捨てるものばかり出てくる。意外といらないものばかりに囲まれて生活していたんだなぁと思った。 午後からは父も参加。 学生時代レスリングをしていた父のパワーはいまだ衰えを知らない。 噂によれば、オリンピックも狙えたみたい・・・。 あまりそのことを語らない父からは聞いたことはないが。 3往復目でほとんどの荷物は運び終わった。 4時30分ぐらいになっていた。 その時、私の携帯が鳴った。 出ると、「小斎ですけど、洋平君?」 「はい」母の兄夫婦だ。 「今空港ボウルにいるんだけど、孝行君らしい子がいるんだけど・・・」 父とすぐに向かった。そして兄にも電話を。 弟には特徴がある。生まれながらに心臓に病を抱えていた弟は4・5歳までの日を病院で過ごし
2011年04月24日19:01 カテゴリ 見つめる父 今日はこれから父と食事だ。 その前にブログを更新。 <昨日の事を>お昼に父の家へ。 飯を食ってから閖上へ行こうと約束していた。 実はその前に少し食べてしまった私。部屋に入ると、「じゃ作るか」と温麺を茹でだした。 食ってきたからいいやとも言えず、食べた。なかなかの大盛りっぷりに”少しでいいや”と言えばよかったと少し後悔。 父は毎回の食事を少し弟にも分ける。なので部屋はいつもご飯の匂いがしていた。 温麺を食べていると、父が七味を入れた。次に弟の温麺にも七味を入れた。この行動に私はたくさんの感情が溢れていて少し涙が出そうになった。テレビをまっすぐ見つめて苦しいが詰め込んだ。 そして出発! 車の中で話を聞くと実は午前中に安置所に1人で行ってきたらしい。まったく・・・。 最近の父はよく道を間違える。その日も1度間違えていた。 閖上に入るとすぐに
2021年03月11日11:25 カテゴリ 10年 ソウ!なむなむしに行くよ! いつもふざけている息子も、空気を読んでかすんなり手を合わせ目を閉じる。 3月11日 10年目のこの日は、青空が広がりこの時期の閖上ではめずらしく風もない。 あの日、かけえがえのない人を失った方、そして犠牲になられた御霊が心穏やかに過ごせることを祈る。 まずは、閖上のことを 昨年、サイクルスポーツセンターや 震災伝承館がオープンした。 施設の整備や区画整理が終わり、閖上の復興事業はほぼ完了した。 もちろん課題はまだあるが、町内会で議題にあがることや相談事は被災地特有のことでなくなってきたように思う。 ちなみに、今年のなとり夏祭り(花火)は震災以来初めて閖上で行われる予定。 次に父のこと 今日は朝から仏壇にあげる御膳を用意していた。 頭が薄くなったな・・・ 10年経ち、父は今なにを思うか改めて聞くことはない。 淡々
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