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こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 歴史好きの館長が、日本全国の名所旧跡をめぐる歴史散策ブログ。 今日の夢中は、兄・頼朝から追われ逃避行、悲劇の英雄・源義経ゆかりの史跡へ。 断崖の灯台下に眠る源義経の足跡!名勝「判官舟かくし」に今も残る義経一行の緊迫感…です。 ■源義経「奥州落ち」 名勝「判官舟かくし」(はんがんふなかくし)の訪問レポートに入る前に、まずは悲劇の英雄・源義経の「奥州落ち」を時系列で紐解いていきましょう。 源平合戦「一ノ谷の戦い」や「壇ノ浦の戦い」で無双の働きを見せ、平氏滅亡の最大の功労者となった源義経。 しかし、その圧倒的な軍事的才能と、兄・頼朝に無断で朝廷から官位(判官)を貰ったことなどが原因で、次第に頼朝から危険視され、深い対立へと発展してしまいます。 頼朝が差し向けた追っ手から逃れるため、義経は武蔵坊弁慶らわずかな家臣を引き連れ、決死の逃避行へと旅
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 歴史好きの館長が、日本全国の名所旧跡をめぐる歴史散策ブログ。 今回は、いつものお城めぐりではなく、歴史ある古社を探訪する特別編、「寺社ぶら」です。 今日の夢中は、創建から2400年以上の歴史を持つ越後一宮、「弥彦神社」へ。 寺社ぶら「弥彦神社」!上杉謙信も勝利を祈った越後一宮。山頂の聖地・御神廟を巡る歴史旅…です。 ■弥彦神社 弥彦神社(彌彦神社)の歴史は非常に古く、万葉集にも詠まれるほどです。武将たちとの関わりを中心に、時系列でその歩みをひも解いてみましょう。 御祭神は、天照大御神のひ孫にあたる「天香山命」(あめのかごやまのみこと)です。 神話の時代、この越後の地に降臨し、地元の民に野を耕し、網を編んで魚を獲り、塩を焼くといった「生きる術」を教えたと言われています。 いわば、越後の「国造りの神様」として崇拝され、当地はもちろん、中央
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、秀吉が選んだ信長の廟所!京都・船岡山の「建勲神社」で天下布武の跡を辿る…です。 ■歴史と沿革 京都の街を一望できる船岡山(ふなおかやま)に鎮座する「建勲神社」(たけいさおじんじゃ)。 ここに祀られているのは、あの天下人・織田信長です。戦国乱世を駆け抜けた不世出の英雄を祀るこの場所には、様々な歴史の記憶が刻まれています。 船岡山は、今から1200年前、平安京の北の起点(真北)とされた、標高112mの霊山です。 平安時代には、清少納言が枕草子で「丘は船岡…」と讃えるなど、多くの和歌でもうたわれる美しい山でもありました。 戦国時代に入ると、その美しい山も戦いに巻き込まれます。応仁の乱では西軍の陣地(「西陣」の由来)と
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、「本能寺」のその先へ。三日天下の終着点、京都東山「明智光秀の塚」に眠る無念と祈り…です。 ■歴史と沿革 本能寺で織田信長を討ち果たし、一躍歴史の表舞台の頂点に立った明智光秀。しかし、その栄華は長くは続きませんでした。 本能寺の変を知った羽柴秀吉は、備中高松城での毛利方との和睦を急ぎまとめ、すぐさま京都へと軍を返します。 これが世に言う「中国大返し」。この時の秀吉の行軍スピードは、人間の常識を遥かに超えた「神速」そのものでした。 この電光石火の進軍が、光秀の運命の歯車を完全に狂わせました。本能寺の変からわずか11日後、光秀は山崎で秀吉の軍勢と激突します。 態勢を十分に整えられないまま決戦に臨んだ明智軍は、勢いづく
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、「是非に及ばず」の舞台へ!織田信長最期の地・京都「本能寺」歴史遺構巡礼です。 ■本能寺の歴史と沿革 本能寺のルーツは、室町時代の応永22年(1415年)、日隆聖人によって開かれた「本応寺」にさかのぼります。 永享5年(1433年)に場所を移した際に「本能寺」と改称されました。その後、洛中法華21ヶ寺の一つに数えられるほど栄え、足利将軍家の保護を受けました。 やがて戦国時代になり、天下統一へ突き進む織田信長が京都での常宿として選んだのが、この本能寺でした。 当時の本能寺は周囲に深い堀や石垣を巡らせており、お寺でありながら城郭のような堅牢な構えだったと言われています。 そして運命の日がやって来ます。天正10年(15
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 歴史好きの館長が、日本全国の名所旧跡をめぐる歴史散策ブログ。 今回は、いつものお城めぐりではなく、歴史ある古社を探訪する特別編、「寺社ぶら」です。 今日の夢中は、皇室の菩提寺として「御寺」とも呼ばれる、京都の「泉涌寺」へ。 寺社ぶら「泉涌寺」!山内に広がる聖地「御寺」へ。荘厳な伽藍と御陵を巡る京都歴史旅…です。 ■歴史と沿革 泉涌寺(せんにゅうじ)の草創については、詳しく知られていません。 伝承によれば、斉衡2年(855年)に左大臣・藤原緒嗣が僧・神修のために山荘を与えて寺となし、「仙遊寺」と称したことが前身とされます。 鎌倉時代に入った建保6年(1218年)、宋で仏教を学んで帰国した名僧・俊芿(しゅんじょう)がこの地を譲り受け、壮大な伽藍の建立を計画します。 その際、境内の一角から清らかな泉がこんこんと湧き出たことから、寺号を「泉涌
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 歴史好きの館長が、日本全国の名所旧跡をめぐる歴史散策ブログ。 今回は、いつものお城めぐりではなく、歴史ある古社を探訪する特別編、「寺社ぶら」です。 今日の夢中は、大分県宇佐市にある歴史好きなら誰もが一度は憧れる聖地、「宇佐神宮」へ。 寺社ぶら「宇佐神宮」!武将たちも崇めた八幡宮の総本社。圧倒的スケールと建築美に迫る…です。 ■宇佐神宮 大分県宇佐市にある「宇佐神宮」は、全国に4万社以上ある八幡宮の総本社です。 宇佐神宮の歴史は、日本の国家の成り立ちや神仏信仰の広まりと深く結びついています。 始まりは571年。欽明天皇の時代に、この地に初めて八幡大神(応神天皇のご神霊)が現れたと伝えられています。 その後、神亀2年(725年)に小椋山に社殿(一之御殿)が造営されました。これが宇佐神宮の公式な創建となります。 平安時代には、九州最大の荘園
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、城ぶら「知立古城」!神主にして城主・永見氏の興亡と、家康の側室「於万の方」ゆかりの地です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 知立古城(ちりゅうこじょう)は、知立神社の神主を務めていた永見氏の居館が、その始まりとされます。 永見氏は、平安時代末に後白河院の北面の武士として保元・平治の乱に従軍した名門で、古くから当地を治めてきました。 戦国時代には、刈谷城の水野氏との関係を深め、さらには松平清康、次いで今川義元に従いました。 そんな名門永見氏に驚天動地の事態が訪れます。永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで、尾張の織田信長が今川義元を討ち取ったのです。 今川方に与していた永見氏は、敗走した
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、城ぶら「沓掛城」!桶狭間へのカウントダウン…今川義元、運命の前夜です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 沓掛城(くつかけじょう)の歴史は古く、室町時代初めには城が築かれたといわれます。 ただ、歴史ファンにとって最も熱いのは、やはり戦国時代のエピソードです。 当地は、尾張と三河の国境に近い交通の要衝にあるため、城主の近藤氏はそのときどきで、松平氏あるいは織田氏と、仕える先を転々としました。 そして天文20年(1551年)には、織田領への侵攻を狙う駿河の今川義元のもとに降りました。 永禄3年(1560年)、今川義元は大軍を率いて西進を開始。5月18日、ここ沓掛城に入ります。当時の城主は近藤
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、城ぶら「善照寺砦」!信長、桶狭間へ繋げる包囲戦。今川の城を圧する三砦です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 善照寺砦(ぜんしょうじとりで)は、織田信長が鳴海城を囲むために築いた「三砦」の一つです。 他の二砦(丹下砦・中島砦)とともに、今川方の鳴海城を圧迫する役割を担いました。 鳴海城は、織田方の城であったものが今川方に寝返った因縁の城。当時、今川方の武将・岡部元信が入って守りを固めていました。 信長は正面攻撃ではなく、周囲に砦を築くことで補給路を断ち、心理的にも追い込もうとしたのです。この包囲戦の構図が、のちの桶狭間の戦いへとつながっていきます。 永禄3年(1560年)、今川義元は大軍
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、城ぶら「鳴海城」!織田信長も攻城に苦しんだ…桶狭間ゆかりの城跡です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 鳴海城(なるみじょう)は、室町時代の応永年間(1394年〜1428年)に足利義満配下の安原宗範によって築かれたと伝えられています。 この城が歴史の表舞台に現れるのは、天文21年(1552年)のこと。もともと織田信秀に仕えていた守将・山口教継が、信秀の死に乗じて今川義元へと寝返ったのです。 これに怒った若き日の信長は、鳴海城を奪還しようと軍を動かしますが、教継の巧妙な策により苦戦を強いられます。 信長は、鳴海城を封じ込めるために、周囲に「丹下砦」「善照寺砦」「中嶋砦」という3つの砦を築き
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、城ぶら「末森城」!織田信長に抗った弟・信行の居城。今も残る巨大空堀跡です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 末森城(すえもりじょう)は、天文17年(1548年)、織田信長の父である織田信秀によって築かれました。 三河の松平氏や駿河の今川氏の侵攻に備えてのもので、信秀は古渡城からこの末森城へ本拠を移しました。 しかし、そのわずか数年後、信秀はこの城で没します。末森城を継いだのは、信長の弟である織田信行(信勝)でした。 信行は、素行の悪かった兄・信長に代わって織田家の正当な後継者になろうと画策します。 弘治2年(1556年)、ついに兄弟の対立が爆発。信行は、兄信長に叛旗を翻しますが、稲生の
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、城ぶら「御器所西城」!織田家を支えた佐久間氏ゆかりの城跡。今は徳川ゆかりの神社に…です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 御器所西城(ごきそにしじょう)は、15世紀の中ごろ、佐久間家勝によって築かれたと伝えられています。 当時この辺りは、熱田神宮へ供える土器(御器)を作る職人が住んでいたことから「御器所」(ごきそ)と呼ばれていました。 佐久間氏は、相模三浦氏の流れをくむ名門で、鎌倉時代の承久の乱における功績から、当地を恩賞として賜りました。 戦国時代に入り、佐久間氏は尾張の守護代・織田氏に仕え、その有力な家臣として当地を固めます。 なかでも、家臣団の筆頭家老として織田信長に仕えた佐久間
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、城ぶら「古渡城」!信長元服の地。父・信秀から繋ぐ、戦国「織田家」の原点。です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 古渡城(ふるわたりじょう)は天文3年(1534年)、「尾張の虎」と呼ばれた猛将・織田信秀が築きました。 尾張統一を狙う信秀は、今川氏豊から奪った那古野城から、ここ古渡城に居城を移して、熱田方面に支配を拡大しました。 この城の歴史で最も有名なエピソードが、信秀の嫡男・織田信長の元服です。 幼少期から奇矯な行動が多く「大うつけ」と呼ばれた信長(幼名:吉法師)ですが、天文15年(1546年)、古渡城で元服して「三郎信長」と称しました。 天文17年(1548年)、美濃に侵攻した信秀の
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、城ぶら「屋嶋城」!1300年の眠りから覚めた、古代山城の歴史ロマンを歩く…です。 ■城語り 「屋嶋城」(やしまじょう)の始まりは、日本が国の存亡をかけて震えていた古代に遡ります。 663年、白村江の戦いで、大和朝廷(倭国)は百済を助けるために朝鮮半島へ出兵しましたが、唐・新羅の連合軍に大敗を喫します。 そのため国内は、「次は日本が攻め込まれるかもしれない」という未曾有の危機感に包まれました。 667年、天智天皇は、国防の最前線として九州から畿内にかけて、防衛線となる古代山城を築かせました。 「日本書紀」にも記述のある3つの城。対馬の「金田城」、大和の「高安城」、そしてもう一つが「屋嶋城」です。 渡来人の技術を駆
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、城ぶら「芝山城」!海を守る鉄壁の砦。香西氏の重臣・渡辺兄弟が守り抜いた水城です。 ■城語り 芝山城は、香川県を代表する山城「勝賀城」の麓、北側の海沿いに位置する香西氏の有力な支城(出城)です。 讃岐の有力国人・香西氏は、勝賀城を本拠地としつつ、周辺に複数の支城を配置して防御網を敷いていました。 芝山城はその中でも、海からの攻撃を警戒し、物資の運搬を管理する非常に重要な役割を担っていました。 この城を守っていたのが、香西氏の家臣である渡辺市之亟(いちのじょう)と三之亟(さんのじょう)の兄弟です。 彼らは弓の名手、あるいは武芸に秀でた勇将として知られ、主家への忠義に厚い人物たちでした。 天正10年(1582年)、土
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、城ぶら「勝賀城」!讃岐の覇者・香西氏の巨大要塞へ。標高364mから望む絶景と歴史の跡です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 勝賀城(かつがじょう)の歴史は、鎌倉時代にまで遡ります。承久の乱(1221年)で功績を挙げた藤原資村が、恩賞として讃岐国香川郡・阿野郡を拝領しました。 資村は、地名にちなんで「香西氏」(こうざいし)を名乗り、標高364mの険峻な勝賀山に城を築きます。これが勝賀城の始まりです。 室町時代、香西氏は幕府管領・細川氏の有力な家臣として勢力を拡大します。応仁の乱(1467年)では細川勝元の内衆として活躍し、香川氏らとともに「細川四天王」と呼ばれました。 戦国時代に入り、三
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、城ぶら「丸亀城」!日本一の高さに圧倒…美しき扇の勾配に守られた石垣の要塞です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 丸亀城の歴史は、慶長2年(1597年)豊臣政権の時代に、生駒親正が高松城の支城として亀山(丸亀)に支城を築いたことに始まります。 当時はまさに「石垣の城」が普及し始めた時期であり、丸亀城もその築城技術を注ぎ込んで設計されました。慶長7年(1602年)、6年の歳月を要して、ほぼ現在の城郭が完成しました。 しかし元和元年(1615年)、徳川幕府が発令した「一国一城令」によって、丸亀城は破却される瀬戸際をむかえます。 時の藩主・生駒正俊は、要所要所を樹木で覆い隠すなど、立ち入りを厳
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、城ぶら「本台山城」(多度津城)!讃岐の名門・香川氏の栄枯盛衰を辿る…です。 ■城語り 本台山城は、讃岐(現在の香川県)の西半分を支配していた有力武将、香川氏の本拠地として知られています。 築城は南北朝時代の1364年。讃岐守護・細川氏の重臣として当地に入った香川景則が築城しました(異説あり)。 当初は険峻な天霧城を拠点としていましたが、後により政務や生活の拠点に適したこの本台山に城を構えたといわれています。 香川氏は代々讃岐国守護代をつとめ、応仁の乱で活躍し、細川四天王の一人に数えられるほど権勢を振るいました。 細川氏から三好氏に実権が移っても、香川氏は安芸毛利氏の支援を受けて、独立した権力を維持します。 戦国
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、城ぶら「川之江城」!復元天守から臨む瀬戸内海の絶景と四国激戦の歴史です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 川之江城の歴史は、まさに「四国の覇権争いの縮図」です。 始まりは南北朝時代の1337年。土肥義昌が、瀬戸内海を一望する鷲尾山に城を築いたのが幕開けでした。 その後、軍事的にも商業的にも重要な拠点となる当地をめぐって、激しい争奪戦が繰り広げられます。 戦国時代には、河野氏、細川氏、三好氏といった名だたる勢力が、この城をめぐって火花を散らしました。 最大の転機は1582年、土佐から四国統一を狙う「土佐の出来人」こと長宗我部元親の侵攻でした。 当時の城主・河上安勝は、押し寄せる長宗我部軍
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、城ぶら「兵庫城」!荒木村重を破った池田恒興、花隈城を飲み込んで兵庫城をつくる…です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 天正8年(1580年)花隈城の戦いで荒木村重を打ち破った池田恒興は、その功により織田信長から兵庫の地を与えられました。 摂津国の太守となった恒興は、花隈城を廃城し、そこからわずか数km離れた兵庫津に新たな拠点「兵庫城」を築きました。 恒興は、兵庫城の築城にあたって、花隈城の石垣を解体し、それを運んで新城の資材に再利用しました。 このように、あえて手間のかかる工事をした背景には、単なる資材節約ではなく、村重の影を完全に消し去り、自らの支配を知らしめる意図があったと考えられ
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、城ぶら「花隈城」!神戸の街に眠る戦国の記憶…荒木村重の叛乱、終結の地です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 有岡城の戦いで有岡城を失い、さらに尼崎城も追われ、いよいよ追い詰められた荒木村重。 彼が最後に選んだ抵抗の地が「花隈城」です。背後に海を控え、毛利水軍からの補給や援軍を期待できる、村重にとって最後の希望の地でした。 天正8年(1580年)、村重ら荒木勢が花隈城に立てこもると、これを追撃して織田方の猛将・池田恒興の軍勢が押し寄せます。 恒興は正面から攻めるのが困難と見るや、城の周囲に複数の付城(出城)を築き、じわじわと包囲網を狭めていきました。 取り囲まれるなかでも果敢に出撃して池
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、城ぶら「尼崎城」!下克上の雄から逃亡者へ…荒木村重再起の地に待っていた悲劇とは…です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 天正7年(1579年)夏、有岡城の包囲は10ヶ月を超えていました。 頼みにしていた毛利軍の援軍は来ず、石山本願寺からの兵糧補給路も信長軍によって完全に遮断…。 信頼していた高山右近や中川清秀の離反に加え、城内でも兵士の逃亡が相次ぎ、村重は窮地に追い込まれました。 同年9月2日深夜、事態を打開するために、村重はわずか5、6名の側近を連れ、密かに有岡城を脱出します。 向かったのは、嫡男・村次がいる尼崎城でした。敵前逃亡のそしりもある村重の行動ですが、村重自ら安芸に出向き毛
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、城ぶら「茨木城」!村重驚愕…"下克上"を共に歩んだ右腕・中川清秀の離反です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 荒木村重の「右腕」ともいえる存在…。それが、村重の従兄弟とも言われる中川清秀です。 はじめは共に摂津池田氏に仕えていましたが、村重が主君を追放して池田城を掌握すると、清秀はその最大の協力者として動きました。 元亀2年(1571年)村重と清秀は、幕府の後ろ盾を得ていた摂津守護の和田惟政と戦い、これを打ち破ります(白井河原の戦い)。 この戦いで清秀は、敵将の和田惟政を自ら討ち取るという殊勲を挙げました。その恩賞として、清秀は茨木城の城主となりました。 天正6年(1578年)、村重が
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、城ぶら「高槻城」!忠義か信仰か…キリシタン大名・高山右近が下した苦渋の決断です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 摂津国高山庄を拠点とする土豪・高山氏。戦国期にその当主となった高山右近は、父・飛騨守とともに荒木村重の配下となり高槻城に入りました。 彼らは熱心なキリシタンで、城下には教会が建ち、領民の多くがキリスト教徒だったと伝えられています。 天正6年(1578年)、荒木村重が織田信長に反旗を翻します。右近は、これを翻意させようと妹や息子を人質に差し出し説得するも失敗…。 激怒した信長は高槻城を包囲すると、「降伏しなければ摂津中のキリスト教徒を皆殺しにする」と脅しをかけます。 悩み抜い
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、城ぶら「岸の砦跡」猪名野神社!荒木村重が築いた鉄壁の防衛ライン"有岡城総構え"です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 天正6年(1578年)、織田信長は約5万の大軍で有岡城を包囲しますが、攻略には1年もの歳月を要しました。 その理由は、荒木村重が作り上げた「総構え」にありました。それは、城だけでなく、城下町全体を巨大な堀と土塁で囲む「町ごと要塞化」の仕組みです。 その象徴とも呼べるのが、城下町内に配備された三つの砦(岸の砦・鵯塚砦・上臈塚砦)です。 村重は、防衛の要となる場所に強力な出城を築き、信長軍の接近を阻みました。 特に、有岡城の北端を固める「岸の砦」は、西国街道などの主要道路を
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、城ぶら「有岡城」!荒木村重、信長に反旗を翻す!織田軍を迎え撃った堅城跡へ…です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 天正6年(1578年)、摂津を任されていた荒木村重は、突如として織田信長に反旗を翻しました。 猜疑心、信長の能力主義への恐怖、本願寺や毛利氏ら援軍への期待…。その理由は諸説ありますが、定かなことは分かっていません。 信長は約5万の大軍で有岡城を包囲しますが、城下町全体を要塞化した総構えの城に、攻略は容易に進みませんでした。 膠着状態が続く中、信長は力攻めを諦め、調略に転じます。そして天才軍師・黒田官兵衛を説得に向かわせますが、村重は彼を監禁してしまいます。 一方で信長は、村
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、城ぶら「池田城」!摂津国をめぐる下克上の舞台…荒木村重の野望が刻まれた城です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 池田城は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、池田教依によって築かれたと伝えられています。 そこから池田氏は、五月山から伸びる尾根を利用した堅牢な池田城を拠点に、摂津でも指折りの実力者として君臨しました。 戦国時代中期、池田家の中に一人のキレ者が現れます。それが、家臣であった荒木村重です。 はじめ当主の池田勝正に仕えていましたが、家中の混乱に乗じて主君の勝正を追放、実権を掌握します。 池田氏を乗っ取った村重は、さらに近接する茨木城と高槻城に攻め入り、瞬く間にこれを手中に収めま
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、城ぶら「謙信一夜城」!上杉謙信がたった一晩で築いた関東の覇権をかけた激戦のあと…です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 ときは戦国時代、 関東管領となった上杉謙信は、本領の越後から関東へと幾度も攻め寄せました。 その最大の激戦地の一つとなったのが、北条方の原氏が治める「臼井城」。永禄9年(1566年)に勃発した臼井城の戦いです。 謙信は1万を超える大軍で臼井城を包囲。このとき、謙信軍の前線基地として築かれたのが、「謙信一夜城」です。 臼井城を攻め落とすための陣城。「謙信が一夜にして築き上げた」という伝承からこの名が付きました。 史料によると、臼井城の「実城堀一重」まで上杉軍が攻め寄せた
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