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学会員は ・神社の鳥居をくぐっちゃいけない ・お祭りに参加してはいけない ・お守りとかダルマとか、持っていてはいけない。 など、他宗の行事に関わったりすることに厳しい時代がありました。 妻は子供の時、修学旅行で行った京都の寺で強制的にお守りを配られ、費用の中にそのお守り代金が勝手に含まれていたと知り、罪悪感に苛まれたと言っていました。 また、私は20歳での入会だったので、それ以前は普通に初詣とかに行っておりました。 毎年、神社でダルマを買っていたんです。 年々、一回り大きいダルマを買って、部屋に飾っておりました。 しかし彼女に折伏されて入会後、ダルマは他宗の信仰の対象なので持っていてはいけないと言われ、イマイチ納得できないながらもしぶしぶ捨てたのです。 というのも、私はそのダルマを信仰の対象として持っていた訳では無かったからです。 今考えると、信仰の対象と思っていようがいまいが、持たなけれ
創価学会には、春とか夏とか年末年始とかに“友好期間”という、春休み夏休み冬休み、みたいなものがあります。 (その時の活動の状況によって、なかったりする事もありますが。) その間は会合を一切持たず、旅行いったり田舎に帰ったり、友達と飲んだり、友好活動をしてください、という期間です。 (まあ、男子部はなんだかんだで会合あったりするんですけどね。どういうこっちゃ!) 部長以上とかの幹部が大っぴらに遊びに行けるのはその友好期間くらいしかありません。 もちろん、友好期間以外でも会合が何も無い時ならどこ行ったっていいんでしょうが、週末なんかはほぼ確実に何かしらの会合があったりするので、必然的に平日しか時間なかったりします。 しかし友人だって普通に働いてりゃぁ都合がいいのは大抵週末ですよね。 となると、なかなか普段から友人と飲みに行ったりみたいな事が難しいのです。 責任ある立場になってくると、 「友人と
なぜ創価学会員は折伏をするのでしょうか。 折伏(しゃくぶく)とは… 詳しくはWikipediaでもご覧ください! 分かりやすい言葉で言えば「勧誘」となっちゃうのでしょうか? (正直、折伏を勧誘と言われるのは好きではありませんが。) 友人・知人に日蓮仏法を語り、理解してもらう事です。 相手が入信すれば「折伏ができた」といいますが、相手が信仰するしないに関わらず、人に仏法を語る事自体を折伏といいます。 「自分達が信じるのは勝手。それを人に押し付けるな。」 ってみなさん思いますよね。 宗教にも色々ありまして、 ・自分自身が悟りを開く事を目的とした宗教を小乗教。 ・自分も、自分の周りの人も共に幸せになろう、というのが大乗教。 宗教を乗り物に例えて、多くの人が乗れるか乗れないか、という事です。 当然、大乗教の方が優れていると言えます。 宗教の高低浅深(こうていせんじん・簡単に言えば優劣)を決める基準
ありがたくもはてなブックマークで多くの方に取り上げていただきました。 ブックマークでコメントしようとしたら文字数オーバーだったので、気になったコメントにこちらで返信させていただきます。 『 でも、創価学会の事は嫌いでも、私の事は嫌いにならないで下さい!』逆じゃないのかよww 逆じゃないんです。 断じて逆では困るんです。 「創価学会は好きだがお前は嫌い」 と人から言われる学会員が日本中に多くいたら、最終的には創価学会が嫌われる事になります。 しかし、 「創価学会は嫌いだがお前は好きだ」 という人は、いずれ 「お前がやってるんだから、創価学会って思ってるほど悪いトコじゃないのかもな」 となってくれる可能性があります。 だから、学会がいくら嫌われようが、私の事さえ好きになってもらえたら勝ちだと思っております。 なぜか石川という苗字が頭に浮かんだ 意味がわからず、妻に言ったら 「石川五右衛門じゃな
「創価」とは、読んで字のごとく 「価値を創る」 という意味です。 日蓮仏法の教えに“因果”という考えがあります。 “原因”と“結果”の事です。 物事には例外なく、原因と結果がある、偶然なんてありえない。 何かが起こった裏には必ず原因がある。 故に、無駄な事など一切無い、全てに意味があるのだ、と考えます。 例えば、 「子供が病気になった」 とか 「会社をリストラされた」 という事があったとします。 普通なら 「どうしてうちの子が病気に」 「なんで俺がクビになるんだ」 と理不尽に思いますよね。 しかし、理不尽だと怒ったり、不満を爆発させてもなんの解決にもなりません。 そういう事が起こった時に仏法では 「必ず意味がある」 と捉えます。 そして、問題解決のためにどうすればいいか考え、祈って、行動していく事が、自身の成長に繋がります。 そう前向きに捉えて努力した結果、 「ああいう事が起こったのは、こ
約3年ぶりの更新です。 その間に、男子部を卒業し壮年部となりました。 生涯青年の気概で、という事で、タイトルは「創価学会男子部」のままですが。(笑) 現在も元気に頑張っております。 壮年に上がるタイミングで新聞配達もやらせていただくことになりました。 聖教新聞の配達員を「無冠の友」と学会では呼びます。 以前は先生のご指導などで「無冠の友」についての話が出ると、「自分は違うし」などと、どこか他人事のような思いで見聞きしていましたが、「配達をやってみないか」という話をいただいた時、「あ!自分にもできるのか!」と目が覚めた思いがしました。 現在では週2日、慣れない早起きをして眠い目をこすりながら、先生のお手紙をみなさんにお届けさせていただいております。 20代前半の頃、朝の出勤時に新聞が届いていないことがたまにあると、 「まだ来てないんかい!」 などと思ってしまっていました。 実際に自分がやるよ
はじめまして。 創価学会男子部のゴチえもんです。 この「ゴチえもん」という名前は、創価学会員が朝晩やってる勤行(ごんぎょう)の方便品(ほうべんぼん)というお経に出てくる単語・其智慧門(ごちえもん)から取りました。 「ドラえもん」みたいでカワいいじゃん、という頭悪そうな理由でつけました。 私は創価学会の男子部で本部長というのをやっておりまして、いわゆるガチソッカー(マジな創価学会員)です。 創価学会の事を嫌いな人もいると思います。 でも、創価学会の事は嫌いでも、私の事は嫌いにならないで下さい! 荒れるの覚悟でこんなブログ始めてみますが、まあ、創価学会はこんな事やってんだ、こんなふざけた学会員いるんだ、みたいに楽しんでいただければ幸いです。 今後とも、よろしくお願い致します。
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