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TGS2024
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石狩市八幡町五の沢から、五の沢林道を入って当別町との境界近くに、今回紹介する石狩油田「八の沢鉱業所」はあった。 2007年10月訪問 石狩油田の開発は、安政5年(1858年)に幕府箱館奉行所石狩詰役所の荒井金助が、厚田望来の海辺のあたりに石油が浸透しているの見て、調査したのが始まりである。 明治12年に島倉という人物が春別(当時は俊別)で試堀するも成果が無く、明治22年に北海道鉱山会社に鉱区を譲り、さらに明治36年には、インターナショナルオイルコンパニーが大規模に開発し、春別や五の沢で鉱脈を発見、本格的に掘削するために機械井を設けた。 五の沢では、900キロリットルの貯蔵タンク2基、360キロリットルの貯蔵タンク3基を設置、来札にある貯蔵油槽まで鉄管で送油した。 明治44年(1911年)、インターナショナルオイルコンパニーは日本石油に資産を譲渡、日本石油は、石狩に鉱場を設けて事業を引き継い
「羽幌町人口水増し事件」という前代未聞の大事件 タイトルの件をネットで検索したが… そういう事件があったということだけが触れられ、特にそれがどのような過程で起きたかは書かれていないので、参考資料を入手したのでまとめてみました。 ウェブ上でこのページを参照する場合は、参照先としてここを紹介してもらえるとうれしいです。 参考図書:戦後の北海道 道政編/北海タイムス社編 概要 羽幌町では昭和45年の国勢調査で実人口を出すと、それぞれの数字操作がばれ、羽幌港の整備事業の遅れや、地方交付税の減額などの影響が心配されると考え、公表人口に近づけるため人口の水増しを相談、A室長らが調査用紙に架空の居住者や転出者を現住所のように下書き、これを調査委員に書き直させるなど、1202世帯、5951人を水増しした。 羽幌町の国勢調査の結果に疑問があるので、調査してほしいという住民からの申し立てが、昭和46年7月下旬
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