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かっぺー! お久しぶりです。 かっぺの逆襲も賛同しました。 「江東区による竪川河川敷公園での野宿者強制排除に反対する抗議声明」 以下、 「江東区による竪川河川敷公園での野宿者強制排除に反対する抗議声明」に賛同をお願いします!【拡散歓迎】 山谷ブログ-野宿者・失業者運動報告-/ウェブリブログ より 江東区による竪川河川敷公園での野宿者強制排除に反対する抗議声明 江東区の竪川河川敷公園で、暴力により野宿者を追い出そうとする動きが進行しています。昨年末から江東区は公園内の15軒の小屋に対し行政代執行の手続きをはじめ、現在(2月6日)、対象地に一軒だけ残った高齢の仲間の小屋に対し、代執行の令書を出しています。行政代執行に強いられる形で公園の他の地域に移動した仲間の小屋、約15軒、に対し、区は100人のガードマン、作業員を動員し、周囲を取り囲むフェンス設置を暴力をもって強行しました。これにともない、
8月24日、ぶっ通しデモの枠にて、かっぺの逆襲@原宿デモが開催されました。 http://d.hatena.ne.jp/Kappe/20110823/1314075863 遅ればせながら、その報告をします。 当日は雨が降ったり止んだりといった不安定な天気でしたが、 約20名のかっぺたちとともに、原宿-渋谷間を練り歩きました。 スタッフの段取りが悪く、若干グダグダしたところもありましたが、 そこはかっぺならではの助け合いの精神で、参加者の皆様に補っていただきました。 たとえばコールは、スタッフ含め参加者間でマイクをまわしたのですが、 北海道、青森、秋田、宮城、福島、茨城、関西某県、福岡、鹿児島… それぞれの方言でのアレンジやアドリブがどんどん飛び出てきて、 こちらの期待を上回るようなよい流れになりました。 なんとかなった・・・けど、次はもっとしっかり打ち合わせしておくぞ! 街頭の反応をいえば
わたしたちは、自らを「かっぺ」と定義する集団です。え?かっぺ?何それ?と戸惑う人も多いでしょう。「かっぺ」ということばは、今ではもうほとんど聞かれることがなくなりました。もともとは「いなかっぺ」を短縮したことばです。就職や進学などで大都市、特に東京に出てきたものの、田舎じみた振る舞いが抜けきれない地方出身者を揶揄する意味で使われてきました。一般的に「かっぺ」とは他人を侮辱することばであり、たとえ地方出身者だとしても「かっぺ」のレッテルを不快に感じ、拒否するのが普通でしょう。 一方で、東京に出てきた地方出身者は、それまでのことばや習慣を忘れ、東京のことば(標準語)や都市の価値観に順応することを強いられてきました。積極的に同化しようとした者、やむをえずそうした者、あるいはそれに抵抗した者、さまざまいるでしょうが、構造としては、訛や田舎しい態度を取らず、いかにも都会的なことばを話し、都会的な振る
(ひらがな) かっぺの逆襲(ぎゃくしゅう) デモおしらせ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ひにち:8がつ24にち(すいようび) しゅうごうじかん:19じ00ふん デモしゅっぱつじかん:19じ30分 ばしょ:JRはらじゅくえき おもてさんどうくち、 かいさつをでて、みぎがわ(よよぎこうえんのほうこう)・ほどうきょうのした きょうさい:かっぺのぎゃくしゅう、ぶっとおしデモじっこういいんかい ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ガンバレとうほく、ガンバレにほん。そんな ことばが まちを とびかっています。 しかし、ちゅうおうから ちほうへの おしつけ という こうぞう があるかぎり、 そのことばを げんじつが うらぎり つづけることでしょう。 げんぱつを とめることが
お待たせしました!かっぺの逆襲デモの詳細です。 50日間毎日ぶっ通しでデモをしている、ぶっ通しデモとの共催デモとなりました! 東京に住んでいる住みかっぺも、夏休みで来ている観光かっぺも、 都会人も、外国籍の人も、みんな、集まってけさい〜。 (転載・転送 大歓迎) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日にち:8月24日(水) 集合:19時00分 デモ出発:19時30分 JR原宿駅表参道口、改札出て右側(代々木公園方面)・歩道橋の下 共催:かっぺの逆襲、ぶっ通しデモ実行委員会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ガンバレ東北、ガンバレ日本。そんな言葉が街を飛び交っています。 しかし、中央から地方への押しつけという構造がある限り、 その言葉を現実が裏切り続けることでしょう。 原発を止めることができても、問題はそれ
福島原発事故のニュースを聞いた時、思った。 地方は差別されていないか。地方は搾取されていないか、と。 東北の農村は貧しかった。農業で食べていけない村から、女が、子どもが売りに出された。 高度経済成長の陰で、多くの東北出身者が上京し、労働力を提供した。 人だけでなく、豊かな自然の恵みによる食材を、一次産品を提供してきた。 減反政策、輸入化で、一次産業は翻弄されながらも、ようやく兼業が出稼ぎではなく、 地元での工場労働に置き換えられたと思ったら、地震津波、放射能の被害から、 企業は海外を睨み、移っていく。 地産地消、その地域の自然、そこにある特色を売る、そうして地域から産業を 起こそうとしてきた積み重ねも、 放射能によって一瞬で崩れ去る。 その土地と、自然とともに生きる人々が、生き方そのものを奪われる。 やるせなかった。悲しかった。 わたしは、出身地の東北を出て、いま首都圏で暮らしている。 決
3月11日以来つづいている福島第一原発の事故は、私たち首都圏の住人にじゅうぶんに見えていなかった問題をつきつけているようにみえる。いや、「じゅうぶんに見えていなかった」というのは、少しちがう。私たちが「見てみぬふりをしてきた問題」をつきつけられているのだとおもう。 私たちの多くは――科学的に正確な知識まではなかったにせよ――「原発はどうも危険らしい」という認識ぐらいはもっていたはずだ。だからこそ、そのほとんどが首都圏で消費される電力のために、原発が福島や宮城や新潟におしつけられてきたのではないか? それをおしつけてきたのは、東京電力と政府だけではない。原発や核燃料サイクル施設が設置されたのが東京ではなく、福島・宮城・新潟・青森だったからこそ、私たち首都圏住人の大多数は安心してそれを容認してきたのではなかったか? すくなくとも私は、3月11日になってはじめて原発の危険性に気づいたわけではない
福島の原発事故の発生から、まもなく5ヶ月が経ちます。原発廃止を求めるアクションは各地で活性化し、万を超える人がデモに参加しており、世論は原発廃止の方向へ変化しています。しかし、これまでにも何度か原発反対のうねりが広がった時期があったのに、なぜその勢いが今回の事故が起きるまで継続しなかったのでしょうか。原発反対の思潮が広まりつつある今だからこそ、一度立ち止まって考える必要があるように思います。 いま、多くの人々が放射性物質の脅威に曝されています。その恐怖や未来への懸念から行動を起こすことは間違っていません。ですが、それだけでは事故の収束が見えてきて放射線量が減少したら、多くのことが忘れられてしまうのではないでしょうか。原発がこれほど多く建つことを可能にした構造を見据え、言葉にする必要があるとわたしは思います。 今回の事故は、中央と地方の間の歪な関係を可視化しました。これは決して忘れられてよい
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