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VTuber
kawango.hatenablog.com
本日、東京地裁において山本一郎氏から訴えられていた裁判の判決があり、無事、私が全面的に勝訴しました。 山本一郎氏との裁判は、そもそも私が情報法制研究所に対して、山本一郎氏のような他人に誹謗中傷をし、常習的に嘘をつく人間を、ネットの世論誘導のために上席研究員にしていることについて抗議をおこなったことがきっかけです。 この抗議に回答をしたくないために山本一郎氏が起こしたのが、本日、判決が下りた裁判であり、山本一郎氏との一連の訴訟はすべてここから始まりました。 情報法制研究所は山本一郎氏の言動は個人的なことであるとして関わりを否定している一方、今回の裁判においても補助参加という形で山本一郎氏側に加わっています。 私は山本一郎氏のような人物は好ましいとは思っていませんが、彼のような人間にも言論の自由はあり、存在を否定してはいけないとも思っています。 しかしながら、情報法制研究所のような政府の政策に
トランプ大統領のツイッターアカウントが永久BANされたというニュースが飛び込んでいた。ざっとみたところ、ネット世論ではわりと肯定的な意見も多いようだ。予想通りではあるが、残念ながら、世の中は言論のブロッキングは許容する方向に進んでいる。 漫画村の急激な拡大にはじまる海賊版サイトのブロッキングの大騒動から、もう、3年ほどたった。 多少はネットのみなさんも冷静な議論はできる・・・とはまったく思えないが、あらためてアリバイ活動の一環として、ぼくの主張をぼく自身の手によって書き留めておこうと思う。 3年前も最初に書いた、そしてみんなにはあまり注目してもらえなかった点だが、今後、ネットでの言論の自由を守るために重要なのは日本における「通信の秘密」を守ることではなく、ネット上の巨大プラットフォームをどうやって規制するか、ということだ。そっちが社会問題としては、はるかに大きなテーマだ。 「通信の秘密」と
最初にことわっておきますが、この記事はタイトルに「業界人のための」と書いてありますが、専門的で高度な内容はまったく含んでいません。業界向けの記事ではなく、業界人向けの記事です。 ゲーム業界じゃなくても、PS5のような時代の節目となるような新製品については、とりあえずちゃんと情報押さえてますよ、というスタンスで振る舞いたいという”業界”はたくさんあると思います。 この厳しいデジタル社会をサバイブするためには、PS5を買わなくても、もしくは買ってるけどやる時間なんかなくても、なにかもっともらしいことを語れることが必要とされます。そして、もっともらしいことを、まわりのだれよりも、いちはやく語ることが大切です。 私は、幸いなことにamazonとかオンラインショップの予約はすべて乗り遅れましたが、公式ページでの予約抽選には当選しましたので、昨日届きました。ざっと触ってみた結果、業界人としては、だいた
「セカイ系」とよばれる物語の分類がある。おおまかにいうと主人公とヒロインの恋愛っぽいエピソードを中心にしながら、彼ら2人の行動が、なぜか世界の存亡にかかわる問題に直結するというようなッタイプの物語のことだ。まあ、わりと有名な言葉だ。 セカイ系に対して、「新世界系」なる物語が近年誕生し、影響力を増してきたと主張する集団が、ネット上に存在する。 集団といっても、新世界系でググってもらえば分かるが、でてくるのは、ペトロニウス、LD、海燕という3人ぐらいだ。彼らはAzukiaraiAkademiaというサークルを3人でつくっていて、ようするに彼らだけが、「新世界系」なるジャンルの存在を主張しているといっていい。 ぼくは彼らの中のひとりである海燕さんのブログをずっとウォッチしているのだが、結論をいうと彼らの主張はめちゃくちゃ正しくて、ここ10年ぐらいの日本の世の中で支持されるアニメの類型とその移り変
ずっと考えているテーマがある。 ぼくは結論として人間の時代は終わり、AIが世の中を支配する時代が来ると信じているのだが、問題は、それがいつごろに起こるか、どのような過程を経て、そうなるのか、AIの時代が来るとして、そこで人間の影響はどこまで残せるか、といったところである。 人間がAIにのっとられる前段階として、決定的に重要なイベントはなにかというと、それはわりとはっきりしている。人間同士のコミュニケーションがデジタル化されることだ。 人間同士がリアルに出会って対面するという行為がなくなった時代は、モニターに映っている本人の映像や、スピーカーから聞こえてくる音声が、本物である必要はなくなる。AIで合成できるからだ。まして、メールやチャットなどの文字によるコミュニケーションはなおさらだ。 したがって人間からAIへの歴史の主導権の移行は、 ① 人間同士のコミュニケーションがデジタル化 ② 人間の
AIとはなにかということを、真剣に考え始めたのは、6年前からだ。AIとはなにかというテーマを突き詰めていくと、そもそも人間の知性とはなにか、という疑問にぶちあたる。 人間の知性を将来はコンピュータに搭載された人工知能が超えてしまうという想像はコンピュータの登場とともに誕生していて、なにも新しいことではない。事実、コンピュータは発明された瞬間に、計算能力においては人間を軽く超えていた。 計算能力で劣っているにも関わらず知性において人間がコンピュータに負けてないと思うのは少し奇妙なことでもある。人間の脳の機能の進化において、数字を扱って、計算できるようになったのはかなり最近のことのようだ。人間の脳にとっては、足し算とかかけ算は、最新のバージョンアップで、やっと可能になった最先端の高度な情報処理能力であって、それでコンピュータに負けてしまったということだ。 人間がコンピュータには直感はないとか、
話題の映画を観てきた。平日の夜8時半からの回は満席だった。いろいろ思うところがあったが、ひとことでいうなら、いい映画だった。 映画業界のひとにも話を聞いてみた。現時点での興収予想は30億円。当然、業界でも予想外のヒットのようだが、みんな喜んでいるらしい。元気が出た。こういう映画がヒットするなら、まだ、世の中も捨てたもんじゃない。そういう風に受け止められているそうだ。 いい映画とはなにか。映画が世の中に果たす役割とは何か。 映画に限らず、あるアーティストが表現した作品が、観客にあたえる作用とはなんなのか。 あらためてそういったことを考えさせられた。 自分がなんで映画に感動しているのか、理由がよく分からないけど、でも、とにかく感動している。ぼくもそう感じたし、事前に観に行ったまわりの人たちも、似たようなことを言っていた。 「音楽が良すぎてずるい。ストーリーがいいとかじゃなくて、とにかく音楽で感
先週の週明けに会社の女の子からボヘミアンラプソディーという映画に行ってよかった、泣いた、本当に感動した、絶対に観るべきという情報を入手した。というか、一方的に押し付けられた。 「それって曲の名前じゃないの?」と尋ね返すと、そうだ、という。 あの有名なクイーンの伝記が映画になったようだ。 まあ、ミュージカル映画みたいなもので、曲聴いていれば感動していいのかも。と思った。昔、ロンドンでWe Wii Rock Youというミュージカルを観たことがあって、ストーリーはさっぱり分からなかったが、それなりに感動した記憶がある。 きっとボヘミアンラプソディーも良いのだろう。そのときはそれだけ思って、聞き流したのだが、ネットを見てて、ボヘミアンラプソディーが前週の興行収入で1位を取ったというニュースを発見し、俄然、興味が湧いた。2週間で興行収入の累計が13億で、予想外の大ヒットをしているらしい。 ミュージ
サイトブロッキングについては実名ブログで書くことにしているが、山本一郎氏の一連のブロッキングまわりのブログ記事についてのコメントは、実名ブログには書かないことにしたい。 理由は、氏の行っているブログの中身は、ブロッキングそのものの議論とは、もはや呼べない、ただの個人攻撃だからだ。これはむしろネット全体に関わるネットでの議論を装った中傷にどう対応すべきかという問題の典型例だろう。 まずは以下の記事のタイトルを見てみる。 憲法違反「ブロッキング議論」を誘発した、クールジャパン機構を巡る官民の癒着構造 いうまでもないことだが、クールジャパン機構とブロッキング議論は、なんの関係もない。 本文を読んで見ると、なにか、結びつける根拠があるかと思いきや、ただの人名とブロッキングとはまったく関係のない事柄をつぎつぎと書いてあるだけで、無理矢理にこじつけて連想させようとしているに過ぎない。 この記事は山本一
最近、起こったいくつかの事件について思うところを書く。ひとつはHagexさんが亡くなられた事件。もうひとつは、松本智津夫の死刑執行の件。そして結愛ちゃんが亡くなった事件だ。 最初のふたつの事件には共通項がある。それは加害者である、いわゆる「低脳先生」こと松本英光容疑者にしろ、麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚にしろ、彼らの行動に弁護の余地がほとんどないことだ。 そして、両事件とも被害者には、ほとんど落ち度がなく、理不尽な犠牲者でしかなかった。殺された被害者のまわりに残された人たちの悲しさ、悔しさは、どれほどなのかを考えると、胸が苦しくなる。 このふたつの出来事のあと、ネットでいろいろ議論が起こった。ぼくも若干巻き込まれた。 簡単にいうと、「松本英光」にしても「松本智津夫」にしても、彼らが凶行に及んだことには理由があるという指摘がいくつか現れたことと、それに対する大反発である。 「低脳先生」につ
3年前に高木浩光氏が携帯電話会社の「通信の最適化」が「通信の秘密」違反であるという問題提起をして、ネット上で大変な話題を集めた。その際に私も議論に参加をし、通信の最適化の批判に通信の秘密を持ち出すのはスジが悪いということで異論を唱えて、高木氏とやりあった。 その当時の私の主張はいまも変わってなく、当時も間違ったことは、言ってなかったつもりですが、残念ながら、ネットで論争をみていたネットユーザーの大半は高木氏の主張が圧倒的に正しいと判断したようだ。 今回、改めて高木氏が同様の問題提起をしたブログを書かれている。高木氏も3年前の議論の論争相手として、私の名前と、それと後から参戦してきて私の会社の元社員でもあるshi3z氏の名前を今回の記事で挙げていた。 高木浩光@自宅の日記 - 優良誤認表示の「通信の最適化」(間引きデータ通信)は著作権侵害&通信の秘密侵害、公正表示義務を 今回は高木氏もご自身
ここ数年、だれもネットには書き込まないが、ネット関係者が集まるとよく話題になるテーマがある。「山本一郎をどう思うか?」 ぼくは山本一郎(敬称略)こそ、ネット社会が抱える根本的な問題を象徴する存在だと思っていて、いろんなひとに、山本一郎という現象は重要だ。研究テーマにすべきだと主張しているのだが、同意するひとは多くても、だれも怖がって手を出したがらない。 でも、山本一郎について語らないで、現代のネットでなにを語るんだと、ぼくなんかは思うわけだ。 なぜ、山本一郎が重要なのか。それを議論するまえに、現在のネットの状況を整理しよう。 この10年間でネットが社会に与える影響はとても大きくなった。テレビの話題はネット発のものが多くなった。ネットで有名になった人がテレビにレギュラー出演するようになり、逆にテレビの有名人がネットメディアに登場するようになった。 にも関わらず、有名人や専門家や社会的な立場を
大変に不本意なことではあるが、先日、自分の名前と立場を明かしてネットで発言をするハメに陥った。 もちろん、これまでもメディアの取材として、自分の名前でネットに記事が掲載されることは何度もあったわけだが、メディアの取材で名前が出るのはもちろん公人として、また、仕事として出るわけだから、名前が出るのはむしろ当然だ。 しかしながら、ぼくがネットで自分の意見を発信する場合は、私人として個人の考えを自由に表明しているだけであって、会社の立場と紐付けられて解釈されるのは望まない。匿名というスタンスでの発言にこだわってきた理由のひとつでもある。 残念ながら、2018年のネットにおいて公的な立場と私的な立場を切り分けて発言するスタンスは、もはや維持することが難しい。ぼくの意見にケチをつけたいひとが、公的な立場と紐付けて解釈するということで攻撃するケースが増えてきたからだ。正直、ぼくにマイナスの印象操作を行
文系と理系というテーマも炎上しやすい。 文系と理系なんて違いがそもそもナンセンスだとかいう、そもそもそんな区別は存在しないという神学者たちが湧いてくる。 日本の大学教育においての文系、理系の区別が無意味で必要ないという主張はともかくとして、世の中の人間の類型を考える尺度のひとつとして「文系的なもの」「理系的なもの」は確かに存在しているように思える。いわゆる理系的人間と文系的人間は、本人が理系の学部出身か、文系の学部出身かに関わらずに(たぶん相関関係はわりとあるものの)存在するように見える。 家庭内の話で恐縮だが、よく夫婦間の議論で対立するのが、まさに文系的な考え方、理系的な考え方の違いによる点だ。 ぼくは妻に「やっぱり文系は論理的な議論ができない」とためいきをついてみせ、妻はぼくに「理系は理想論ばかりで、ほんと現実では役に立たない。文系に支配されて当然」と嘆く、なんていったことは家庭内での
東浩紀氏が次のようなツイートをした。おそらくは私のアカウントに対しての発言だろう。 @hazuma 今回のサイトブロッキング問題であらためて思ったけれど、川上量生さんはなんで、誰もが川上さんだと知っているのに、匿名のフリをしたアカウントで、しかも業界がらみの発言を続けているのだろう。発言力だけ持ちたいが、責任は取りたくないという、とても矛盾した態度に見えるのだが。 https://twitter.com/hazuma/status/982472259167141890 このブログの読者の多くはよく知っていると思うが、ぼくはこれまで匿名でネットでは活動しており、いくつかのやむをえない事情による例外をのぞいで自分から自分の名前を明かしたことはない。ただし、基本的にばれてもかまわないというスタンスをとっており、アカウント名は怪しいし、フォローしている人間とかもカモフラージュはとくにおこなっていな
あらためていうが情報公開に反対する意見を表明するのは非常に難しい。昨日の記事のコメント http://b.hatena.ne.jp/entry/kawango.hatenablog.com/entry/2018/04/04/143826 から引用してみる。 takuver4 気持ちは分かるが、それはオープンな場で言っちゃ駄目な内容な気がする。 こういう空気はまず実際にあるということを指摘したい。他のコメントをみても、脊髄反射的にとにかくありえないと否定するひとが非常に多い。 反論というよりは、罵詈雑言のたぐいがいちばん多いのはネットの常としても、それをのぞいて、一番多くみられたのは、情報公開のコストがかかるのは民主主義のコストで受け入れるべきだというものだ。 いくつか抜き出してみる。 cript これは民主主義国家の普通に必要経費。しかもケチっちゃいけないところ。 BigHopeClasi
検索用に残しておいたツイッターアカウントで、たまに呟くことがあるのだが、1ヶ月前のツイートをなにか別に気に入らないことがあったのか山本一郎氏に晒されて、プチ炎上した。ネットの炎上では、前後の文脈とかまったく読まず脊髄反射で書き込むひとが大半だ。それが拡散されて、誤解、曲解が事実としてまかりとおるという性質がある。 ぼくとしては自分が発言した内容を曲げるつもりはまったくないので、切りとられやすいツイッターではなく、ここであらためて考えをまとめて書こうと思う。 さて、情報公開というキーワードは基本ポジティブに受け取るひとが世の中の大半だろう。とくに権力をもっている組織に対して情報公開をしろという主張はまったくの正論に聞こえて、だれも表だって反対をできない。 ここが問題だ。実は日本の今の情報公開の制度には大きな問題があって、実際に関わっているひとは、これじゃだめだと思っていて文句をいっている。で
ふと、思い立って、先週からダイエットを始めた。ちょうど初めて1週間だが、あっという間に効果がでている。 鏡を見ると心なしか顔のラインがすっきりしてきたような気がするし、昼間の会議でも明らかに頭の回転が鈍っていて、確実に血液中の糖分濃度が下がっている証拠だろう。 夜の会食でも、最近は年のせいか、なかなかコースで出てくる料理の全てを平らげるのが苦痛になってきていたのだが、ダイエットを始めてからすっかり食欲も回復し、先週あった3回の会食でも、大変美味しくいただけて、ほぼ完食することに成功した。 ダイエットすると寝付きが悪くなるらしい。朝早く目覚めたついでにひさびさにブログを書いてみようと思う。 しかし1年ぐらいブログを書いてなかったような気がするが、ネットをやめると本当に仕事が捗って素晴らしい。 というか、ネットをやると仕事にならない。 ネットサーフィンなど、ただでさえ無駄な情報ばっかり気がつく
今回は珍しく書評を書く。それもよく僕本人と間違えられるという設定でお馴染みの人が筆者である新刊だ。 鈴木さんにも分かるネットの未来 この本はスタジオジブリの機関誌「熱風」という一般には販売されていない雑誌で1年以上にわたって連載されたものを単行本化したものである。 この連載がどういう風に世間に受け止められるかをぼくはわりと注目していた。なぜかというと、これはネットは門外漢であるスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーにネットの現在と未来を説明するという体でありながら、おそらくは当時はだれも指摘していなかったネットの実態と未来予想について筆者が本音を自分で執筆した本だからだ。 筆者のこれまでの本はすべてインタビューをまとめた本であり、喋っていることもわりと簡単なことばかりでそれほど難しい理屈も出てこない。 しかし、この本は聞き書きではなく、筆者がかなり時間をかけて自分で文章を書いた本であり、読
ドワンゴにはエンジニア手当というものがあって、プログラマーの給与水準が全体的に高くなっている。要するに優遇されている。 しかし、プログラミングの知識はエンジニアだけでなく企画者、あるいはデザイナーにとっても重要である。したがって、エンジニアから他の職種へのコンバートも積極的に進めるという方針がドワンゴにはあるのだが、このときにエンジニア手当というのが問題になる。要するにエンジニアをやめて他の職種にいくと給料が下がるのだ。 そのため元エンジニア手当みたいなものを作ろうとかいうような話もあったのだが、それはそれで不公平ではないかという議論もあり、結果として準エンジニア手当というものを創設し、一定の技術スキルがあることが試験で認められれば、元エンジニアだろうが、元からの企画者やデザイナーだろうが、給料が上がるという仕組みを導入することにしたのだ。 これがいまドワンゴ社内で盛り上がっているらしい、
以下のブログで書かれていたことについて思ったことを書いてみる。 現実を直視しながら理想を持ち続けることの難しさ、人生の「賞味期限」 筆者の佐藤航陽氏が書くところによると、人生には「賞味期限」があるという。人間が一生の間に持っているエネルギーには限度があり、そのエネルギーは人生の中で減っていく、 なにかに挑戦するにはエネルギーが必要で、エネルギーが枯渇してしまうと、いくら挑戦できる十分な知識と経験があっても、もはや挑戦は できなくなる。このエネルギーが残っている期間を「人生の賞味期限」と呼んでいるということらしい。 ぼくのあまり長くはない人生経験からしても、こういう人生の賞味期限といったものは 本当に存在すると思う。 人生の賞味期限がなぜあるのかは単純で、佐藤氏が書いているように現実を直視しながら 理想を持ち続けることが難しいからだ。 簡単にいうと、世の中を変えようと、ある理想を実現しようと
今日、面白法人カヤックという会社が上場した。おめでとうございますというのは本人に直接いえばいい話であって、こんなところに書きたいのはそんな話ではない。 カヤックには面白い人事制度がいくつもあるのだが、そのなかでもぼくが本当に衝撃を受けたのはサイコロ給という制度で、今日はそれを紹介したい。 サイコロ給とは毎月1回サイコロを振って、サイコロの出目X1%が支給されるという制度である。1がでれば給料の1%がサイコロ給として追加で貰える。6がでると6%が貰えるわけで、最大5%の給与格差がサイコロの目によって決まるわけだ。 http://www.kayac.com/vision/style/dice このサイコロ給のねらいについては↑上のカヤックのサイトの説明文が素晴らしいのだが、要するに人間が人間を評価して給与を決めているけど、それってもともといい加減だよね、ということをいいたいらしいのだ。その初心
あんまりはっきりとした結論が出ないエントリであることをあらかじめお断りしておく。 ↓のような記事を読んだ。 まあ、とくに内容についてはコメントすることはないのだが、民主主義について思っていることを書く。 この記事の中では民主主義は「ひとつの価値観が暴走することを防ぐための画期的な発明である」というようなことが書いてある。そしてそれは国家統治のためには優れていてもビジネスにおいては非効率であるということが書いてある。 民主主義について、こういう類の否定と肯定が入り混じった言説はよく見る。なかでも有名なものはチャーチルの演説の中での「実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば」という一節だろう。 ぼくはこういうテーマを見ると、本当のところはどうなんだろうと、すぐに頭の中で民主主義を表す力学的な数理モデルを考えたくなる
ここんところ、すっかりナベタくんブログになっています・・・。 以下転載。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー みなさまへ 大塚英志です。 「ナベタくんの選挙」東京都知事編です。 ネット選挙の狂躁も醒め、淡々と彼の選挙は続いています。 ネットの住人はカスタマイズされたイベントにユーザーとしてのみ参加し、リア充型の若者は「繋がり」が社会参加の目的なのか、彼のように「自分一人で何かをやる」というスタイルはどちらの住人にも、「評価」はされても同じ事をするものは殆ど現れません。 前回、マスコミ関係の取材を通じてメディアのコネもできたのですが、それを通じて拡散することは彼のモラルに反するようです。 そんなわけで最初に彼の動画を見て下さい、とお願いした3人の個人と一つの出版社のかたに「勝手に」かれのメールの一部と動画サイトのアドレスをご紹介します。 このメールを含めよかった
昨年、大塚英志さんからのメールを転載したナベタくんの選挙は大きな反響があった。 とにかく候補者に個人があってどういう政策かを純粋に尋ねつづけて、その結果を動画にアップする。ジャーナリストではなく、個人としておこなう。そのひたむきな姿にネット時代の有権者の理想のありかたを見たひとは多かったと思う。 ところが今年になってまた送られてきた大塚さんからのメールによると、そのナベタ君のやっていることは公職選挙法にあたると警告を受けたらしい。それもその警告はナベタ君の活動に好意的な取材をしたいと申し入れたあるテレビ局のスタッフによるおこなわれ、結果、好意的な報道どころか、「ネット選挙運動、都議選で「フライング」行為」というような否定的な報道をされたということだ。そして調べてみると、どうもナベタのやっているような政治家にインタビューをしてその結果を世間に報せるという行為はメディアはやってもいいけど、個人
大塚英志です。 ナベタ君へのメディア、選管の対応です。 以前、「ナベタ君・・」についての文章をお送りした方にお送りしています。 彼のメールを勝手に、添付します。 1 ナベタ君に賛同するという言い方で取材を申し込んできたTBSが突然、「公職選挙法に触れるから」といい出し、取材半ばで以下のような報道の素材に使われたようです。 ・・・・・・以下、その事情をかたるナベタくんメール添付。 検索してみたところ、TBSのNews iのページに 「ネット選挙運動、都議選で「フライング」行為」 というタイトルで一度は動画があげられていたようですが、 現在は削除されたのか、みることはできなくて。 ただ、テレビ番組の話題を紹介するサイトで、以下のような記事をみつけました。 検索ページでわすかに目にすることができた、 上記動画につけられていた文章とは重なるところがあるので、 たぶん、これなのだろう、と。 * 去年
※HPもフェイスブックもやっていないから、という大塚英志さんからメールで送られてきた文章をそのまま転載しました。 ぼくの昔の教え子にナベタくん(仮名)、という子がいる。 十年以上か、もう少し前、ぼくが専門学校で二年ほどラノベの書き方を教えていた時の生徒だ。真面目な子だから卒業後は書店でアルバイトをしつつ小説を書いている、という近況を聞いたのは七年か八年前だ。彼らと卒業後やっていた勉強会も、ぼくが神戸の大学に行くことになって止めてしまったので、この何年か何となく音信不通になっていた。 ところが去年、ニコニコ動画の公式チャンネルで月イチのまんがの番組を公開録画で始めると、当時の教え子の姿がちらちらし出した。介護士をやっている奴や、中には誰でも知っている携帯ゲームを考案した奴もいたけど、ナベタくんは色々あって本屋のバイトも辞めて、ニートというか微妙に引きこもり状態だという話で、リハビリを兼ねて(
どんな音楽が好きと他人に訊かれる経験はだれにでもあるだろう。ぼくはその場合に絶対に自分の好きな音楽を言わない。だいたい、なんでも聴く、とか、そのとき周りの友達とかが聴いている音楽を聴いているとか答える。まあ、嘘ではない。でも、周りの趣味とかに関係なく、いつも、ぼくが猛烈に惹かれてしまう、あるタイプの音楽もあるのだが、それについては滅多に口を開かない。 なぜかというと、大昔、好きだった子に馬鹿にされた経験があるからだ。どういう風にいわれたかというと、「汗くさい」「なんか貧乏くさい」というような形容詞のひとことで切り捨てられたのである。これはきつかった。 具体的に名前を出してしまうと、そのときはTUBEというバンドだった。同じように猛烈に惹かれてしまうバンドにはACIDMANなんかもある。単発の曲とかでいうとD-51のサヴァイバーとかいう曲はとても好きだった。JAM Projectとかもぼくの
今週の水曜日にこういう番組があるらしい。 cakes(ケイクス)VSブロマガ~どうなる? ネットとクリエイターの未来~加藤貞顕×川上量生×ハックル 雑誌形式の電子書籍ともいえるケイクスとブロマガの比較と、今後のネットとクリエイターの行方はどうなるか、みたいなのが番組のテーマらしいが、、そんなことはどうでもよくて問題は司会のハックルさんこと岩崎夏海氏である。 岩崎夏海氏といえば、はてなブックマークではファンとアンチを両方とも大量に獲得し、どっちかというとアンチあるいはややうさんくさい目で見ているひとのほうが多いかなという超有名ブロガーだ。 彼が数年前に、『もしドラ』こと『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』を出版し、大ベストセラーになったことはネットの一部、つまりはてな界隈では大きな驚きだった。 まさか彼がそんな世間的な大成功を収めるような人物だったとは、
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