サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
TGS2024
kazuhisaiwamoto.blog.ocn.ne.jp
重荷らしい 4月の末に雪が降り積もった。 *** 高大連携の説明会をするため高校に行かなければならなかったので,サッパリした頭で赴こうと思い,空き時間に床屋に行った。前にいた客のおじいさんはひとしきり政治談議をした後,「後は大学だけが市の重荷だ」というようなことを床屋さんに告げて,店を出て行った。 この町の(全部ではないが)人々は,「大学は町の重荷だ,早くなくなれば良い」と念じて,20年以上を過ごしている。浮いたお金を何に使いたいのかは,よく分からない。彼らにとって,私などは迷惑な存在でしかないのだろう。床屋さんにとっては迷惑な存在でないと思うのだが……。 そんな侘しい出来事の後では,「大学」への信仰告白めいた話をすることになった。 *** 今日は皆さんに「高大連携」の話をするために,ここに来ました。 「高大連携」というのは全国的に行なわれているのですが,高校と大学の溝を埋めるための催しで
ソルジェニーツィンの死 ソルジェニーツィンがこの世を去った。もう何もかも投げ出したい気分になって,仕事を放り出して,少し寝込んでいた。戦争に行っても,収容所にぶちこまれても,癌にかかっても,死ななかった巨人なのに,やはりこういう日は来てしまうのだ。 ソルジェニーツィンは今年90歳になるはずだった。それに合わせたかのにように,サラスキナによる長大な伝記が春に出版されたのだけれど,5月の末,文字通り熱に浮かされた頭を抱えながら,僕はそれを3日で読んだ。ほんの2ヶ月前のことだったのに,もう遠い昔のことのように思える。ほとんど寝ることのない3日間だった。12月に来るはずだった彼の誕生日がどんな日になるのか,ロシアでどんな報道がなされるのかを,僕はメドヴェージェフの大統領就任以上に楽しみにしていた(ちなみに彼の誕生日は私の父の誕生日にとても近い)。秋の日本ロシア文学会に「ペレーヴィンとソルジェニーツ
相次ぐ大学の募集停止,「減る一方」でいいの? 斎藤剛史「相次ぐ大学の募集停止,『減る一方』でいいの?」という,素晴らしい記事が「ベネッセ」のサイトにあるのを見つけた。http://benesse.jp/blog/20090723/p4.html 地方にある単科大学や小規模大学がなくなってしまえば,日本の私立大学が,実質的に都市部の総合大学や大規模大学のみになってしまう,ということにもなりかねません。現在でも,都市と地方の間では,大学進学率に格差があります。私立大学が都市部だけになれば,進学率の格差はさらに広がるでしょう。 しかし,この記事には触れられていないことがある。小泉改革が始まるまで「工業等制限法」という法律があったりして,大都市部での大学の新設は規制されていたのだ。大学は地方格差を解消するという名目で,田舎に新設することだけが許されていたのだ。だから,田舎にたくさん大学ができたの
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『kazuhisaiwamoto.blog.ocn.ne.jp』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く