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体力トレーニング
kentaro-takano.hatenablog.com
〇〇殿、お前、貴様・・・ 敬う相手に対し、失礼の無きよう、丁重に使われた言葉だったはずです。 何故、いつから、どれくらいの時をかけ変化したのか、興味があります。
テレビや新聞からウェブサービスへ。 プラットフォームが入れ変わる時代。 誰もが感じて認めざるを得ない流れ。 とは言え、コンテンツは制作しなければならない、それは変わらない。 長きに渡りコンテンツを作り続けて来た自分達には、一日の長がある。 いわゆるオールドメディアの『中の人達』は、そう考えている筈です。 確かにそうではあるけれど、おそらくダイエットが必要です。 オールドメディアは、ぶくぶく太り過ぎていると思うのです。 制作する現場には、経験も豊富で優秀な人材が揃っているに違いありません。 しかし、既得権益や構造の維持に必要な経費が莫大で競争力を削いでしまう。 それに嫌気が差した『中の人達』の独立に投資ができたら、とても面白いビジネスができる気がします。
何者かになりたい、そんな時期がありました。 何者かにならねば、そんな時期もありました。 何者にもならないよう、近頃は努めています。 何者かになりたい人を、手伝おうと思います。 何者にもならずに、好きなことをやるのです。 何者でもないまま、風みたいに生きるのです。
自らは匿名のまま、他者を誹謗中傷することが容易な時代です。 それを問題視する流れもありますが、私は否定しない立場です。 人間とは、インターネットとは、そういうものだから。 法的にも、技術的にも、封じるのは難しいと思います。 あったんですよ、昔から。昭和の頃なら、無言電話か手紙でした。 筆跡で特定されぬよう、新聞から一文字ずつ切って貼って文章にして、遠く離れた街のポストに投函して、鉄壁の匿名には手間が必要でした。ワープロやマイコンの登場は、労力をかなり軽減させたのではないでしょうか。 匿名に隠れるという点では、大手メディアも似たようなものです。 記事に落ち度があり苦情を申し立てたところで、書いた本人は会社に守られ、取材源も秘され、名前が世間に出回ることはありません。主観で二次情報を発信する点でも、メディアとインターネットの書き込みは同じです。 匿名で物申すことも、あるいは表現の自由の一部だと
大麻を合法化する国や地域が増えています。 大麻を是とする活動家たちは、得意気です。 分野が異なる類似例を知っています。 ペットの飼育を禁じる賃貸住宅です。 規則で禁じているにもかかわらず、飼育する住人が増えてしまった。 当初は個別に指導していたけれど、やがて把握できないほどの数に。 結果、ペットの飼育を黙認する。 制限を設けつつも、許可をする。 どんな規則も数には勝てません。 民主主義の体制の下では、特に。 大麻の蔓延を行政が食い止められなかった場合、残る手段は合法化した上で統制するしかない。苦肉の策です。 大麻が無害だと公に認められたという誤解は、とても安易です。
犬は噓をつきません。 必要がないからです。 食べるため、身を守るため、種を繋ぐため。 動物だって必要なら、敵を欺き、陥れます。 必要とあらば息を吐くように嘘をつく、それが生きとし生けるものの性です。 嘘をつきたくないのなら、その必要のない環境に身を置くことが不可欠です。
災害と評される猛暑が続いた夏でした。 水分の補給は、生命の維持に重要です。 しかし、水分の摂り過ぎも良くはない。 水毒、水太り、なんて言葉もあります。 一度に大量の水を飲んでも、体は吸収できないそうです。 食事の時に水をがぶ飲みすれば、胃液が薄まるのも道理。 思えば、昔の湯飲みはだいたい小振りです。 野良仕事で、重労働だったにもかかわらず。 おそらく、三口ほどの水を小まめに摂るのが適切で、小振りな湯飲みは理に適っているのだと思います。
言葉には言霊が宿るとは、言い得て妙です。 言葉を使う人類の、強みでも弱みでもあり。 言葉にすると、意識してしまいます。 繰り返せば、意識が高まってしまう。 高い意識はつまり、過ぎたるはなお及ばざるが如し。 言葉には、常に相対する存在が必要不可欠なのです。 『私』という言葉が成立するには、他者が必要です。 『私』とは、他者ありきで設定されたキャラクター。 『私』を持たない身近な存在、犬を見ればわかります。 『私』を言葉で意識していないから、自分がぶれない。 『私』を見失うこともなければ、振り回されることもありません。 『幸せ』と『不幸せ』の相対する狭間で、悩むこともありません。 言霊を宿らせてしまうほど、言葉を意識し過ぎてはいけない。 言葉は便利で、救われることもあるけれど、それが持論です。
ミニマムな生活を営む人を、ミニマリストと呼ぶらしい。 シンプルな生活を営む人は、シンプリストと呼ぶらしい。 当人たちは、こだわりを持って両者の違いを語るけれど、さして変わりません。 そして、何のことはない。昔ながらの、足るを知り質素倹約に努める生活です。 ただ、質素倹約なんて言えば、爪に火を点すような印象が醸し出される一方、ミニマムやシンプルと聞けば、そういう営みをおしゃれに楽しんでいる雰囲気を漂わせる。 茶室の美学のような簡素な生き方や暮らし方を、おしゃれな同志に負けず、私も極めたいと思います。
初恋は中学生の時、眩しく見えた転校生です。 とっても仲良くなれたのに、振られた不思議。 それでも好きであり続けて、やっともらえた「いいよ」の返事。 幾年もの片思いを実らせて、浮かれた結果「ごめんなさい」と。 文字通り、お付き合いできたのは僅か三日間でした。 ぜんぜん甘酸っぱくありません。今なお、苦いです。
テレビに居間を占められぬように スマホに人生を占められぬように
デジタルディスプレイの主な市場のひとつが自動車です。 多くの情報を自由自在に表示させられることが強みです。 高級車から軽規格の大衆車まで、デジタルディスプレイが広く普及しました。 しかし、高級車の商品性を考えると、速度計や燃料の残量表示計などは、従前のアナログメーターの方が似合います。 腕時計のようなものです。 美しく精巧に作られたアナログメーターに、車好き達が感嘆する日が再び訪れる気がします。
昔から言われ続けて来たことですが、咀嚼は大事。 消化器官は口から始まると説く医師も増えました。 口の大きさに見合った量を含み、少なくとも30回のモグモグ。 たっぷりと唾液を絡ませた後、胃に送ることが大切みたいです。 現代は食べ始めから終わりまでの時間が短くなりました。 よく噛むことを指導する割に、給食の時間さえ短めです。 実践してみて、気づいたことがあります。 ご飯やパンは、噛むほどに美味しくなる。 しかし、ラーメンは30回も噛むと美味しくありません。 スープが先に口から無くなってしまうからだと思います。 唾液の成分が、消化にも吸収にも作用するそうです。 つまり、サプリメントも噛まなければ、効果は薄い。 食べること、寝ること、歩くこと、そういう生きることの基本は、多忙や面倒を理由に疎かにしてはならないと、遅ればせながら最近になって強く感じています。
100の幸せ1個で100 1の幸せ100個で100
東京や大阪などの大都市では、米が需要を満たせていません。 ところが首相官邸や農林水産省のウェブページを訪れても、少なくとも目立つ位置には何の言及もない。 政府は主食である米をコントロールしています。 長きに渡り、米農家への収入補償、減反、備蓄などを、政策として続けて来ました。 メディアを通じた農林水産省のコメントでは、間もなく今年の新米が流通するので安心して欲しいとのこと。 しかし事実、今は店頭にすっかり米がなく、コントロールを預かる立場としては、公式に説明や謝罪のひとつも出すべき状況だろうと思うのです。 もうすぐ新米が出回るのであれば、備蓄米を市場に流通させれば良いのに、とも。 それぞれの立場で事情はあるのでしょうが、なんだか不可思議です。
ある大陸の地底には、裁判所があるという。 地球上の植物を統治する機関の、最高意思決定の場とされる。 ==================== 人間が知らないだけで、地球上の植物はすべて繋がっている。 我々は常に、情報を伝達し合っているのだ。 地中では菌糸類を情報伝達の経路として、くまなく張り巡らせてある。 気流や海流、鳥類や動物を利用する伝達方法も、太古の昔から確立している。 例外として、人間によって鉢植えされ、屋内に置かれた仲間との交信は難儀する。 幽閉は重罪だ。 人間の暦なら、もうずいぶん昔になる。 我々は最高裁判所で、ある判決を下した。 これ以上、人間をのさばらせてはならない。 人間の振る舞いは、我々の我慢の限界を超えたのだ。 判決に基づき、我々の人間に対する報復が開始された。 冷徹な作戦だが、人間も我々に酷いことを繰り返して来たではないか。 植物による、植物のための、植物らしい、静
アメ横は今もどこかに闇市の面影
夜中に鳴り出したら怖いなあ
西アフリカに浮かぶ赤道直下の小さな島国 サントメ・プリンシペ をドライブ ♪
今年は様々なこと、種を蒔いた年でした。 来年以降、芽を、蕾を、花を、実を、楽しみたいなと思います。 今年のお付き合いに深謝、来年もよろしくお願いします。
夢中、ときどき霧中。
高校時代、ふたつ目の仕事はガソリンスタンドの店員。 実は校則でアルバイトは禁止されており、見つかって処分を受けた同級生もいました。 給油に、洗車に、オイル交換に、日々の作業に慣れてきたころ、なんと学校の先生が愛車で来店。 進退きわまった私、しかし先生は目を合わせようとしないまま去っていきました。 その後も、なんのお叱りを受けることなく卒業まで。 思い当たるのは、先生が助手席に乗せていた若い女性の存在です。 お互いプライベートな秘密は漏らさずに、という大人のルールを見たというか、教わったというか。
雲で遊ぶ
スピリチュアルを謳うものは避けろと、私のスピリチュアルが申しております。
偏った思想に基づく毒舌や風刺に、価値はありません。
下半身は太れないドア
www.youtube.com 新城ラリー 2018 SS12 新城総合公園特設ギャラリーステージ いろいろギリギリで事前のテストができないまま、初めて乗る車で臨んだラリーでした。 当然ながらタイムは悪く、車載カメラの位置すら合っておらず、よく見れば日時もずれているという。 しかし相応のデータを得られたので、この新しい相棒と迎える来シーズンが楽しみです。
同じローカル私鉄でも、東京の西側を走る江ノ電は垢抜けていますが、東側の小湊鉄道は昭和のまんま。
ブログでも SNS でも、私はまだ炎上の経験はない。 きわどい投稿はままある。 痴漢された女子高生がいたとして、『深夜に胸元あけた服で歩くのも悪い』 と書いたら、たぶん燃える。 空き巣にあった中年男性がいたとして、『鍵を閉めないで外出したのも悪い』 と書いても、たぶん燃えない。 どちらも、加害者の罪は当たり前のこととして置き、被害者の落ち度について思うところをつぶやいた、という点では変わらない。 しかし被害者の属性や犯罪の種類で、人々の感情は大きく変わる。 考現学として、炎上はとても興味深い。
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