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ストレッチ
king-biscuit.hatenablog.com
● 渡辺京二が、亡くなりました。敬称や敬語の類を使うのはこういう場合、自分としては理路の調律にさわるところがあるので、敢えてそれらは割愛します。 渡辺京二とは、「最後の人」でした。これは、自分が勤めていた大学で、彼が晩年、全国区の固有名詞として知られるようになるきっかけとなったあの『逝きし世の面影』を学生若い衆らと読んでゆく講義を足かけ10年ばかりずっとやってゆく中で、ゆっくりと確信するようになってきたことでもあります。 何の最後か。「思想史的知性」の最終走者のひとりだった、という意味での。このへん、手前味噌になりますが、自分が書いたものから引いておきます。 「この国の母語を環境とした、時期的には先の戦争が終わって後、高度経済成長の豊かさに後押しされて出現した、良くも悪くもそれまでとは様相の異なる新たな大衆社会状況と、そこに宿ったその他おおぜいのリテラシーに支えられた読書市場を介して可視化
学問は、すぐ世の中に役にたつものではないということをよく哲学者は口にするのであるが、しかしながらいくつかの需要が個々にあれば、少なくもいちばん目前のもっとも痛切な要求に答えうることを、まずもって学びとらなければならない。 ――柳田国男 ● いま、われわれはどうやら、文科系の終焉に立ち会っています。 文科系、という言い方がおおざっぱ過ぎるならば、人文系、と言い換えても構いません。たとえば、大学ならば主に文学部に設置されているような学科の学問。文学、歴史、思想、哲学、心理、芸術……それらをひっくるめて人文系といいならわしてきた習慣に従って、なおその周辺に経済や法律だのといった、戦後このかた特に「社会科学」と称され「自然科学」と対置されてきたような領域までゆるやかに含みながら、少なくとも学校の教科で言えば理科と数学をそれほど重要視しなくていい(と、なぜかされてきた)ような方面の知的営み。人間と社
あまりと言えばあまりなフェミニズムの勘違いを鵜呑みにして考えなしにものを言う、脊髄反射系バカ女の跳梁跋扈のおかげで、「フェミファシズム」というもの言いも、最近では少しは世に知られるようになってきました。それはすでに「眼前の歴史」として同時代の事実なのですが、けれども、それがどのようにプロモートされ世間に蔓延していったか、についてはまだ具体的に検証されていません。 「とにかくそう言っておけばさしさわりがない」――まさにPC(ポリティカル・コレクトネス)としての身振りやもの言いとしての戦後民主主義=「サヨク」「プロ市民」風味、というセットの中の重要な意匠として、すでにこのフェミニズムも組み込まれています。それを操る固有名詞は誰であっても構わない。ある種メディアの意志を体現する人形、レプリカントのようなものなのですが、それは主として団塊の世代を震源地として蔓延してきた。ひとことで言って、イデオロ
*1 sports.nhk.or.jp sports.nhk.or.jp おい、マリオやドラえもんどころか、ポケモンもニンジャもアキラのバイクも出てこんかったじゃないか!――終わったばかりのオリンピックのまずは私的な印象です。 個々の競技や選手の手柄は全部措いておきます。開催する側の仕切りの悪さ、つまり「祭り」なり「興行」なりを取り仕切る勧進元としての器量のなさだけが強烈に印象づけられ、世間一般その他おおぜいの眼にもあらわになったあの開会式と閉会式。つまり、それら勧進元の意図が直接反映される部分と、興行の本体である各種種目や競技、それらに参加する個々の選手たちの見せてくれた上演・パフォーマンスの質との間の、いやはや、もうまるで別のシロモノ、異空間で行われたとしか思えないほどの絶望的な距離感こそが、今回の五輪のある本質だったとしか思えなかったのであります。 さすがに棚落ち著しい本邦報道界隈も
*1 ● 昔、この国に柳田國男という名前の、とびっきり性格の悪いジイさんがいました。明治の始めに生まれ、八十八年生きて、今からちょうど三十年前の夏にくたばりました。もともとは国のお役人だったのですが、四十何歳かの時に上役と喧嘩して辞めてからは、死ぬまで今風に言えば評論家でありライターでした。 このジイさんが、こんなことを言っています。 「私のやうな(手当たり次第に本を読むようになった)人が明治から昭和にわたる時代には非常に多い。これは確にあの時代の風習で、同時に今日の通弊と言ってもよい。折角他にこれといふ長所がなくて、読書と理解だけには調練を経てゐる人間を、言はゞ反古にしてしまったのが明治の文化である。専門をやってゐる人は、却ってどちらかと言えば鈍い人である。鈍いから横目をふらない。然るにこちらは盛にいろいろのことに気がつく。英語でいふvivacious な人間である。そのヴィヴァシアスな
『フォーカス』が斃れた。 写真週刊誌の代名詞のようにまで言われ、「フォーカスされる」といったもの言いまで芸能界周辺を中心に一般に使われるようになった、言うまでもない新潮社の名物雑誌。それがとうとう「休刊」を宣言して撤退を決めた。創刊以来まる二十年にふた月ばかり欠ける二三八カ月、刊行された号数は都合千と一号。最盛期の部数は公称二百万部以上。一冊百五十円の六四ページグラビア、うちカラーが一六ページという体裁から始まった新企画の週刊誌としては、まず存分に戦い抜いた結果だと言っていいだろう。 新潮社取締役、松田宏署名での「休刊のお知らせ」は淡々と、しかし自分たちが何をしようとしてきたのかについて、最低限のことばにしようとした誠実なものだった。 「写真で時代を読む」をキャッチフレーズに掲げ、フォーカスは昭和56(1981)年10月にみなさまの前に登場いたしました。一枚の写真ですべてを語る、百聞は一見
*1 *2 ● ごぶさたです。大月隆寛です。かつて、「つくる会」2代目事務局長をつとめさせていただいていたこともある、あの大月です。 とは言え、いまやもう四半世紀も前のこと、今の会員には、何のことやら、という感想が大方でしょう。今回、何かのご縁でまたこのように「つくる会」の機関誌に顔を出す機会を頂戴しましたが、まずはあれこれ型通りなご挨拶などよりさっそく本題を。 すでに報道その他で何となく耳にされている向きもあるかも知れませんが、自分は去年の6月29日付けで、2007年以来足かけ13年間、籍を置いていた北海道の札幌国際大学という大学から「懲戒解雇」という処分を受けました。 理由は、その大学で2018年度から新たに導入した外国人留学生をめぐる入試のあり方や在籍管理等、制度の運用にさまざまなコンプライアンス違反、ガバナンスの不適切な状況が学内で生じていて、それを当時の城後豊学長以下、学内の教員
● 田嶋陽子はバカである。これはすでにニッポンの常識である。なのに、選挙で四十万票も獲得して今や国会議員。これもまた事実である。 とある週刊誌に頼まれて書いた何でもないコラム原稿のこんな書き出しの部分にも、昨今、編集部からは慇懃無礼な電話がかかってくるのであります。*1 「すいませんが、この『バカ』という部分の表現、何とかなりませんかねえ」 すいませんもヘチマもあるもんかい。バカはバカ。誰がどう抗弁しようとあたしゃありゃとびっきりのバカだと思うからバカと書いたまでのことで、それがどうしていけないんですかい、と、例によって電話口でキレそうになるおのれのココロを必死でおさえ、ひとまずうわべは大人のふりした交渉ごとに。 ああ、ほんとにもう情けない、やりきれない、口惜しい。あの田嶋陽子のようなバカに対してはっきりバカと言う。そんな当たり前で誰はばかることのない簡単なはずのことでさえも、いまのこのニ
「木綿のハンカチーフ」にしても「ウエディング・ベル」にしても、未だそこまで自分の内面、やくたいもないこのココロの銀幕に鮮烈な印象を残しているらしいのは、単にその「歌詞」、言葉としてそこで歌われている言葉の意味内容においてだけでなく、それが具体的な「声」として、肉声として生身のたたずまいを否応なく伴って現前していたからだろう。*1 肉声を伴った言葉は、文字や活字と異なり、その向こう側に生身のたたずまいを察知させざるを得ない。それは聴き手であるこちら側が生きている現在、〈いま・ここ〉に共にピンポイントで現前し、こちらの生身である部分に感応し、その裡に何らかの情動、ココロの動きといった不定形であやしい領域を不断に生み出してゆく。そして、その〈いま・ここ〉であること、時間と空間が限定された「現在」の上演であることを引き受けて初めて、「うた」もその場にゆくりなく宿ってゆく。前回ほどいてみた「カバー」
*1 裁判を始めていただくにあたって、冒頭、少しだけ自分の今の気持ちを述べさせていただきます。 自分は1989年以来、大学や研究所の教員として生活してきました。2007年以来、縁あってご当地の札幌国際大学に教員として勤めてまいりました。同時にもちろん、研究者としての研究も行なってきました。 それらがおよそ正当な理由と手続きのないまま、しかも懲戒解雇という労働者としては最も厳しい処分で職を追われることになった、そのことについては言うまでもなく非常なショックを受け、困惑し、大きな憤りも感じています。 ただ、ひとつはっきり申上げておきたいのは、それらと共に、あるいはそれ以上に、公益法人である大学という機関がこのような異常とも言える処分をくだすにいたった、その背景の詳細とその是非について、この法廷の場で、法と正義に基づいたまっとうな判断を下していただくこと、そしてその過程において、大学の中でどのよ
● 「最近、朝鮮人っていやだなあ、って思うんですよ」 「朝鮮人」――確かに、N君はそう言いました。 えっ、と思って改めてその顔を見直しました。別にいつもの彼でことさら変わった様子もない。氷の溶けかかったアイスコーヒーをストローでかきまぜながら、薄い唇をかるくとがらせています。 この冬で確か24歳。横浜近郊に生まれ育って、家もどうってことのない公務員家庭。当人も、別に政治だの思想だのと小難しいことをこねまわすタイプの若い衆じゃない。あたりまえの大学にあたりまえに行き、あたりまえに卒業して、この不況下に何とか流通関係の小さな会社にもぐりこんで、まあ、あたりまえに会社員をやっている男です。 彼がこんなことをこんな風に言うのを耳にすることは、これまでありませんでした。たまに会いたいと言ってメイルをよこし、時間の都合がつく時にこうやって喫茶店などで雑談をかわす、そんなゆるいつきあいのある若い友人のひ
*1 メディアが英雄を作り出す手癖、というのがあります。 英雄、というのが大げさならば、うっかりとあらぬところに人を祭り上げてしまうからくり、とでも言い換えてもいいでしょう。 何も今に限ったこっちゃない。人が言葉と意味の動物であることを始めた昔から、あらゆる英雄は語られる存在としてあり続けてきました。それはマスメディアの濃密に張りめぐらされた〈もうひとつの自然〉となったいまどきの情報環境に生きるあたしたちとて、例外ではない。 かくいう立花隆センセイも、今やそういう同時代の英雄のひとりです。 なにせ、「知の巨人」であります。政治から先端科学までを手あたり次第に網羅する何でもありな好奇心に、それを支える日々倦むことなきものすごい読書量を誇る日本屈指のおベンキョ屋。この世知辛いご時世に筆一本であっぱれおっ立てた自前の鉛筆ビルは壁一面に黒猫の顔をあしらったファンシーなもので、中身はあまたの書物と資
*1 *2 前号、何やら奥歯にもののはさまったようなもの言いでしか語れなかった「内部的には醜聞、いや、外から見てもまずは格好のスキャンダル、ないしはゴシップ系のネタとしてまずは取り扱われるような案件」ですが、もう勿体つけなくてもいい状況になったので、お話ししましょう。 要は、自分の勤め先であった札幌国際大学という北海道の小さな大学が、昨今どこでも悩まされている定員割れとそれに伴う経営状態の悪化に苦しむあまり、外国人留学生(と共に実はスポーツ特待生も、なのですがそれはとりあえず別途)を見境なく入れ始めたものの、その入試から在籍管理からいろいろ無茶で外道なことをやらかしていた、それを内部で自浄、自主的に改善しようとしていたもののどうにもならなくなって外部の関係諸機関、文科省や出入国在籍管理庁その他、報道機関などにも内情を暴露し、世間の眼に公正に判断してもらう段になってしまった、というのが前号あ
*1 *2 *3 ・地方競馬だけで事故が続いてしまっていることと、その理由についてお考えをいただければと思います。地方競馬全国協会の方は、「『河川敷のような場所』と『改善できない経営状況』が理由では」ということをおっしゃっていましたが… まず、確認しておかねばならないのは、馬の仕事をしている限り、放馬は必ず起こり得る「事故」、それも珍しくない事故だということです。事故ですから必ず起こる。だから、起こった後の対処も含めて、馬と仕事をしている人たちはそれらを見越して日々仕事をしています。それは地方でも中央でも、競馬場でなく牧場でもみんな同じことです。 そう。馬の仕事の現場では、放馬は珍しくない事故なんです。 最近「放馬」が問題になるのは、まず、昔と違って、競馬場も厩舎も都市的な環境の真っ只中に存在するようになったことで、放馬した馬がうっかり世間の日常に関わってしまうから、という面があります。
前略 小林よしのり様 お元気ですか? 思えばずいぶんご無沙汰しています。「あたらしい歴史教科書をつくる会」でご一緒していた頃から数えれば、もうそれなりの年月がたってしまいました。 その後、お変わりなくご活躍のご様子……と、まあ、型通りの挨拶くらいはしておきたいところですが、本業のマンガ「ゴーマニズム宣言」は言わずもがな、その他、責任編集の雑誌「わしズム」や、「朝まで生テレビ」その他のテレビ番組などで流される小林さんの時事的、論壇的な発言、コメントなども含めて、いまは単なる読者=ひとりの「良き観客」としてそれら一連の仕事を遠目ながら拝見している限りでも、あたしの見知っていた頃の小林さんと比べて、いろいろとまあ、お変わりがあるようですね。男子三日会わざれば刮目して見よ、とか。小林さんからの電話を最後に「つくる会」を事実上粛清、追放されて以来、その後実際に会うことはないままですが、もしも仮にいま
*1 *2 勤めていた大学から、「懲戒解雇」を申し渡されました。北海道は札幌にある札幌国際大学という、今年で創立51年目になる小さな私大です。地元の人たちには、静修短期大学という名前の方が今でも通りがいいかも知れません。 こういう地方の私大のご多分にもれず近年は定員割れが続き、藁をもすがる起死回生の策ということだったのでしょうか、昨年春の2019年度入学生から外国人留学生を大量に入れるようになった。ところが、その入れ方がずさんで、大学で学べるだけの日本語の能力の目安とされて留学生受け入れの条件になっている「N2」という日本語能力試験の基準をクリアしていない学生をたくさん入れてしまい、なおかつ、留学生を抱えた大学に課されている在学中の在籍管理――勉学面のみならず、一定時間以上のバイトをしていないか、とか生活面についてもあれこれ面倒を見なきゃいけない義務の履行もいろいろあやしげなまま、といった
――ひとりひとりの個の生は、こういう私化された小さな小宇宙の複合体であり、その複合体を鞏固な統一物と見せかけているものがもろもろの文化的観念的構築なのである。そして思想とは文学とはつねに、個的な日常の規定から、そのうえにそびえ立つ文化的観念的構築を批判するいとなみである。*1 ――もちろん、思想的抽象の一定レベルでは、このような〈地方〉をサイクルとする一生も、〈都〉で過される現代風な勤め人の一生も、その包含する意味は全く等価でしかない。だが、少なくともここには視圏にかかわる想像力の問題が生じるはずである。陸を走る動物と海にひそむ生きものとが、世界をおなじふうに見ているはずがないように、都で一生を過す人間と、田舎で一生を終える人間に、世界がおなじものに見えているはずはない。 *2 ――闇から闇に流れる流星のような人生もあれば、いつ生まれ死んだともわからぬ苔のような人生もある。 *3 ● “最
実は昨年来、職場でちょっと大きなトラブルが生じていて、その対応にあれこれ奔走していたのですが、今年に入ってから3月の年度末にかけてその案件がいよいよ煮詰まってきて、内部ではどうにも始末がつけられなくなり、外部の関係諸方面に訴えて事態の打開を模索しなければならないことに。同時に、報道関係にも事情を説明して、世間の眼から見てどう判断していただけるかも含めて動かざるを得ないことにもなりました。 まあ、内部的には醜聞、いや、外から見てもまずは格好のスキャンダル、ないしはゴシップ系のネタとしてまずは取り扱われるような案件ではあったのですが、ことの詳細や顛末などはこの場ではひとまず措いておくとして、この間改めて思い知らされたのは、いまどきの本邦の組織や集団というものの自浄のできなさ、現場で起っている問題を穏当に把握して、それを自らの手で解決してゆく自前の動きが、見事なまでにできなくなっていることでした
*1 佐世保小6女児殺害事件に関する大月隆寛氏のルポルタージュは、あの事件に対しての多くのメディアの視点いわゆるネット、チャット、『バトル・ロワイヤル』(高見広春の小説。'00年に映画化)というものとは違い、彼女の生まれ育った場所と置かれた環境から、パソコン的日常が彼女の心性にどう作用し、事件に至ったかを読み解こうとするもので、これは“いなか、の、じけん”だととらえた氏の慧眼には、なるほどと感心しました。またアニメもそこに含まれるらしい“サブカルチャー”なるものに対する大月氏の考えもお伺いしたく、対談をお願いしました。文化庁が音頭をとって、アニメ、マンガなどのオタク文化を日本を代表するカルチャーとして世界に広げようとしている。笑うしかないようなこの現実は、一体どうとらえるべきなのでしょうか。*2 富野 大月さんは雑誌『諸君!』でお書きになられたルポの中で佐世保小六女児殺害事件を“いなか、の
仕事がらみで、妊娠・出産関係の本や雑誌を読むことが少なくない。少なくないと感じるほど、たくさん出ているということだろう。 それらは、個々の持ち味によってというよりも、どうやら子供を産むという体験についての報告本、予習本、マニュアル本として読まれているらしい。なるほど、それはよくわかるし、その意義も十分認める。妊娠・出産にしても、あるいはセックスや“死”にしても、もはや「そういうものだから」「みんなやってきたことだから」というだけでわけのわからないままに受け入れることを、誰しも納得しなくなっている。その程度にこの国の人間は面倒なものになっているし、何より、「豊かさ」とはそういう面倒なものを前向きに抱えこむ度量を持つことでもあるはずだ。 しかし、だ。個々の本にもやはり質がある。水準がある。芸のあるなしだって当たり前にある。まして、世に流布される書物としては、いくらなんでもあんたこりゃないだろ、
二十代にして今の日本のインターネットまわりの世間じゃみるみるちょっとした顔になったという時代の寵児、伊藤穣一さんにお話をうかがっております。そのとんでもない最先端ぶりの一端をさらにたっぷりお楽しみ下さい。 ――インターネット以前に、今の日本人の大多数がまずコンピューターそのものにそれほどなじむと思いますか。 伊藤 今のパソコン市場の伸び方ではインターネット市場の伸び方はフォローできないから、テレビとかゲーム機とか携帯電話とかカーナビとか、いろんなデバイスとインターネットをつないでゆく。炊飯器やエアコンとか…… ――(驚く)あの、炊飯器とインターネットをつないだら何かいいことあるんですか? 伊藤 (全く動じない)会社から炊飯器のスイッチを入れられるし、エアコンと連動して部屋の温度調整もできる。みんな気がつかないだけで、家の中の電気製品はインターネットとつなげば実はものすごく便利になるんですよ
インターネットは英語を読めなきゃ話にならない。だからありゃ英語帝国主義の先兵で、と小生言い張るのだが、そんな能書きこいてる間にそのインターネット英語の解説本を書いて商売した男がいる。伊藤穣一さんという。まだ二十代というが他にもあちこち顔を出し始めていて、とにかく今の日本のインターネットまわりの世間じゃちょっとした時代の寵児とか。編集のO氏が興味津々で前から熱心にコンタクトをとっていたのだが、ご多忙らしく日程が合わない。今回やっと時間をとっていただけたのを幸い、半ばわけのわからぬままに会いに行きました。 ――えーと、具体的にはどういうお仕事をなさってるんですか。 伊藤 まずインターネットのプロヴァイダーのサービスですね。その他にアメリカで投資顧問業の会社も始めてて、半導体などの技術開発の会社の役員もやってて、京都造形大学の研究員で研究所を立ち上げる仕事に関わってて、あと国際教育交流財団という
先日、猫が一匹、亡くなりました。新千歳空港の駐車場で推定生後2ヶ月くらいで拾って以来18年、概ね老化と老衰の結果で、まずは大往生と言っていい逝き方でした。先に昨年9月、これは名寄の保健所でわけありの飼育放棄で保護されていたのを縁あって引き取ってきた推定11歳の黒猫を、共に暮らして2年半で見送っていましたから、これでもう身のまわりに生きて動いているものはとりあえずいなくなったことになります。 日々の散歩が日課にならざるを得ない犬と違い、猫の場合は外との出入り自由にしているならまだしも、アパートやマンションの部屋飼いの場合はそれを介しての知り合いや顔見知りが増えることはまずないですし、だから亡くなったことをわざわざ話すこともないのですが、それでもどこかでふと口にしたその死に対して、まわりの人たちが実に丁重に、心を込めたお悔やみを言ってくれることにはちょっと驚いたりしたものです。まるで人間の身内
*1 字数が限られている。ギリギリ必要な世界観だけ叩き込む。ムツカしくてなんだかよくわからねェ、といきなり横着に開き直る程度の脳味噌しかない方面はひとまず読まなくても結構。60年代から80年代というこの国の近代指折りの大変動期を、トリビアルな昆虫採集めいた事象の集積――「カルト」ってか?――一発でわかろうなんて、貼り込む台紙もなしにブルーチップスタンプ集めたがるボケ老人と大差ない。そういう手合いは早いとこ脳味噌腐らせて、生きながらこのとりとめない「現在」に葬られちまえ。それじゃもうこの先救われないって自覚があるのなら、そういうあんたらに必要なのは今や自家中毒寸前のはずの方向性なき「情報」や「知識」ではなく、それらを律するゴリッと確かな「世界観」だ。 映画や漫画やアニメやSFやロックやポップスや、とにかくそういう類いの二十世紀的複製技術を前提に成立する表現のジャンルをひとくくりにくくることの
*1 「教養」系大風呂敷(おそらく)最後の大物 大風呂敷を拡げる人、というのがいます。拡げるだけ拡げて畳むことをしない、いや、そもそもそんな畳むなんてことを考えないから拡げられるというのもあるらしい。 凡庸通俗普通の人たちは小心翼々、そうそう自分の生きている世間の間尺をうっかり越えるようなことをしないように気をつけているし、ものの言い方にしても半径身の丈にちょっとした背伸びくらいでとどめおくのが習い性、それが「常識」の基礎になり、また「無難」な世渡りの骨組みにもなっているのですが、そんなもの知ったことか、とばかりに「常識」や「無難」を軽々とすっ飛ばしたことを言い、またやってのけたりする人もたまにいる。どんな世間にも、いる。というか、いました、少し前までは必ず。 先日逝去した梅原猛なんて御仁はその代表格、その仕事を振り返ってみてもまさしく極めつきの大風呂敷を拡げ続け、そしてそれが時代の風、時
元号が変わりました。Webを介した世間では、「退位」か「譲位」かで物議を醸したり、はたまた「上皇」をどう呼べばいいのか、「陛下」になるのかそれとも「上皇さま」でいいのか、などなどあれこれ些末な悶着が例によってメディアの舞台を反響板としながら流れてゆきましたが、現実の世間は概ね「ちょっと変わった大晦日ないしは年越し」といった感じでそれはそれ、「時代が変わる」という気分をそれほど難しく考えることもなく味わっていたような感じでした。 前回の改元は言うまでもなく30年以上前、昭和天皇の「ご不例」から「自粛」ムードがしばらく続いた後の「崩御」でそれがさらに加速、大喪の礼という国ぐるみの大きな葬式に続いて経済活動にまで影響があるくらいの沈滞した雰囲気の中での「平成」改元だったわけで、今回のようにまずはご存命のままの言わば「引退」という事態は、賢しらぶって新聞その他で202年ぶりなどと教えられずとも、あ
*1 ● 電話の向こうで、いつも会う時よりも少しだけ低い、でもやはり心地よい太さのあの声が響いていた。 「オーツキ君、悪いけどそれはダメだ。できませんよ」 20分くらい、いや、もしかしたら30分以上、受話器を握っていたかも知れない。この世代の年長者に対してまずは長電話と言っていいやりとりの中、型通りの無沙汰のわびから近況などのとりとめないやりとりをさしはさみながら、折りを見て何度も繰り返すこちらのお願いごとに対して網野善彦は、そこだけ声をはげますようにして応えていた。こちらのいつにない執拗さに呼応して、同じく何度も何度も。 「君とだったらいくらでも話をしたいし、直接顔をあわせて尋ねてみたいこともたくさんあるんだ。それだったら僕はいつでも時間をとるけれども……」 それは僕だってそうですよ、網野さん。僕が生来のおっちょこちょいでお祭り好きなすっとこどっこいなのはもうよくご存じでしょうけど、でも
世の中いろんな人がいる。 あたりまえのことではある。あるが、しかし本当にその「いろんな」の内実をあからさまに眼の前にすることというのは、日々の流れの中ではそうそうなかったりもする。 でもさ、本当にいろんな人って、いるよ。どうしてまぁこんな風になっちゃうんだろう、と唖然とするしかないような硬直の仕方とか、どこでどうなったらここまで眼の前のことがまるで見えなくなっちまえるんだろう、という自閉のさまとか、別に宗教だの政治だの思想だのって“いかにも”の方面に限ったことでもなく、ちょっと気をつければ結構身近にいくらでも転がってる。そういう現われって、たとえば「オヤジ」なんてもの言いでみんな半ば無意識のうちに何とかことばにしようとしてきた部分もあるんだけど、でも「オヤジ」ってことば貼りつけて馬鹿にしたり遠ざけたりうっとうしがってるだけじゃ何も解決しないってことはもう明らか。それにもっと言えば、別にこれ
えー、なぜか誰もはっきりとは言わないんですが、おなじもの書き稼業とは言いながら、ルポルタージュとかノンフィクションという分野はブンガクのそのまた下、ほとんど被差別部落みたいなものであります。で、被差別部落であるがゆえに、ブンガク幻想はその分より一層屈託して濃縮されたりしてるから、余計に難儀だったりします。だから、彼らは文芸誌に原稿書くのが何かステイタスだと、おめでたく勘違いしてるんですよね。 文藝春秋と新潮社いうブンガク世界の二大勧進元、彼らがこのノンフィクションという被差別部落もまた取り仕切っています。これに講談社、小学館など大手資本が連携しながら取り巻いているという構図。このへんは全くブンガク市場の縮小版です。 基本は賞と雑誌と単行本。書く場所と書いたものの評価を与える仕掛けと、なおかつそれをプロモートしてゆく仕掛けとが全部彼らの手もとにあるわけで、書き手は首根っこおさえられているよう
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