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参議院選挙2025
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【遊覧船乗り場から錦帯橋を望む】 錦川の周囲の景観を眺めながら巡る遊覧船はとても人気です。私はまだ遊覧船には乗ったことがないのです。時間の関係で今回もやめますが、いつか乗ってみたいと思いました。【他の写真】 【遊覧船乗り場(横山地区)】 春の遊覧船は3月15日から5月25日まで。時間は11時~17時。鵜飼遊覧船は6月1日~9月10日。時間は19時~21時。【他の写真】 【錦帯橋から錦川上流に浮かぶ遊覧船を望む】 錦帯橋まつり当日は、遊覧船は遊覧のほかにも錦川の横山地区と岩国地区の間を錦帯橋に沿って、渡し船としても運行しています。料金は錦帯橋のチケットが乗船券として使用できます。【他の写真】 【飲食エリア(錦帯橋近くの河畔・横山地区)】 飲食エリアには休憩を兼ねて観光客が集まっていました。カレーライス、やきそば、焼き鳥、牛串、豚串、ポテト、かき氷などが人気でした。【他の写真】 【横山地区の錦
【錦帯橋を渡る大名行列の先頭(岩国地区の下河原駐車場から撮影)】 山口県岩国市で開催された第47回錦帯橋まつりでは、大名行列が7年ぶりに行われました。岩国小学校(岩国3丁目)を出発して錦帯橋を渡り、吉香公園(横山地区)まで約1kmを歩く行列です。今回は岩国藩鉄砲隊演武を主として見学したので大名行列は岩国地区の錦帯橋入口付近のみの写真撮りになりました。【他の写真】 【錦帯橋を渡る大名行列(城山山上に岩国城が聳えています)】 城山山上(標高約200m)に聳える岩国城は3層4階桃山風南蛮造りの山城で、日本100名城に選定されています。【他の写真】 【岩国地区から錦帯橋に入る大名行列(奴道中)】 奴(やっこ)は江戸時代に武家に仕える奉公人です。大名行列では槍(やり)や挟箱(はさみばこ=着替えや身の回り品を収納)を持って先頭を歩きます。奴が着ている半纏(はんてん)には四角い紋が付いています。【他の写
【錦帯橋から下流の下河原駐車場右端の射撃演武会場を望む】 吉香公園(岩国市横山地区)を出発した岩国藩鉄砲隊の隊列行進は、山口県最大の大河、錦川に架かる錦帯橋を渡って岩国地区に出て、錦帯橋下流の下河原駐車場の射撃演武会場に向かっています。【他の写真】 【岩国藩鉄砲隊射撃演武会場(下河原駐車場)】 岩国藩藩主・吉川家の家紋「蛇の目九曜紋(じゃのめくようもん)」の旗を各自掲げ火縄銃を装着した鉄砲隊員が整列しています。その右側には「蛇の目九曜紋」の陣幕が張られ、左右に「岩国藩鉄砲隊」の幟旗が立っています。【他の写真】 【射撃演武会場には観光客がスマホやカメラ、ビデオカメラを構えて演武を待っています】 射撃演武の前に岩国藩鉄砲隊の歴史がマイクで語られました。また、共演として島根県松江市から駆け付けた松江城堀尾鉄砲隊・姉さま鉄砲隊が紹介されました。いよいよ勇壮な射撃演武が開始されます。 【整列した岩国
【岩国藩鉄砲隊・集結(吉香公園)】 4月29日(祝)の錦帯橋まつりで、岩国藩鉄砲隊の演武が行われました。岩国藩鉄砲隊保存会(牛島正雄代表・会員29名)の鉄砲隊隊員が横山地区の吉香公園に集結しています。観光客も集まって来ていました。 【岩国藩鉄砲隊・隊列を組む(吉香公園)】 隊列行進を行う隊員が一列に隊列を組み始めています。地元のテレビ局も数社取材に来ていました。【他の写真】 【幟旗を先頭に出発(吉香公園)】 隊列を組み終わった岩国藩鉄砲隊は、いよいよ幟旗を先頭に錦帯橋に向けて出発します。観光客もビデオ撮影をしたり、カメラのシャッターを切ったり、手を振ったりしていました。【他の写真】 【岩国藩鉄砲隊・隊列行進(吉香公園)】 隊員は岩国藩藩主・吉川家の家紋「蛇の目九曜紋(じゃのめくようもん)」の旗を装着して吉香公園内を行進して、錦帯橋方面に向かっています。隊員は射撃動作、火縄銃の操作、放ち方(
【錦城橋から北側の城下町掘り出し市を望む】 錦帯橋まつりに協賛して、錦城橋北側の駐車場と南側の河畔広場で開催されている城下町掘り出し市を見て回りました(今回で3回目です)。岩国藩鉄砲隊演武や大名行列などは午後からなので、その前に探索しました。アンティークや絵画、器、小物などに興味がありますので、とても楽しかったです。【他の写真】 【城下町掘り出し市・北側(置物・小物など)】 家具、ガラス製品、古陶磁、和洋置物、和洋骨董、着物、和箪笥、ジュエリー、西洋骨董、絵画などなど。【他の写真】 【城下町掘り出し市・北側(ミニチュア玩具・洋服など)】 ミニチュア玩具、洋服・着物、古雑貨、アクセサリー、装飾品、アンティーク小物など。【他の写真】 【城下町掘り出し市・北側(木工製品・洋服など)】 工芸品、和洋骨董、アジア古美術品、洋服・着物、古、ジュエリー人形、古民具、置物、雑貨など。【他の写真】 【城下町
【錦城橋からツツジの咲く土手と城下町掘り出し市会場、上河原駐車場を望む】 4月29日(祝・昭和の日)に山口県岩国市で開催された錦帯橋まつりにやって来ました。錦川に架かる錦帯橋の上流の錦城橋を車で渡って上河原駐車場に車を駐車し、歩いて城下町掘り出し市会場に入りました。【他の写真】 【錦帯橋いざない街道から錦城橋方面を望む】 城下町掘り出し市会場からツツジの咲く土手を上がり県道114号線に出て、錦帯橋いざない街道に入りました。左側には重宗雄三(しげむね・ゆうぞう・貴族院議員・運輸大臣・参議院議長・従二位・勲一等旭日桐花大綬章)の大きな銅像が建っています。【他の写真】 【錦城橋(横山地区側)から北側の城下町掘り出し市会場と上河原駐車場を望む】 錦帯橋いざない街道の途中から引き返し、錦城橋の上にやって来ました。年に一度の錦帯橋まつりとあって、午前中なのに県内外から多数の観光客が押し寄せ、上河原駐車
【「霜紅飛泉」<1950(昭和25年)・児玉希望(写真は広島県立美術館のサイトより・今回の展示企画作品ではありません)>】 児玉希望(こだま・きぼう)は1898年(明治31年)7月5日広島県安芸高田市高宮町生まれ。河合玉堂門下。日本画家。帝展で特選。1952年(昭和27年)の作品「室内」で日本芸術院賞受賞。日本芸術院会員。日展常務理事、勲三等旭日中綬章受章。1971年(昭和45年)5月2日死去。享年72歳。【他の写真】 【「伊万里柿右衛門様式色絵馬」(17世紀後半・江戸時代)】 伊万里焼(有田焼)は17世紀初頭から佐賀県有田町を中心とした地域で作られた磁器の総称です。伊万里焼は江戸時代中期からオランダ東インド会社を通じてヨーロッパ方面へ盛んに輸出されました。特に華麗な色絵を施した柿右衛門様式はマイセンなどヨーロッパの磁器焼成に大きな影響を与えました。この色絵馬は、どっしりとした躯体、眼をか
【山路商作品展示室入口(2階第2室)】 広島県立美術館2階1室の「山路商と同時代の作家達」作品展を巡った後、2室の「山路商の創作活動」作品展を鑑賞しました(展示作品は撮影不可の作品が多数あり、許可された作品の中から選んで撮影しました。また、以下の記事は広島県立美術館サイト、塩谷篤子(しおや・あつこ)氏の記事、その他の資料を参照して記しています)。 【「ソビエット領事館の裏」(山路商)】 山路商(やまじ・しょう)は1903年(明治36年)12月9日、父の勤務していた国鉄の転勤先である長岡町(現・長岡市)で生まれました。男女の双子でしたが、女の子は生まれてすぐに亡くなりました。山路商は足に障害があり、虚弱体質でした。少年時代を父の転勤先である中国の東北部、大連で過ごしました。大連の洋画研究所で絵画を学びました。【他の写真】 【「T型定規のある静物」(山路商)】 1920年(大正9年)に広島に移
【所蔵作品展入口(2階)】 エントランスホールから2階に上がり、広島県立美術館の所蔵作品の一部を企画展示公開した所蔵作品展<コレクション・フォーカス「山路商―戦前期広島の前衛精神」Ⅰ山路商と同時代の作家達>(この企画展示は現在終了しています)を鑑賞しました(展示作品は撮影不可の作品が多数あり、許可された作品の中から選んで撮影)。 【「ヴィーナスの夢」(サルバドール・ダリ)】 「ヴィーナスの夢」はサルバドール・ダリが製作した油彩画の大作。4つのパネルから構成され、画面全体で縦約2.5m、横約4.8mの大きさ。1939年のニューヨーク万国博覧会で同名のパビリオン「ヴィーナスの夢」の内壁を飾るために製作されました。サルバドール・ダリは1904年(明治37年)5月11日スペインのフィゲーラスで裕福な公証人の息子として生まれました。絵画、彫刻、版画、舞台装置、衣装のデザイン、映画制作など、20世紀を
【広島県立美術館】 広島県立美術館にやって来ました。今回で2回目です。1968年(昭和43年)9月22日、広島県立美術館は中国地方初の公立美術館として開館しました。その後、隣接する縮景園との景観的な一体化を図る県立美術館整備構想案がまとめられ、設計・日建設計、施工・大成建設により、1992年(平成4年)から新館建設工事が開始されました。【他の写真】 【広島県立美術館・入口】 4年間の新館建設工事の後、現在の外観の建物が完成し、1996年(平成8年)10月6日、広島県立美術館は、リニューアルオープンしました。延床面積19926㎡、地上4階、地下1階。兵庫県立美術館と共に西日本では最大級の美術館になりました。縮景園と美術館を同時に楽しめるように設計されました。【他の写真】 【エントランスホール(1階)・左側が受付カウンター】 館内に入ると、広々としたホールはとても静かでした。受付のスタッフさん
【楊貴妃型石灯籠(ようきひがたいしどうろう)】 縮景園の中には、随所にいろんな型の石灯籠が点在していますが、清風館西側の少し離れた場所に楊貴妃型石灯籠がありました。火袋(ひぶくろ=灯火が入る空洞部分)の上の笠の形が楊貴妃(よう・きひ・中国唐代の皇妃・719年~756年)が着用していた冠に似ていることから命名されました。京都市北区にある臨済宗大徳寺派・聚光院(じゅこういん)にある千利休(せんの・りきゅう・茶人・商人・1522年~1691年)の墓も楊貴妃型石灯籠です。楊貴妃型石灯籠は日本国内に2基しか存在しない貴重なものです。【他の写真】 【流川(ながれかわ・縮景園西側)】 縮景園の池(泉水)、濯纓池(たくえいち)の水は縮景園の北側を流れる京橋川(きょうばしがわ・広島市の市街地東部を流れる一級河川)から引かれています。その濯纓池の水は、南に向かって流れていた流川を通り広島湾に出ていました。流川
【縮景園(しゅっけいえん)・冠木門(かぶきもん)からメイン通路を望む】 江戸時代から受け継がれてきた歴史ある大名庭園、縮景園を訪れました(昨年暮れ)。以前にも来たことがあり、今回で2回目です。「日本の歴史公園100選」にも選定されている縮景園の正門である冠木門を通って中に入りました。縮景園は1620年(元和6年)に安芸国広島藩初代藩主・浅野長晟(あさの・ながあきら・1586年~1632年・従四位下)が別邸の庭園として築成した大名庭園です。茶人としても知られる家老の上田重安(うえだ・しげやす)<=上田宗箇(うえだ・そうこ・1563年~1650年・武将・茶人・造園家・従五位下)>が作庭しました。【他の写真】 【縮景園の東側から濯纓池(たくえいち)を望む】 縮景園は、古くは「御泉水(おせんすい)」と呼ばれていましたが、二代目藩主・浅野光晟(あさの・みつあきら・1617年~1693年・従四位下・左
【HOLIDAYCARDなど】 引き続きひろしま美術館のミュージアムショップを見て回りました。 HOLIDAYCARD、3Dノート、パラパラブックス「むしくいさま」などなど、アートを楽しめる実用グッズも沢山展示販売されていました。【他の写真】 【額付複製名画(FRESCO技法)】 「ドービニーの庭」(フィンセント・ファン・ゴッホ)、「セーヌ河の朝」(クロード・モネ)、「灰色の羽根帽子の婦人」(エドゥアール・マネ) など。【他の写真】 【「小松美羽 Transparent Chaos」(小松美羽)など】 「小松美羽 Transparent Chaos」(小松美羽・求龍堂)、「大画面作品集」(山口晃・青幻社)、「すゞしろ日記」(山口晃・羽鳥書店)、「teamLab~無限の連続の中の存在」(チームラボ・金木犀舎)など。【他の写真】 【縮小屏風「最後の晩餐」など】 縮小屏風「最後の晩餐」(山口晃)
【ひろしま美術館ミュージアムショップ】 ひろしま美術館ミュージアムショップでは、所蔵作品をモチーフにしたオリジナルグッズや所蔵作品図録、各種カタログ、開催中の特別展に関連した期間限定商品が販売されていました。さらに、同ショップでしか入手できないグッズをはじめ、魅力的な美術関連書籍や商品が沢山あり、私も2点購入しましたが、見て回るだけで時を忘れて楽しく過ごせました。【他の写真】 【木版画と展覧会図録】 木版画「赤虎」と「青虎」(金子富之)。「平成を駆け抜けた現代アーティストたち」ジパング展「展覧会図録」。【他の写真】 【折り鶴ブロックメモ、マグネティックシッターズなど】 折り鶴ブロックメモ、守り砂、EARTHビーズリング、カセットニードル・ソーイングセット、マグネティックシッターズ、テトラポプリ、オリジナルカレンダーなど。【他の写真】 【アートクレヨン、「大人のための印象派講座」など】 アー
【「女の半身像」(パブロ・ピカソ)】 パブロ・ピカソ<スペイン・1881年(明治14年)10月25日~1973年(昭和48年)4月8日・享年91歳>。スペイン南部マラガ市で生まれました。父は美術教師、美術館学芸委員長、画家。ピカソの絵画動向はキュビスム(立体派)とシュルレアリスム(超現実主義)。最も多作な美術家としてギネスブックに登録されています。代表作は「花のバスケットを持つ裸の少女」「アビニヨンの娘たち」「ゲルニカ」。ピカソは幼い頃から絵の才能があり、8歳で油彩を描き、美術の英才教育を受けました。ラ・コルーニャの美術学校卒。バルセルナの美術学校卒。マドリードで開催された国立美術展で入選。マラガの地方展で金賞。王立美術アカデミー中退。パリに移り絵画制作を続け個展を開きました。イギリスのカーネギー賞受賞。スペインのプラド美術館長に就任。ニューヨーク近代美術館で個展。1944年フランス共産党
【ひろしま美術館・コレクション展示(別館地下)】 「ジパング~平成を駆け抜けた現代アーティストたち」の作品群を見て巡った後、別館地下に降りてコレクション展示を鑑賞しました。ひろしま美術館では印象派を中心としたフランス近代絵画と日本近代絵画などを収蔵しています。そのコレクションの中から約80点を常設展示しています。今回は気になった絵画を抜粋して撮影して掲載しました(展示会場内は撮影可ですが作品は一部撮影不可となっていました)。【他の写真】 【「バラ色のくつ(ベルト・モリゾ)」(エドゥアール・マネ)】 エドゥアール・マネ<フランス・1832年(天保3年)1月23日~1883年(明治16年)4月30日・享年51歳>。フランスのパリで裕福な家庭(父は法務省の高級官僚)に生まれました。写実主義、印象派の画家の先駆者。代表作は「草上の昼食」「オランピア」「笛を吹く少年」。海軍軍人を夢見てフランスの海軍
【「黄色い麦藁帽子の女の子」(村上隆)】 村上隆(むらかみ・たかし)は1962年(昭和37年)2月1日東京都板橋区生まれ。東京藝術大学美術学部日本画科卒。同大学大学院美術研究科修士課程修了。同博士課程修了、博士(美術)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校美術建築学部客員教授。第56回芸術選奨文部科学大臣新人賞(芸術振興部門)。米Time誌「世界で最も影響力のある100人―2008年度版」に選ばれる。第66回芸術選奨文部科学大臣賞(美術部門)。CQ MEN OF THE YEAR 2024ベスト・アーティスト賞。【他の写真】 【「馬からやヲ射る」(山口晃)】 山口晃(やまぐち・あきら)は1969年(昭和44年)8月2日東京都生まれ。東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒。同大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。岡本太郎記念現代芸術大賞優秀賞。第12回小林秀雄賞。【他の写真】 【「悪を見る
【ひろしま美術館本館ホール】 「ジパング~平成を駆け抜けた現代アーティストたち」の展示場に入って、作品を鑑賞します。日本の文化と結合・変容させ、独自の表現を獲得した作品の数々は、現代の複雑さや多様性を反映しています。本館の第1~第4展示場、別館の第5、第6展示場に作品が展示されています(展示場内は写真撮影が許可されています)。出展者のアーティスト37名の中から抜粋して紹介します。【他の写真】 【「大塚健 秋葉原(東京)2013」(宇佐美雅浩)】 宇佐美雅浩(うさみ・まさひろ)は1972年(昭和47年)千葉県千葉市生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。【他の写真】 【「リフレクション・モデル(羅生門エフェクト)」(岩崎貴宏)】 岩崎貴宏(いわさき・たかひろ)は1975年(昭和50年)広島県生まれ。広島県在住。広島市立大学芸術学部(1期生)卒。同大学院芸術学研究科博士課程修了。エジンバ
【「いこいの森」(林健)】 「ジパング~平成を駆け抜けた現代アーティストたち」(12月22日まで)を鑑賞する前に、ひろしま美術館の森の中や本館周辺に建っている彫刻を巡りました。最初はひろしま美術館入口に建っている彫刻「いこいの森」です。作者は林健(はやし・たけし)。題字は井藤勲雄(広島銀行頭取・ひろしま美術館初代館長)。この彫刻は広島銀行より寄贈されました。林健は1908年(明治41年)生まれ。山口県周防大島町久賀出身。代表作の一つに「平清盛公日招像」(広島県呉市、音戸瀬戸公園)があります。2002年(平成14年)死去。享年94歳。【他の写真】 【「道標」(清水九兵衛)】 森の中の遊歩道に彫刻「道標」(1995年)がありました。真っ赤な彫刻でアルミとスチールが素材です。作者の金属素材の抽象彫刻家、清水九兵衛(さよみず・きゅうべえ)は1922年(大正11年)5月15日、愛知県名古屋市生まれ。
【ひろしま美術館入口】 開催中の特別展「ジパング~平成を駆け抜けた現代アーティストたち」を鑑賞するために、ひろしま美術館を訪れました。車は少し離れた広島市中央駐車場に駐車して、美術館まで歩いて来ました。ひろしま美術館には以前来ています。西隣は広島市立中央図書館、すぐ北側には広島城があります。南側の平和記念公園も歩いて行ける距離です。広島城も平和記念公園も何回も訪れています。 【ひろしま美術館・事務棟(受付カウンター・ショップ・カフェ)】 事務棟には受付カウンターやミュージアムショップ、カフェ「ジャルダン」などが入っています。ひろしま美術館の周囲は小さな森で囲まれています。【他の写真】 【ひろしま美術館・本館】 「愛とやすらぎのために」がテーマのひろしま美術館の本館は、原爆ドームをイメージした丸いドーム型の展示室になっています。本館には中央の本館ホールと第1展示場から第4展示場まであります。
【国道186号線の道の駅「スパ羅漢」(羅漢温泉)】 道の駅「スパ羅漢」(羅漢温泉)の館内に入ります。【他の写真】 【レストラン(店のスタッフさんの許可を得て撮影しています)】 道の駅「スパ羅漢」(羅漢温泉)の館内に入ってすぐ左手にレストランがありました。イワナ唐揚げ定食など旅の疲れを癒す定番メニューが揃っています。けれども廿日市市は、温泉と共に、このレストランも令和7年度に閉鎖する方向で検討しています。【他の写真】 【温泉入口】 館内の奥には温泉入口がありました。この温泉も温泉設備の維持管理費がかさむため来年度閉鎖予定です。道の駅の機能だけは残して存続されます。【他の写真】 【温泉内部(写真は「スパ羅漢」のサイトより)】 大自然に囲まれた天然温泉(ラドン泉)なので、私は時間の関係で入浴できませんでしたが、日頃のストレスも解消され、心も癒されそうです。川のせせらぎ、秋は紅葉、冬の雪景色など四
【看板「ようこそ羅漢峡 スパ羅漢の温泉へ」】 国道186号線の道の駅「スパ羅漢」(羅漢温泉・標高504m)に到着しました。途中、右手に羅漢峡(らかんきょう)がありましたが、時間の関係でパスしました。道の駅「スパ羅漢」や羅漢峡の名称は、ここから南西約5キロの地点にある羅漢山(らかんざん)に由来しています。ここに来るまで、小瀬川温泉から車で、くねくね曲がった国道186号線を約3.5km走り上がって来ました。道の駅「スパ羅漢」(羅漢温泉)は瀬戸内海沿岸都市、大竹市から直線距離で約22kmの地点にありますが、国道186号線での走行距離は約35.5kmです。 【羅漢山(左側の一番高い頂が山頂・写真は広島県観光サイトより)】 羅漢山(標高1109m)は広島県と山口県の県境にある山ですが、山頂は山口県で、所在地は山口県岩国市錦町大原となっています。羅漢山の中腹にある、らかん高原(標高800m・山口県岩国
【無人の片側通行(国道186号線)】 小瀬川ダムを出発して国道186号線を中国山地に向けて車を走らせています。途中、無人の片側通行で停車しましたのでカメラで周辺を撮影しました。この周辺の景色は中国山地の麓と位置付けられる山々になるようです。次の目的地は浅原地区です。【他の写真】 【浅原地区(広島県廿日市市浅原)】 小瀬川ダムから約5km車で走り上がって、浅原地区(標高257m・人口736人・世帯数279世帯)に着きました。人通りが少なく、ゆったりとした静かな街並みでした。国道186号線沿いに小瀬川が流れていました。浅原地区は人口減などの過疎地対策地区に指定されています。廿日市市は「誰もが暮らし続けられる浅原」をコンセプトとして「あさはらビジョン」を策定しています。各種イベントや大学教授などを招いてのミーティング、ワークショップなどを行い、浅原地区の振興を図っています。【他の写真】 【上田宗
【小瀬川(おぜがわ)ダムの管理施設が見えてきました】 マロンの里交流館を出発して国道186号線を約4km、北に向けて車を走らせると、小瀬川ダム(標高約180m)の管理施設が見えてきました。【他の写真】 【小瀬川ダム管理事務所】 国道186号線沿いの一番奥にある建物が小瀬川ダム管理事務所です。小瀬川ダムは広島県と山口県の県境を流れる小瀬川(一級水系=国土交通大臣が国土保全または国民経済上特に重要であると指定した水系)の上流部に建設された多目的ダムです。【他の写真】 【小瀬川ダム・天端(てんば)】 橋のように見えますが、小瀬川ダムの天端です。天端はダムの一番上部のことで、通常は道路や歩道になっています。小瀬川ダムは昭和39年6月に完成しました。【他の写真】 【小瀬川ダム全景(写真は山口県のサイトより)】 小瀬川ダムは重力式コンクリートダムで、堤高(ていこう=基礎岩盤から天端までの高さ)49m、
【マロンの里交流館東側の大広場から三倉岳(みくらだけ)を望む】 三倉岳(標高702m・広島県大竹市栗谷町)の頂には、朝日岳、中岳、夕陽岳の三つの鋭くとがった峰があることから「三本槍」とも呼ばれています。三倉岳の頂は古来より神と人間との一時の出会いの場と言われてきました。一番高い峯は人の「寿命」を、二番目に高い峯は「徳」を、一番低い峯は「福」を司る神の山とされています。麓の宮久保神社には三倉大明神が祀られています。【他の写真】 【芝生広場】 マロンの里交流館の東側にあります。ここではバーベキューも楽しめるとのこと(ただしエリアが決まっています)。周囲には栗の木があり、遊歩道もあるので散歩もできる自然体験型スポットです。 【芝生広場(マロンの里交流館側から東方を望む)】 私達がマロンの里交流館を訪れた時、来館者が少なく芝生広場にもほとんど人がいませんでしたので、ゆったりとできました。芝生広場は
【県道289号線からマロンの里交流館と三倉岳を望む】 弥栄大橋から国道186号線を中国山地に向け約8km車で走り上がった地点で右折して県道289号線(栗谷大野線)に入ると、すぐ左手に赤い屋根のマロンの里交流館が見えました。広島県大竹市栗谷町(くりたにちょう)にあるマロンの里交流館は三倉岳(みくらだけ・三倉岳県立自然公園)の麓にあり、すぐ裏には玖島川(くしまがわ)が流れています。近くには玖島川親水公園、蛇喰磐(じゃぐいいわ)もあります。蛇喰磐についてはこちら。【他の写真】 【マロンの里交流館】 マロンの里交流館には、直売所(新鮮な農作物・果物・栗製品・スイーツなど)、レストラン(マロンの里コーヒーハウスイシイ)、研修室、休憩室があります。休館日は毎週月曜日。 【マロンの里交流館・県道289号線からの入口】 マロンの里交流館の敷地内には農村公園(芝生公園)、植物探勝(探して見て回ること)、川遊
【国道186号線(マップ上の赤線)】 国道186号線は瀬戸内海の広島県大竹市(おおたけし)と日本海の島根県江津市(ごうつし)を結ぶ、日本を横断する国道です。大竹市を車で出発し国道186号線を上ってゆきます。ただし今回はウッドワン美術館に行く途中の探索でしたので、中国山地の麓、羅漢温泉(標高504m)までを紹介します。 【広島県大竹市・臨海工業地区(写真は大竹市のサイトより)】 大竹市には瀬戸内海を代表する臨海工業地区(大竹コンビナート)があります。瀬戸内海臨海工業地域の重要な工業地帯でもあり、5万トン以上の大型貨物船も入港可能な港も備えています。大竹コンビナートには、日本製紙、ダイセル、三井・ダウポリケミカル、三菱ケミカルなど多数の工場群が立地しています。大竹市の人口は25117人(2024年8月)。【他の写真】 【島根県江津市(写真は江津市のサイトより)】 日本海の沿岸都市、江津市は中国
【高台への坂道からウッドワン美術館を望む(正面がウッドワン美術館・左側の建物はリゾートセンター)】 ウッドワン美術館を出て徒歩で坂道を上ります。高原の高台へ向かいます。【他の写真】 【高原の高台から北方の中国山地の山々を望む】 上ってきた左側の坂道の向こうにウッドワン美術館が小さく見えます。右側に大きな駐車場があります。ウッドワン美術館の前や下方にも大きな駐車場が数カ所ありました。この高原一帯の多数の広大な駐車場は、女鹿平温泉めがひらスキー場の駐車場です(駐車料金は無料)。 【「ビッグカウリ」(高台の女鹿平温泉めがひらスキー場・駐車場内)】 株式会社ウッドワンの所有地であるニュージーランド北部のアウポリの山林で発掘された巨大な埋没木「カウリ」です。その記念に、この高台の女鹿平温泉めがひらスキー場の中に「ビッグカウリ」として設置されています。この「ビッグカウリ」は約5万年前のものであると記さ
【ウッドワン美術館・チケットカウンター&ショップ】 私達は企画展「造形作家 玉田多紀 ダンボール物語」(9月23日まで)を鑑賞しました。作家の玉田多紀さんは16年以上前からダンボールを素材とした作品を制作し環境問題や現代社会で人間が直面する問題を表現しています。ダンボールで制作された立体的な動物たちはとても可愛かったのですが、同時に「生きる課題をテーマにした物語」が広がりを見せながら、私の心に迫って来ました。作品が人生の問題を発信し問いかけてくる、そのスケールの大きさと力強さは、言葉では伝えることが難しいです。ここに来て作品を見て初めて実感できるものだと思いました。【他の写真】 【ミュージアムグッズショップ(「カフェ・マイセン」への通路側)】 美術館を出る前に、ショップでミュージアムグッズを見て回ります。受付カウンターとショップのスペースは、それほど広くはありませんでしたが、ショップでは魅
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