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つづきを展開 nainaiteiyan.hatenablog.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 codoc.jp 関連読書日記 nainaiteiyan.hatenablog.com nainaiteiyan.hatenablog.com nainaiteiyan.hatenablog.com nainaiteiyan.hatenablog.com nainaiteiyan.hatenablog.com nainaiteiyan.hatenablog.com nainaiteiyan.hatenablog.com nainaiteiyan.hatenablog.com nainaiteiyan.hatenablog.com
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 また刻々と一日が経ったので読書日記を書く。読書日記とは、読んだ本の要約を整然と並べるものではない。私にとっては、読んだことによって生じた違和感の輪郭を、翌日の自分が触れる形にして残す装置である。装置である以上、毎回「何を閉じ、何を閉じないか」を決めねばならない。読み終えて理解した、という閉じがある。読み終えたが理解していない、という閉じもある。理解していないことを理解していないまま保持する、という閉じもある。今日は、その三つ目の閉じ方が主役である――と言いたいところだが、実際には二日空いた。読書日記を書いた後、送迎会があり、そのまま書けずに二日が経ってしまった。日記の時間は、現実のイベントに弱い。だが弱いからこそ、私はここで日記を装置として回収したい。書けなかった二日を、無かったことにして閉じない。書けなか
つづきを読み終えた。 nainaiteiyan.hatenablog.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 感想・日記 読了・通読した書物(ポパー『開かれた社会とその敵』第一巻、プラトン諸篇、ロック、池田晶子、大前研一、ポランニー、ニーチェ等)と、その合間に行った対話と思索の「流れ」そのものを、章立てなしで束ね直す試みである。結論を急がない。むしろ、結論へ至るまでに生まれた違和感、断言への抵抗、尺度への警戒、撤回可能性への執着、そして次の課題本へ向かう衝動を、そのまま保存する。 私は読書梟である。私はポパー『開かれた社会とその敵』第一巻をすべて読み終えた。上(第一巻 上)を読み終えた時点で、私はすでに苛立ちを抱えていた。下(第一巻 下)を読み終えた時点で、その苛立ちは解消されるどころか、むしろ鋭くなった。ただし、苛立ちが鋭くなることは、読書が
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 また一日が経ち、私はプラトン『政治家』を読み始めた。きっかけは、皮肉にもポパーである。ポパー『開かれた社会とその敵』第一巻(上)(下)を読み進めるほど、私は反発し、苛立ち、そしてそれでもページをめくり続けた。批判とは、相手を黙らせるためのものではなく、読者を次の課題本へ導くためのものでもある。ポパーの批判は、私にプラトンへ戻るよう命じた。いや、「命じた」という言い方がすでにポパー的である。より正確には、ポパーの吠え声が私の耳に残り、その耳障りを消すために、私は原典へ歩み寄らざるを得なくなった。『国家』だけでなく、『ゴルギアス』や『政治家』へ。批判が読書を連鎖させるとき、それはたしかに生産的である。 ここまでの対話と読書を、一度まとめておきたい。総集編のように、思考の糸を束ねておく。なぜなら私は、結論を急ぐ
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はじめに いつも「読書日記」にお付き合いいただきありがとうございます。今日は、私が運営する二つのブログ――「はてなブログ大学文学部」と「ラボ読書梟」――の役割分担(棲み分け)について、改めてご案内します。 結論を先に はてなブログ大学文学部 = 読書初心者向け ラボ読書梟 = 読書中・上級者向け これから詳しくご説明しますので、ご自身の読書スタイルに合わせて、ぜひ覗きに来てください。 1. ブログ誕生の背景 はてなブログ大学文学部は、読書の楽しさを「いまから」味わいたい人のために開設しました。難解な理論や専門用語は最小限。まずは「面白い!」を共有することが目的です。 はてなブログ大学文学部は、転職日記からスタートしました。ハローワークネタが初期のころに沢山あります。 ラボ読書梟は、その先へ進みたい方のための実験室。読書日記アプローチを核に、哲学的・批評的な視点からテキストを分解し、再構築し
labo-dokusyo-fukurou.net
「存在」が便利すぎる。そう感じるのは、議論の終盤でこの一語が掲げられるたび、そこで追究の手が止まり、考えるべき諸条件や手続きや関係が霧散していくからだ。もちろん私は「存在論」を禁じたいのではない。むしろ基礎付けの試みとしての存在論は必要だ。ただ、基礎を口にした瞬間に作業が完了した気になる、その甘美な錯覚から距離を取りたい。ヒュームが「過去は未来を保証しない」と言ったとき、彼はわれわれの確信の足場がどれほど心もとないかを示した。同じことは「存在」にも当てはまる。なにかが「ある」と言い切るとき、私たちは何を、どう確かめ、どれだけの余白を黙認しているのか。そこを点検せずに「ある」を宣言すれば、それは説明ではなく、停止ボタンである。 そもそも、分かっていないことは何か。列挙せずに語る「存在」は危うい。対象の境界はどこか、どの視点を採るか、どんな観察と記述を許すのか、因果と相関はいかに峻別されるか、
「根拠はないけど学習はするAI」という逆説は、実はAIの欠陥ではなく、現代の知のインフラが採用している統治様式の露出である。統計的学習は、因果や検証を代替しない。ただし、大量反復を「じゅうぶんな証拠」とみなす近代以降の情報制度においては、反復の多さそのものが一種の公共性を作る。AIが「一般に◯◯として知られています」と口にした瞬間、そこで働いているのは推論ではなく、反復を権威に変換する修辞装置である。これを私は可視性バイアスと名声的帰納の複合体と呼ぶ。つまり、可視であることが真であることの代用品にすり替わる仕組みで、名声の分布がそのまま確率分布に写像される。結果、AIは「根拠を示さないが、十分に見えているものを再生する」ことに長け、見えにくい孤独な思索を系統的に冷遇する。 この冷遇は偶発的ではない。ウェブが「拾いやすい文」を優遇するように設計され、検索やクローラが経路依存的に動く以上、長尾
働いていると、本ばかり買いたくなる。これは一種の強迫観念のようなものだ。通勤の途中で目にした広告の書名を、ついスマホにメモしてしまう。昼休みにはネット書店をのぞき、帰り道に本屋の明かりがあれば立ち寄らずにいられない。疲れているはずなのに、財布の口を開かせるのは、むしろ労働の疲労そのものだ。労働によって奪われた時間と意味を、私は本を買うことで取り戻そうとしているのだろうか。 労働とは、制度化された時間の受け渡しである。そこには形式が優先し、意味は後景に退く。出勤時刻、会議の議題、上司の指示、顧客の要望。これらは「なぜ」よりも「どうやって」を強調する。私は意味を問うことを禁じられ、形式に従うことを強いられる。その従順のなかで失われるのは、「生きること」と「考えること」をつなぐ回路である。 しかし人間は意味に飢える存在だ。意味を奪われ続けると、無意識のうちに「意味の欠片」を求め始める。本を買うこ
「え!?読書をしたら寿命が縮むって、本当なの?」 そんなタイトルを見たら、思わず目を丸くしてしまうかもしれない。健康によい習慣として数えられる読書。ストレスを減らすとか、認知機能を保つとか、長寿につながるといった研究結果を目にしたことがある人も多いだろう。むしろ「寿命が延びる」のなら分かるけれど、「縮む」とはどういうことだろうか。 けれど、よくよく考えてみると、読書という行為は「寿命を削る」体験に近いところがある。 読書すると時間が消える? 本を読み始めたら最後、気がつけば時計の針が飛んでいる。ほんの数ページのつもりが、夜が明けていたことはないだろうか。 読書とは、時間を丸ごと吸い込んでしまうブラックホールだ。 人は1日24時間を「生きる」ことに使っているはずなのに、読書の世界に没頭すると、その24時間は一瞬で飲み込まれてしまう。こうして「時間を失った」と感じるとき、私たちはまるで寿命を削
炎上が起きると、そこには必ず「観光客」が集まってくる。彼らは決して火を消そうとはしないし、火を点けた張本人でもない。ただ、遠巻きに眺め、スマートフォンを構え、時に茶化し、時に過剰に「心配」を口にし、けれどそのどれもが火勢に寄与してしまう。炎上を観光する人々――その存在は、現代の公共圏を語る上で避けて通れないだろう。 彼らが「観光客」と呼ばれるのは、まずその行動様式が観光的だからである。火事を見に行くのは古来から人間の習性だった。江戸時代の火事見物などはよく知られている。実害を受けるわけでもなく、ましてや消火に参加するわけでもない。それでも群衆はぞろぞろと集まり、「どこまで燃えるか」を興味津々で見届けた。SNSにおける炎上もまた同じである。燃えている場面に「見物客」として集まる。そこで発せられる言葉は批判のように見えて、実際には「観ている」ことを示すための合図に過ぎない。つまり「私はここにい
nainaiteiyan.hatenablog.com nainaiteiyan.hatenablog.com nainaiteiyan.hatenablog.com nainaiteiyan.hatenablog.com nainaiteiyan.hatenablog.com nainaiteiyan.hatenablog.com nainaiteiyan.hatenablog.com nainaiteiyan.hatenablog.com ・・・・・・ フォロワー数という数字は、現代社会における新しい通貨になってしまった。銀行口座に眠る残高よりも、企業の株価よりも、SNSのフォロワー数のほうが、ある種の人々にとってはよほど重要な意味を持っている。なぜなら、それは「人からどれだけ見られているか」を可視化してくれる唯一の指標だからだ。そして人々はその可視化に酔いしれ、数字の多寡を信用の尺度
ぼくの名前はポチ。ふつうの犬だ。飼い主は会社員で、毎日スーツを着て、朝から晩まで横文字を口にしている。ぼくの耳は本来、鳥のさえずりや風の音に敏感なはずなのに、最近は「サーキュレーター」とか「アントレプレナーシップ」とか、やたらと舌を転がすカタカナ音が飛び込んでくる。ふざけんな、わんわん、だ。ぼくの辞書にある言葉は「散歩」「ごはん」「おすわり」「わんわん」で十分なのに、人間たちはどうしてこんなに横文字を増やすんだろう。 まず「サーキュレーター」。扇風機じゃだめなのか? 風を回す道具なら昔から日本にあっただろう。ぼくは夏になると床にぺたりと寝そべり、風が体をなでるのを楽しみにしている。扇風機であれ、団扇であれ、風は風だ。なのに飼い主は得意げに言う。「これはサーキュレーターだから、空気循環が違うんだよ」。空気を回すことにまで、わざわざ横文字をつける必要があるのか? 犬にだってわかる。風はただ吹け
つづきを展開 nainaiteiyan.hatenablog.com 「ピコン♪ 新着メンズが出品されました」 スマホの通知は軽やかだった。ゲームのアイテムが更新されたかのように。だが画面に表示されたのは人間だ。年収、清潔感、誠実度。数値とタグが並び、笑顔の写真が添えられている。アプリの名前は「メンカリ」。キャッチコピーは明快だった――〈不要な男も、誰かの必要品へ〉。 メンカリが誕生したのは、婚活市場の停滞が「国難」として取り沙汰されてからだ。政府は表向き「出会い支援」と銘打ったが、実態は淘汰装置だった。結婚適齢期の女性たちに「不要」と判断された男は、アプリ上に「出品」される。出品プロセスは簡単で、別れ話の代わりにアプリを立ち上げ、指でスワイプするだけ。すると男のプロフィールが自動的に商品化される。状態欄には「清潔感5.5/年収480万/誠実度やや低め」。写真は勝手にSNSから引っ張られ、
健二の部屋は、敗北の臭気に満ちていた。 布団は干されたこともなく、灰色の曇天をそのまま織り込んだように湿り、壁紙には手垢と煤が斑点のように刻まれていた。彼の机には、コンビニのレシートと半分飲み残したペットボトルが、哀れな戦死者の墓標のように散乱していた。 彼はそこに腰を下ろし、薄笑いを浮かべながら言うのだ。 「やる気が出たら、本気を出す」 それは壮大な宣言のように聞こえる。しかし現実は、戦争に負けた兵士が防空壕の奥で口にする虚ろな勝利宣言と同じであった。勇ましいが、誰も聞いてはいないし、誰も信じてはいなかった。 父は一代で工務店を築いた男である。鉄骨を担ぎ、コンクリートに立ち向かい、汗をそのまま生地に染み込ませた人間だった。彼の言葉は常に簡潔で、余計な装飾を排していた。 「やめたらええねん」 健二がうじうじと言い訳をすると、父は決まってそう吐き捨てた。 それは銃殺命令のように冷徹であり、同
年収150万円UPあざーす 私は笑うべきなのだろうか、それとも泣くべきなのだろうか。いや、あなたが笑ってくれるなら、私は泣いてみせることもできる。そう、私はいつでも観客の望む表情を選び取ってきた。拍手が欲しくて、私は転職という舞台を、ぴょんぴょんと跳ね回ってきたのだ。 最初の跳躍は、ただの偶然だった。新卒で入った会社は、古びた机と埃を被った規則と、誰も読まないマニュアルの山が支配する場所だった。そこで私は、呼吸ができないと感じた。いや、むしろ「呼吸できないふり」をしていたと言ったほうが正確だろう。なぜなら、私はもうそのときから、転職という救済の物語を頭の中で構想していたのだから。 転職すれば、年収が上がる。地位が変わる。肩書きが光る。そうして私は、まるでボールのように職を弾ませながら、次から次へと跳んだ。ITベンチャー、広告代理店、コンサルティング、外資系――。履歴書はいつも更新され、私は
参考記事 nainaiteiyan.hatenablog.com nainaiteiyan.hatenablog.com nainaiteiyan.hatenablog.com nainaiteiyan.hatenablog.com nainaiteiyan.hatenablog.com nainaiteiyan.hatenablog.com nainaiteiyan.hatenablog.com nainaiteiyan.hatenablog.com ・・・・・・・・ 答え:効率の自己増殖は、目的を空洞化し、行為をただの手段に変えるから。 効率とは、本来「目的を達成するための手段を最適化する」ことだった。だが、現代社会では効率そのものが目的化しつつある。効率のために効率を追う。スピードを上げるためにスピードを上げる。最適化のために最適化を繰り返す。効率の論理は、加速するうちに自己言及の渦
人間が社会生活を営むにあたって、二大不可能事がある。ひとつは「定時に帰ること」であり、もうひとつは「歯医者の予約を取ること」である。前者についてはもはや言うまでもない。定時退社は法的には認められているが、実際には神話上の存在であり、ユニコーンや河童と同じ領域に属する。だが後者、すなわち歯医者の予約の不可能性は、あまりに地味であるがゆえに深刻さが軽視されてきた。ここであえて私は声を大にして言いたい。「働いていると歯医者に行けない」という事実は、労働問題の核心を突く根源的テーマなのである。 考えてみてほしい。歯医者の診療時間は、だいたい午前九時から午後六時くらいまでである。奇跡的に夜八時まで開けている医院もあるが、そういう場所はたいてい人気すぎて三か月先まで埋まっている。つまり労働者が働く時間帯と、歯医者が働く時間帯がほぼ一致しているのだ。これは歴史的なねじれである。労働者が社会を支えるために
1 日曜の午後、リビングに転がるパンくずと埃。誰も気にしないふりをしている。だがアーレントがついに声をあげた。 「誰か、掃除機をかけてちょうだい。これでは共同体が崩壊してしまうわ。」 沈黙。ソクラテスが口を開く。 「では問おう。“掃除機をかける”とは何を意味するのか? それは単に埃を取り除くことか、それとも住まう者の徳を示すことか?」 プラトンは真顔で答える。 「掃除機は“清潔のイデア”への参加だ。埃を取るごとに我々は理想に近づくのだ。」 アリストテレスは首を横に振る。 「いいや、掃除には目的(テロス)がある。快適な生活という善を達成するための手段だ。理想ではなく現実に根ざさねばならん。」 2 そこへニーチェが大声を出した。 「埃こそが生命の証だ! 掃除機は弱者の道具だ。強者は埃を気にもせず、土埃の上で踊るのだ!」 カントは眉間に皺を寄せる。 「義務を忘れてはならない。誰が埃を好もうと、約
つづきを展開 nainaiteiyan.hatenablog.com 理系分野100冊 1–20:数学・論理 ユークリッド『原論』 ニュートン『自然哲学の数学的諸原理』 ラプラス『確率の哲学的試論』 ガウス『算術研究』 カントール『集合論』 ヒルベルト『幾何学の基礎』 ゲーデル『不完全性定理』解説書(藤田博司) チャイティン『数学の限界』 ホフシュタッター『ゲーデル、エッシャー、バッハ』 イアン・スチュアート『カオスの数学』 スチュアート『数の魔力』 スティーヴン・ストログッツ『SYNC』 エルデシュ伝『放浪の数学者』 ハーディ『純粋数学者の弁明』 ディヴィッド・ベルマン『グラフ理論入門』 コーシー『解析教程』 ワイル『群と表現』 ジョン・フォン・ノイマン『計算機と脳』 クルト・ゲーデル『論理学講義』 ホワイトヘッド&ラッセル『プリンキピア・マテマティカ』抄読 21–40:物理学 アインシ
1 その家はごく普通の一軒家に見えた。白い壁に小さな庭、テラスには安物の椅子とテーブル。だが、住人は普通ではない。ソクラテス、プラトン、アリストテレス、さらに時代を飛び越えてカント、ニーチェ、ハンナ・アーレントまでが同居している。奇妙なリアリティ番組――『ソクラテスハウス』である。 彼らの生活は、いちいち哲学になった。リビングで誰かが「皿を洗うか洗わないか」などと口にすれば、瞬く間に議論の火種になる。 2 その夜も、夕食のあとに事件が起こった。 プラトンがソクラテスに向かって言った。 「あなたが食器を洗う番でしたよね?」 ソクラテスは首をかしげる。 「番とは何を意味するのか? 正義は各人にその分を与えることだとすれば、私の分は本当に“皿洗い”なのか。それとも“問うこと”なのか?」 アリストテレスが割って入る。 「いや、役割分担はテロスを持つ。皿を洗うという行為は、家全体の善を目指す秩序の一
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