心は言葉でできている、と言ったのはジャック・ラカンだ。 それで最近は、「み」のことが気になっている。 「わかりみ」の「み」は「みんな」の「み」だって思うから。 でも、みんなって一体、誰だ? わかりみが深い、優しみがある、うれしみ、よさみ……。この数年のうちに、たくさんの「み」が周囲に溢れた。いずれの「み」も新鮮な響きをたたえている。使うと楽しく、小気味が良い。けれども、どうしてだろう。「み」が増えれば増えるほど、自分自身から遠ざかってゆく気がする。 「わかりみが深い」と口にしてみる。 すると、「わかる私」が消え去って「わかりみのある何か」が立ち現れる。「わかる / わからない」の主題は「何か」が引き受けてくれる。「自分がそれをわかるかどうか」は、他人事になる。 「私はわかります。なぜなら……」と話し出すとき、個人的な考えを紡いでゆくことは容易だ。 だが、「わかりみ」からはじめると、ことは少