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note.com/shinshinohara
(日本のエリートが官僚を目指さなくなった問題を指摘する意見に対し) そうですね。第二次安倍政権が生まれるまでの官僚は、良くも悪くも「国のこの部分を自分が改善することができた」という充実感を持てたんですよ。その充実感があったから、民間に勤めた同級生と比べて給料が低くても、徹夜連日でも、面白くて頑張れていたんですよね。ところが。 第二次安倍政権から政治主導の仕組みがスタートしまして。まあ、これは民主党政権時代にできた法律が動き出したんですけど、「官僚は政治家の思いつきに従え、従えないやつは左遷だ」という忖度政治が始まったんですよね。しかし所詮は思いつき政策。問題点を指摘しようと気骨ある官僚は諫言しました。 そしたら怒鳴られる、拒否される、左遷させられる。気骨ある官僚が逆鱗に触れるとみんな飛ばされるし、諫言しても言うことを聞いてもらえないので、官僚たちもこれは無駄だと口をつぐむようになりました。
蓮舫氏が負けた理由に「共産党と組んだからダメなんだ」という論調をよく目にするけど、共産党の押しがなかったらもっと票が少なかったのでは? 蓮舫氏が負けたのは、立候補表明で批判に終始したのが最大の敗因のように思う。あの記者会見で「こりゃダメだ」思ったもん。 それに、年配者には共産党アレルギーがどうしたわけか強いみたいだけど、若い人はよくも悪くも「知らない」から、そんなに拒否感ないと思う。共産党支援がそこまで負のファクターかというと、考えにくい。単に最初の記者会見で大きく躓いたのが原因のように思う。 ところでどなたか教えて欲しいんたけど、労働組合はなんであんなに共産党嫌いなん?学生の頃、「労働組合は社会党系、共産党じゃない」って聞いて驚いたことを覚えている。共産党って労働者の味方ちゃうかったん?なのに労働組合から嫌われるって、どんな歴史的経緯があんのん?と疑問に。 ソ連が崩壊するまで、「社会主義
(農水省元事務次官の事件は、母親だけの問題ではないのではという指摘に対し) ええ、あのケースは父親も大きな影響を与えていると思います。私が国家一種で採用されて、新人研修を受けた時、当時の事務次官として講演したのがあの父親でした。講演内容は「陳情をなるべく聞くといいですよ」というもの。そこで私は質問しました。 「阪神大震災では、神戸市東灘区だけで170箇所もの避難所があり、中にはボランティアが一人しかいない高齢者施設もあり、独りでお弁当を運ぶだけで疲弊するなど、とても陳情する元気がない、というところもたくさんありました」 「陳情に来る人は、地方から新幹線や飛行機に乗り継いで霞が関までくる元気とお金がある人たちだと思います。しかし本当に困っている人は、東京に出ることもできないほど困窮しているかもしれません。そうした声なき声に耳を傾けるにはどうしたらよいでしょうか」 すると当時の事務次官は「阪神
実例をいくつか知ってるけど「サンプル数少ないし」と黙っていた案件。ところが複数の指導者から同じ話を最近よく聞くので、これはやはり比較的よく起きる症例らしい。 高学歴父親とそうでもない母親の組み合わせの場合、母親は勉強以外を許そうとしないガチガチの管理教育をしがち。 もし子どもの成績が悪い場合、「私が悪いからって話になるじゃない!」と考え、何としても勉強できるようにしようと長時間の勉強を子どもに強い、ゲームやマンガ、テレビなどの娯楽は極端に制限するという管理に走りがちな傾向。 私の知ってるケースでは、父親は幼い頃から成績がよく、「親から勉強しろと言われたことがない」という父親ばかり。だから妻(母親)が子どもを勉強漬けにし、遊びを極端に減らすことに困惑してる。しかしそのことを妻に告げると「もしほっといて成績悪かったらどうするの!私のせいになるじゃない!」 何を言っても聞き入れてもらえず、手を焼
「うまいこと子育てされているなあ」と思っていたご家庭があった。そこの子は野山を駆け回り、虫を捕まえたりトカゲを育てたりと、自然に親しんで遊んでいた。ああ、こんな育て方したいよなあ、と思っていた。ところが中学2年生の頃、異変が起きた。 友達のところでやらせてもらったテレビゲームにはまってしまった。そのゲームをやりたいがために、友達の家に毎日のように押しかけて、何時間も遊んでくる始末。さすがに他人の家にご迷惑をかけるわけにいかぬ、と、それまで買っていなかったゲーム機を買った。すると、もう四六時中ゲーム。 その子はゲーム依存症になってしまった。その結果、勉強にも手がつかなくなってしまった。ゲームを禁じてしまうと、かえってゲームをやらずにいられなくなり、依存症に陥りやすくなるのかもしれない。この子の事例は、大きな教訓となった。 私が中学生の頃、ファミリーコンピューターが普及し始めていたように思う。
教科書や参考書を使った効率的学習がとても非能率で、遊びの中で好きなことを好きなだけ学ぶ非効率なやり方がとても能率がよいのは気がついていたけど、それがなぜなのか、長らく言語化が難しかった。人工知能の研究の話を聞いてから、「ああ!だからか!」と納得がいった。 昔の人工知能では、モノをつかむということがとても難しかったらしい。いくら「正解」を覚えさせても少しズレたり荷物の形が違うだけでつかめなくなってしまう。応用力がまるでなく、なかなか使い物にならなかったらしい。 しかし「深層学習」という手法を取り入れてから、劇的に改善したという。 深層学習では、「正解」を教えない。ただ、右から左へ荷物を動かそうとする「動機」だけプログラムする。するとロボットアームは何度も荷物をつかもうとトライしては落とす。何百回、何千回も失敗を重ねる。そして一つ一つの失敗から学習を重ねていく。すると。 やがて「こういう形の荷
もう二十年ほど前から「東大に進学するのは裕福な家庭」という報道が繰り返されている。そしてそのことを知っている人は非常に多く、今や常識。そのためか、街角インタビューでも「どうせ東大生は金持ち出身なんでしょ、だったら学費上げても構わないでしょ」という意見が。 これは恐らく「金持ちからはふんだくったらいい、ざまあみろ」という報復感情も多少手伝っているのだろう。 しかし実態は逆になる。金持ちには150万円の学費なんか痛くもかゆくもない。しかし貧困家庭ではとても支払えない金額。単に貧困家庭を大学という学歴から締め出す効果しか起きない。 これと似たことが政治でも。日本では「政治家はカネに汚い」というイメージがある。どうせ権力を利用してお金儲けしてるのだし、元々金持ちだろうから、政治家は無給にしてタダ働きさせればいい、という意見がしばしば出る。これを、金持ち政治家に一矢報いるアイディアくらいに思う人が少
慶応大学の塾長が、国立大学の学費を150万円に、と発言して話題に。私立大学の苦境を反映してのことだろう。私大はなぜ苦しくなっているのか。2つほど思い浮かぶ。一つは少子化。子どもの数が減ってるのに私大はむしろ増えている。定員割れも増え、経営破綻する私大がやがて出てくるだろう。 もう一つ、案外ボディーブローのように効いてるのは、国民全体が貧しくなっていることにあるのではないか。私大に子どもを送り出す余裕のある家庭が減っているように思う。 津市では、高級品を扱うスーパーが安売りスーパーに衣替えした。閑散としていた店内は賑わいを取り戻した。が。 これは喜んでよいのかどうか。少しでも体によいものを、そのためには少々値の張るものでも、という購買行動をとる消費者が減っていることの証のように思う。少し贅沢をしよう、という消費者が減り、少しでも食費を削ろうとする家庭が増えているということなのだろう。こうした
よくもまあこんな机上の空論を前提にした政策を考えたものだと思う。いったいどんな「有識者」をそろえてこの政策を考えたのか、不思議。農業のことをろくに知らない人間が考えたとしか思えない。ただひたすら罵倒したいところをグッと抑えて、何が問題なのかを考えてみる。 https://news.yahoo.co.jp/articles/24e68dc66e4527c9f45eefcd0ec54733b7facf18?source=sns&dv=pc&mid=other&date=20240529&ctg=bus&bt=tw_up 食糧危機が起きるリスクがある場合、海外から食料が輸入できなくなっているということだろう。そんな事態が起きた場合、当然、様々な資材が手に入らないだろう。肥料や石油も手に入らないかもしれない(種子は、コメに限っては大丈夫だと思うが)。となると、増産しようにも増産できない。 戦後間も
食品ロス削減に熱心な学生が演壇に上り、「農家の現場ではまだ十分食べられる野菜が大量に捨てられているのを見てショックだった、これを売って食べれば食品ロスは減らせる。規格に合った野菜だけを売るのはおかしい」と訴えていた。会場にいる人達もウンウンとうなづいていた。 そんな中、私に話が振られた。「実は規格外の野菜を出荷しようとすると食品ロスが増える」という話を始めた。 「曲がったキュウリは箱の中にうまく収納できず、輸送中にガサゴソ動く。するとスーパーに届く頃には傷だらけになる。かたや、真っ直ぐなキュウリは隙間なく詰められるから傷つきにくい」 「トマトが数個ずつパックされてるのは、プラスチックとラップなどの資源無駄遣いに見えるかもしれない。けれどああでもしないと、日本の柔らかくて傷つきやすいトマトを店にまで届けることができない。」 「傷ついてもいいじゃないか、と思われるかもしれない。けれど傷ついた野
2001年入省の官僚の間では、私はちょっとした有名人だった。新人研修のとき、事務次官だろうが誰だろうがズバズバ質問するので、「どうせ篠原が質問するんだから最初からマイク渡しとけ」と言われるほど。当時の新聞で「今年の新人はえらくやる気がある」と評されていたのは、たぶん私のせい。 そんな私を蛇蝎の如く嫌う同期と、面白がる同期とにスパンと分かれた。そりゃまあ、これから出世したいと思う人間は、私と親しいなんて思われたら迷惑だと思ったに違いない。けれど不思議なことに、私に触発されてズバズバ質問するのもいたりして、必ずしも一色ではなかった。 金融庁の課長が私の参加してるグループで懇談。「何兆円ものお金を動かしてる、この国を動かしてるんだという快感」の話、税務署に行ったらいきなり署長で、トップとして君臨する快感とかの話。 で、私に触発された同期が「あなたのポリシーは?」と質問したら、その課長、ドギマギし
私は当初、日本酒が大嫌いだった。甘ったるくてベタベタして悪酔いする。決定的だったのは、大学入学したての時の歓迎会。日本酒コップ一気飲みをやらされ、当然ながらゲーゲー吐いた。目が回ってグラングラン。「ポン酒」はもう飲まないぞ!と心に決めた。 私が日本酒の旨さに目覚めたのは阪神淡路大震災。当時は真冬。暖がとれなかったため、薪になるものはないかと町中を歩いていたところ、酒蔵が倒壊していた。申し訳ないけれど、薪に使わせてもらえないかとそこにいた人に声をかけた。すると、コンクリートの建物に手招きされた。 薪にしたいなんて言ったから怒って殴られるんじゃないか、とおっかなびっくり入ったら、「ボランティアか?搾りたてを飲ませてやろう」と言われた。その時口にした飲み物に衝撃を受けた。果物ジュースのように豊潤で、それでいて切れもよい。いくら飲んでも飲み飽きしないおいしさ。 こんなうまい飲み物がこの世にあったと
イギリスで3人子育てしておられた方のお話、むっちゃ面白かった。日本と違いすぎて比較にならない。忘れないうちにメモ。 ・大学進学には3教科勉強してればいい。 ・法学部に進学するのにその子が選んだのは英語、心理学、社会学。 ・高校では基本的なものだけでも24教科。さらに細分化。 ・たとえば日本だと「美術」とひとくくりだけど、絵画、彫刻などに教科が細分化。それのうちの好きなの取ればよい。 ・学年の考え方が弱い。興味があれば上の学年の教科をとってよい。下の学年の教科から苦手をやり直しても構わない。 ・でも3教科だけ勉強すればいいから、得意なことしかしない。 ・3教科の成績は生涯の証明書になる。たとえばA.A.Bという成績なら、ずっとそれがついて回る。ただしもう一度カリキュラムを受け直して成績を上げることは可能。そのためにトシ取ってからまた学校に通う人多い。 ・大学出てから就職するとは限らない。1年
もしこの事件が起きなければ、西洋が世界を牛耳ることもなかったかもしれない。世界中で侵略を重ね、各地に植民地をもち、科学技術を発展させ、今も世界をリードし続ける存在にはなれなかったかもしれない。この事件が西洋を目覚めさせ、世界最強の地域に変貌させることになった。それが十字軍。 十字軍が起きる前、西洋は世界でもとびきり技術が遅れていた地域だった。というと、不思議に思われる人もいるかもしれない。西洋は古代ギリシャ・古代ローマ帝国の時代から、世界最先端地域だったはずではないか、と。ところが中世ヨーロッパは、一時、石器時代にまで技術が後退していたといわれる(※技術を残した地域もある)。 確かに古代ローマ帝国が健在だった頃は、世界最先端地域だった。ところが4世紀にゲルマン人の大移動が起きて、帝国が崩壊すると、あれよあれよと文明も技術も失われてしまった。「連鎖倒産」が起きたからだ。 ゲルマン人達はローマ
面白い体験を伺った。とある女性が初めてテレビゲームをやってみたら、普段からやってる息子が「そこはこうしたほうがいい」「次はこうなるから気をつけて」と教えてくれて、かなりうっとうしかった、と。他方、やったことのない夫は一緒にドキドキしながらうまくいくと驚いてくれて、嬉しかったという。 その経験から、人間には教えたがる本能があるのではないか、という指摘がなされていた。これは大変面白い話だと思う。教えたくなる本能、これについて考えてみたい。 私の考えでは、教えたいという気持ちは、「驚かしたい」という気持ちの変形なのでは?ということ。 テレビや雑誌、ネットなどで新しい情報を仕入れ、他の人にそれを教えると「へー!」と驚いてもらえた経験は、皆さんお持ちだと思う。教えるという行為は、人を驚かす行為でもあるのだと思う。それは恐らく、子どもの頃からの経験から生まれたもののように思う。 幼児はよく、「ねえ、見
ビートたけしに始まり、ダウンタウンが引き継いだ「いじり」という手法は、集団を「嗤(わら)い」で支配できるということを子どもたちに示してしまった面があるように思う。 頭の回転がよく、言葉巧みな強者は、特定の人間を「いじられキャラ」に仕立てることで嗤いを生む。この場合、 いじられキャラと目された人間は、他のポジションを要望する自由を奪われる。もし拒否すれば、「笑いがわかってない」「せっかくお前が主人公になれるようにしてやったのに」と恩着せがましさを見せながら相手を罵り、それでも拒否するなら集団から排除する。「おもんねーヤツ」とレッテルを貼って。 こうした強者は空気を支配するのがうまい。大学のサークルの新歓コンパで、そうした先輩がいた。新人に自己紹介をさせたあと、ビールを何杯も飲ませて酔い潰させていた。さて、私の番。ビールを飲み干し、コップを頭の上で逆さにし、「あー、うまかった」と言ってそのまま
「イジられキャラはいじられることでコミュニティの仲間入りができるのだから恩恵であり、いじり芸は肯定されるべきでは」という意見が複数。 この主張、私から見るといくつもの点で粗雑に過ぎるように思う。その点を考えてみたい。 まず、最大の過ちは「いじり」という屈辱的な形でしかコミュニティに入れないと前提しているその発想の貧困さ。 私の教え子で長年不登校状態だった引きこもりの子が。その子は当然、人の輪に入るのが超苦手。しかし一念発起して北海道に一人旅に。安く泊まれるライダーハウスに入った。 隅っこで小さくなっていると、一緒に食事しよう、と誘われた。ライダーハウスのルールだと聞いてその子は渋々参加した。ところが、とても居心地がよかったという。無理に発言を求められることもない。でもその場にいるみんなが、話の輪のメンバーとして自分を認めてくれている安心感。 その子はすっかり北海道を気に入り、ホテルの裏方の
大学院生を食事に招いたところ、女子学生二人とも赤ちゃんを抱いたことがないという。当時赤ちゃんだった息子を抱いてもらった。おそるおそる。毎日食事に招いて、そのたびに赤ちゃんと触れ合うことになり。あるときふと、「実は子どもが苦手だったんです、どうすればよいのかわからなくて」と。 親類にも小さな子はおらず、子どもと出会う機会はなかったという。で、子どもという存在の得体が知れないので、どうすればよいかわからず、距離を取ってきたという。「でもこうして毎日接するうちに、かわいいと思えるようになってきました」。二人とも早くに結婚し、子どもも授かってる。 ウェブ飲み会で「親ガチャ」について話していたときも、若い女性が「子どもと出会う機会がない」と話していた。職場の女性の子どもと少し挨拶するくらい、お客さんの連れて来る子どもと少しすれ違うくらいで、それ以外には子どもと接することがないという。だから子どもを生
最近、親ガチャという言葉をよく聞くようになった。生まれた家によって子どもの環境が決まってしまうのは昔からの話だが、ここにきてなぜ「親ガチャ」という言葉が根付いたのだろう?ということを、昨日のウェブ飲み会で話し合った。その中で、面白い指摘があった。じゃりン子チエ。 テレビアニメのその番組で、チエは見事な「親ガチャ」だといえる。夫婦は別れてお母さんはいない、父親はバクチとケンカばかりするろくでもない男。チエはしばしば「うちは世界一不幸な少女や」と愚痴るシーンがあったように思うけれど、その割にタフでいつも明るい。ホルモン焼き屋を自ら経営。 そして肝心なのは、私の子どもの頃、こうしたチエみたいな存在を、必ずしも非現実的だとは感じなかった、ということ。こうした子どもはいるんだろうな、という感じ。実際、私の知っている人でも、建築用重機を貸し出す会社の社長もなかなかな子供時代を過ごしていた。 戦争でみな
「お金もらうわけにいかないし、晩飯だけ食べさせて」という約束で家庭教師をしていたことがある。指導することになったその子の状況について、家族全員に説明していたところ、その子の妹が不思議そうに「なんで文章みたいに話せるの?」と聞いてきた。 その家族の会話は、ほとんど単語で終わっていた。「ねえ、○○は?」「おい、△△しろ」その場の状況から察することができるから、単語で事足りる生活をしていた。状況から察する能力があるのだから、頭は悪くない。ただし、言葉を鍛えられる環境にはなかった。 もちろん家族の誰も、本を読む習慣がなかった。「文章」と出会うのは、学校の教科書くらい。そんな生活環境の中で、私のように「文章」のように論理を組み立ててしゃべる人と出会って、その妹は驚いたようだ。 そのような生活環境で言葉を鍛えることができるかというと、難しい。言葉を鍛えなければ、学校の勉強についていくのも難しくなる。何
どうやったら子どもが勉強するようになるのか?という質問が複数。いくつか事例を紹介してみようと思う。 私の父は二つの小学校のガキ大将(どうやって?)だったのだけど、一緒に遊んでた悪ガキが、中学に入ってしばらくすると学年でダントツの1位になったという。 その同級生は、父親から「中学生になったら、お父さんと机並べて勉強するぞ」と言い渡されていたという。で、仕方なく毎晩机に向かっているうちに、宿題でもするか、試験前の勉強でもするか、となるうち、学習が楽しくなってきて、瞬く間に学年一番になったという。 私もそれに近いことを。中学2年の冬、ある事件をきっかけに、父が受験勉強(証券マンになる資格試験)をしてる横で机を並べることに。それまで勉強する習慣なんかないから、とにかく落ち着きがない。イスをギーコギーコ。のけぞったり突っ伏したり。教科書の間にマンガ挟んで読んだり。 しかし父は私がサボってるのに気づか
私の塾は基本、成績のあまりよろしくない生徒が来ていたのだけれど、たまに勘違い(?)した親が、ものすごく成績の良い子を連れてきて「お願いします」と言ってくる場合があった。中学受験に失敗し、高校受験で挽回したい、という熱意を母親が持っていた。面接のとき、母親は子どもに語りかけた。 「あなた、同級生の○○ちゃんが合格して、泣いて悔しがったでしょう?高校受験で挽回する、って誓ったじゃない!?○○ちゃんは今頃頑張っているよ。負けていられないわよ」子どもはうなづきつつも、またその話か、といった、辟易とした顔をした。 不合格だった時は、本人も口にしてその通りのことを言ったのだろう。けれど、それを言質に取られて、母親からヤイノヤイノと急き立てられる毎日に、ほとほと疲れ切った様子だった。塾以外の時間も勉強漬けにされ、中学1年なのに眉間に険が走っていた。大の勉強嫌いになってしまっていた。 自分の親とはいえ、他
勉強できない子は一般に、理解力がないからだとされることが多い。塾で主に「勉強できない子」とされる子らを見てきた私からすると、そうは思わない。むしろそうした子の9割は「考えすぎて混乱」していることが多い。糸がもつれてこんがらがって、イヤになってるという感じ。 「勉強できない子」は、しばしば分数でつまづく。そもそも、分母と分子が区別ついてない。これには指導者側にも問題があって、私にも覚えがあるけど、分母と分子を指導者が言い間違えることが結構ある。聞いてる側からしたらよけい混乱。 私は「下の数字はケーキをいくつに切るか、や」「上の数字は何切れあるか、や」と、口語表現にして説明していた。しかし「説明」という言葉自体が混乱を招いている。言葉に縛られて混乱していることが多いから、言葉は最小限にして、「体験」で学んでもらったほうがよい。 1/3を見せて「さあ、このマルをいくつに切る?」と言いながら、マル
大学教員の方から、富裕層に有利な社会であることを望んでいる学生が多いという話を聞いた。ホリエモンなどの動画の影響が大きいのでは、とのこと。富裕層は努力し才能もあったから豊かになった、貧乏なのは努力しなかったから、という論理を真に受けている若者が大変多いらしい。 動画の世界では、20年前から続く新自由主義の考え方がまだ主流にあるらしい。動画という新しいメディアにガンガン出てるのはいかにも活躍してる感じだし、今の若者はYouTuberに憧れてるとも聞くし、自分もそうした富裕層に仲間入りできる、と考える若者が増えるのも不思議ではないかも。 でもこれ、なんだかデジャブ。90年代後半から「悪平等」という言葉が流行るようになった。日本は頑張った人間に報いない、頑張った成果をみんなに配ってしまい、努力した人間にはせいぜい金一封。これでは努力した甲斐がないと言われ始めた。やがて2000年代に入ると、この考
(技は見て盗め、というタイプの指導者を根絶させたい、マニュアルも作って丁寧に教えたいという書き込みに対し) ここ、難しいところで。教えるのがうまい、あるいは親切に教える人のところだと人がかえって育たないという不思議な現象があって。 ろくに教えず、教えるのがヘタだと自覚もあって、頼むから勝手に育ってくれという人のところのほうが人が育つという矛盾めいた現象もあって、単純ではない。 なぜ教えると人が育たなくなるのか?教えられた人は、教えられたその言葉に縛られて、眼の前の現象を観察しなくなる、あるいはできなくなる、ということが起こりやすい。上司の言葉を聞き逃すまいということに必死になって、上司に「聞いてなかったのか』と叱られるのが怖くて、必死になって聞く。 すると、上司の言葉に集中することに必死のため、目の前の現象を落ち着いて観察するゆとりがなくなるらしい。器用な人は切り替えて観察できるのだけど、
FB友が「なぜ大谷翔平の親は『大谷翔平の育て方』を語らないのか』という問題提起をしていた。これは大変興味深い視点。将棋の世界で7冠を誇る藤井聡太氏の親御さんも、本や講演の依頼が多いだろうに、語ったことはない。なぜ講演依頼を引き受けないのか?受ければ年億単位の収入となるだろうに。 恐らく、「私達が育てたんじゃなくて、あの子が育ったんだ、自分たち以外の皆さんが育ててくださったんだ」という思いをお持ちだからではないか。そういう思いがしっかりしてるから、語る気にならないのではないか。もし語ったら、その途端、全てが崩れ去る気がするのかも。 私は部下育成の本を書かせてもらったけど、当初、全然筆が進まなかった。自分がどう育てたか、みたいな自慢をするのはなんか変だと思ったし、私の力で育つものではない、と強く感じたからだ。筆が進みだしたのは「私を育ててくれた人のことを書こう」と思った時からだった。その時、気
言語化は「言葉を操る」とは違う。言葉を巧みに操ることは、言語化から最も遠い姿だと思う。言葉に言葉を重ねたら、自分の感覚から遠ざかってしまう。言語化は、自分の感覚に肉薄することであって、言葉を連ねることとは違うように思う。 だから、言語化は、言葉巧みな人よりも言葉の拙い人のほうが最も近いところにいるように思う。自分の感覚を言葉にできず、もどかしい思いをしているなら、それは最も言語化に近い状態。言語化は、自分の感覚に肉薄しようと四苦八苦して言葉を紡ぐことなのかな、と思う。 言語化のもう一つのコツは、人に伝わるかどうかを指標にしないこと。人に伝わることを指標にすると、どうしても常識的な言葉を選ぶことになり、自分の感覚から離れてしまう。言葉の選択も制限されてしまう。自分の感覚により近づけた、と、自分でしっくりくることを大切にすること。人を指標にしない。 自分がしっくりするなら、その分野では使われな
辻󠄀由起子さんからシェアの許可を頂きました。 読んだあと、開いた口が塞がりませんでした。 国の方、どうにかして下さい。 ・・・・・ 貧困の連鎖は、国がつくっている。 【政府より、電力・ガス・食料品などの価格高騰対策として、住民税非課税世帯を対象に1世帯あたり3万円を給付する基本的な方針が示されました】 知ってました? 引っ越しを数回したら、マイナンバーカードを行政に取り上げられる…というコントみたいなルールがあることを🤣 カードの記載欄が、住所変更でいっぱいになるから…が、理由ですって(笑) マイナンバーの存在意義って…?(笑) 取り上げられた後、自ら、再発行の手続きが必要です。事務処理は2か月半。 https://www.city.kita.tokyo.jp/mynumber/kumin/card04.html?fbclid=IwAR2VwdwKSqkHMZb9nI1e-RBe5-p
(ずいぶんと堅苦しい名前だけれど)社会構成主義の考え方、結構面白い。 アメリカでは中絶問題で世論が真っ二つに割れている。賛成派と反対派で議論すると、互いに相手の主張のおかしいところを攻撃し、自分の主張の正しさを訴える。話は平行線に終わり、関係性は断絶したまま。ところが。 リクツを戦わせるのをやめ、なぜ自分が中絶に反対するようになったのか、あるいは賛成するようになったのか、そのきっかけとなった個人的体験を語ってもらったところ、お互いに「ああ、そういう体験があると、そういう意見になるのは当然だよな」と理解と融和が進んだという。 この現象は興味深い。リクツというのは一見論理的で、論理的だからこそ普遍的なものだという思い込みがある。その普遍的なリクツから言えば相手の意見は非常におかしく矛盾に満ちていて、自分の理論こそ正しい、としか思えない。しかし相手は相手で同じことを考えている。ここに断絶が生じて
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