Linuxの日本語入力の歴史は血で描かれている。Linuxには企業に雇用された専任のIMEチームなどない。ごく限られたリソースで細々と紡いできた足跡を辿って築かれている。開発者がその孤独と重荷に耐えきれなくなった時、一人またひとりと斃れていき、悠久の歳月を経て誰かが足跡の後を引き継ぐ。 そうした先人たちの努力のおかげで、今日僕たちはさほど苦労せず日本語入力を行うことができる。かつてフタバスズキリュウが福島県沖で猛威を振るっていた時代を思い出してほしい。あの頃、我々の祖先はまだ海の底でこそこそとソースからビルドしていたのだ。 しかし生物の進歩に際限はない。やっとの思いで陸に上がった我々がやがて空を穿ち宇宙に昇ったように、ひとたび日本語入力を手に入れると今度は品質が気になりはじめる。Linuxの日本語入力は最低限の実用には耐えても、小説やエッセイなどの文章創作では明らかに事足りない。少しでも文