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GWの過ごし方
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「PLAN75」という映画をAmazonプライムで観た。 75歳以上になったら、特に健康上の理由がなくても、希望すれば安楽死を選択できるという、国の制度の話だ。 もちろんフィクションであり、ある種のファンタジーだけど、予告編を見た時は、これってセンセーショナルな話となり、国会とかで取り上げられ、学校教育の場でも取り上げられ、なんて僕はちょっと考えていたが、実際には、国会と言えばAmazonプライムで観れるようになった今だって、1回も出席せずにクビになった人がどっかの国から帰って来るとか来ないとかの話くらいしかなく、この作品が教育現場に持ち込まれて議論されるといった事もこれまでなかったみたいだ。 「なんだか現実に十分にありそうで、怖いよね、世の中、ますます世知(せち)辛くなって来たしね」 ということで、終了である。 というのに驚いた。 なんだぁ、結構、みんなもう諦めムードなのかな? 食い詰め
2023/07/11 ほぼ10年ぶりの駐在先は山奥の田舎の町で、上海などと比べると都市とは言えないくらいどっぷりローカルな場所だ。それはいい意味でかなりのローカルということ。スタッフに招かれて行った地元の料理店で、僕はその迫力のある料理の数々と対面して、改めてこの異国の地方に久しぶりに戻って来た事を実感した。 が、一方でこの国のこの10年の変化は日本の30年分に等しく、生活の利便性向上は、システム化、デジタル化、EV化を軸に進み、既に日本のずっと先を行っている。 当たり前の話で、若い年齢層の消費性向とか需要に対応する形で、この国は技術を発展させ社会の仕組みを作って来たからだ。要するに「携帯電話で全てが解決する」そんな便利な世の中である。 2000年代に当時はまだ世の中では「若手」だったホリエモンがそんな時代が来ると公言してたなぁ、そのあと結局、日本では技術やアイデアはあったのに年寄り達のお
2024/08/29 異国の地に赴任して季節が一巡した。まだまだ残暑厳しく、たいていは工場の建屋の中にいるけど、時々は40度を超える炎天下を外へ出かけ、倉庫を走り回り、スタッフに指示し、戻って汗でずぶ濡れになったYシャツを着替え、もう一度、工場を回る。あとは夜が更けるまで事務所でPCに向かって数字と格闘だ。 そんな日々を過ごしていたら、平日の昼間、現地の友人からグループメッセージで写真と詩が送られて来た。彼はプライベートで知り合った人だけど、近郊の農村から街に出稼ぎに来ていて、平日は会社の寮で生活しながら労働し、週末にはバスに乗って3時間かけて地元に帰って家族と一緒に過ごし、日曜日の夜中にまた街に戻って来るといった生活を送っている。この国にあまたいる一般的な労働者の一人だ。 一人で食べる昼の食事の侘しさ それは決して良いものではなくていい ただただ自分の胃を満たすだけでよい どのみち、人生
再びアジアの山奥へ行けと言われて、家に帰ってからその旨を家人に伝え、あらびっくり、と言っているうちに、一週間もしたらまた呼び出され、ちょっと事情が変わって、アジアの山奥じゃなくて南方の海の上にある国に行けと言われたので、家に帰ってからその旨を改めて伝え、あらそれまたびっくり、と言っているうちに、さらに一週間したらまた呼び出され、やっぱりアジアの山奥へ行けと言われた。 話が二転三転するからもう家人はびっくりしない。要するにまた貴方はノートPCのディスプレイの向こうに行くのね、とこちらを見ないで言っている。 ウン、ごめん、Skypeで話すにも何かとノートでは持ち運びに不便だろうから、タブレットを買ってくるよ、もし自治会とかでタチの悪い連中に君が絡(から)まれても大丈夫、そのタブレットを取り出しな。僕が「タブレットおじさん」として画面の向こうからちゃんと言ってやるよ。 「情報収集にはやっぱり紙に
2025/03/30 久しぶりに湯舟に浸かった。 僕の住む異国の地域は、ご多分に漏れず、お湯に浸かってリラックスするという習慣は無く、マンションの自分の部屋にもシャワーしか付いていないから、出張などでどこかの都市部のホテルに泊まらない限り、湯舟にパシャンと浸かるなんて機会はないのだ。 で、その出張に行く機会が久しぶりにあり、しかも上海のその宿泊先のホテルの部屋にかなり大きめのバスタブ(たぶん大柄な西洋人とかが入っても大丈夫なサイズ)があったので、僕は嬉しくなって、たっぷりお湯を貯め、パシャンと浸かった。 そして、勢い余って足が滑り、大きなバスタブの底に全身がするりと潜り込んで、一瞬、頭のてっぺんまで身体がお湯の中に浸かった。完全に水中に身体を浸けるなんて一体いつぶりだろうか? 前回、海へ泳ぎに行ったのが15年くらい前だから、水面を下から眺めるっていうのが、本当に新鮮で懐かしい気持ちに感じた
以前「明け方の若者たち」という映画を観て、作品の中に若者時代に暮らしていた明大前の風景が頻繁に登場し、ひどく懐かしい思いをしたが、人づてで「花束みたいな恋をした」という、これまた青春ど真ん中の恋愛映画も明大前が登場すると聞いて、Amazonプライムで観た。 「明け方の若者たち」の時は、懐かしい街の風景が次々と現れて目をつい奪われ、ストーリーそのものが全然頭に入って来なかったけど、今回の作品で明大前は主人公たちが出会う場面(終電を逃す場面)で使われていただけで、その他のシーンも甲州街道沿いを歩くシーンが少しあったくらいで、「懐かしい!」というのが最小限に収まり、僕は物語をすっかり満喫した。 こんなオッサンが、こんな眩(まばゆ)い青春真っただ中の作品を映画館に見に行くのはちょっと恥ずかしいけど、その点、サブスク万歳である。僕は家のリビングでソファに横になりながら、時々うたた寝しつつ、また巻き戻
2024/01/15 珍しく晴れ上がって青空が広がっていたので、休日にコートを着て近くを散歩した。大昔の時代の儒学の学校である「書院」というのが、中国のあっちこっちに復元されていて、そこら中で大なり小なり観光名所化され公園などになっており、そのうちの一つが住んでいるマンションの近所にあるので、初めて散歩に行ったのだ。 書院は川の中州に復元されており、屋根付きの橋を渡って歩いて行くのだが、これがまたいかにも大昔からあったかのような豪華な見た目で復元されている。地方都市も含めて、お金のあるうちにこういった観光施設をあっちこっちに作ってしまう、というのは我々の国も35年くらい前に経験したなぁ、なんて考えながら僕は橋を歩いている。 バブル期に建てられた妙に豪華な建造物が、日本のあっちこっちで無人のまま老朽化して、社会問題になった時期が少し前にあったっけ。 書院は昔の儒学の学校と言ったが、宋代以降は
2025/10/10 ご飯を食べに行って、家族が「あーおいしかった」と自然に言うのを耳にした時、なんだか、これ以上の生きる意味なんて無くても上等だな、って思うことがある。 たいていは、食後にレストラン等から出て、帰りの車に向かう駐車場を歩きながら耳にする言葉だけど、こういう言葉を聞くために、僕は頑張り続けていて、そしてやっぱりなんだか、結局のところ自分が生かされているのを感じる瞬間でもあるのだ。 「あーおいしかった」を発した時のその言葉の魔法の威力。 もちろん、自分自身もこの言葉が自然と口からこぼれた時は、無条件の幸せを感じている。無条件というのは、自己完結していて目的が不要ということだ。過去も未来もなく、とにかく今を大満足して、それでさっぱり終了、という潔(いさぎよ)い幸福である。 さっき食べたオムライスは本当に美味しかった。テーブルに現れたその姿は、デミグラスソースがたっぷりかかってい
子供のころの夏休みの楽しみの一つが、「○○文庫の100冊」といった類の各出版社から夏に出される小冊子を書店からもらって来ることだった。カラフルでおしゃれなイラストがいっぱいのその冊子を何度も眺め、自分のまだ読んだことのない本の紹介文を読みながら、いろいろ想像した。 80年代、僕は小学生だった。紳士服の仕立屋だった父親は既製品の勢いに押されてどんどん仕事がなくなり、僕たち一家は借家を転々として暮らしていた。めっぽう貧しかったけど家族は仲が良く、お金がなかったけど子供の僕はお金がかからない楽しみ(書店からタダの小冊子をもらってくるとか)をたくさん見つけ遊んでいた。 それでもやっぱり、小冊子を見ているうちに欲しくなった文庫に赤マジックで丸をつけ、貯金箱のお金を何度も取り出しては、買うべきか買わざるべきか悩むこともあった。小冊子で初めて知った作家たちの小説は、きっと僕を新しい世界に引きずり込み虜(
2026/01/20 知り合いに葡萄を貰った。大粒で艶やかな色をした紫色の葡萄だ。 僕が駐在している国はとんでもなく広いから、例えば陸続きで続いているラオスと鉄道を繋げて、じゃんじゃんドリアンを運び込んだら国内で価格破壊が起こった、なんてなこともあり、北から南から西から、その向こう側の場所で栽培されたものを、道路や鉄道で輸送路を繋げて持ってきて、一年を通し、たいていの果物は供給できる状態にしているのだ。 なので、冬だからと言ってこの葡萄も特別に高級なものではなく、スーパーで普通の値段で売っている。そして、こんな風にちょっとした贈り物として、季節外れの果物をよく人から貰ったりするのである。 僕は一粒一粒をつまみ、もぎって口に入れ、甘いなぁ、美味しいなぁなんて、リビングで一人で味わいながら、あ、この葡萄だって、前の日の夜にテレビで見た映画「アレキサンダー」の主人公のおかげなんだと、ふと思った。
仕事でもプライベートでもなかなか上手く行かない、前に進んでいかない、苦しい、みじめだ、空しいなんて、腐るほど経験するのがフツーだけど、それが「フツーだよね」って寝そべりながらゲップでもするように言えるのは、その人が年をとっているからである。人間の年齢は我々に、肉体の衰えという悲しい試練を与えるが、同時に、「面の皮が厚くなる」という素敵な贈り物もくれるのだ。 が、若い人はそうは行かない。若い人たちは可能性という希望がある一方、傷つきやすさの呪縛の中で生きている。なかなか上手く行かない、前に進んでいかない、苦しい、みじめだ、空しい、のまま落ち込んで行き、そのまま気持ちが底の底まで墜落して行って、ある日、「仕事を辞めようと思います」と打ち明けて来る。 何?仕事辞めてどうするの?ユーチューバーになってバンライフとか始めるの?仕事なんてどこだって一緒だよ。どうせ天然資源がこれっぽっちもない貧しい国な
2024/05/08 週末に一人で夕ご飯を食べてプラプラしたあと、よく行く音楽バーがある。その付近はちょっとした繁華街になっていて、こじんまりした豫園(上海の観光地)みたいな建物が連なり、なぜか中央に地元出身の昔の儒学者の銅像が並んで、その周りを火鍋屋さんや串焼き屋さんなどの飲食店が取り囲むように密集し、更にその奥に、僕の行きつけの音楽バーがあるのだ。 どかんと中央にある銅像については、えらく立派なモニュメントで、その人物の略歴を解説したプレートまで付いているけど、読んでも僕はよく分からない。きっと地元の人々が誇りに思う立派な儒学者だったんだろう。 あたり一帯に火鍋の香辛料の匂いと、羊肉の焼ける香ばしい香りが立ち込め、店の中にも外にも人が溢れて、みんなペチャペチャ賑やかに喋り、バクバク美味しそうにご飯を食べている。そう、ここは現世を楽しみ尽くそうとするエキスパートの集まり、中国の人々の国で
2024/06/17 人それぞれなのかもしれないが、異国にいると尚更、やっぱり日本的なものがいいなぁ、なんて求めてしまう部分がある。 僕のいる東アジアの山奥の街は日本人がほぼいないところだから、やれ日本人同士でツルんでゴルフだ、飲み会だなんてな機会が無いぶん楽だけど(そういうのが一番アホくさくて嫌だ)、その分、街のどこにも日本的なものが存在しないので、どっぷり海外生活って感じで楽しい代わりに、時々はさすがに日本的なものが欲しいなぁ、なんて思うのだ。 先日、骨付きの鶏肉(地元料理)を食べていたら、パキッて音がして奥歯の被せものが割れ、やばいなぁ、この歯はやっかいな歯で、下手に治療するとまた虫歯が再発して、いよいよ「抜かないとダメです」まで行きそうな歯なんだよなぁ、と思ったから、やむを得ず日本のかかりつけの歯科医院で新しい被せものの型を取る為に(型を取っておいて、来月に休暇帰国の予定があるので
2025/07/04 異国の地に住んでいて、ここはやっぱり東アジアだし日本とあんまり変わらないなぁと思うことが多い一方、そうは言っても、生活していて時々は「オォ、やっぱり自分は海外にいるんだなぁ」と実感する場面もあり、例えば日本ではなかなか目にすることがない人々の様子などを見た時に、新鮮味を感じてその映像が記憶に残る。それはいい意味で未だに慣れない、何度見ても飽きることがない光景だ。 そのうちの一つ、日常生活の中でよく見るもので、小さなスクーターに2人乗りどころか4人乗りをしている家族の様子がある。通勤時とか、街でローカル飯を食べた後でぷらぷら歩いている時にすれ違う、まるで曲芸みたいに複数人で乗っているスクーターの人たちだ。たいていは、みんなスクーターの上で仲良く抱き合って乗っている。あるいは、しがみつきながら乗っている。 もちろんルール違反だろうが、そんな曲芸乗りは、これでもかというくら
2023/12/09 「酸湯魚」という料理があって、貴州料理だけどもともとは中国の少数民族であるモン族の伝統料理と言われている。見た目がちょっと辛そうだが、赤いのは発酵したトマトが使われているからであり、極端に辛いという訳ではなく、冬の寒い日に食べると体の芯から温まるそんな素敵な料理だ。 ソウギョとかライギョとかの川魚の白身が入っているけど、ちゃんと泥抜きしてあるから別に臭みはなく、むしろその魚の出汁(だし)がいい感じにトマトベースのスープに絡んでいて、味が絶品なのである。 モン族はもともと揚子江あたりに住んでいたが、国が興亡する戦乱の歴史のなかで少しずつ南下し、インドシナ半島の方も含めてあっちこっちに散らばって定住した。今も貴州あたりで大規模に纏まって生活していて、集落が観光地になっている。僕は映像で見ただけでその観光地に実際に行ったことないけど、先日、寒さに震えて外からとある料理店に入
2024/10/13 上海の天山茶城でお茶を買った。 天山茶城とは上海にある有名なお茶市場の一つで、連なって建っている雑居ビルにお茶の専門店が何百軒も入っている、ちょっとディープだけど、お茶好きにはたまらない名所だ。薄暗いビルの中に所狭しと店が入っていて、お茶や茶器がこれまた店の中に所狭しと並べて置いてある。 もっとも僕だって中国茶に興味をもち始めたのはこの半年くらい前のことであり、今年の旧正月に家人が中国へ遊びに来た時、「中国茶の茶器が欲しい。あれで飲みたい」と言い出したので、上海に行き、この天山茶城でお茶を買い、ついでにちょっとドキドキするような値段のお茶道具一式をお土産に買わされ、日本へ上機嫌で帰って行くのを見送ったところからスタートだ。 道具一式を買ってあげたのはいいけど、なんであんなに器(うつわ)の種類があったんだろう?天山茶城のお店で試飲させてもらった時に出てきた細長い器(うつ
秋の初めに嬬恋へ行った。再訪である。浅間山の麓(ふもと)一帯に広がるキャベツ畑を観たいと思っていたのだ。 夏前に初めて行った時はまだ時期が早過ぎた。キャベツは芽が出始めたところだった。でも、もしこれが全部丸いキャベツとして成長したら、きっとすんごい景色なんだろうな、いつか絶対に観に来たいな、なんて思っていたから、ついに念願がかなったのである。 で、実際に目の当たりにしたけど、こりゃ有名になるだけあると思った。広大な畑に緑色のキャベツたちが延々と育っていた。その向こうに浅間山と高い秋空が広がり、まさに壮観である。 僕たちは車に乗って、どこまでも続くキャベツ畑の間を走り抜けた。美しい景観だった。最高のドライブコースだ。何度も行ったり来たりし、「愛妻の丘」でおにぎりを食べ、また走り出した。ずっと走っていたい風景だった。 その昔、ヤマトタケルが東国征伐に行く途上、海上で暴風雨に遭った。船はうねりに
2024/12/22 毎日、仕事に追われ、あっという間に日々が過ぎ、気づけばもう年末だ。 日本にいれば小さなスーパーにでさえクリスマスソングが流れ、デパートへ行けばおせち料理のコーナーが並び、街の雰囲気も人々の動きもいよいよ年の瀬って感じでせわしなく、でもみんなちょっとウキウキしていて、否応がなく「あぁ1年が終わるんだなぁ」って感じられるけど、ここは中国でした。 今年の旧正月は1月の末から2月初なので、12月の半ばになっても、街や人の雰囲気もほぼ通常通りで、「年の瀬」って感じが全くない。ちっともない。当たり前だろう。だって彼らにとって、年の瀬とか正月はさらに一カ月先のイベントなんだから。 ということで、だからと言って周りに日本人がいる訳でもなく、相手をしてくれるような日本語をしゃべれる店員のいる店も街になく、そもそも12月末にそんな雰囲気を外に飛び出して味わえる環境ではないので、僕は部屋の
2024/02/11 「強くなければ生きていけない。優しくなければ意味がない」 僕は学生時代に大学の寄宿舎で生活していたけど、そこはまさに「ザ・寄宿舎」って感じの古めかしい鉄筋の建物だった。 実際、戦前に建設されていて、終戦直後にはGHQに接収され米軍の宿舎にも使用された。大学の敷地内にあるその寄宿舎に、20歳前後の若者たちが地方から集い、青春を謳歌して、卒業(卒寮)して行ったのだ。部屋も廊下も今じゃ考えられないくらいボロボロで、時代は既に平成だったけど昭和のデカダン宜しく、そんな環境の中、僕たちはジャージ姿でウロウロし、毎晩どこかの部屋に集まっては酒を飲み、騒いだ。 もしちょっと一人になりたければ屋上に上がって、鉄製のフェンスにまたがり、眼下に広がる街の風景を見ながらゆっくり煙草を吸った。 20畳3人部屋、というのが寮の規則だったが、僕も1年生の時は、4年生と2年生の先輩と同じ部屋で暮ら
昔はやたら洋画ばかりを見て、邦画なんてほとんど観ることがなかったのに、最近は妙に心に沁みることが多く、邦画浸けである。いいなぁと思う作品が多いのは、それだけ邦画の作り手の層が厚いのかなとも思う。 「浅田家」は有名な写真家の話だし、今はなき写真雑誌の「アサヒカメラ」で何度もその方の作品を見たので、興味があった。いったいどんな人なんだろう、というやつだ。で、映画館へ行くのを行きそびれて、結局、Amazonプライムで観ることになった。便利な世の中だ。 子供時代に父親からもらったカメラを使って夢中で撮る、なんて自分の人生にも重なるところがあって、あっという間にストーリーに気持ちが入り込んで行く。主人公は、自分の家族がみんなで消防士とかのコスプレをして撮影する、という一風変わった「家族写真」に取り組み、これで世に打って出て、紆余曲折の末、木村伊兵衛写真賞という小説で言うところの芥川賞のような権威のあ
「たねや」の末廣饅頭(すえひろまんじゅう)が食べたくなって、家人を連れて近江八幡を訪れた。残暑のまっすぐな青空が頭上いっぱいに広がる休日だ。 近江八幡は八幡堀を挟んで古い町屋が建ち並ぶ美しい水郷の街である。豊臣秀次が築いた城下町を起源とし、一日のんびり歩いて過ごすにはちょうどいいくらいのサイズで、土産物屋も多い。 僕たちは八幡堀沿いをゆっくり歩き、時々立ち止まって手漕ぎ船が流れて行くのを眺め、たねやに向かった。本当に美しい街である。豊臣秀吉の甥である秀次は、18歳でこの地に入城し、街を築き、大人たちに補佐されて善政を敷いた。彼はこの地では名君として名を残すことが出来た。 で、末廣饅頭である。黒糖を使った茶色い素朴な饅頭を、僕たちはたねやに入って並んで買って、店の外のベンチに腰掛け早速食べた。ちゃんと甘いけど、全然クドくなく、サイコーに美味しい。小さな饅頭なのでついパクパク行ってしまう。やっ
街にはクリスマスソングが流れ、行きかう人々の表情もなんだかウキウキしていて、というのは昔の話で、地味な感じの年末だなぁ、なんて思いながら歩いている。だいたい、みんなマスクしていて、街を行きかう人々が笑っているのか、泣いているのかよく分からない。人々はなるべく集まったりしてはいけないし、なるべく直接触れ合ってはいけないのである。会話もディスプレイ越しが望ましい。という具合の昔はSFの設定以外になかったような時代に、幼少期や思春期や青春を過ごした人たちが、我々の数十年後の老後を支えることになっている。いや、支えないだろう。感情なくゴミのように捨てるかも。自分たちだって貧しいし、別に年寄りだからって尊敬できるわけでもないし、そもそもアイツら生産性が低いし、みたいな感じで。 来年あたりから、「大学時代にサークルとか入る機会なかったですよ。講義も大半がリモートだったし、飲み会なんて高校時代の友人数人
2025/08/20 今年の夏休みはお盆に一時帰国が出来た。どこ行っても混んでいるけど、まぁ、日本なんだし何でも美味しいし、何しろ安心だし、どこへも行かずに自分の家でのんびりしたいと思った。 でも、そうそう、駐在期間の一時帰国なんて家族接待が主目的なんだから、家人が前から行きたがっていた場所へ旅行に連れて行こう、そこはまた日本ではなく外国だけど、別に気にはしない。 「空港なんて、いつも見送るか、見送られるかだけで私は嫌い。一緒に飛行機に乗って出かけ、一緒に飛行機に乗って帰って来たことなんて、ほとんどないから」と寂しそうに言っていたから、了解、分かった、帰国期間の一部を使って今回は連れて行くよ。一緒に出掛け、一緒に帰って来よう、と言ってしまったのが間違いのもとである。 会社での仕事を一区切りして、まずは上海へ飛んだ飛行機の窓から、眼下に広がる壮大な雲(ラピュタに出てきそうな)を眺めているうち
、 学生の頃、駐車場バイトというのをやっていて、マンションの機械式駐車場の受付をする仕事だった。駐車場はもちろんマンションの住人も使えるが、外部からやって来る客もいるので、そんな外部からやって来る客の乗りつけた車を、中に誘導したり、ターンテーブルを操作して車の向きを回転させたり、駐車代を受け取ったりする仕事だ。 その仕事場は横浜の日吉にあったので、場所柄、ハイソな(ハイソサエティの略です。ハイソックスの略ではありません。昭和生まれなので・・・)客が多く、近くにたくさんお受験向けの塾があった事もあり、子供の英才教育をやっている教育ママが、子供を外車に乗せて連れて来ることが多かった。 乗りつけたそんなマダムたち(たいてい美人)が運転席から降りると、制服を着た僕が駐車カード渡しに行く。あとはお子様と手をつないで歩いて行くのを頭を下げて見送り、数時間後、お受験の為のお勉強が終わって帰ってきたら、お
2025/09/26 「石のきもち」(井上康成 出版社:ひさかたチャイルド)という本を読む機会があり、柔らかくてユーモラスなイラストがたくさん載っている絵本だが、なんだかとても気に入ってしまって、その場で全部読み切ってしまった。 で、家人にお願いし、日本で買って持って来てもらった。 今はこっち(駐在先)のマンションのリビングのソファーの上に、無造作にポンと置いてある。仕事から帰って来てゴロンと横になって休んでいる時や、休日の午前中にやっぱりそのソファーに寝転がってくつろいでいる時などに、何度も手に取り、何度も読み返している。 別に、大人にも響く内容だとか、大人が人生を考えさせられる話だとか、そういう風に思って気に入った訳ではく、なにしろ一つひとつの絵があまりに素敵で、ページをめくりながらずっと眺めていてもその絵に飽きないのである。もちろん内容もいい。 「石のきもち」だからストーリーは石の立
なんだか90年代生まれの人たちというのはずっと年下なのだが、ひょっとすると大きく世の中を変えるのかも、と思うことが多い。音楽もそう。スポーツもそう。これまでの感性からスパっと飛び抜けた成果や作品が多く、いったい誰なんだって調べてみると、たいてい90年代生まれの人たちだ。たまたまなんだろうか。 最近じゃこんなオッサンが、通勤途中の車の中でJazzの合間にKing Gnuを聞いている。 「走れ、絶望に追いつかれない速さで」なんて題名が、もうあれだね、ランボーの詩みたいで、カッコよすぎるなぁ、と思って監督をネットで調べると、ありゃやっぱり90年代生まれか、そして詩人なんだ、と納得する。若くにしてこんな凄い才能が発揮できるなんて本当に大したもんだ。 映画は始終、美しい映像と構成で話が進み、最後のシーンも本当に美しい。こりゃ一遍の詩だね。主人公は親友が死んでしまった理由を知りたくもあり、知りたくもな
2025/12/08 目が覚めると外は久しぶりに雲一つない晴天だったので、軽く朝ご飯を食べ、コーヒーを飲んだあと、散歩に出かけた。 タクシーで30分くらい走ったところにある古い村が、ちょっとした観光地になっていて、まぁそういうところはあっちこっちにあるのだけど、その村には古い道観(道教の寺院)の建物が残っていると聞いていたので、一度見てみようと思ったのだ。 道観はもちろんお寺だから、昔は道士がそこで寝起きして修行していたところだ。となれば、子供時代にテレビで見た「霊幻道士シリーズ」のキョンシーが大暴れしていた舞台だ。なんて、それ程度の好奇心でしかないのだが、いいでしょう。休日の気晴らしは大切である。 僕の駐在している内陸の僻地は、一瞬の秋(2週間くらい)が終わったら一気に冬になり、一気に気温が下がり、そこからずっと毎日どんよりとした曇り空が空を覆う。 そのままどんよりと曇った毎日が、春まで
2024/09/22 中秋の名月を見た。復元された古城がライトアップされていて、その向こうに美しく光っていた。ここ中国では中秋節という立派な休日があって3連休だった。みんな一緒に家族と過ごし、団らんし、月餅を頬張ったのだろう。 僕はと言えば、いつもの休日の通り、その日も朝から洗濯して、掃除して、そのあとちょっとお腹もすいて来たし、なんか出前でも取ろうかなと思ったけど、外は天気がめっぽういい。 今晩は中秋の名月なんだから、部屋に閉じこもってないで、一人でプラプラ外へ出かけようって決めたのだ。マンションから出てタクシーに乗る。翌日も休みだから、夜遅くに帰って来ても問題なかった。 空は気持ちいいくらい晴れていて、残暑の向こうにうっすらと乾燥した涼しい風が流れ、それが窓を開けたタクシーの車内にも入って来た。なるほど、まだまだ気温は30度を超えているけど、確かに季節は秋になったんだなぁって思った。汗
2024/07/07 休暇帰国を利用して北海道へ旅行した。 今回の帰国のタイミングが季節の上で梅雨のど真ん中だったし、一方せっかくの休暇なのだから、僕は日本の美しい夏空を見たかったので、いっそ帰国したその日に家には帰らず、そのまま降り立った空港から乗り継いで千歳へ飛んで、梅雨のない北海道の青空を見に行こうと思ったのだ。日本に着くやそのまま旅行に行ってしまう、というプランである。会社に顔を出すのは旅行から帰って来てからでいいや、そんな具合だった。 そして北海道と言えば、やっぱり海鮮です。僕の住んでいるこんな異国の内陸では絶対に食べられない、あの新鮮でサイコーに美味しい魚介類たちをどうしても食べたい。ついでに登別温泉に行ってゆっくり疲れを癒して、あぁそうそう、7月初なら富良野のラベンダーがきっとキレイだぞ、なんてスカイプで家人を相手に事前打ち合わせしていたら、 「私は馬が見たい」と言い出した。
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