歴史の謎研究会 西洋医学を学んだ日本人女医第一号は、あのドイツ人医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトを父に持つ“オランダおいね”こと楠本イネだ。そこに至るまでには、父との生き別れと再会、医学の師とのいざこざ、医師資格の喪失など、さまざまな運命が待ち受けていたという。 シーボルト事件が運命を変えた “オランダおいね”こと楠本イネは、西洋医学を学んだ女医としては日本人第一号だ。父親は、改めて言うまでもなく、あのドイツ人医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトである。 ドイツで医学の名門の家に生まれたシーボルトが日本に来日したのは江戸後期の文政六年(一八二三)七月のこと。その身分は、オランダ東インド会社の日本駐在員、つまり長崎・出島のオランダ商館付医師というものであった。 そこでシーボルトは楠本滝と知り合い、文政十年五月六日、滝との間に一人の娘をもうける。それがイネである。イネは両親