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Xフジノンの明るいノンガウス part1 バブルボケの出るお値打ちレンズ Fuji Photo Film X-Fujinon 55mm F2.2 オールドレンズの分野では2~3年前から世界的に流行しているバブルボケであるが、火付け役となったメイヤー社のトリオプラン(Trioplan)100mmは中古市場の相場がついに10万円を超え、流行前の10倍の価格にまで跳ね上がってしまった。入門者には手を出し難い高嶺の花である。しかし、バブルボケの性質自体は何も特別なことではなく、程度の差こそあれ古いトリプレット系レンズやその発展形態のエルノスター系レンズなどに普遍的にみられる描写傾向なので、探せばトリオプランのようなレンズは案外どこにでもある。ポイントは後ボケの硬いレンズである。10万円も出す必要はないので1本紹介しよう。富士写真フィルム株式会社(現・富士フィルム)が一眼レフカメラFujica AX
ライツ初期のマクロ撮影専用レンズ Ernst Leitz SUMMAR 8cm F4.5 ある筋から山崎光学写真レンズ研究所の山崎和夫さんがご愛用のレンズと聞き、俄然興味を持ったのがSummar (ズマール)F4.5である。Summarの歴史を遡ると、何とLEICAの登場よりも古く、1907年には既にLeitzのハンドカメラとともに同社の広告に掲載されていた[文献1]。1910年にはマクロ撮影用モデルの原点と考えられる顕微鏡用のSummar 24mm F4.5が製造されている。Summarと言えばLeica用に供給された一般撮影用レンズの50mm F2が有名だが、このモデルが登場したのは1933年とだいぶ後の事である。 今回取り上げるのはマクロ撮影専用モデルとして設計されたSummar 8cm F4.5である。焦点距離8cmのモデル以外には24mm, 35mm, 42mm, 64mm, 1
世の中には数え切れない種類のレンズがあり、欧州の光学メーカーにはその一つ一つに固有の名称を与える素晴らしい伝統があります。こうした製品名には開発者の理念や製品コンセプトが反映していることが多く、レンズグルメの一人としては見逃すことのできない重要なポイントです。これは欧州のカメラ産業が日本のようなオールインワンでの製品開発を主流とはせず、カメラやレンズ、シャッターなどパーツ毎に開発と生産を分業する体制を敷いていたためではないかと考えられます。 さて、最近「カメラ名の語源散歩」(新見嘉兵衛著・写真工業出版社)という本を手に入れ読んでみましたが、とても興味深い内容でした。ぜひ購入されていてはいかがでしょうか。 本ブログで過去に話題にしたレンズやメーカー等についても、その名称の語源が沢山取り上げられていましたので、この本を含むいくつかの参考文献から関連情報を引用し、私のTEXT&表現で紹介させてい
広い画角にわたり均一な画質を維持することのできる球形状のレンズは、広角レンズに適した設計とされている。このことはレンズの形状が完全に球であると仮定することで、光軸がどの方角にも定義できないことから容易に理解できる。一般にレンズの描写力は光軸の近く(写真中央)が良好で、そこから外れるほど(周辺部ほど)悪くなる。ならば、レンズが光軸の概念を捨てたとき、写真には一体何が写るのであろうか。無収差の世界か。それとも完全に破綻した世界か。おそらくそれは、この種の球形レンズを使った人にしかわからない。 左はCarl ZeissのTopogon(R.Richter設計)で米国特許Pat 2031792(1933)に掲載されていた構成図からのトレース・スケッチ、中央はKMZ製Orion-15の構成でthe 1st Soviet Camera Catalogue (1958)に掲載されていたものからのトレース
MZ-3改造計画・・・やめてくれショッカー 今回のテーマはPENTAXが1997年に発売した一眼レフカメラのMZ-3をオールドレンズ専用機に仕立て上げることです。このカメラはオートフォーカス機にしては珍しく、ダイヤル式の操作系を備えています。レトロなデザインとAF機としての新しさが見事に調和し、大ヒットしたペンタックスの名機です。銀河鉄道999のような「ハイテク仕様の機関車」に出会ったような、不思議な魅力を感じてしまいます。 1 アクセサリーを揃える:マグニファイアーとゼブラ・ストラップ このカメラにはペンタックスが別売りで販売している純正部品のマグニファイアー(写真の①)をつけることができます。ピント合わせをマニュアルフォーカスで行う場合、マグニファイアーを通してファインダーを覗けば、目的の被写体に対してピントが合っているかどうかを楽に判断することができます。マグニファイアーを使用しない
Pancolar(パンコラー)の前期モデルと言えば黄色く変色したガラスを持つことから、いわゆる「放射能レンズ」の代名詞的な存在となっている。カラーフィルムでの撮影時にみられる黄色転びの激しさが容易には受け入れられず、かつては安値で売買される時期もあった。しかし、デジタルカメラの登場が窮地のレンズに救いの手を差し伸べている。カメラの画像処理エンジンに組み込まれているカラーバランスの自動補正機能が発色の癖を強力に補正し、写真の仕上がりが大きく改善したのである。長い間、死蔵品のような扱いを受けてきたレンズの価値はここに到って見直され、もともと温調な発色を好む欧米人からはノスタルジックな写りが素晴らしいと評価は上々である。経年による材質変化を長所に変え、デジタルカメラとのコラボレーションで見事な復活を遂げたのである。 ハイテンションな色ノリで世界を華やかに写しとる 温調レンズの決定版 PART1:
Camera Mount for Helicoid Tube(CMHT) and Focusing Helicoid Tube マニアの野望を叶えるレンズ遊びの究極ツール ヘリコイドチューブ用カメラマウント x フォーカッシング・ヘリコイドチューブ ヘリコイドチューブ用カメラマウントとはショートフランジのミラーレス機にフォーカッシング・ヘリコイドチューブというレンズの繰り出し機構を搭載するためのジョイントアダプターである。一般的なマウントアダプターとは異なり、カメラとレンズの間にヘリコイドチューブを内挿させるために用いる道具である。ヘリコイドチューブを導入すればレンズ本体が内蔵ヘリコイドを持つ必要はないため、活用できるレンズの範囲が広がる。バーレルレンズやエンラージングレンズ、複写用レンズ、プロジェクター用レンズ、工業用レンズなどにヘリコイドの繰り出し機構を提供し、これらをミラーレスカメ
Carl Zeiss Jena BIOMETAR 80mm F2.8, M42/P6(Pentacon-six) mount 前群にガウス、後群にトポゴンのレンズ構成を配し、奇跡的にも両レンズの長所を引き出すことに成功した優良混血児のことをBiometar/ Xenotar型レンズと呼ぶ。この型のレンズ設計は戦前からCarl Zeissによる特許が存在していたが、製品化され広く知られるようになったのは戦後になってからである。他のレンズ構成では得がたい優れた性能を示したことから1950年頃より一気に流行りだし、東西ドイツをはじめとする各国の光学機器メーカーがこぞって同型製品を開発した。この種のレンズに備わった優れた画角特性(広角部の画質)と解像力の高さは、後に圧倒的な性能によって日本の主要な光学関係者達を震撼させた銘玉Xenotar (クセノタール)の存在からも明らかで、開放時に中央部で18
ソビエト連邦の白い鷲と黒い鷲 KMZ Industar 50 and 50-2 50mm F3.5 Rev.2 インダスター50(50-2)は1950年代後半から90年代初頭にかけて、ロシアが旧ソビエト連邦時代にモスクワ近郊のKMZ(クラスノゴルスク機械工場)で製造した50mm/F3.5のパンケーキ型標準レンズである。通称「鷲(わし)の目」とも呼ばれるシャープでキビキビとした描写で有名なカールツァイスのテッサーを手本に造られた(下図)。レンズを設計したのはKMZのM.D. Maltsevという人物で、彼は有名なJupiterシリーズを設計したことでも知られている。開放からフレアのないスッキリとした描写で、赤や黄など暖色系の発色が良いと評判である。 インダスター50には初期型ZENIT(M39マウント)用の交換レンズとして1960年代に製造されたアルミ鏡胴のモデル(前期シルバーモデル)と、
Schneider社が1932年に開発したLeitz Xenon 5cm F1.5(写真・上)。稀代の名設計士A.W. Tronnier (トロニエ博士)が世に送り出した2作目のガウス型レンズであり、1936年のレンズの発表当時で写真用レンズとしては最も明るいF1.5を実現していた。下の写真は後継製品として1949年に登場したLeitz Summarit 5cm F1.5である。 トロニエの魔鏡2 不遇の最速レンズ Leitz XENON 5cm F1.5 and SUMMARIT 5cm F1.5 1923年にErnemann(エルネマン)社のL.J.Bertele(ベルテレ)とA.Klughardt(クルーグハルト)が発明したErnostar(エルノスター)は世界最高速のレンズとして登場し、光学機器メーカーの各社に衝撃を与えた。1925年に映画用として登場したErnostarは何と開放
Carl Zeiss Jena TESSAR 50mm/F2.8 and Carl Zeiss Oberkochen TESSAR 50mm/F2.8 時代が引き裂いた2本のZEISS TESSAR(4枚玉)。その名の由来はギリシャ語の4を意味するテッサレスとされている。左奥は東ドイツ産で右手前は西ドイツ産だ Carl Zeissは第二次世界大戦後のドイツの東西分断によって東ドイツの人民公社Carl Zeiss Jenaと西ドイツのZeiss Opton(現Carl Zeiss)社に分裂し、1990年に西側ツァイスが東側を吸収するまでの間、2社による独立した企業活動を展開していた。今回取り上げるTESSAR(テッサー)はSONNAR(ゾナー)と並び、戦前からのツァイスを代表する主力ブランドであり、分裂後も東西両社から後継品が次々と生み出されていた。 M42マウントのTESSARが登場したの
HELIOS-44(M39), 44-2(M42), 44M(M42), 44M-6(M42) 44M-7(M42) 58mm/F2 and Carl Zeiss Jena BIOTAR 58mm/F2(M42) カールツァイスとロシアの模倣レンズ群団1 安価で高性能なロシアン・ビオターの魅惑 ロシア(旧ソビエト連邦)は同国占領下の旧東ドイツから多くの光学技術を手に入れ、自国のカメラ産業を発展させてきた。中でも東独カールツァイス・イエナ社の技術はロシアのカメラ産業に多大な影響を与えた。戦後のロシアではゾナー、ビオゴン、ビオターなどのツァイスのレンズをもとにしたコピー品や、フレクトゴンやテッサーの模倣品がロシア製レンズとして生みだされた。今回取り上げるHELIOS-44シリーズもそうした類のレンズで、ロシアが1958年から生産を続けている焦点距離58mm、開放絞り値F2の大口径単焦点レンズの
いまカメラ女子の間でこのレンズがブームとなっており、ブログのアクセス解析にも、その過熱ぶりがハッキリとあらわれている。ロシア(旧ソビエト連邦)のLZOS(リトカリノ光学ガラス工場)が1960年代から2005年頃まで製造したIndustar (インダスター) 61 L/Zである。このレンズはアウトフォーカス部の点光源が星型の形状にボケる、いわゆる「星ボケレンズ」として知られている[文献1]。 去る10月のある日、私はJR山手線のシートに腰かけ、東京駅から上野駅を目指していた。気が付くと目の前に若い2人のカメラ女子が立ち、何やらインダスターの話題になっていた。しばらく耳を傾けていると・・・
eBay.comは1995年に米国カリフォルニア州で生まれた世界最大規模のネットオークションである。2007年6月時点において世界28ヵ国に拠点を持っている。日本へは1999年に進出したが、YAHOO!オークション(通称ヤフオク)が幅を利かせていたため、シェアを伸ばすことができず、2002年に早々と撤退している。一方、多くの経済大国ではeBayがネットオークション市場のトップシェアを獲得している。外国製のオールドレンズを国内市場よりも安く入手できるのが特徴であり流通量も多い。珍品を探し求めるならば中古店やヤフオクで探すよりも効率が良い。世の中にはアンティークカメラ専門のネットオークションも存在する。West Licht PHOTOGRAPHICAが良い例だ。品質が高く珍しい品が多数出品されるなどeBayよりも魅力的だが、オークションの開催期間が年数回に限定されているため、実際には流通量に勝
TOMIOKA MAMIYA-TOMINON 32mm F1.7: レンズ構成 5群6枚拡張ガウス型(ULTRON型), 定格イメージフォーマット ハーフサイズ(APS-C相当) レンズ構成は5群6枚のULTRON型で、前玉(G1)と2枚目(G2)に曲率の大きな分厚い正レンズが使われています。反対に後群側は小さく、前・後群のアンバランスが著しいのが特徴です。レンズを設計したのが誰なのか確かな情報はありません。ただし、この時代ですと富岡光学の木下三郎氏であった可能性が濃厚です。ネットでは同時代に販売されていたYASHICA HALF17搭載のYASHINON 3.2cm F1.7と同一設計のレンズではないかという噂もありましたが、手元に両レンズがありましたので比較してみたところ、前玉の曲率やレンズ径などが明らかに異なっており、両者は別設計でした。この時代、ヤシカと関係の深かった富岡光学
爺さんの髪は白銀、父さんは白髪混じり、僕は真っ黒フサフサ。何の話かと言えば、カールツァイス・イエナの人気玉、35mmのフレクトゴンである。フレクトゴン35mmは東独VEBツァイス社のHarry Zöllner(ハリー・ツェルナー)とRudolf Sorisshi(ルドルフ・ソリッシ)がContax用Biometar 2.8/35を一眼レフカメラに適合させるという方針で1940年代後半に設計し1952年に登場したドイツ初のレトロフォーカス型広角レンズである。Zöllnerは1948年にBiometarを設計した人物でもある。レンズ名はラテン語の「曲がる、傾く」を意味するFlectoにギリシャ語の「角」を意味するGonを組み合わせたものを由来としている。鏡胴の素材に銀色のアルミ合金を採用した初期モデル、ゼブラ柄の2代目(一部に革巻き鏡胴)、黒鏡胴で新しく再設計された3代目が存在する。
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