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今年の「#文学」
suzukasjp.hatenablog.com
何とかブログを続けて更新していたのですが、公私ともに多忙となり、ブログを暫くお休みさせていただきます。 公においては、企業監査が入るので、その資料作りにてんてこ舞いの状態です。 私においても、住居トラブルが起こっており、休日もその対応に追われています。 のんびりとしたライフワークを求めていただけに、ダブルパンチで時間が足りません。 仲良くさせていただいていたブロガーさんもいらっしゃっただけに、残念です。 落ち着きましたなら、必ず戻ってきますので、その時は仲良くしてください。
宗三左文字 薬研藤四郎 書き置き御朱印のみ 【宗三左文字】 【薬研藤四郎】 【最後に】 【追記】 前回にアップした建勲神社の続きとなります。 suzukasjp.hatenablog.com 【宗三左文字】 建勲神社は刀剣乱舞の聖地となっている神社であることから、刀剣御朱印を頂戴できます。 宗三左文字(そうさんさもんじ)は織田信長が愛用していた日本刀で、義元左文字とも称されています。 この刀剣は南北朝時代に筑前国の左文字派の刀工によって作られたもので、元々は戦国時代に近畿地方を支配していた三吉政長(三吉宗三)から甲斐国の武田信虎へ贈られた刀でした。その後、今川義元の手に渡り、桶狭間の戦いにて織田信長が戦利品として接収したと伝えられています。 織田信長が本能寺の変にて亡くなるまで愛用されていた宗三左文字は豊臣秀吉、徳川家康へと渡り、「天下取りの刀」とも呼ばれています。 明治維新後は明治天皇の
建勲神社 【建勲神社】 【アクセス】 【参拝を終えて】 【追記】 【建勲神社】 京都市北区にある建勲神社を参拝しました。 suzukasjp.hatenablog.com 建勲神社は3年半ぶりの参拝となります。 正式名称は「たけいさおじんじゃ」ですが、一般的には「けんくんじんじゃ」と呼ばれています。 建勲神社は市内のある船岡山に鎮座する神社で、明治天皇の命により明治時代初期に創建された比較的新しい神社です。 船岡山の中腹にあるため、急な階段を上っていきます。 建勲神社は別格官幣神社※1)に分類されます。 石段を登りきると広い境内となり、その奥中央には拝殿・本殿へと続く階段があります。 拝殿にてお詣りをしました。 本殿です。 主祭神は織田信長で、息子の織田信忠が配祀されています。 明治天皇は「日本が外国に侵略されなかったのは、天下統一を目指して日本を一つにまとめ上げた織田信長のおかげ」とし、
大寒波でもホットカーペットの上はぬくぬく・・・ 【大寒波到来】 【大渋滞】 【帰宅困難?】 【最後に】 【追記】 【大寒波到来】 全国的な大寒波による雪の影響で交通網が寸断されています。 わたしのところでは24日夕方から雪が舞いだしたと思っていたら、吹雪となりました。 その日は伊賀の実家に泊まる予定で、仕事場から何とか伊賀の実家に辿り着きました。 夜半には雪は止みましたが、たった数時間で20cmほどの積雪となりました。 【大渋滞】 翌朝はあれから雪が降ることもなく晴天。しかし、気温は-5度。 車の窓ガラスの雪を払いのけるのに、悪戦苦闘しました。 通常は名阪国道を通って出勤するのですが、名阪国道は亀山⇔天理間で通行止め。こんな広範囲の通行止めは初めてではないでしょうか。(-_-;) 仕方なく下道を通って仕事場へ向かいましたが案の定大渋滞。わたしの実家の田舎道でもノロノロ運転が続きました。やは
河合大明神 書置きの御朱印となります。 【河合神社】 【参拝を終えて】 【追記】 【河合神社】 下鴨神社の境内社である河合神社を参拝しました。 河合神社は下鴨神社の第一摂社で、糺の森(ただすのもり)の北側に下鴨神社が鎮座しているのに対して、河合神社は南側に鎮座しています。 河合神社は三大随筆の一人、平安時代末期に活躍した鴨長明にゆかりのある神社で、河合神社の禰宜(神職)の息子として幼少期を過ごしました。 境内中央には拝殿があります。 本殿前の幣殿にてお詣りをしました。 御祭神は神武天皇の母、玉依姫命(たまよりひめのみこと)になります。 玉依姫命は「玉のように美しかった」ことから美麗の神として、特に女性から厚く信仰を受けています。 本殿です。 下鴨神社の本殿の狛犬はブルーだったのに対して、こちらの狛犬は赤色でした。 どちらも色彩が施された狛犬は珍しいのではないでしょうか。 境内にある受付所に
御手洗社 書置きの御朱印です。 【御手洗社】 【最後に】 【追記】 【御手洗社】 下鴨神社の境内末社である御手洗社を参拝しました。 御手洗社の正式名称は井上社で、井戸の上に祀られたことから井上社と呼ばれるようになりました。 下鴨神社では「みたらし川」が境内を横切っていて、社殿前の「みたらし池」では、毎年行われる御手洗祭※1)で多くの参拝客が訪れ、お祓いやお清めを受けていることから、呼称である「御手洗社」の方が有名になっています。 御手洗社の社は小さいですが、格調高い唐破風の屋根に鮮やかな極彩色の細工が施されています。 社殿前にてお詣りをしました。 御本尊は瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)で、神道の大祓詞に登場する神様です。 ※1)御手洗祭 毎年土用の丑の日の前後4日間に開催される神事で、御手洗池に足を浸けて疫病や脚気、今日ではガン封じなどの無病息災などを祈ってお祓いを受ける神事のこと 【
賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ) 【下鴨神社】 【アクセス】 【参拝を終えて】 【追記】 【下鴨神社】 京都市左京区にある下鴨神社を参拝しました。 下鴨神社の正式名称は賀茂御祖神社で、その創建は京都の寺社の中では最も古く、紀元前とされています。 suzukasjp.hatenablog.com 平安遷都により平安京が築かれる前までは、鴨川を中心に町が作られていて、鴨川の上流に祀られている社を上鴨神社(賀茂雷別神社)、下流に祀られている社を下鴨神社と呼ばれるようになりました。 両社ともこの地域を納めていた豪族の賀茂氏の氏神を祀る神社となります。 楼門をくぐり境内へ進みます。 鳥居にも楼門にも菊御門の提灯が掛けられています。 下鴨神社(上鴨神社もそうですが)は伊勢神宮以外では唯一、かつて天皇家の斎王※1)が奉仕した神社で、天皇家との結びつきが強い神社です。 境内中央には舞殿(ぶでん)がありま
年末に買ったソファーが届きました。 【ソファ購入】 【最後に】 【追記】 【ソファ購入】 母親が施設入所して、週1~2で実家暮らしをする二重生活をしています。 住みやすいように少しずつDIYリフォームをして、ダイニングとリビングを二間ぶち抜きで使用しています。 リビングは畳間でテレビしかなく、殺風景な感じでした。 「そう言えば、うちにはソファがない!!」ということに気づいて、年末の歳末セール時にソファを購入し、年始が始まりようやく配達されてきました。 少し大きいかもしれませんが、横になってくつろぐにも十分な広さです。 今は、寒いのでエアコンと石油ファンヒーターのフル稼働で、ソファーの上で過ごしています。(-_-;) ソファの脚は畳に食い込んで畳を傷めてしまうので、板材をカットして保護しました。 最初は大きすぎたかなと思いましたが、二間続きの部屋の中では違和感もなく気に入っています。 【最後
石不動尊 書置きとなります。 【金閣寺不動堂】 【参拝を終えて】 【追記】 金閣寺舎利殿参拝の続きとなります。 suzukasjp.hatenablog.com 【金閣寺不動堂】 金閣寺舎利殿を巡り、順路通りに進んでいくと、出口手前に不動堂があります。 不動堂は安土桃山時代に再建されたもので、金閣寺内では現存する最古のお堂となります。 不動堂前にてお参りをしました。 御本尊は石不動明王で、弘法大師(空海)の作と伝えられています。 石不動明王は上半身の病気の平癒に御利益があるとされています。特に「眼」がよくなるとの評判で、目の不自由な方も多く参拝されています。 御本尊は秘仏とされてていて、節分の日と大文字送り火の日には開扉法要が行われます。では、堂内に安置されて姿を現しているのは何?・・・代わりの不動明王なのでしょうか・・・(-_-;) 不動堂横にある朱印所にて御朱印を頂戴し、参拝を終えまし
舎利殿 【金閣寺】 【アクセス】 【参拝を終えて】 【追記】 【金閣寺】 京都市北区にある金閣寺を参拝しました。 金閣寺は臨済宗相国寺派の寺院で、正式名称は北山鹿苑寺となります。 元々は室町幕府第3代将軍足利義満によって造られた山荘で、義満の死後に寺院となりました。 参道を真っすぐに進んでいくと、総門があります。 さらに参道を進んでいくと唐門があり、唐門横にある受付場から境内に入って行きます。 境内を進んでいくと本堂となる舎利殿が見えてきます。 この日は冬でありながらも穏やかな陽気で風もなく、水面に映る舎利殿は荘厳でした。 それにしても、いつ見てもゴールド感満載で、見る者を圧倒しますよね。(-_-;) この舎利殿は国宝に指定されていましたが、昭和中期の放火事件により焼失してしまったため、国宝は取り消しとなってしまいました。その後再建されましたが国宝指定にはならず、平成にはユネスコ世界遺産に
幕末の寺田屋事件の舞台となった旅籠です。 【寺田屋】 【寺田屋事件1】 【寺田屋事件2】 【最後に】 【追記】 【寺田屋】 御朱印とは関係ありませんが、京都市伏見区にある寺田屋に行ってきました。 寺田屋と言えば、坂本龍馬襲撃事件で有名な旅籠です。 suzukasjp.hatenablog.com まあ、行ってきたというよりも大黒寺から帰宅の途についた際に、寺田屋の前を通ったので、寄り道してきました。 寺田屋事件と言えば、坂本龍馬襲撃事件が有名ですが、もう一つの寺田屋事件があるようです。 【寺田屋事件1】 幕末の1862年に起こった事件で、寺田屋に滞在していた尊王攘夷の志士が弾圧された事件で、寺田屋騒動とも言われています。 公武合体※1)を推進する立場であった島津藩主が京へ上った際に、勝手に挙兵討伐を企てる過激派薩摩藩士を快く思わず、寺田屋において薩摩藩士同士の壮絶な切りあいが行われました。
家内の好きなカツサンドを求めて・・・ 【あ・うん】 桑名市へ所用の帰りに、「あ・うん」でランチしてきました。 suzukasjp.hatenablog.com 「あ・うん」は以前にも訪れている喫茶店で、家内のお気に入りのカツサンドがあるお店です。 店内は少しローカル感があるところは否めませんが、落ち着いていてゆっくりできる喫茶店です。 家内がオーダーしたのは「やわらかヒレカツサンド」。 味付けはソースとみその2種類から選べて、家内はソースを選びました。 わたしがオーダーしたのは、1日三食限定の「極みカツサンド」。 ランチタイムも終わろうかという遅い時間帯の入店で、売り切れかと思いましたがオーダーできました。ラッキー!! どちらも家内とシェアして食べました。 「やわらかヒレカツサンド」は安定の美味しさで、毎回満足させてくれる美味しさです。 一口頬張って驚いたのは「極みカツサンド」でした。 カ
出世大黒天 【大黒寺】 【アクセス】 【参拝を終えて】 【追記】 【大黒寺】 京都市伏見区にある大黒寺を参拝しました。 大黒寺の正式名称は圓通寺ですが、御本尊が大黒天であることから大黒寺と呼ばれています。 石柱も大黒寺となっています。 小さな手水場には、わたしの好きな不動明王が祀られています。 大黒寺の開創は空海または真如とも伝えらる古刹ですが、江戸時代初期に薩摩藩主・島津義弘が薩摩藩邸から近いこの寺を藩の祈祷所とし、薩摩の守り本尊である出世大黒天に因んで御本尊を大黒天としたことから大黒寺となりました。 ただ、一般的には薩摩藩の出入りが多かったことから薩摩寺とも呼ばれ、それ以降、薩摩藩ゆかりの寺院となりました。 幕末期には志士たちの密議もこの寺院で行われていたとされています。 寺田屋事件の九烈士もこの地に葬られ、書や歌などの遺品が大黒寺に保管されています。また、西郷隆盛、大久保利通らの会談
開運辯財天 書置きの御朱印となります。日付がありませんが・・・・(-_-;) 【長建寺】 【アクセス】 【参拝を終えて】 【追記】 【長建寺】 京都市伏見区にある長建寺を参拝しました。 長建寺の創建は江戸時代前期で、伏見奉行であった建部政宇(たてべまさのき)が即成就院の塔頭寺院であった多門院の建物を現在地に移築させたのが始まりとなります。 長寿を願っての「長」と開基者の建部政宇の「建」から長建寺と名付けられました。 御朱印にも押印されているように、伏見奉行祈願所となっていました。 山門は竜宮門ともいい、竜宮城のシーンではよく出てくる入り口です。 山門をくぐり参道を進んでいくと本堂があります。 本堂前にてお参りをしました。 御本尊は八臂弁財天となります。 本堂内を覗き込んでいると、住職が扉を開けてくれていろいろと話しかけてくれました。堂内が撮影禁止で御本尊が厨子内に納められていることを残念が
ネコ界には正月は関係ありませんが・・・ 【令和5年を迎えて】 〔仕事〕 〔家庭〕 〔実家〕 【最後に】 【追記】 【令和5年を迎えて】 明けましておめでとうございます。 ブログを始めて4回目の正月を迎えることができました。 わたしの今年の抱負を述べたいと思います。 〔仕事〕 仕事は順調ですので、今年も業績を伸ばしていきたいですね。 ただ、物価高騰による全ての経費が上昇しています。また、業務過多となっている部署への人員配置を行わなければならないので、人件費も必要となってきます。 今以上の売り上げを目標としなければならないでしょう。 〔家庭〕 夫婦健康で家族円満に過ごせれば良いのではないでしょうか。 家内にはいつもボヤかれてばかりいますが・・・(-_-;) 今年は家に手を加えなければならない年になりそうです。 昨年末からエコ給湯の調子が悪く、修理に来てもらっても直りません。設置して13年が経っ
今年もいろいろありましたが・・・ 【1年を振り返って】 〔私生活〕 〔はてなブログ〕 〔主のいない実家〕 〔不労所得〕 【最後に】 【追記】 【1年を振り返って】 〔私生活〕 仕事は山あり谷ありで、今年も無事、何とか乗り切ったという感じです。(笑) 年末年始は本来は休日でノンビリするはずだったのですが、多忙のため隔日に出勤することとなりました。(-_-;) まあ、仕事の特殊性のためそれも仕方ないと思い、割り切っているのですが・・・・ 仕事が忙しいのはいいことなのかもしれませんね。 3匹の猫を含め家族ともども健康で過ごしています。 相変わらず長男、次男には結婚運はないようですが・・・・(-_-;) 〔はてなブログ〕 わたしの拙いブログをいつも応援していただき、大変お世話になりました。 スターのみならず、ブックマークやコメントなどで励ましくれるので、飽き性のわたしがブログを継続できたのも皆様の
鶴丸国永(つるまるくになが) 書置き御朱印のみ 【鶴丸国永】 【最後に】 【追記】 前回にアップした藤森神社の続きです。 suzukasjp.hatenablog.com 【鶴丸国永】 藤森神社は「菖蒲の節句」の発祥地と言われています。 今では「こどもの日」として祝われる5月5日ですが、以前は「端午の節句」または「菖蒲の節句」と言われていました。 菖蒲は古来より健康を保ち、邪気を払う力があるとされています。また、「菖蒲」=「勝負」に通じることから、男の子が逞しく成長することを願うことも含まれており、藤森神社では武運・勝運の神として崇められています。 そのようなことから、藤森神社では「京都刀剣御朱印」の一社となっています。 御朱印に書かれている「鶴丸国永」は平安時代の山城国の名工・五条鶴丸が作った名刀で、太刀拵え(たちこしらえ)には鶴の文様が施されていたと言います。というのも、宮内庁で保管管
藤森大神 【藤森神社】 【アクセス】 【参拝を終えて】 【追記】 【藤森神社】 京都市伏見区のある藤森神社を参拝しました。 藤森神社は弥生時代に第14代仲哀天皇の神功皇后によって創建された神社で、皇室とも縁の深い古社です。 参道は人馬一体なんですね。(笑) 毎年5月5日にはこの参道でか藤森祭が催され、駈馬神事(かけうましんじ)が行われているので、馬はここを駆けていくのでしょうか。 境内正面には拝殿があります。 拝殿は大きく、割拝殿となっています。 割拝殿とは中央が通路となっていて通り抜けろようになっている構造の拝殿です。因みに中央の通路を馬道(めどう)といいます。 駈馬神事の際にも、この馬道を通り抜けていくのかもしれませんね。 本殿にてお詣りをしました。 本殿は江戸時代中期に皇居内に造営した侍所を中御門天皇より賜ったもので、提灯には菊御紋が施されています。 唐破風の屋根が格式の高さが伺えま
Merry Christomas・・・おめでたいことなのにねえ 【ギックリ腰再発】 【最後に】 【追記】 【ギックリ腰再発】 クリスマスというのに、ギックリ腰を再発してしまいました。(-_-;) suzukasjp.hatenablog.com 前回は4月下旬にギックリ腰を発症したので、8か月ぶりです。 しかし、発症の仕方が今までのギックリ腰とは異なっていて、不意に電気が走るような激痛はありませんでした。 今回は昼間に「腰が重いなあ・・・」という感覚から、徐々に腰が痛くなり、夜には神経を逆撫でするような激痛が走るようになりました。もう完全にギックリ腰再発です。 昨日はまる1日中、立つこともできなかったので仕事も休みました。仕事や家事もできず、ネットもしようという気にもなれませんでした。 痛くて痛くて、何かをするという気力もなくなります。 貼り薬を貼って、コルセットを装着し、痛み止めも飲みま
腹帯地蔵尊 書置きの御朱印となります。 手渡しで頂戴したのですが、どうやら日付は自分で入れなければならないようですね。(-_-;) 【善願寺】 【アクセス】 【参拝を終えて】 【追記】 【善願寺】 京都市伏見区にある善願寺を参拝しました。 善願寺は奈良時代に聖武天皇の后・光明皇后の発願により僧・行基によって創建されたと伝えられています。 suzukasjp.hatenablog.com 行基と言えば、東大寺の大仏造立に奔走した僧侶で有名ですが、他にも多くの寺院を創建しています。 山門より境内に入ります。 本堂への扉は閉まっていて、入室することはできませんでした。 受付所にて拝観をお願いすると、今はコロナ感染症対策のため拝観は行っていないとのことでした。本堂へのお参りは境内を出て、道路沿いにある覗き窓から行うことができると教えていただきました。 受付所で御朱印を頂戴し、道路側からの参拝です。
賀毛神社 【賀毛神社】 【アクセス】 【参拝を終えて】 【追記】 【賀毛神社】 いなべ市にある賀毛神社を参拝しました。 賀毛神社は鈴鹿山脈の東の麓に鎮座する神社で、この地域(旧員弁郡治田村)の氏神となります。 境内は小さいですが、手入れが行き届いていて、花手水も綺麗に飾られていました。 賀毛神社の創建は平安時代中期で延喜式神名帳にも記載されている格式の高い延喜式内社です。 本殿は平成に建て替えられ、とても美しい内装となっています。 本殿にてお詣りをしました。 主祭神は第9代開化天皇の皇子である日子坐命(ひこいますのみこと」)となります。 その他に、治田連命(はるたのむらじのみこと)、鴨県主命(かものあがたぬしのみこと)が祀られています。 本殿横に御神木である銀杏の木があり、この季節は境内が黄色に染まるほどに落葉していて美しい景観でした。 御朱印は本殿前に書置きの御朱印が用意されていて、志納
あっしはいたって健康ですよ。 【定期健康診断】 【X線検査 斑状影】 【最後に】 【追記】 【定期健康診断】 毎年恒例の定期健康診断結果が返ってきました。 わらしの個人情報ですので、お見せできる部分は限られてきますが・・・・(笑) ・身体計測:評価C 腹囲、体脂肪率は正常値よりも高値で、BMIは正常値でした。 体重は昨年よりも1.5kg減でしたので、徐々に改善しているようです。 ・血圧:評価E 降圧剤の内服治療中なので「E」判定です。 ・尿検査:判定C 過去に膀胱結石で超音波粉砕術を受けたのですが、膀胱の壁が綺麗になっていないため、尿は汚れてしまうようです。定期的に泌尿器科受診しているので、「E」判定でもいいと思うのですが・・・ ・胸部X線:判定C 左下肺に斑状影がありました。昨年まではなかった症状です。 糖代謝:判定C 空腹時血糖、HbA1cがギリギリ正常値を越えてしまいました。(-_-
新熊野神社 これで「いまくまの」と呼びます。でも所在地は今熊野椥ノ森町なんですよねえ~(-_-;) カラスで文字を書かれているのも斬新ですね。(笑) 【新熊野神社】 【熊野十二所権現】 【京の熊野古道】 【アクセス】 【参拝を終えて】 【追記】 【新熊野神社】 京都市東山区にある新熊野神社を参拝しました。 新熊野神社の創建は平安時代末期に後白河法皇によって創建されました。 suzukasjp.hatenablog.com 同年(1160年)に熊野若王子神社も創建されていて、天皇退位後も厚く熊野信仰を続けました。 後白河天皇の在位はわずか3年と短い間でしたが、退位後も院政を敷き、院の御所となっていた法住寺の鎮守社として新熊野神社が創建されました。 本殿にてお詣りをしました。 新熊野神社は平安時代末期から室町時代・鎌倉時代と平安京の熊野信仰の中心地として大いに栄えましたが、鎌倉時代中期の応仁の
京洛東那智 京都の洛東にある那智大社という意味になるのでしょうか。 八咫烏※1)の朱印がカッコいいですね。 【熊野若王子神社】 【アクセス】 【参拝を終えて】 【追記】 【熊野若王子神社】 京都市左京区にある熊野若王子神社を参拝しました。 熊野若王子神社は平安時代末期に後白河法皇が禅林寺(永観堂)の鎮守社として、熊野権現を勧請して創建しました。 また、後白河上皇は熊野権現に信心深く、熊野御幸(くまのぎょうこう)を100回も行いました。熊野詣の際には宮中(御所)からまずは熊野若王子神社に立ち寄り身を清め、その後、新熊野神社(京都市東山区)にて1回目の休憩を取り、伏見から船で淀川を下り紀伊路に向かいました。 室町時代には幕府や武家の信仰を集めると共に花見の名所としても知られ、足利義政により花見の宴が催されました。 室町時代中期に起こった応仁の乱により荒廃してしまいましたが、豊臣秀吉により再建さ
プラスチック障子紙レビュー 【プラスチック障子】 【最後に】 【追記】 【プラスチック障子】 実家は玄関からリビングへは格子戸となっています。 格子戸は透かしが入って見た目は綺麗なのですが・・・・断熱効果はありません。(-_-;) 玄関から見たリビングです。明るいリビングは丸見えですね。(-_-;) 玄関は6畳ほどの広さで床は全て土間。下駄箱があるだけの何もないだだっ広い造りです。 また、リビングと言っても8畳ほどの広さに風呂場が同居している変な構造です。(-_-;) わたしが子供の頃にはここも土間となっていて「おくどさん」※1)があった記憶があります。 今回、このリビングと8畳のダイニングをオープンにしようと思い、熱を逃がさないためにプラスチック障子紙を貼りました。 今回、用意したのは「プラスチック障子紙」。 一般的な障子紙もありますが、丈夫で長持ち、冷暖房の省エネ効果もあるとのことで、
永源寺の紅葉は赤が濃い。 【永源寺の紅葉】 【法堂内の灯篭】 【最後に】 【追記】 suzukasjp.hatenablog.com 永源寺参拝の続きとなります。 【永源寺の紅葉】 永源寺境内には多くのモミジが植えられています。 日当たりの影響なのか、1本のモミジでも緑葉から紅葉した赤葉まで・・・カラフル紅葉です。(-_-;) 本堂から見た中庭の紅葉です。 額縁の中の絵画のようですね。 赤い絨毯が敷かれたような庭も綺麗でした。 境内には至るところにモミジが植えられています。 赤色だけでなくオレンジ色も・・・・画像で見た方が華やかに見えます。 【法堂内の灯篭】 法堂内では灯篭の作品展示がされていました。 細かく細工がなされた灯篭は光から浮かび上がり、とても美しいです。 堂内は薄暗くしていましたので、余計に幻想的に感じました。 【最後に】 永源寺は紅葉の時期がピークを過ぎた感はありますが、赤色
大悲殿 【永源寺】 【その他の御朱印】 【アクセス】 【参拝を終えて】 【追記】 【永源寺】 東近江市にある永源寺を参拝しました。 永源寺は鈴鹿山脈を源流とする愛知川沿いの山あいに佇む臨済宗寺院です。 創建は室町時代の前の南北朝時代で、近江守護国の大名であった佐々木(六角)氏頼により開基されました。 最盛期には開山した高僧・寂室元光(じゃくしつげんこう)を慕って、2千人もの僧が入寺し繁栄を極めていましたが、戦国時代に2度の戦火により全山が消失し、衰退してしまいました。 江戸時代中期に再建され、現在に至っています。 永源寺参道入り口には出店が建ち並んでいます。 境内入り口である総門までの参道は、小さな山越えとなります。 ようやく総門です。 総門には寺幕が掛けられていて提灯も灯り、屋根瓦はモミジ葉で赤く染まり、雰囲気がありました。 総門受付にて拝観料を支払い境内となります。 総門を進んでいくと
久しぶりの寺猫 【百済寺にて】 【最後に】 【追記】 【百済寺にて】 百済寺を参拝して、わたしが御朱印を頂戴しにいっている間に、家内は寺猫を見つけて可愛がっていました。 境内の庫裏(?)の縁側に茶柄のキジ猫が日向ぼっこをしていました。体型的には中肉で小柄なメス猫で、まだ少し幼いように思います。首輪が付けられているので飼われているようです。 とても人懐っこくて近寄っても逃げもせず、逆に寄ってくる始末。 背中を撫でると気持ちよさそうに、「もっと撫でて!」って背中を押し付けてきます。猫あるあるですね。(笑) わたしも頭を撫でていると、もっと撫でてほしいのか看板に頭を擦りつけていました。 これも猫あるあるですね。(笑) 寺猫は終始、尻尾を立てていてリラックスしているようで、家内が持参したカリカリ乾燥フードを数粒与えると嬉しそうに食べていました。 再度、催促する様子も見せず、撫でてもらうことが嬉しい
本坊庭園の紅葉 【本坊庭園】 【最後に】 【追記】 suzukasjp.hatenablog.com 百済寺参拝の続きとなります。 【本坊庭園】 喜見院裏手にある本坊庭園の紅葉を鑑賞しました。 木臼には花が生けられています。神社や寺院で見かける花手水のようですね。 庭園は大きな池に巨岩を配した池泉廻遊式庭園になります。昭和時代中期に造園されました。 池には錦鯉が放たれていました。 落ちたモミジ葉が綺麗です。 池の対岸は山腹を利用して山を配しいて、歩いて回遊することができます。 この庭園は別名「天下遠望の名園」と称されていて、展望所からは庭園はもちろんのこと遠くは近江国を一望できます。 中腹はモミジの木ばかりとなっています。木々の間は綺麗に管理されています。 この庭園を登り切ったところからは、本堂・仁王門へと通じる表参道に出ることができますので、本堂参拝の前に庭園鑑賞するのも良いのではないで
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