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CES 2025
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年末年始は忙しい。 正月二日までは子供に囲まれながら慌ただしく過ごしていた。 それも昨日まで落ち着いた。 ここからが本当の休みだ。 今日は妻が子供を連れて出掛けて行った。 久々に何もやることがない状態で一人で過ごすことになる。 こういう日は久しぶりだ。 貴重な機会ととらえてダラダラしよう。 今の私には休息が必要なのだ。 「効率の良い休日の過ごし方」として、「ダラダラ過ごすな」という本が出ているようだが、時にはダラダラ過ごすことも大事だと考える。 常に規則正しく生活を整えていたら、それだけで窮屈になってしまう。 自分の意思でダラダラと過ごすこともまた、人生に彩りを与えてくれるはずだ。 そうこうしているうちに午前中が終わってしまった。気がつくとこのまま夜になっていそうだ。 箱根駅伝を走る大学生たちの姿をボーっと眺めながら、時は過ぎていく。 これで良い。今日の私はこういう1日を過ごすのだ。 明日
2025年、あけましておめでとうございます! 思えば2020年代も半ばなのですね。 月日の流れは早いものだと痛感します。 今年も朝から慌ただしく1日のスタートを迎えます。一年間を象徴するような一日なのかもしれません。 今年の目標は「感謝を忘れないこと」です。 理不尽にも謙虚な姿勢で臨めるように、人間性を磨いて参りたいと思います。 昨日の記事で2400回目の投稿となりました。 振り返りは後日に行いたいと思います。 今年も毎日投稿できるように細く永くブログを続けたいと考えております。 みなさま、本年もよろしくお願いいたします! 2025年 元旦 ますを
今年で4年目になります、影響を受けた作品紹介をやっていきます。 去年は下記を挙げていました。 本:『ホモ・デウス』 映画:『君たちはどう生きるか』 音楽:『Mrs.GREEN APPLE』 tureture30.hatenadiary.jp 参考までに一昨年。 tureture30.hatenadiary.jp それでは始めます。 まずはこの作品からです。 漫画、映画『ルックバック』 tureture30.hatenadiary.jp tureture30.hatenadiary.jp 漫画でも映画でも記事を書きました。 この作品は本当によくできています。 「背中を見て」の意味が何重にも描かれている答え合わせ的な要素に気が付いたとき、衝撃を受けました。 藤本タツキさんの漫画は純文学みたいなのですよね。これを漫画でできてしまうあたりは天才なのだと思います。 続いてこの作品です。 漫画:『めぞ
ここ数年、私は年末に一年を漢字一文字で表している。 2023年の漢字は「飛」だったようだ。 tureture30.hatenadiary.jp 大きな変化と共に生きた2023年。 そして、さらに大きな変化と共に生きた2024年だった。 世間的には今年の漢字は「金」だったようだ。 オリンピックイヤーはだいたいこの感じが使われる。加えて今年は悪い意味で「裏金問題」も含めてこの感じを選んだということらしい。 なんとも世知辛い。 ということで、私は前向きな感じの漢字を選びたい。 私にとっての今年の漢字は「成」だ。 その心は下記の2点としたい。 妻との出会いから始まったライフステージの変化。入籍をして披露宴を行い、ハネムーンに行き、住まいを共にして子供が生まれた。 全く落ち着いてはいないが、とりあえずは一通りのサイクルを今年で回し終えたように思う。 その意味での「完成」の「成」。 そして、子どもの「
ネットのコメントを見ていて「なるほど」と思った一言。 「女性と楽しく会話するスキル」 もちろん一方通行ではなく、相手にも楽しく思ってもらえることが前提だ。 これを持ち合わせているだけで高スペック。 確かにその通りなのかもしれない。 どんなに年収が高くても、学歴があっても、見た目が良かったとしても、このスキルを持ち合わせていないと婚活はうまくいく可能性は低い。 逆にこのスキルを持ち合わせていれば、上記条件がそこそこだったとしても、高望みをしなければ婚活はうまくいくのではないだろうか。 今の未婚世代たちは、このスキルの二極化が進んでいる。中学生の頃からガツガツと異性との接触を求めてきた人たちは、自然とこのスキルを身につけることができる。 方や、そうではない人たちは特定のコミュニティに固まって異性のと接点がほとんどないまま歳を重ねていくのではないだろうか。 前者は多くの異性との交際を経て結婚に至
今年も残り10日を切った。 今年を振り返って、やり残したことがないかと考える時期になった。 一番に思いつく「やり残したこと」は、今年一度も会っていない人のことだ。 新年の挨拶では、今年もよろしくお願いしますと伝えていて、飲みに行く約束をしたりしているが、結局一度も会わずに今年を終えてしまいそうな人がたくさんいる。 時間が限られているから全ての人に会うことは難しいけれども、この歳になると「人との繋がり」を大事にしたいと思うようになる。 生活が変わると、これまで会っていた人たちと会う機会が減る。 特に飲み友達のような人たちとは、結婚してから会う機会が激減した。 自由に時間を使えていた独身時代とは違い、飲みに行くにしても家族との調整が必要になる。 子供が生まれてからは尚更その傾向が強くなるのだ。 その分、飲み代の支出は減るけれども、代償として人との繋がりも減ってしまうような実感がある。 来年は色
乗車待ちの列で私が前に並んでいて、横から追い越そうとしてきたから、追い抜かされないように肘でブロックした。 そうしたら、乗った後にこちらを睨んできて私の方にカメラを向けて何枚か写真を撮られた。 目のギョロっとしたハリー・ポッターのスメアゴルみたいな神経質そうなおばさんだった。 私を撮っていたのかわからないから、それ以上は触れなかったが、もし私を撮ってSNSに報復の投稿をされていたらと思うとゾッとする。 ヤバいやつはたくさんいるのだ。 身を守るためには、ヤバいやつに関わらないことが一番だ。 変に正義感を振りかざして注意をしようものならば、こちらが痛い目を見る。 ヤバいやつは失うものがないからヤバいやつなのだ。そんなのと痛み分けをしてもこちらの損失の方がはるかに大きい。 パーソナリティの肥大化した時代。 みんな我慢ばかりと向き合って自分の時間を確保する時間が格段に増えた。 どこにいても画面ばか
兆候は必ずある。 どんなに巧妙に隠していたとしても、人に大きな変化が生じる裏には、必ず目に見える兆候があるのだ。 それに周りが気がつくのか、それとも気がつくことができないのか。 それだけのことである。 頑張って働いていた人が突然、手に持っていた風船を離したように、フワッとフェードアウトしてしまった。 職場に体は出しているが、どうも気持ちが上の空なのだ。やる気が感じられない。 昨年くらいは、あれだけ気持ちを傾けていたのに、まるで別人のように変わってしまった。 人生、山あり谷あり。 考え方が変わってしまうこともあるだろう。 しかし、体は変わらずそこにいるのに、気持ちがそこにいない状態というのは、何とも気持ちが悪いものだ。 必要最低限のレスポンスしかない。 コミュニケーションコストが高いから、仕事に影響がないとは言い難い。 精神的、肉体的に疾患があるわけではないようだ。ただやる気がなくなってしま
映画『君の名は』の挿入歌。 この映画が公開されてから8年が経った。 8年前の私は、今の私を想像することがだきないくらいに暗中模索していた。 あれからいくつもの選択肢を選んできて、私は今の私にたどり着いたのだ。 僕らタイムフライヤー 時を駆け上がるクライマー 誰もが人生を駆け上がって生きている。 そして、それを遡ることはできないのだ。 積み重ねてきた時の積み重ね。 「もしもあの時に別の選択肢を選んでいたならば…」 そんなことを考えたところで、パラレルワールドに紛れ込むことはできない。 今の私は、今の私の人生を歩むことしかできないのだ。 RADWIMPS『なんでもないや』
育児に追われる8月だった。 おそらく9月も10月も、それは変わらないのだろう。 1ヶ月が長い。 それは私にとって未知の時間を過ごしているから。 年を取るにつれて、時間の感じ方は短くなっていく。 それは、経験を積み重ねることで「目新しさ」を感じる機会が少なくなるからだ。 裏を返せば、目新しい経験ばかりをしていれば、年を取ってからも時間は長く感じるのだ。 今の私はその「目新しさ」の渦中にある。 毎日夜中に起こされる生活の大変さ、 ベビーカーを押して電車に乗ることの大変さ、 いつ泣き出すのかわからない、 どうすれば泣き止むのかもわからない、 そんな生き物を抱えながら生活することの大変さ。 それを味わっている最中だ。 まだこの大変さを「当たり前」だと思えるほどの域には達していない。 人は環境を自分のものにすることで、生存競争を勝ち抜いてきた。 おそらく私もこの生活に順応することができるはずだ。 生
命が宿った事を知った時、 むず痒い気持ちがした。 心の奥の手の届かない場所。 なんだか、そこがむずむずした。 喜ぶ妻を横目に、冷静な私。 次第にむず痒さが体に広がっていき、 冷静ではいられなくなることは、 時間の問題だった。 次第に実感が湧いてくる。 大きくなる妻のお腹を触ると、 ポン、と蹴り返す振動が私の手に広がる。 確かに、ここにいるのだな。 手に残る感触を愛おしく思う。 振動一つを愛おしく思うだなんて、 こんな感情は初めてだった。 早く産まれたくて仕方がない。 そう急かすように、 お腹を蹴る回数は増えていく。 その振動は「希望そのものだった」 初めて顔を見た時、 自然と懐かしい感じがした。 初対面のはずなのに、 昔から知っていたような、 そんな懐かしさだった。 顔をくしゃくしゃにして泣く。 その姿は、この世に生まれてきた喜びを、 全身で表しているように見えた。 生まれ変わるような経験
私は、働く対価として賃金を得ている。 多くの社会人がそうであるように、労働を提供する対価として賃金を得ている。 私が働く理由として、最も大きなものは「生活にはお金が必要だから」だ。 しかし、それ以外にも私が働く理由はある。 「自己実現のため」「社会貢献のため」 その辺りがすぐに思い浮かぶ理由だ。 「自己実現」は動機としてわかりやすい。 働く中で得られる知識や経験を糧として、自身の成長を実感したり、目標としている数値を達成することで達成感を得ること。 かたや、「社会貢献」はわかりにくい。 果たして私は、働くことで「社会貢献をしたい」と本気で考えているのだろうか。 考えれば考えるほどに懐疑的になる。 社会に貢献している実感があれば、自分が「社会」というコミュニティに存在しても良いという理由になる。 言わば、居場所を確保することができるのだ。 その点からすると、社会貢献の動機を突き詰めると、結局
私の住む地域では人口の流入が激しい。 どんどん住民が増えているのだ。 だから、行きつけの床屋が尋常ではないほど並ぶようになった。 先日髪を切ったときは、1時間近く並んで髪を切ってもらった。 昔は並んでいても3人くらいだったのに。 子育て中で時間が惜しい私にとって、この1時間は大きい。 そうなってくると、1000円カットにするか、予約制のところにするかと考えてしまう。 商売をやるには良いのかもしれないが、人口が増えたところで、元々住んでいた住民にとって良いことはあまりない。 むしろ生活が不便になることの方が多いくらいだ。 土地でも持っていれば、資産価値が上がるのかもしれないが、私の場合はそういうわけでもない。 本当に少子化が進んでいるのだろうかと思う。 私の周りでは人がどんどん増えているし、保育園も第一希望にはなかなか入れないと聞く。 既婚率も高い。 一応、都市部と言えるギリギリのところに住
今日は久々に午前中の予定がなかったから、子供のミルクに起こされながらもとことん寝た。 私は割と子供の泣き声で目が覚めてしまうタイプのようだ。 ある人の話によると、ほとんどの父親は子供の泣き声で目が覚めないらしい。 だから夜は母親のワンオペ育児となり、そこで不満が募るようだ。 しかし、私は目が覚めてしまう。 なんなら妻よりも敏感に目が覚める。 その点では妻からしたら、私はありがたい父親なのかもしれない。 最近は母乳よりもミルクを優先するようになった。 夜中に私は、さっさとミルクを作って子供に飲ませる。 毎晩一度か二度はそれを行うことが習慣となった。 その後に妻がもそもそと動き出して、おむつを変えてくれる。 そうして泣き止んだことを確認して、もう一度寝るのだ。 もはやそれがルーティンになっている。 夫婦共に疲弊し切っている。 子供が泣いていても、しばらく起き上がれないことが増えてきた。 泣いて
「信念なく情熱を持って語る」 情報はいくらでも手に入る時代だ。 だから「それらしく見せるテクニック」も世の中に蔓延っている。 「人のために働きたい」だとか、 「社会の役に立ちたい」だとか、 聞こえの良いスピーチを武器に聴衆を熱狂させるための方法はいくらでも学ぶことができるのだ。 そして「信念なく情熱を持っているかのように見せかけて語る人」はヤバい。 時代に毒され、役割を演じることが役割となり、自分が本当は何をしたいのか分からなくなっている人。 もしくは聴衆を味方につけて人気を集め、自らの野心を叶えようとしている人。 多くはそのどちらかだろう。 ドラマ『笑うマトリョーシカ』 嵐の櫻井くん演じる政治家は、人を惹きつける魅力を持っているが、中身は空っぽの人という設定だ。 本人の意思とは無関係に、周りに求められる役割を演じることで、自らの存在意義を示す。 まだ話の途中だから、ここからどう発展してい
子供が生まれてからは特に1日が早く感じる。 子供中心の生活。 時間が溶けていく。 何をするにしても、子供ありきで私たち夫婦の行動は決まっていくのだ。 子供が泣いたらご機嫌を伺いにいって、ミルクかオムツか抱っこなのかを確認する。 そのどれでもなく泣き止まない場合はお手上げだ。 あらゆる手を尽くしてご機嫌をとる。 自己主張をすることが仕事で、周りの様子など考えることはできない。 このような生き物を育てていくということは、大変であると同時に大きな学びになる。 今の時代は聞き分けが良くないと社会から抹殺されていく時代だ。 現に私の周りでは、聞き分けの良い優秀な若者ばかり。 1億人のカメラマンと記者に囲まれて生きている時代だから、少し道理的に誤った行為をするだけでも、社会的に抹殺されるリスクは昔の何十倍も高くなった。 だから、乳児のようなどうりの全く通じない存在と触れ合うことは、ある意味で新鮮だと感
投資のことをブログに書くのは初めてかもしれない。 とりあえず今の私の考えを記しておく。 新NISA制度開始に伴い、日本では個人投資家、投資額共に右肩上がりに伸びているようだ。 そもそも日本人は資産に対する銀行預金、タンス預金比率が世界でトップクラスに多かったらしい。 そう考えると、投資を促す制度改正により預金を投資に回す方向性は経済活性化のために間違ってはいないと思う。 しかし、あまりにも投資先が偏っていることは問題だ。 特に積立では投資先にいわゆる「オルカン」「S&P500」を選択することがセオリーとなっている。 かくいう私も積立投資先に米国株インデックスを選択している。 しかし、数ヶ月前からは投資比率を見直して、国内株アクティブファンドへの投資比率を大幅に増やした。 その心は、損得はもちろんあるが、別のところにも意図がある。 それは毎月数兆円が外国株購入に動いていることで、円安の流れが
私には見えていない理由があり、それを元に起こした行動だとしても、私から見てそれが非合理的であれば、私はおそらくその行動を肯定することはできないだろう。 人は「主観」で物事を判断するのだ。 だから対話が必要。 今の世の中はコスパ、タイパを重視するあまり、対話を疎かにしているのではないかと思う。 1on1と呼ばれるコミュニケーションがビジネスで推奨され出したが、その目的を理解しないまま制度として導入しても効果は薄い。 その目的は、お互いの目に見えていない部分を共有するために行うのだ。 上司から見た部署の課題と、部下から見た自分の担当業務の課題。 その優先順位が両者で食い違うことは往々にしてあることだ。 そこのすり合わせをしっかりしたおかないと、両者の意見が食い違うままとなり、不信感に繋がることが多い。 つまり、全体の課題をチームで共有した上で、現場の課題に対する上司の見解を伝えることが大事、そ
今日は大谷翔平選手の30歳の誕生日とのことだ。 試合の方は気負いもあったのか、残念ながらノーヒット3三振で終わったようだ。 日比谷ミッドタウンでは「大谷翔平30年の軌跡店」というものをしている。 30歳にして、もはや偉人である。 プロ野球選手としても円熟期を迎え、まだまだこれからも数々の記録を残していくのだろう。 すでに松井秀喜氏を越えて、メジャーリーグでも日本人最多本塁打記録を更新した。 ここからどこまで伸ばしていくのか。 今年は打者に専念しているが、今の時代は投手としても選手寿命は格段に伸びている。 まだまだ記録を伸ばしていくことだろう。 本人の構想では、40歳までは現役を続けるつもりのようだ。 そもそもドジャースとは29歳で10年契約を結んでいる。 この間は怪我さえなければメジャーリーガーとして活躍を続けるはずだ。 その後はどうなるかわからないが、日本で現役を続けるようになれば面白い
私は周りから理論派であるように見られる。 しかし、完全に感覚派の人間だ。 損得勘定や確率を上げるための計算は得意で、日常的に自分が損をしないように計算をしているが、その計算結果に身を委ねるか否かは感情で決めることが多い。 自分が損をする選択だとしても、それが自分の主義に則ったものであればそちらを選択するし、自分が得をする選択肢は、気が引けて選択しないことが多い。 要は優先順位なのだ。 私が生きる上で何を行動規範にしているのか。 この歳になると、ある程度はそれを体系化できてくる。 それに従って行動を決める私は、自分では感覚派だと思っていても、ある意味では理論派なのかもしれない。 それはどっちでもいいことなのかもしれない。 大事なことは、私が理論武装よりも直感的に生きている割合の方が大きいと実感しているということだ。 「自分で自分の人生をコントロールしている実感」 それがあるということは、主体
ここしばらくはブログに書きたいことがあったからか、割と文字数の多い記事を投稿していた。 今の私は環境に変化がある時期にいるため、アウトプットしたいことが次から次に湧いてくるのかもしれない。 いわばトランス状態。 変化に対応するために脳が活性化しているのかもしれない。 しかし、気をつけなければならない。 こういう状態は長くは続かないのだ。 今は気温の変化や梅雨入りしたこともあり、環境的なストレスも大きい。 その状態で心と体への負荷を上げると、どこかで体がもたなくなるはずだ。 無理の効かない体になってしまった私だ。 そのあたりはうまくバランスをとりながらやっていくしかない。 今は実家にいる子供と妻がいよいよ自宅に戻ってくる。 気負いによるストレスを感じてはいたが、まだまだ私の子育ては始まってなどいないのだ。 これからがいよいよ本番となる。 うまいことラインギリギリのところを歩きながら、生活をや
経営の神様と呼ばれた松下幸之助さんの言葉。 リーダーになる人は「運の良い人」でなければならない。 そして、運の良し悪しはその人が「明るい人」かどうかでわかる。 明るい人は運の良い人だ。 その人には、自然と人がついてくる。 ジメジメした暗い人は、どんなに学歴が高く、能力があり、健康で誠実で合ってもダメだ。 物事のネガティブな面ばかりに目を向けて、事業を停滞させる。 有名な話だが、面接の時に「あなたは運がいいですか?」と問いかけて、「運が良くない」と答えた人は、どんなに優秀でも採用しなかったという話があるほど、松下幸之助さんは、この点を重視していたらしい。 明るい人。能力は関係ない。 いつも生き生きとしている人は魅力的だ。 新しい体験に対してポジティブな姿勢を崩さずに、失敗をしても次への糧にする。 そんな人が幸運を掴むと言われると、感覚的に納得できる。 「運が良い」と自認している人は、不運と思
ある動画を見ていて面白い言葉を聞いた。 「サプライズアクション」 今まで自分がやったことのないこと、これまでの自分だったら絶対にやらないだろうということ、 それを指す造語のようだ。 今の位置からは見えない世界が開けていく。 新しい景色を見ることで、自分の人生を切り開く実感を得ることができる。 動画主は、月に一度の「サプライズアクション」を推奨していた。 それを1年間続けることで人生が変わるのだという。 人は歳を取れば取るほど、新しいことに挑戦しなくなる。 心も体も凝り固まって、これまでのやり方にしがみつくようになるのだ。 しかし、時代はどんどん先に進んでいる。 自分をアップデートし続けなければ、時代から取り残されてしまう。 目に見えるものだけが全てではない。 いくつになっても先のことを考えて行動をしなければ、つまづいた時に取り返しのつかないことになる世の中だ。 だから準備が必要。 その準備
妻が実家に帰っているものだから、 久々の一人暮らしをしている。 そうなると生活は乱れてくる。 好きなものを食べて、好きなことをして、好きな時間に寝る。 毎週末、仲間と飲みに行ったりもしている。 特に食事に関しては、大体妻が用意してくれていたから、それがなくなると外食で済ますことが増えた。 そして体の調子は悪くなる。 規則正しい生活の重要さを痛感するのだ。 久々に羽を伸ばしてはみたものの、若い頃のように、自由気ままな生活はしっくりこない。 私の体はすでに、妻と二人で過ごす規則正しい生活に順応していたのかもしれない。 そして、もうしばらくすると規則とは無縁の三人での生活にシフトする。 私のやりたいことに割くことのできる時間は極端な減り、家事・育児に追われる生活となるのだろう。 果たして私の体は保つのだろうか。 その点が心配だ。 今は私が自由に羽を伸ばすことのできる最後の時間なのかもしれない。
長女が産まれてから、私の人生観が大きく変わろうとしている。 次の世代に思いを託したいという考えが、日に日に高まっているのだ。 子供という存在は、想いを託すに足る存在。 むしろ最たるものと考えて差し支えないだろう。 自分が叶えられなかった夢を子供に押し付けるような、変な期待をかけすぎてもいけないが、ある程度はそういう気持ちが生じでもおかしくはない。 私の感情は、そう言った類のものなのだろうか。 自分ができなかったことを、子供に叶えて欲しいと思っているのだろうか。 それとは少し違う気がする。 私が生きる中で培ってきた思いや生き様を、子供にも継いで欲しいという気持ちの方が強い。 そして、それを発展させて違う時代を生きる姿を見せてほしい。 そういう感覚だ。 そういう意味で、私の人生の主役は私ではなくなったのかもしれない。 そうやって移り変わっていく。 主役の重圧から解放されていく。 そして、新たな
一昨日の記事で2200回目の投稿となりました。 本当は昨日この記事を投稿するつもりでした。 そのための下準備として、2200個目の記事は子供が産まれたことのご報告にしました。 しかし節目の時はスワローズが顔を出す。 不思議なことに、前にも予定を変更してスワローズの記事を書いた記憶があります。 詳しいことは昨日の記事で書きましたが、スワローズの絶対的エースになると期待されて入団した奥川。 2年目で頭角を表して、いよいよエース爆誕と思ったところで相次ぐ怪我。 その辺りが伊藤智仁、佐藤由規に続く系譜のようで、スワローズの宿命を背負わされてしまったかと感じていました。 昨日の試合は、奥川にとって復活の狼煙を上げた試合。 ファンとしては、これを記事にしないわけにはいきませんでした。 私のことはいつでも記事にできますからね。 さて、私の環境も大きく変わります。 第一子となる長女が生まれたのです。 体に
ヤクルト5-3オリックス これは泣きました! 本当は本日は、2200記事投稿記念の記事を上げるつもりでしたが、これを書かないわけにはいきませんでした。 奥川恭伸。 2019年のドラフト1位。3球団競合の末にスワローズが交渉権を獲得。 名門・星稜高校では3年次にエースとして君臨し、夏の甲子園準優勝。 超高校級と呼ばれ、指標では歴代最高クラスの高卒投手との触れ込みで鳴物入りでの入団でした。 プロ2年目にはチーム最多となる9勝をマークして、クライマックスシリーズでは巨人相手にマダックスでの完封を達成! 日本シリーズでも、あの山本由伸に投げ勝ち、チームの日本一に大きく貢献しました。 しかし、エースとして飛躍する予定だった3年目。 シーズン初戦で肘を痛めて降板すると、そこから3年間一軍での登板はありませんでした。 同期の佐々木朗希、宮城大弥が順調にプロで結果を残し、WBCでは世界一に貢献する中で、高
先日、長女が誕生しました。 母子共に健康です。 妻は入院中で、そのまま実家に帰るので、私が直接育児をする機会は当分先になる予定ですが、少しずつ実感が湧いてきました。 たくさん初めての経験をしました。 出産に立ち会い、名前を決めて、役所に出生届を出し、会社への各種申請。 その過程の中で、確かに新たに1人の人間が誕生し、社会の一員になったことを実感しました。 ミルクをあげて、おむつを交換。 人間の赤ちゃんを育てるのは、本当に手間がかかる。 多くの人の協力が必要。 それが社会性を生み出して、ホモ・サピエンスを生態系の頂点にまで押し上げたというのですから、なんとも逆説的です。 私に子供が産まれた。 それは、なんとも信じ難い事実です。 ブログ開設当初は、女性から酷い仕打ちを受けて、弱者男性としてのお気持ち表明ばかりをしていた私。 そんな私に子供が産まれたのです。 人は変わるものですね。 一つだけ言え
世の中には様々な哲学がある。 何に重きを置くかによって物事の見え方は変わってくる。 心に主眼を置けば、自らの心の向きに囚われた生き方となるし、体に主眼を置けば、欲求に縛られた生き方になる。 どちらかに傾きすぎてもいけないし、ちょうどいいバランスを保ち続けたところで、常にそこに正解があるとは限らない。 大事なことは、物事を俯瞰して本質を見抜くことなのではないだろうか。 「アンコンシャスバイアス」に目を向ける、という考え方が流行っているが、それを平く訳すと「自らの無意識が発する偏りに気がつく」それを推奨するということである。 ACの広告でも流れていたが、私たちは、目の前の事象に対して、性別や年齢で区分けした時に多数派が属する方向だろうと決めつけて生きている。 しかし、ダイバーシティアンドインクルージョンを目指す現代の社会組織においては、それを悪だと捉える。 難しい言葉ばかりが世の中に溢れている
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