サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
TGS2024
www.boon-senior.com
青森ツアーの二日目は、十和田プリンスホテルから始まりました。 朝食は、最初からある程度のメニューがセットされていて、それにビュッフェテーブルから好みのものを追加で持ってくる方式でした。ハーフビュッフェというらしいですが、我々年寄りにはこの方がありがたいですね。 朝食後は部屋でのんびりコーヒーを飲んでから、9時にホテルを出発し、まずは十和田湖からも近い黒石市に向かいました。正直言って黒石市についての事前知識は皆無に近く、弘前市に隣接する歴史のある街だという事も今回初めて知りました。 私と違って妻はここのことを知っていたらしく、雪国のアーケード「こみせ」や、昔ながらの街並みが見られることを喜んでいました。 雪の中での往来をしやすくするために作られた「こみせ」は津軽地方の呼び名で、越後地方(新潟県)では「雁木(がんぎ)」、雁木は知っていたのですが、地方によって呼び名が違うんですね。 黒石市の中心
7月の最初の週、クラブツーリズムの、「星野リゾート 奥入瀬渓流ホテル宿泊 十和田湖・奥入瀬渓流・八甲田で感じるみちのくの大自然3日間」というツアーに参加してきました。 今何かと話題の星野リゾートに一度泊まってみたかったのと、何年か前に会社行事で参加した、初夏の奥入瀬渓流ハイキングを妻とも共有したかったというのが動機でした。 記憶をたどってみると、上記の会社行事に参加したのは9年前のやはり7月初旬で、この時はまだ星野リゾートが経営参加していない「奥入瀬渓流ホテル」でした。会社の取引先ご夫婦を招待しての奥入瀬散策ツアーのホスト役でしたから結構大変だったのですが、奥入瀬の自然にはとても感動し、今度は妻と行きたいと思っていたのがようやく実現しました。 また奥入瀬渓流ホテルには岡本太郎の作品があって、妻はそれにも興味を示していましたから、ここに宿泊する今回のツアーはもってこいだったのです。 ただ、こ
段々暑くなってきたと思ったら、ドカンと真夏並みの猛暑が到来し、野ざらしの駐車場に停めている真っ黒ボディの我がハイエースの車内は簡単に40℃を突破するようになってきました。ある日の昼前などは、車内に設置した温度計で何と53.3℃です。 これからの季節の車中泊にはこの暑さが大敵となりますが、昨年夏このハイエースを購入してすぐ行った東北旅では、標高が高い所にある道の駅を探して車中泊することで乗り切りました。しかしそのせいで車中泊旅最大の魅力である旅の自由度はかなり制限されることになりましたね。 車載エアコンが夜間も使えるなら問題ないのですが、車中泊の際はエンジン停止がマナーですし、まれにエンジンを掛けたまま車中泊している人もいますが、私のハイエースのディーゼルエンジンはアイドリング音がかなり大きいですから、とても知らん顔で車中泊する度胸はありません。 しかし、物流・運送業界のいわゆる「2024年
栃木県宇都宮市での仕事から一日空けて福島県郡山市での仕事が入っていたのですが、ちょうどいい機会ですから、ハイエースで出掛けて、車中泊で2泊3日の旅をして来ることにしました。とはいっても前後2日は仕事ですから、旅としては実質2泊1日となります。 初日宇都宮市内での仕事が終わったのが16時過ぎ、そこから福島県に向かうのでは夜遅くなりそうでしたから、宇都宮市近郊の道の駅を探して、「道の駅うつのみや ろまんちっく村」というところでこの日は泊まることにしました。「天然温泉 湯処あぐり」という入浴施設もあり、駐車場は木立に囲まれていますから言う事はありません。 私のハイエースは黒ボディーで一切断熱処理もしていませんから、ボディーに朝日が当たり始めると、春先でも暑くて寝ていられなくなります。北海道旅の時、朝早くから活動開始したのは、早寝の癖がついたからという事もありますが、日が当たり出すと夜間0℃程まで
私が今住む地域に越して来てから30年以上が経過しましたが、船橋はその間20年近く通勤で毎日通過していて、帰りに途中下車したり、家族で出掛けたりすることも多かったですから、私にとっては馴染みの深い街です。 千葉県の北西部に位置する船橋市は、千葉市に次ぐ県下第2の都市で、政令指定都市以外では最大、鳥取県の総人口を上回るんだそうです。繁華街は従来から船橋駅周辺でしたが、臨海部にららぽーとやIKEAなどの大型店が多数出来て商圏は南に拡大しています。昔から佐倉街道・御成街道などが通る江戸・東京への交通の要衝で、宿場町としても栄えましたが、太平洋戦争後は戦災を逃れた船橋駅周辺が物資の集散地として「日本の上海」と言われるまでに闇市が賑わっていたこともあるのだとか。 そして船橋漁港は、市の南部、ららぽーとなどが立地する地域にあり、こじんまりした港ですが、正式には千葉港の一部で千葉港葛南港区と呼ばれます。千
3月29日以来、延々と桜前線を追う旅の記事ばかり書いて来ましたが、その間にこのブログは6年目を迎えていました。 65歳で60歳定年後の再雇用を終えて2度目の定年となり、幼稚園入園以来続いてきた、毎日どこかに通う生活から完全に切り離されました。その代わりとなる何か日課を作らないと、日々が惰性で過ぎて行きそうな危機感を覚えてこのブログを立ち上げたのですが、現役時代こういった自己表現のやり方に批判的だった私がブログを始めると宣言した時、家族はとても驚いたようでした。 それまで批判的だったことは私も自覚していましたし、勿論黙って始めても良かったのですが、禁煙と同じで周囲に宣言して始めないと続かないとも思ったのです。 www.boon-senior.com 批判的というと言葉が強いですが、当時ユーチューバー、ブロガー等SNSを使った情報発信者は既に世間に認知されており、そこで脚光を浴びている人たちに
4月下旬、ゴールデンウィークが始まる直前に出発した私の桜旅北海道編は、22日間、5,400kmを走って5月中旬で終了、前半戦の九州・中国・北陸を含めると38日間、9,400kmで、通算すると結構壮大な旅となりました。 北海道編では390ℓ余りの軽油を消費し、燃費は13.8km/ℓ、西日本編より2.6kmも燃費が向上しています。満タン法で測った簡易的な燃費とはいえ、これはカタログ上での燃費よりも良い数値で、信号が少なく交通量も少ない北海道の道路事情が大きく影響しているようです。高速も余り使っていませんから、昔一般的だった「定地走行燃費」というのに近い条件が揃っていたのかも知れません。 21泊22日の旅の間、2泊はフェリーでの船中泊でしたが、それ以外の19泊は全て車中泊でした。西日本編でわかった不便な点や不足していた持参物などを、できる限り改善して臨んだことも大きかったと思いますが、0℃から2
桜旅21日目の朝は、まず苫小牧港で人気の「マルトマ食堂」で朝食です。この店は5時から14時までの営業で、この旅の最初に苫小牧に着いた時にはもう閉店時刻を過ぎていましたし、バイク旅の時もあまりの行列で早々に退散してしまいましたので、この日は多少の行列でも並ぶ覚悟で出掛けました。 ところが7時前に到着してみると全く行列がありません。もしかしたら休み?と思ったのですがちゃんと営業中で、何だかエアポケットのようにこの時だけ客が途切れていたようです。それでも店内はほぼ満席でしたし、私が食べ終わって店を出た時には既に10人以上の行列になっていました。5時の開店を待って入店した人たちが丁度一回転したタイミングだったのかも知れません。 メニューにはホッキ料理がバラエティ豊かに並んでいますので、迷った末に看板メニューでもあるホッキカレーを選びました。朝っぱらからこんな重いものを食べられるのか?とも思ったので
思わぬ夜間移動を強いられて車中泊することになったルスツの道の駅から、まずは支笏湖に向かいます。 前夜は、未知の人に対する恐怖心からクルマを移動させることになったのですが、移動している最中は、全くの暗闇の中ヘッドライトの灯りだけを頼りに北海道の原生林の中を20~30分程走ることとなりましたから、突然飛び出して来るエゾタヌキやキタキツネに肝を冷やしましたし、それより何より生き物以外の何か物の怪といったものの雰囲気に恐れをなしました。自分は、人や物の怪的なものをこんなに恐れる人間だったんだと我ながら驚くこととなった経験でした。 そして広い北海道を行ったり来たりしている間に桜の季節もほぼ過ぎましたので、そろそろ帰る時です。あと一か所だけ、平取(びらとり)には行きたいと思っていますので、支笏湖の次は平取に向かったのですが、この日はその手前の苫小牧辺りで泊まることになりそうでした。 支笏湖はほぼ無風で
秩父別の道の駅で目覚めた時にはまだ雨が降っていました。一晩中ずっと降り続いていたようです。 この日の目的地は積丹半島で、積丹ブルーが見られないなら正直魅力半減なのですが、昼からは晴れるという天気予報に期待して出発しました。前日は25℃まで上がった気温も前夜から降り続く冷たい雨もあって急降下です。 最初は秩父別から留萌に出て、日本海沿いを走って積丹半島に行く積りだったのですが、強い雨と霧のこの天気では海岸線の眺めも期待できませんから、最短ルートをとって、内陸の国道275号線、337号線で南下し、札幌市をかすめて海岸線に出ることにしました。旭川と同じく札幌もほんの隅っこを通り過ぎただけです。 銭函といういかにも金運が上がりそうな街で海岸線に出ましたが、そこには「カブの駅 銭函」というのがありました。カブ主でない私は知らなかったのですが、道の駅と同様に、カブライダーの方が集える場所として全国にあ
この日は根室市郊外の道の駅からスタートです。順番からすればこのあと北上して知床方面の観光となるのが妥当なところなのですが、先日濃霧のために通過するだけとなってしまった摩周湖周辺にも行きたいですし、まだ釧路市内には桜が咲き残っているようですから、釧路・摩周という前日・前々日来たルートを後戻りすることにしました。 ただ北太平洋シーサイドラインをそのまま戻るのは面白くないですし、海岸線をクネクネ走ると時間もかかりますから、この日は根室から釧路につながる大動脈、国道44号線をひたすら走りました。 まずは釧路市街に入る少し手前にある「別保公園」。まだ8時過ぎでしたから園内の樹木管理をしているらしい業者の職人さんたちと、朝の散歩に来た数人の人たちだけで静かな公園でした。 そこで新たな発見があったのですが、散り始めた桜を良く見てみると、花びらが散っているのではなく、下の写真のように花全体が椿のように落ち
この日は、宿泊した上士幌の道の駅から約20km離れた糠平湖源泉郷5時20分集合でタウシュベツ川橋梁見学ツアーでしたから、4時半には起きて身支度をしました。前日からの雨はこの日も降り続いていて、見学には生憎の天気ですがそれは止むを得ません。 大きな車両は使えないような悪路を8人乗りのワゴン車で移動することから、ツアー定員は7名と少人数ですが、今回は私含めて6名参加でした。連休明けの初日ですし、天気も悪かったですからこんなものでしょう。朝は冷えると言われましたので上下ヒートテックを着込み、インナーダウンを重ね着して行ったのですが、雨のためにむしろ冷え込みは緩んでいたようです。 下の2枚の写真は10年前の7月にバイクツーリングで来た時のものですが、快晴で緑がとてもきれいなことに加えて、やはり崩壊はここまで進行していないことがわかります。昨年あたりから一気に崩壊速度が早まっているのだそうです。 何
この日泊まった上士幌の道の駅はまだ新しくて施設も立派、とても居心地の良い道の駅でした。 急遽申し込んだ「タウシュベツ川橋梁」のツアーはここから20km程の糠平温泉郷が集合場所で、出発は翌日の早朝でしたから、この日は層雲峡の観光程度で済ませ、またここに戻って来る予定でした。 朝から雨が降り続いていましたが、ゆっくり道の駅を出て走り始めたところ、20~30kmも行かない内に強い睡魔に襲われ、途中にあった白樺林の中のパーキングエリアでクルマを停めてひと眠りすることにしました。こういう時車中泊仕様は便利です。一時間余り寝てすっきり目覚めたところで、この旅初めて車中でコーヒーを淹れることにしました。白樺林の中のパーキングで、少しドアを開けて雨の音を聞きながらのコーヒーは中々の味でした。 車中で火を使うために一酸化炭素センサー、断熱マット、防火シート等も用意し、いつでもできる態勢としていたのですが、こ
剣淵の道の駅から和寒(わっさむ)・比布(ぴっぷ)を経由して、美瑛・富良野辺りの見物がこの日の予定でした。 和寒も比布も難読地名ですが、比布と言えば、私たちの世代にはピップエレキバンという磁石を貼り付けた絆創膏のCMが思い浮かびます。樹木希林とピップ社長のコミカルなやり取りが評判となり、その後比布でのロケ等も行われて、比布町は一躍全国区の知名度を獲得しました。 和寒から比布へ抜ける塩狩峠の手前には、わっさむ塩狩峠公園というのがあるのですが、塩狩駅周辺は一目千本桜を謳っていて、中々見応えがありました。そして塩狩峠を越えて比布町に入ると、国道40号線沿いにも中々見事な桜並木が。 そこから旭川の市街地を南東側に迂回する形で美瑛に入り、まずはこれまた私世代の定番、セブンスターの木、ケンとメリーの木に立ち寄りました。 どちらも今の世代には全く響かないでしょうが、セブンスターは日本たばこ(JT)のタバコ
桜旅9日目は浜頓別の道の駅から出発ですが、前回の記事に書いた事件というのは、車中泊していた道の駅で当て逃げされてしまった、という事なのです。 いつものように身支度をし、車内を整えて、最初はここからも近い「エサヌカ線」という有名な直線道路に寄ってみるつもりでした。そして道の駅から出て走り始め、最初に右折しようとした時に右のウインカーに異常があることに気付きました。通常の2~3倍も速くチカチカチカと気ぜわしく点滅していて、通常これは球切れの合図です。 もう殆どエサヌカ線まで来ていましたので、エサヌカの途中でクルマを停めて見てみると、右の前のウインカーが切れているみたいです。どこかで交換しなくちゃなと思ってよく見てみると、何とボンネットに大きなへこみ傷があって、ヘッドライト内部には亀裂が走り、ダメージはフェンダーにまで及んでいるようです。 どう見ても他車にぶつけられた跡なのですが、前日道の駅に駐
ロケットの街大樹町を出て網走に向かおうとした時、町はずれの川に多くの鯉のぼりが翻っているのが見えましたので、思わずクルマを停めて写真を撮りました。そういえばこの日から5月なのでした。 この日も高速道路は使わず、並行して走る国道を走っていて、帯広の市街地の手前で「幸福駅」跡の案内標識を見つけました。 若い皆さんはご存じないでしょうが、この「幸福駅」と、同じ旧国鉄広尾線の「愛国駅」は昔大変有名な駅でした。1973年にNHKのテレビ番組で紹介されたのをきっかけとして、愛国駅から幸福駅行きの切符が「愛の国から幸福へ」のキャッチフレーズで若者たち中心に一大ブームになったのです。当時私も大学生で若者の端くれではあったのですが、「愛国」というイメージと「愛の国」は180度違うと思って斜めに構えていたものでした。 広尾線が廃止となり、当然幸福駅も愛国駅も無くなったのですが、どちらも記念施設として復元されて
新ひだか町にある道の駅で朝を迎えましたが、天気予報通り前夜から天気は崩れ、終夜強い雨が降り続いていました。 この日は朝からリモートで打ち合わせの予定でしたが、開始は10時ですから起床後数時間の余裕がありました。そのまま駐車場で待機するのも時間がもったいないですから、その間に近くのコインランドリーを探して洗濯して来ることにしました。9時過ぎにまた道の駅に戻り、10時から業務を始めました。別に後戻りする形になるここの道の駅に戻ってこなくても、コインランドリーの駐車場で問題は無かったのですが、この道の駅の隣にある温泉は10時から日帰り入浴に対応していましたから、業務終了後ここで入浴してから移動しようと考えたのです。 14時の業務終了後、まずは同じ敷地内にあった屋台風の店で「つぶそば」を遅めの昼食としました。名前からの連想通りつぶ貝が載ったそばで、貝好きとしては外せないメニューです。そしてその店で
厚沢部の道の駅を出発してまず向かったのは前日通り過ぎて来た江差です。 江差といえばかつて鰊漁で栄えた町ですから繁栄をしのばせるものが残っているでしょうし、それにせっかく江差へ来たのなら好物のにしんそばを食べずには通り過ぎられない気もしていたのですが、前日は蕎麦屋が軒並み閉まっていたのです。 にしんそばは、にしんの干物である身欠きにしんを甘露煮にしてそばに乗せたもので、京都が有名ですが、水揚げ地の北海道でも昔から食べられていたのだそうです。 まだ朝早くて、街のメイン通りも静まり返っていましたので、まずは港に復元されている江戸幕府の軍艦「開陽丸」を見に行きました。ここも内部は時間外で入れませんでしたが、思ったより大きく立派な軍艦でした。 その後昔の街並みのイメージを復元した街の中心部をぶらぶら歩き、丘の上の資料館にも行ってみました。古い家並みを維持保存しているのは勿論ですが、新しい建物でも新聞
夜中には満車状態だった道の駅なないろななおの駐車場は、私が7時前に目覚めた時には既にかなりのクルマが出発していて、代わりに行楽途中でトイレを利用するクルマが入れ替わり立ち寄っていました。長居は迷惑でしょうから私も早々に出発することにしました。 まずこの日最初の目的地は函館公園の桜です。一大観光地函館の名を冠する函館公園ですが意外とマイナーな感じで、訪れるのも地元の家族連れが多い印象でした。まだ朝8時前で露店とかも閉まっていましたから人も少なく、函館山の麓にある公園内をゆっくり散策できました。 公園前が終点となる市電は、以前ブラタモリで紹介されていて、カルデラが陥没してできた噴火湾の最深部にその停留所があると知って、タモリが興奮していたのを憶えています。 函館公園を出て、次は松前に向かう積りだったのですが、前日登り損ねた五稜郭タワーがやはり気になります。朝は9時から営業開始でしたから丁度良い
前日は、大洗発苫小牧行きのフェリーに当日キャンセル待ちで運良く乗船できることになりました。18時間弱船内で過ごすことになりますから、乗船後はすぐ風呂に入り、夕食を食べたら後は船内でのんびりです。 風呂とレストランのどちらが混雑するか考えて風呂を優先したのですが、どうもこれは失敗だったようです。風呂から上がってレストランに行ってみると結構な行列が出来ており、しかもバイキング形式の夕食ですから回転がとても遅く、席に着くまでにかなり時間が掛かってしまいました。先にチケットを買っていなければ諦めて帰ったと思います。その後は、ベッド周辺の物音で安眠できなかったのが想定外でしたが、おおむね快適な船旅でした。 苫小牧港入港は13時半の予定でしたが、私が下船完了したのは14時、あわよくば苫小牧港近くのマルトマ食堂でホッキ貝料理を食べようと思っていたのですが、マルトマ食堂は早朝から14時までの営業ですからそ
色々迷っていた桜旅の後半戦ですが、結局北海道だけでも今年回ってしまおうと決めました。 不在期間にできないことをまとめて処理する期間として、西日本編と東日本編の間に2週間確保していたのですが、その日はちょうど九州へ向けて出発した日の1か月後でした。ただ当日は15時に都内の検診機関で検査の予約があって、出発はその後となりますから、準備を整えたハイエースで都内に向かい、検査が終わったら都内から直接旅立つ段取りにしました。 検査の前に時間があったので麻布台ヒルズ周辺を散歩したのですが、前回に比べてヒルズ周辺の施設がかなり完成に近づいており、観光客も相当多かったです。間違いなく都内の新名所ですね。 当初東日本編は東北から北海道を一気に回る予定でしたから、当然関東から陸路を北上する積りだったのですが、東北の桜がほぼ散ってしまった今となっては、西日本編で中部・関西・四国を九州までの通過点として走り抜けた
前夜は島根県安来の道の駅で車中泊したのですが、安来市は島根県の東端なので、1kmも行かない内に鳥取県米子市となります。 この日は米子城址公園からのスタートでしたが、例によって早朝ですから園内は人影もまばらで静かでした。 公園に面した中海では可愛い女子高生がボート競技の朝練をしていて、岸には大きなアクションと大声で熱血指導中の中年男性。それ以上いくとパワハラと言われるよと余計な心配をしてしまいましたが、考えてみれば距離のある岸からの指導ですから大きな身振り・大声は当たり前ですし、沖でそれを聞く女の子たちも、爽やかな笑顔で「は~い!」と明るく返事。全く心配いらなそうです。 そこからは「ベタ踏み坂」として有名な江島大橋に行って見ることにしました。米子市の北にある境港市から島根県の松江市に架かる橋ですが、境港は「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な「水木しげる」の出身地ですのでちょっと寄り道です。我々の世代に
桜旅も12日目となり、中国地方でも満開に近いところが多くなって来て、毎日が眼福です。ここからは鳥取に抜けて丹後・若狭というあまり行ったことのない地域から北陸を回って帰ろうと思います。 その前に、ここ福山SAからも近い鞆の浦に行きます。小さい頃祖母に連れられて来たようなのですが、記憶が定かではありません。ただ、帰りに乗った福山港から香川県の多度津港までの定期航路(当時は瀬戸内海にはこういった定期航路が沢山ありました。)で、その船の船長だか航海士だかが、たまたま祖母の教え子であり、偶然を喜んで一室しかない特等室を使わせてくれたことだけはよく覚えています。今なら服務規律違反だの何だのでうるさいことになるでしょうが、昭和のおおらかな時代の話です。 福山SAから福山東ICまで進んで高速を降りれば、30分程で鞆の浦に着きます。駐車場にクルマを停め損ねて昔の街並みの中に入り込んでしまい、引き返すのも面倒
桜旅11日目は広島市内のホテルで目覚めました。久しぶりのホテル泊ですっきりですが、この日は半日リモートで仕事です。 その後、呉・江田島、そして尾道あたりに行きたかったですから、呉市の広というところまで移動して、そこのイオンで買い物をし、そのまま駐車場を使わせていただくことにしました。 予定より早く13時頃に仕事は片付きましたので、そこから呉観光ですが、大和ミュージアム等は以前バイクツーリングの時に行っていますので、この日は呉の市街地ではなく、音戸の瀬戸に行って見ることにしました。 昼ご飯がまだでしたので、音戸大橋の近くにあった会館で海鮮丼を頼んだのですがこれが大失敗。すし飯が旨く炊きあがっていなくて芯が残った硬いコメでした。すし飯は硬めとは聞きますが、芯のあるコメはご遠慮申し上げたいです。決してグルメではない私があえて書くくらいですから、、。 見た瞬間はとても美味しそうだったのですが、、
山口市の郊外にある「道の駅仁保の郷」を出発して向かったのは津和野です。山口県ではなく島根県なのですが、これまで一度も行ったことが無く、地理的にも近かったのでまずここを訪れることにしました。 起きてすぐ宿泊お断りとの貼り紙を見つけたことで、道の駅でゆっくりする気分ではなくなり早々に出発しましたから、津和野に着いたのも早く、おかげで静かな中を散策できました。気温は6℃とかなり冷え込んでいましたが、、。 ここからまた山口県に戻り、岩国市の錦帯橋に行くために国道187号線を走っている時に、「日本の棚田百選 大井谷(おおいだに)棚田」という看板を見つけて立ち寄ってみたのですが、途中の渓流もきれいでしたし、棚田も美しく石垣が組まれた見事なものでした。 沿道には他にも絵になる桜が沢山あったのですが、いちいちクルマを停めていたらいつまでたっても先に進めないですし、また停められないところの方が多いです。 錦
この日は佐賀県唐津市の「道の駅厳木」を出発して、福岡県の桜見物に向かいました。夜通し降っていた雨も上がり、観光には快適な春の一日となって、まずは久留米市の発心(ほっしん)公園です。途中吉野ケ里遺跡のそばを通過したのですが、朝早すぎてまだ開いていませんでした。昨夏の東北ハイエース旅では青森の三内丸山遺跡に行きそびれており、行けるときに行っておかないとチャンスを逃し続けますね。 発心公園は、久留米市東方の山裾にある公園で、歴代藩主の花見の場所でもあったそうです。この日ソメイヨシノはほぼ満開でしたが、早朝ですから殆ど人けはなく、のんびり散策できました。園内には久留米を訪れた時に立ち寄ったという夏目漱石の歌碑もありました。 発心公園を出て、ハイエースを北へ走らせ、次は朝倉郡筑前町の草場川の桜並木を目指しました。発心公園で舞った桜の花びらがハイエースのフロントガラスにくっついていましたので、信号待ち
福岡県大木町の道の駅おおきを出発して、この日は佐賀県に入り鹿島市の旭ヶ岡公園が最初の目的地です。開花状況と、佐賀市などの大きな街以外で選んだのですが、佐賀県三大桜の一つともいわれているんだそうで、確かに見事な桜でした。 この日は朝からずっと有明海を左手に走っていることが地図ではわかっていたのですが目視は出来ず、途中赤信号で止まった交差点がたまたま有明干拓入口というところでしたから、有明海を見に行くことにしました。海岸線はそこから3kmも先で、途中にはむつごろうCCというユニークな名前のゴルフ場もありました。干拓後にできたのでしょうが、どこにあるのか一発でわかる名前ですね。有明海は波一つなく穏やかでしたが、漁港には人の姿もありませんでした。 鹿島市はここからはもうすぐで、旭ケ丘公園は佐賀藩の支藩であった鹿島藩の城跡に作られた公園です。城郭は残っていませんが中々立派な城構えで、東大の赤門のよう
「道の駅つの」で目覚めてみると、隣には都農神社という大きな神社があり、日向国一の宮だとのことです。これは行って見ねばと出発前にお参りして来ることにしました。千葉でも安房・上総・下総の一の宮には行っていますし、全国の一の宮巡りというのも面白いかも知れません。一体全国にはいくつあるのかと調べてみると、日本の旧国の数が68国なのに対し、一の宮は90社以上あるのだそうです。これは一国に2~5社の一の宮を置く国が複数あるためで、そういえば千葉の安房国にも安房神社と洲崎神社という2つの一の宮があります。 まだ6時過ぎと早い時間でしたので、私以外はハーレーで訪れた男性が一人居るだけで、境内は静まり返っていました。境内の一画には御神象という象の形の木が安置されていて、そこに浮き出たハートマークをなでると夫婦円満、恋愛成就のご利益があるんだそうですが、ハートマークを恋愛のシンボルと認識したのは何時頃からなん
桜旅2日目の夜は行ったり来たりして、結局愛知県田原市の市街地にある「道の駅田原めっくんはうす」で車中泊しました。着いたのが20時半過ぎで、就寝態勢に入ったのは日付が変わる頃でしたから、この日目覚めたのは7時頃でした。夜中トイレに起きたときには左右のスペースも埋まっていたのですが、既に両隣とも出発していて、駐車場はガラガラ、しかし私はそこからまたのんびりシリアルとコーヒーの朝食を車内で食べて、8時頃ようやく出発しました。 8時10分伊良湖発の第1便には既に間に合いませんでしたが、第2便は9時30分ですから少し余裕がありました。そこで前日行ったり来たりした際に気になっていた菜の花畑に寄ってからフェリー乗り場に行くことにしました。桜旅なのですが最初の見物は菜の花です。海岸のすぐそばだったのですが、この日は風はまだ強いもののとても良い天気になり、太平洋がとてもきれいでした。 伊良湖から鳥羽までのフ
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『シニアライダーの日常・R1200Rと共に』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く