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マンガ大賞候補作は
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京都の木屋町通り。 町家が続く一角に佇むこちらは… 高級和栗専門と掲げる「紗織(さをり)」というお店。 人気店のわりに誰もいないと思ったら タッチパネルで順番をとるシステム↓ すでに12番目だったので 時間が来たらスマホにお知らせが届くように設定^^ さらにこのようなご案内も↓ 待ち時間にうっかり飲食などしてはいけませんね^^ いよいよ着席してメニューを確認。 あらかじめ情報を得ていたので驚きませんが 通常のモンブランとはお値段が違いすぎます。 モンブランの紗2600円と絽1800円は 栗の産地が違うだけで大きさは同じだそうです。 ここまできたら せっかくなので高級な「紗」を頼んでみますね。 そしてドリンクもオーダーしないとなので 最近はまってる和紅茶を。300円は良心的だけど 席には モンブランをいただくためのセッティング。 小さい器に ラムネみたいなのが乗っかってるなー?って気にしてな
大坂の豊臣方への備えや水害などへの対策として 都市をまるごと移転させた「清須越し」で 徳川家の威信をかけて築城した名古屋城。 天下普請により 豊臣秀吉の重臣であった外様大名たち※20藩ほどが 築城に携わり1612年に完成を見ました。 ※加藤清正、前田利常、黒田長政、細川忠興など 金の鯱を頂に 「尾張名古屋は城でもつ」と謳われ 天下に知られた名城は 家康の9男・義直を藩祖に 明治を迎えるまで 尾張徳川家62万石の居城でした。 1930昭和5年 天守と御殿が完全な形で残るまれな例として 日本の国宝第一号の指定を受け 名古屋空襲がなければ 世界遺産になっていたことと思われます。 主要な建物は失われましたが 戦後は外観が原型どおりの天守閣が復元され 石垣や隅櫓などが残る一帯は国の特別史跡に。 中心となる本丸は 南に表門、東が搦め手、北の不明門の3か所 いずれも2重の門で桝形の虎口になっています。
今年も淡々と語る つまらないブログですが よければ読んでやってください^^ お正月3が日だけで 例年200万人以上を集めるという 名古屋市熱田区の熱田神宮。 皇位継承の証として受け継がれてきた 三種の神器のひとつ・草薙剣を御神体としており その格式の高さがうかがえます。 ここに草薙剣が祀られるようになった経緯を 簡単に記してみると… 八岐大蛇の体内から出た天の叢雲の剣は 天孫降臨によって再び地上に下されました。 伊勢神宮に仕えた倭姫命は 甥の日本武尊に剣を与えています。 日本武尊はその剣でもって東国を平定し 剣は草薙剣と呼ばれるようになりました。 そして剣を宮簀媛みやずひめに預けたまま 伊吹山の神を倒しに行くも 自らは息絶え。 宮簀媛の手元に残された草薙剣を祀るため 創建されたのが熱田神宮で 2000年近く昔のこと。 皇居には 草薙剣の形代がお祀りされているのだそう。 さらに熱田神宮は 天
この話を知ったのは 中学校の音楽の授業で。 先生が 歌舞伎「勧進帳」のビデオを見せてくれたのです。 映像だけでは内容がよく分からないものの 先生が補足をしてくれて 生きることの厳しさの中にも 優しさがあるのだと感じました。 時は流れて 舞台となった場所が小松市と知り 実際に訪問してみた次第です。 それは「安宅の関所跡」。 石川県小松市の安宅住吉神社は 海抜15mの二堂山ふたつどうやまの頂に位置します。 源義経を捕えるために 兄の頼朝が安宅の関所を置いたところで 一帯は石川県の史跡です。 時は1187文治3年の春 頼朝から謀反の疑いをかけられたため 都を追われる身となった義経一行。 奥州平泉の藤原氏を頼みの綱に 北陸路をくだることに。 身元を隠すため山伏に変装した義経たちが 安宅までやって来たときのこと。 弁慶は 自分たちは焼失した東大寺を再建させるため 勧進(寄付金集め)を行っているのだと
兼六園の随身坂口を出たあたり 「金澤神社」があります。 出入口の名前は 神門に随身様が祀られていているから。 もちろん一般道からも参拝できます。 藩校の鎮守社として 学問の神様である菅原道真をお祀りしているところ。 菅公は前田家の先祖とされ 御骨を祀ってあるそう。 奉納鳥居がある石段を上ると… 御本殿です。 1794年築の国の文化財ですって。 天神様の使いの御神牛。 なでなで^^ 金澤神社は 「金沢」の名の由来となったという 「金城霊沢」があることでも知られます↓ 覆い屋の下に 泉がありました。 言い伝えによれば 昔このあたりに芋掘り藤五掘という 貧しくも正直な男が住んでいたそうで。 藤五郎は山から掘ってきた芋をこの泉で洗うと たくさんの砂金がで出てきたのです。 それを貧しい人々に分け与え みんな仲良く暮らしましたとさ^^ …という昔話。 金洗いの沢と呼ばれた泉があることから 一帯を金沢と
日本三名園とは 水戸の偕楽園、金沢の兼六園、岡山の後楽園のこと。 金沢城の外郭に位置する兼六園は 1676年、加賀藩5代・前田綱紀が 蓮池亭という別荘と周辺の蓮池庭を作庭したのがはじまり。 その後180年間にわたって歴代の城主が 自らの好みのままに手を加え 13代・斉泰なりやすの頃に今日見るような景観となりました。 山や池を配し それらを巡る池泉回遊式というタイプの庭園は 四季折々の景色が楽しめることで知られ 世界中からの観光客を集める金沢観光の鉄板の地。 庭園版国宝ともいえる特別名勝の指定を受けています。 庭園への出入口は全部で7つあり うち「蓮池門口」が前述の蓮池庭のあったあたりで 兼六園の正門とされるようです。 今回は石川門から最も近い「桂坂口」から パンフレットや看板を頼りに見てみます^^ 桂坂口の由来となった桂の木↓ ↓さっそくせせらぎを発見。 源流は霞ヶ池でした↓ これが有名な
尾山神社を抜けて 西側の鼠多門から金沢城公園を歩き 城内最大の河北門二の門から 三の丸広場へ入ったところまで 前回の記事にしました。 今回は 三の丸へ通じるもう一つの門 石川門を外から見たところから。 二重櫓と続櫓を門と渡櫓で連結。 破風の下の石落とし↓ ちょんまげのような京の巻の瓦が かっこよさを際立たせますね^^ 軒下の波打つ漆喰も 仕上げるのは難しそう。 重文の石川門は金沢の街の象徴として 金沢に行ったことがなくても 見たことがあるのではないでしょうか。 1759年の火災で 城のほとんどが消失したものの 石川門は1788年に再建されて以来 その後の火災の影響も受けず現在に至ります。 金沢城の搦手、裏口とはいうものの 兼六園とつながり利用者も多いことから 正門と勘違いしてもおかしくなさそうです。 しかし江戸時代は非常口のような感じで ここから出て敵を背後から攻めたり 密かに脱出するため
加賀百万石の城下町の中心は 浅野川と犀川に挟まれた丘陵地に築かれた金沢城で 現在の金沢城公園。 もとは北陸における真宗の拠点・尾山御坊だったところで 大坂の石山本願寺のごとく 石垣を備えた城塞のような寺院であったようです。 織田信長の命により御坊は攻め落とされ 佐久間盛政が城郭へ改造。 これが 尾山城、のちの金沢城となるのです。 本能寺の変の翌年1583年 織田政権の後継争いである賤ケ岳の戦いで 佐久間盛政は柴田勝家に属し 前田利家も初めは勝家側であったものの 迷った末に勝家を裏切り秀吉側へ。 結果、秀吉が勝利を飾っています。 信長に仕えていたころの利家は 能登の国の領主で 賤ケ岳の戦いから秀吉の信頼を得て 佐久間盛政の旧領地であった北加賀を加増されました。 これまでの領土である能登と越中全土に 46歳のころ北加賀が加えられ 能登の七尾から金沢城へ移るのです。 豊臣政権では 徳川家康と共に
金沢の尾山神社ライトアップ。 この日は遅かったので 目の前の宿泊地でありながら 尾山神社と金沢城公園は諦め… 翌日に早起きすれば 逆算して自由時間を作れそうです^^ ならば朝から行くしかないでしょう♡ 次の日 ホテルの12階からの景色に歓喜^^ 朝ごはん食べにきて良かったー♡ まさか尾山神社の神門が見下ろせるなんて! 後ろの上のほうに見えてるのは 地図で確認すると三十間長屋っぽい。 高低差もある平山城だし どこまで行って戻れば間に合うかな? 時間と雨との戦いを自分に課して いざ参らん^^ ライトアップ無くても 外観そのもののインパクトが強すぎ^^ と、その前に ここが金沢城の西の外郭だったらしい。 一般道と神社の境には 西内惣構にしうちそうがまえの東の石垣がわずかに見られます↓ 神門の案内板も↓ 木造というのが意外ですが 「加賀藩を象徴する戸室石」 という言葉が気になったので調べてみる。
北陸地方のこれからの季節は どんよりとした灰色の空が続くのでしょう。 長い冬のはじまりです。 冷たい雨の降る中 金沢へお邪魔しました。 さむ… さて。 木造家屋に石畳の景観がつややかなこちらは 1820年に加賀藩の政策で 同業者を集中させた町区分を行ったことにはじまる 「ひがし茶屋街」。 金沢城とは浅野川を隔てた外側に位置し 「ひがし廓」と呼ばれたこともあったようです。 お茶屋といってもお茶を売るお店ではなく 酒宴や芸事を楽しむ大人の社交場だったところ。 通りに面して 視線を遮る格子戸と高さのある2階 屋根は切妻で瓦葺という統一された町並み。 江戸時代の名残りが見られるこの一帯は 国の重要伝統的建造物群保存地区。 今も5軒のお茶屋が営業され 芸妓さんも10数名とか。 いずれも 紹介無しでは入れない「一見さんお断り」という方式で 夜のひがし茶屋街は 上流の町人や文人が通ったころのままの格式高
各務原市には 航空自衛隊・岐阜基地があります。 その飛行場は陸軍時代からのもので 各務原は日本最古の空の街なのです。 各務原の街で たくさんの飛行機が造られてきたことを物語る 「岐阜かかみがはら航空宇宙博物館」。 ゲートから建物までは滑走路風のアプローチ。 気分が盛り上がります^^ 野外展示には 戦後初めての国産旅客機・YS-11など↓ リニューアルしてからは初訪問 どんな感じに変わったかなーって 気になっていました^^ まずは各務原が 航空機産業をスタートさせた 記念すべき飛行機「陸軍乙式一型偵察機」から。 なんだか連載みたいになってるけど 川崎造船所(現・川崎重工業)が 第一次世界大戦時の1918大正7年に 仏・サルムソン社から製造権を取得して国産化した、とあります。 飛行機の材料に自然素材というのも 原点を見るようです。 そしてこちらも川崎航空機製・陸軍の飛燕ひえん↓ 1941昭和1
富山県射水市に 係留保存されている初代・海王丸。 まず「射水いみず」という読み方には ちょっと悩みました。 市のページによれば 「射水」の地名は、古くから書物や地図にその名が記されるなど、長い歴史を持つ由緒ある名前です。 射水市は、富山県を代表する大河である神通川・庄川の間に広がる射水平野の大部分を占めています。射水平野は中小の河川や地下水に恵まれた土地として古くから栄えてきました。古代の人々は、水の湧出をあらわす言葉「イ」・「ミズ」にちなみ、この地を「イミズ」と呼んだと考えられます。 平安時代に完成したとされている地方の豪族などの系図をまとめた書物『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』に、伊弥頭(イミズ)という行政区域を支配した豪族「伊弥頭国造(いみづのくにみやつこ)」がいたと記されています。 また、行政区域としての「射水郡」という地名は、奈良時代を代表する歌人、大伴家持がまとめたとされ
メリケンパークに 華やかさを添える海洋博物館。 帆船と波をイメージしたという 白いパイプの屋根が印象的な建物は お洒落な街・神戸にふさわしく。 エントランスホールには 英国艦船ロドニーの模型がお出迎え。 神戸開港を祝うために集まった 英、米、仏の外国船18隻の1つとあります。 模型のむこうにカワサキワールドがあって 海洋博物館の入館料900円で入れます。 カワサキワールドとは 地球上のあらゆる乗り物の製作を手掛ける 川崎重工業グループの博物館です。 お出かけ先で出会うさまざまなものを 気になって調べたりすると ちょいちょい登場する社名。 ちょっと知るともっと知りたくて やって来ました。 …とはいうものの 2017年のことですが^^; 川崎重工業の初期のロゴといえば 川崎の「川」を図案化したリバーマーク! こちらでは 創業からの歴史を通して 業績を紹介しつつ 実物なども展示しています。 創業
京都鉄道博物館の記事を書こうと 画像を入れて下書き保存して 忘れたまま2022年となりました^^; 展示内容は それほど変わってないと思うので 昨日行ったことにしても分からないくらい?それはない 1200円のチケットを購入して まずは半分屋外となっている 「プロムナード」というエリアから。 ↑右は鉄道記念物・初代新幹線電車。 1964昭和39年に 世界最速200km/h超で 営業運転を実現した0系。 ↓これは車内かな? 座席配列がゆったりしていて 窓も普通車より大きめ。 一角では コロナ禍の現在は分かりませんが お弁当が販売されて たしか車両内で食べることができたような…? 「本館」は完全に屋内になっていて ↑平成8年当時 営業運転を世界最速の300km/hへ塗り替えた 川崎重工業製の500系や 中央は寝台車両もある581形 日立製作所で造られて昭和43年製ですって 右がボンネットもかわい
今となっては 西日本でしか手に入らないカール。 うすあじも好きだし チーズ味も捨てがたいので 両方買いました、大人ですから。 じつは空箱も欲しかったりして^^ 使い道があるか分からないけど とりあえず綺麗に残したい! だから 前に聞いて覚えてた生活の知恵を 初めて活かします! 段ボールからテープを綺麗に剥がすには 「熱」です。 ドライヤーで どれだけ温めれば良いのか謎ですが 失敗したくないので 熱くなるまで温めました。 慎重に 端からテープをめくってみると…? このように けっこう綺麗に取れました↓ そして無事に開封↓ なつかし♡ いくつかおすそ分けしたら 高確率で「あーっ」って笑 空になったかわいい段ボールは 物の少ないわが家では やはり これといって入れるものも無く… どうしましょうと悩んだ末 写真だけ撮って譲りました(気が済んだ人) さて 来年の手帳も発売されるようになって 時の流れ
2022年8月12日から18日まで 「ひょうごプレミアム芸術デー」でした。 できれば期間内に書きたかったけど 間に合わなくて^^; なので 開き直って記録しておきます。 ある日 いつものようにくだらない情報収集をしていると… 期間中は7カ所の県立施設を無料開放 というニュースを発見。 開放される施設の1つ 兵庫県立美術館へお邪魔してきました。 屋上のお洒落なカエルさんが いらっしゃいって誘惑してくる♡ 美術館マップによると 兵庫県立美術館は、阪神・淡路大震災からの「文化の復興」のシンボルとして、 2002(平成14)年神戸東部新都心(HAT神戸)に開館しました。 世界的に著名な建築家・安藤忠雄氏によって設計された建物は、 延床面積・約28.000という西日本最大級の規模。 北には六甲山系を、南には瀬戸内海と神戸港の風景を望む美しい環境に位置します。 館内には展示室をはじめ、美術情報センター
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