サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
装丁を味わう
www.ienotomo.com
土地や建築費の高騰、世帯収入の伸び悩みなどで、改めて二世帯住宅が注目されています。しかし、気心の知れた親子の間とはいえ、複数の世代、世帯が一つ屋根の下に暮らすには、多くの困難が待ち受けているのも現実。規格住宅は少なくありませんが、プランに合わせて我慢しながら暮らすのもおかしな話です。世帯の数だけ、家のかたちがああります。あとあとトラブルが少なくなるように、プランニングの前に整理しておきたいことを考えてみました。 Contents. 親との同居率が高い日本社会 二世帯住宅の基本は3タイプ 互いのストレスで別居の例も ストレスを事前に予測しよう 自分たちの生活を細かく分析 五感を駆使してトラブル回避 親との同居率が高い日本社会 二世帯住宅が増えています。 経済状況はニュースで観るほどいいとは思えませんし、民間企業に勤めるサラリーマン、特に若い世帯の年収は頭打ち。 都市部でも地方でも新たに土地を
地震、水害など、大規模な災害が起きるたび、自分には何ができるだろうかと考えてしまいます。しかし、ボランティア、募金など、すぐに行動を起こせる人ばかりとも限りません。せめて、いちばんの弱者ともいえる子どもたちにできることを考えてみました。 Contents. 3.11被災地で歓迎された本 赤ちゃんのものが足りない 生涯消えることのない言葉 沈黙と祈りだけで届くもの 言葉を選んで発することを 3.11被災地で歓迎された本 東日本大震災から10年以上が経ちました。 その後も、熊本地震、大阪北部地震、能登の地震など大きな災害が起こり、九州北部豪雨や西日本豪雨をはじめ、毎年、各地で水害が発生し、その都度大きな被害が出ています。 まだ被災地、ましてや避難所にいる方々は、不安を抱えたまま毎日を過ごされているのではないかと思います。心から、お見舞い申し上げます。 災害に関するニュースを聞くたび、すぐにボラ
日本の住宅寿命は30年前後。欧米諸国の数分の1しかない短命な住宅のためにローンを組み、世代を超え、ほぼ全ての国民が住宅ローン完済のためにと働き続けます。「100年住宅」という言葉を耳にしますが、実現まではまだまだ遠い道のり。一向に高まらない省エネ意識と、耐久性との関係。そこには、日本人の生命観、生活文化も微妙に影響しているかもしれません。これまで「暖房」と思っていたことが実は、日本ならではの習慣、生活文化だったり、全く混乱してばかりなのです。 Contents. カビのある家が日本の標準? 温熱環境には無関心な日本人 日本の住宅を短命にする結露 空間=房=を暖めるから暖房 発熱体を皮膚につける床暖房 カビのある家が日本の標準? もう10年以上も前。 東京の出版社で行われた編集会議でのことです。 20年以上の経験を積んだ高学歴のベテラン編集者が集まる会議でしたが、たまたま、日本では「100年
縁側の「縁」、人と人との「縁」。同じ「縁」にも「ふち」や「へり」があり「えん」も「ゆかり」もあります。「縁側」のある家への憧れがありましたが、いい「ご縁」にも憧れます。人のみならず、お金や地位との「ご縁」にもあやかりたいのが、人間の弱さ、そしてエゴ。向こうからやってくる「縁」もあれば、引き寄せる「縁」もあるようです。 Contents. 縁側のある家に憧れる 並ぶから話せることも 「因」と「縁」の違い 選んだものが目の前に 縁側のある家に憧れる 子どもの頃から縁側のある家が憧れでした。 しかし、自宅は絵に描いたような住宅地にあり、敷地も60坪ちょっと。 隣家が境界線ぎりぎりにまで迫っています。 こんな環境では、庭先に縁台は設けられても、風景を楽しめるような縁側など望むべくもありません。 性能にはこだわりましたが、家のかたちは、どこにでもあるような平凡なものになってしまいました。 それが、小
ムーミンがいちばん苦手なことは「ひとりぼっち」。やさしいパパやママ、仲間たちと一緒に、ムーミンはいつも冒険を楽しみます。フィンランドの国民的作家であり画家でもあるトーベ・ヤンソンが、私たちに伝えたかったこととは。 Contents. トロールの伝説をもとに誕生 冬眠から目覚めて出会うこと いろんなものをもちすぎてる トロールの伝説をもとに誕生 トーヴェ・ヤンソンは1914年フィンランド生まれ。 彫刻家の父と画家の母の元で早くから絵本作家や画家として活躍しました。 北欧の森には「トロール」という生き物が住んでいるという民話があり、この話から、ムーミントロールというキャラクターを作り出したといわれています。 ムーミンシリーズ9作目のなかで、冬のムーミン谷を描いているのは「ムーミン谷の冬」だけです。 まっ白な雪にとざされたムーミン谷。松葉をたっぷり食べて、ムーミンパパとムーミンママといっしょに冬
子育ての最中、甘えや依存というと、あまり聞こえがよくないように思われがちです。自立というと、ちょっとカッコがつく気がするかもしれません。しかし、子どもにとっては「おなかいっぱい」というほどの依存が必要な時期があります。そんな自立と依存を経て再生した家族の小さな物語。 Contents. 子どもの万引き事件 課題を創った子ども 大人たちが川の字で 自立と孤立の関係性 家とうちとの違いは 子どもの万引き事件 C子さん夫妻は、 長い間深刻な不和の状態にあり、 互いに離婚は 時間の問題と考えていました。 お子さんは中学生の男の子。 ある日、スーパーで万引きをして 補導されてしまいます。 夫妻は「どうして自分たちの子がこんなことを…」 と戸惑い、途方に暮れました。 C子さんは毎日、 涙が止まりませんでした。 が、この事件がきっかけとなり、 いつの間にか、 夫妻は以前より話をするようになっていました。
家族みんなでハワイ旅行、年収50万円アップ…といった願いから、読まない本を10冊捨てる、観葉植物を2鉢増やす、使わない食器を2セット処分する、といった身近なことまで、私たちの頭の中は、いつも気になることでいっぱい。それらをいったん文字にして可視化することで無意識に刻み込み、願いや課題をクリアしていくことは、心地よい毎日を送るための、いちばん簡単な作業です。難しい理屈は後回し。必要なのは紙とペンだけ! Contents. 「100のメモ」の書き方 モヤモヤを文字で可視化 書くことで脳に刻まれる 「今週のメモ」をプラス 「100のメモ」の書き方 本やネットの世界には、引き寄せや夢を叶える方法が星の数ほどあふれていますが、科学的な裏付けのあるものはありません。でも、何もしないよりは、何かをすることで、生きる力が湧いてくるのは確か。「100%は叶わないが、0%ではない」だけでも価値があります。「え
建築写真。いろんな撮り方があります。今回、おすすめしたい写真は、薄暮(トワイライト)タイムの住まいの表情。「マジックアワー」や「ブルーアワー」と呼ばれますが、青や藍がきれいなことから、ここでは「ブルアワー」とします。構図などは【撮影】の記事を参考にしていただき、三脚など大袈裟な道具や複雑な設定なしで撮影できることを前提にまとめています。一眼レフ、コンパクトデジカメともに手ぶれ補正が付いている機種がほとんどですので、ぜひ、手持ちで挑戦してみてください。 Contents. 【撮影する時間】 【カメラの設定】 【撮影の前準備】 【撮影する時間】 ブルーアワーとは、夜明け前や日没後、屋外の色彩が深い藍色に覆われる時間帯をいいます。 外にいるとわかりにくいのですが、室内側から窓を通して外を眺めると、空だけでなく全体が青みがかって見えることに気付くはずです。 室内ではあかりが灯る時間でもあり、暖色系
かつては紙や木、土だけでできていた日本の家も、いまや化学製品が主流を占め、使われる自然素材は数えるほど。ビニールやプラスチックのように、いつまでも丈夫で頑丈なことはいいことですが、身近に「生命」の息遣いが感じられなくなったことは少しさびしい気がします。 Contents. 光と影が自在に躍る建具 はかなさゆえの魅力とは 生命に秘められた美しさ 光と影が自在に躍る建具 遠い昔のこと。 家の庭の花々が一斉に咲き始める季節になると、母と一緒に障子の張り替えをするのが恒例行事でした。 建て付けの悪くなった障子の建具を外して外に持ち出し、張り替えの前の障子紙をグウのパンチでボスッボスッと破っていくのは、このときにだけ、子どもたちに許されることだったのです。 紙に穴が開いたら枠に水をかけてしばらく置いておく。 そのあと、タワシでこすって、古い障子紙と糊を落としていきます。 それが乾いたら、いよいよ障子
もっとほしい。もっと生きたい。もっと前に。もっと大きく。人生は限界、締め切りだらけなのに、私たちはいつも「もっと」を望みます。何かを「しない」ことは罪悪なのでしょうか。人生にもいつか終わりが訪れます。その締め切りを意識すること、しないことで得られること。 Contents. みんな「締め切り」の中で生きている 「もっと」の先に待っているのは何? 数を選ぶことと深さを選ぶことの違い いま・ここでしか生きられない私たち 締め切りを受け入れ諦めることの豊穣 みんな「締め切り」の中で生きている 限界。 水も電気も石油もガスも森林も有限のはずですが 私たちは、いつの頃からか、 そこに限りがあることなど考えもしなくなってしまいました。 みーんな、どこかにあって なければ、どこからかやってきて お金さえ払えば、みんな手に入ると信じてきたのです。 締め切り。 これも同じようなものです。 私たちは、 ほとん
家のこと、あるいは特定の場所や人との関係について、私たちは「居場所」を求めようとします。ときには「居場所」が見つからず、世界をさまよい続けるほど、それがないと、生きていくのが困難なこともあるのです。しかし、居場所はもとから「ある」ものではありせん。最初から家は家ではなく、家族は「ある」ものではなく「する」もの、つくっていくもの。ちょっとした努力さえすれば、心地よい居場所は、ちゃんとできます。 Contents. ネコは基本的に単独生活者 心地よさを探すための方法 縄張りと居場所の違いとは 愛猫が危篤になったあの日 ヒュッゲの根底にあるもの だらだら・ぼんやりの時間 意味もなくそこに居ること ネコは基本的に単独生活者 ネコを飼っていました。 息子が小学生のときに、近くのスーパーの入り口で拾ってきたのです。 粗末なカゴに入れられ、ちぎった紙切れに「ただであげます」と書いてありました。 生後1カ
私たちは、この世界を身体や心で瞬時に感じられる感覚を得て生まれてきました。代表的なものが、いわゆる五感と呼ばれる感覚です。しかし、同じものを見たり聞いたりしても、捉え方は人によってさまざま。目の前にあるものを、どう捉え、何をイメージするかによって、その人の本質が顕れることもあります。 Contents. 日本人ならでの空間感覚 メッセージとしての「音」 日本人ならでの空間感覚 眼を閉じることはすぐにでできますが、人前で両方の耳を塞ぐことはなかなかできません。 五感とは便利なもので、見えていても見えないふりができますし、隣で誰かが話していても、何か考えごとをしていれば、まったく聞こえないこともあります。 もちろん、じっと見つめていたからといって、全ての情報を把握できるものでもありません。 日本の伝統家屋では建具も壁も薄く、襖や障子があっても、音は筒抜けのようなものでした。 それでも家族は、都
誰かとつながりたい。社会とともに歩む。環境を大事に。けれど、誰ともつながりたくないことを体現した家のつくりがいま、主流です。ここ数十年で生まれた日本人特有のプライバシーの概念が、社会と家族、家の機能までも大きく変革しようとしています。 Contents. 「うち」の反対側にいる他者 家に帰る・うちに帰るの違い 「徒然草」にみる賤しげな家 環境との分断は家族との分断 「うち」の反対側にいる他者 あの人はいい「家」の育ちです、という表現はあります。 でも、あの人はいい「うち」の育ちです、とはあまりいいません。 「うち」のカミさん、とはいいますが「家」のカミさんとも、あまりいわないようです。 家を建てる、うちを建てる。 どちらも使いますが、どちらかというと「家」が多い。 「家」とは建物そのものを表すこともあれば、家柄や家庭のことを指す場合もあって領域が広いのです。 一方「うち」という表現は、自分
新しい価値は、歴史観に基づいてこそ、普遍的な価値へと昇華します。変わっていいこと、変わらなくてはならないこと、変わってはいけないこと。 Contents. 熱的性能では先進的な北海道の家 家にも街にも表情が感じられない たった数年で古ぼけてしまう外観 時代を超えて伝わる家や街の価値 熱的性能では先進的な北海道の家 4日間ほど北海道に行ってきました。 旭川では研究所を訪ね、札幌では旧知の建築家と会って、近況などをうかがいました。 電車の車窓から眺めたり、街を歩きながら北海道の家を見るたびに、いつも思うことがあります。 一つは、ほとんどの家が熱的性能が高く、暑い寒いといった基本的な問題が解決されていること。 半世紀以上も前の家には、そうでもない家も多いのでしょうが、割合からすれば、それらを含めて熱的性能は日本でもっとも高いレベルにあるといっていいかと思われます。 札幌などの若い人は、真冬でも半
家づくりを経て、子育てが終わった頃、足元に忍び寄る中年期ならではの不安や葛藤=クライシス。それと闘うこともいいのでしょうが、足元に課題解決のヒントがあるかもしれません。 Contents. 中年期の葛藤とは 熟年夫婦の大問題 生きてちゃだめ? 後退ではない進歩 中年期の葛藤とは 人生80年とすれば、40歳を過ぎたら、そろそろ中年期。 男女ともあぶらののった時期でもあります。 しかし、子どもたちは難しい時期にさしかかり、自分たち親世代は、家庭や職場での責任が一層増す時期。 体調の変化やストレス、あるいは離婚・再婚といった劇的な人生の転換が多いのもこの世代です。 結婚して家庭を持ち、子育てを楽しんでいるうちは夫婦・家族の気持ちが一つとなって、みんなで夢に向かって前へ前へと進んでいきます。 人生の後半、子どもの進学・就職・独立、家の新築・リフォーム、定年などが見えてくると、さまざまな不安や問題が
誰かと話をしたいという気持ちの根底には、自分の話を聴いてほしいという願望が潜んでいます。しかし、わずか3分でも、相手から何のコメントもなく、自分の話を聴いてもらったという経験を持つ人はどれくらいいるでしょう。3分間、自分の意見を述べず、徹底して相手の話に耳を傾けた、そんな経験を持つ人も多くはないはず。人と、あるいは自然、世界とつながることの基本は、まずは、こちからから耳を傾けるということ。 Contents. 誰だって聴いてほしい いつでもつながりたい 相手を尊重しない社会 野の花の声でも聴ける 耳を澄まし物語を編む 誰だって聴いてほしい 自分から相談をもちかけたくせに、相手に何か忠告をされると「話すんじゃなかった」と後悔することは少なくありません。 まだ話が終わっていないのに「私はね」「というかさ」と自分が仕切り始める人も多くいます。 過不足ない言葉でいいたいことを存分に表現できたり、思
読書の際、気になった文章は2Bの鉛筆で線を引きます。すごい話だ、上手な表現だなあと思った部分が多いときには、ページの端を折ります。ですから、書棚にある本は全てボロ雑巾みたいになってしまいます。読み終えると、線を引いたり、端を折ったページの文章をノートに書き写します。手書きに徹することで自分の無意識に刻み込める、という思い込みで続けている習慣です。読書は物語を通して、別の世界に通じるツール。そして私たちは日々、物語に助けられながら、生きているのかもしれません。 Contents. 絶望の中で物語を編める人 先生はやさしせなあかんで 生き直す媒体としての物語 絶望の中で物語を編める人 人生で体験できることは限られますが、読書は読んだ本の数だけ物語を疑似的に体験できます。 あのときの出会いはこんな意味があったのかと、自分の記憶を追体験することもあるはずです。 本を読むと賢い人になるというのは、う
日本の家庭内で消費されるエネルギー消費は上昇の一途をたどり、上昇率は国際的にも突出しています。冷暖房や給湯に関わるエネルギーは、さほど増加しているわけではないのに、家電製品や照明などのエネルギーが一向に減少する気配を見せていないのです。家の中のどこでも快適な温度に保たれた欧米と異なり、日本の家はいまも夏は熱中症になるような暑さ、冬はいつヒートショックになってもおかしくない寒い不健康な家ばかり。私たちの日本人の家と暮らしをいま一度、見つめ直します。 Contents. 暑さ・寒さと健康との関わり 我慢を強いる家は家ではない 躯体の省エネと設備の省エネ 暖かいと「寒くない」の差? 暑さ・寒さと健康との関わり 日本の世帯当たりの用途別エネルギー消費量は、暖房と給湯で約70%割を占めており、冷房は1-2%程度でしかありません。 圧倒的に暖房用が多いのです。 それでも欧州諸国の暖房エネルギー消費量と
わずかな時間を見つけて向田邦子を読んでいる。昭和4年生まれ。世代が異なる気がしないのは、この人のシナリオによる作品が、子どもの頃からテレビドラマとして身近にあったからだろう。 ノンフィクションから読書の道に入り込んだ自分にとって、シナリオ作家の書いた活字は読むべき対象には入らず、事実、この数十年、1行たりとも入り込んではこなかった。縁がないものと思っていた。 ひと月ほど前のことだ。本棚の奥にあった「父の詫び状」を手にとって頁をパラパラめくると、止まらなくなった。人に会うのも、本を理解するのも、その時期、そのときの個性があるらしい。父が母が、あるいは祖父母たちが生きた昭和の時代の家と暮らしの相が、滲み込んでくる。 文章にも行間にも体温や湿り気、匂いがある。互いの気持ちを往来する家族の所作や言葉の往還が細かく描かれ、それらの遺伝子のほとんど全てが、いまを生きる自分たちのなかにあることに驚いた。
影はしばしば、私たちが願う方向とは逆に作用し、自我との対決を迫ります。その対決は、生死をかけた過酷な戦いとなることもありますが、それが導きとなり得ることは少なくありません。影のないところに光はなく、光のあるところには必ず影があります。その影にこそ、美しさの本質が隠れているかもしれません。 Contents. 陰翳の中にある美と安寧 仄暗さの中に秘めた美学 光より強い力を宿すもの 自分の中の影を凝視する もう一人の「私」の発見 自我との対決を迫られる 陰翳の中にある美と安寧 以前、ここに「1/f ゆらぎ」 について書きました。 単調でなければランダムでもない、 自然界に多く存在する 特別な振動のことをいいます。 小川のせせらぎやそよ風、星の瞬き、 蛍の光なども「1/f ゆらぎ」。 定規で引いた線より、 手描きの線のほうがしっくりくるように、 不規則でも規則的でもない振動が、 心地よさを与えて
いやなことがあると落ち込みます。いいことがあるとうれしい。よくても、悪くても、私たちは、その折々で置かれている状況だけを見つめて、揺れています。意地をはったり、嫉妬をしたり、恨んだり、怒ったり。分かっていても、やめられない。この問題、苦しみから逃れる方法はあるのでしょうか。 Contents. 怒りや恨みの感情の行き先 遺伝子をオンにするために 元気になれるオキシトシン 子どもより奥さんに労りを いいことが起きますように 正しい言葉は人に届かない 怒りや恨みの感情の行き先 この20年来、おつきあいのあるA先生(医学・生理学博士)に こんな話を聞いたことがあります。 人が病気になるには 衣・食・住、生活スタイルなど さまざまな要因があるのですが、免疫力の低下に もっとも影響を及ぼすのが、マイナス思考とストレス。 そのストレスにも、いろんな種類があります。 大量の仕事をこなさなければならないス
明るくて開放的。いやいや、寒さが心配。掃除やメンテナンスは――など、家づくりの際に、迷ってしまうのが吹き抜けを設けるかどうか。ひと昔前までは、エネルギーの無駄、寒くてしようがないなど、マイナス面ばかりが強調されていましたが、断熱水準が上がったことで温度差も少なく、省エネで吹き抜けができる時代。そんな吹き抜けに関する話題のあれこれ。 Contents. 天井の高さと子どもの出世 狭くて暗い場所が落ち着く 天井高は7尺5寸が限度説 床と天井の温度差について リビングそのものが不要? 一人で過ごせる空間なのか 天井の高さと子どもの出世 吹き抜けを採用するお宅が増えてきました。 ひと昔前までは、吹き抜けは冬に寒い、夏は冷房が効きにくいなどの理由で敬遠されていましたが、建物の断熱化が進んで省エネで上下の温度差も少なくなり、急速に普及が進んだことと思われます。 「天井が低い家で育った子どもは出世しない
A社(工務店)でお話をうかがう。 昨年、取材でお会いしたBさんご夫妻と一緒である。 あれから検討を重ね、プランを練り、いまは上棟を終え、着々と工事が進んでいる。 奥様からうかがった話が、印象に残った。 「家づくりって、実は、苦しい作業だったのですね」 というのである。 限られた予算と数えきれないほどの制約のなかで、家族が要望を出し合う。 そこで初めて、ご主人が、2人の子どもが、 こんなことを考えている人間だったんだ、とわかる瞬間がいくつもあった。 時には、考え方の違いで感情的になり、諍いになることさえあったという。 そのときに見せる相手の表情に戸惑い、 逆に、和解に向かっていくときの、これまで見たこともない対応に気づいたりもした。 計画が進むに連れて、A社とのやり取りも、これまでとは変わっていく。 信頼関係を深めれば深めるほど、これまで言いにくかったことも 言わざるを得ない場面が増えていく
「ぼくを探しに」(講談社)という絵本が デスク脇の書棚にある。 いつも、手の届きやすいところに置いてある。 シルヴァスタイン作・倉橋由美子訳。 もう何年も前の誕生日に、娘からプレゼントされた本である。 何かが足りない。 楽しくないと思った「ぼく」は足りないかけらを探しに行く。 かけているからだは、あまり速くころがれないし、歩けない。 それで立ち止まってみみずと話したり、 花の香りをかいだり、かぶとむしを追い越したりして かけらを探していく。 途中でようやく、自分にぴったりのかけらに出会う。 やった! ばんざい! これでようやくまん丸になれた、と思ったが 今度は花の香りをかぐことも、歌も歌えない。 せっかく出会ったかけらだが、「ぼく」はそれをそっと落として またかけたからだで、ゆっくり一人ころがっていく。 ラッタッタ さあ行くぞと歌を歌いながら、「足りないかけらをさがしにね」。 と、こんなス
中国人の留学生にお話をうかがいました。「日本の生活でつらいことは」と尋ねたところ、即座に「正座」という答えが返ってきました。 意外かもしれませんが、中国は欧米と同じ「立式」の生活なのです。 日本人でも正座が苦手な人は少なくありません。冠婚葬祭などの席で正座を余儀なくされると、つらい反面、気が引き締まって、まんざらでもないと思うこともあります。自分も、疲れたときはあえて正座をします。 実は、日本に正座が浸透してから、まだ100年足らず。江戸時代中期の頃まで、正しい座り方といえば立て膝が主で、胡座(あぐら)のような姿勢だったといいます。もっとも、当時の日本の建築は板の間が大半で、畳は高貴な人のためのものでした。 座り方の呼称はたくさんあります。 足の裏を合わせるのが楽座(らくざ)、正座状態から足を左右にはずして尻を床につける割座(わりざ)、剣道の試合でよく見る蹲踞(そんきょ)、片方の膝を立てる
「ムーミン」の物語が好きだ。 テレビでは、 昔の岸田今日子さんの声のアニメがよかったが 再放送にはなかなか巡り合えない。 (作者のトーベはこのシリーズが気にいらなかった) 仕方がなく、 文庫本を何冊か買って大事にしている。 ほんとうの名前は「ムーミントロール」。 甘えん坊で、傷つきやすく 吟遊詩人のスナフキンに憧れている。 崇拝さえしている。 住所は「どんなところよりも美しい谷」。 ムーミンパパは責任感が強いが、 すぐに挫折をするナイーブな紳士。 仕事はしていないみたい。 ムーミンママは癒し系代表のような存在だが 頼りになって前向き。 でも、ものごとにも人にも、 けっして執着しない ある意味、頑固な性格だ。 ちびのミイ、スノークといった女子(かどうかわからない)、 頭のちょっと軽いスニフなんかが いつもムーミンのそばにいて やっかいな騒動を起こしたりもするが、 ムーミンの家族もムーミン谷の
プロの小説家はもちろん。著名な研究者や専門分野で執筆機会の多い人でも、腕のいい編集者の手にかかると、2000字を500字くらいに減らしても、十二分に要点を伝達できる文章にできます。それだけ大半の人は、無駄なことを書いているのです。 デザインも同じ。限られた誌面に過剰なケイ線、必要以上に大きな活字、そこまで増やさなくてもいい写真の点数、目立ちすぎるノンブルやキャプションなど、過剰に情報を詰め込むタイプのデザイナー、余白を生かしてシンプルに徹するデザイナーなどいろいろです。 写真について大切にしているのは、キャプション(写真説明)を付けられる写真かどうか。テーマを絞り切った写真は、キャプションを付けるのも容易ですが、どんなに見た目のいい写真でも、伝達したいことを絞りきれない写真はキャプションが付けられません。撮り方次第で、カメラマンが「きれいさ」を優先しているのか「ストーリー」を大事しているの
「星の王子さま」の著者による自伝的作品。 訳者は明治から昭和にかけての 詩人、歌人、フランス文学者でもある堀口大學。 読みやすいとはいえないが、 著者の美学を格調高い日本語に転換し、 遺伝子と文化のバリアを研ぎ澄ました感性で突いてくる。 解説は、宮崎駿。 この人の作品の多くに登場する飛行機だが、 残酷な歴史と文化を熟知したうえでの、 空と飛行機への憧憬であったことに気づく。 著者、訳者、解説者。 どれをとっても、これほど贅沢な本はめったにない。 風景は、人が見れば見るほど摩耗する。 今の空とちがい、 彼等の見た光景はまだすり減っていない空だった。 今、いくら飛行機に乗っても、 彼らが見た空を僕等は見ることができない。 飛行機の歴史は凶暴そのものである。 それなのに、僕は飛行士達の話が好きだ。 その理由を弁解がましく書くのはやめる。 僕の中に凶暴なものがあるからだろう。 日常だけでは窒息して
小さな村があった。 ある朝、修道院の門前で、生まれたばかりの 捨て子が発見される。 僧侶たちはその子をマルセリーノと名付け、 心をこめて育てる。 6歳になったマルセリーノは、 悪戯ばかり。 野原で偶然に出逢った女性に、 会ったことのないママの姿を重ね見て以来、 誰かと会うたびに 「ママはどこにいるの?」と尋ねるようになる。 そんなマルセリーノが、 決して行ってはならないといわれていた 修道院の2階にそっと忍び込み、 痩せ細ったキリスト像と出会う。 彼は「空腹」のキリスト像のために、 毎日、厨房から パンとワインを盗んで届けに行く。 ある日、像がマルセリーノに語りかける。 対話は毎日続き、 マルセリーノが「ママに会いたい」と告げると 像が彼を抱きしめ、 そのまま天に召されていく、という物語である。 神に身を捧げる僧侶たちと、 彼らに修道院から 出て行けと迫る意地悪な村長が対比されて登場する。
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『Sweet Potato.』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く