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立花隆の「中核VS革マル」上下巻を読み終わった。 中核VS革マル(上) (講談社文庫) 作者:立花隆 講談社 Amazon 有名な連合赤軍事件を始め、学生運動の話を見ていると多数の党派と思想が飛び交う。 「ブントって何?」「革共同って何?」ということが整理されて書かれている。 現代では理解しがたい、なぜあれほど苛烈な暴力が運動に持ち込まれたのか、その思想的背景や経緯、歴史も辿れる。 先日、読んだ「文化大革命 人民の歴史 1926‐1976」の中で、残酷なリンチ描写が出てきた。「恐ろしい時代だ」と思ったが、本書に出てくる殺し合い(としか言いようがない)の描写もすさまじい。 特に下巻は凄惨な暴力の応酬の描写が続き、被害状況も逐一書かれている。苦手な人は薄目で斜め読みしたほうがいいかもしれない。 巻末の抗争の年表を見るだけでぐったりしてしまう。 この本を読むまでは、連合赤軍事件はかなり極端な例だ
天安門事件に当時関わった人をインタビューして、参加者の生の声やその後の人生から「天安門事件」を浮かび上がらせようとする「八九六四完全版 『天安門事件』から『香港デモ』へ」を読んでいる。 八九六四 完全版 「天安門事件」から香港デモへ (角川新書) 作者:安田 峰俊 KADOKAWA Amazon この本を読もうと思ったのは、天安門事件は名前は有名だけれど、何が原因でどういう経緯で誰が主導して起こったのか、意外と詳細を知らないなと思ったことがひとつ、もうひとつは香港の現状を見て今の中国の人、特に天安門事件を経験した世代の人がどう思っているか知りたかったからだ。 三分の二ほど読んだ現時点では、他の国という外側から「歴史」としてしか知らない自分には見えない、様々な要素が絡み合っているのだなと驚いている。 本書の登場人物の一人、マー運転手が「ネットで見つけた真相」と語る 天安門事件とは、中国が本来
www.saiusaruzzz.com 「アニメ平家物語」の時に書いたが、「向いていない、出来ないとわかっていることを人が無理やりやらされる描写」がかなり苦手だ。 その「やらされる人」が、その場にどうあっても適合できない、しかし文句も言えないような人柄の場合、見たり読んだりするのがキツい。 「騎士団長殺し」下巻の雨宮継彦の戦時中のエピソードがそうだ。 うちの父親が話してくれたところでは、そこには継彦叔父が捕虜の首を切らされた話が記されていた。とても生々しく克明に。(略) もちろん(略)これまで日本刀なんて手にしたこともない。なにしろピアニストだからね。複雑な楽譜は読めても、人斬り包丁の使い方なんて何ひとつ知らない。 しかし上官に日本刀を手渡されて、これで捕虜の首を切れと命令されるんだ。(略) そういう修羅場を経験することによって一人前の兵隊になっていくんだと言われた。 しかし叔父はそもそも
完結したら単行本を買って読もうと思っていた「ゴールデンカムイ」だが、バズっていた金カム増田を読んだことをきっかけに、いっき読みした。 いやあ面白かった。 単行本で大幅に加筆するらしいのでそれを読んだらまた何か書くかもしれないが、とりあえず本誌掲載された分を読んだ感想を書きたい。 *ネタバレ注意。 ゴールデンカムイ 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) 作者:野田サトル 集英社 Amazon 「ゴールデンカムイ」は愛を求めて狂う男たちの物語。 「ゴールデンカムイ」は色々な要素が詰まった物語だが、自分が一番面白いと感じたのは、「愛情脳」なキャラが多いところだ。 「どれだけ愛に飢えているんだ」と思うくらい愛に飢え、ずっと愛の話をしている。 彼らが奪い合いをするゴールデンカムイとは「愛情」だ。 「人が人を殺す」(争う)のは、恐怖や憎悪ではない。政治思想でもない。 「殺人」というハードルを
「ハイコンテクストすぎて意味がわからん」と途中で投げ出すものもあれば、「ハイコンテクストだからこそ意味を考えたくなる」ので、何度も通読して寝食も忘れて文章ひとつ、語ひとつの意味まで考えたくなる作品もある。 今回は後者の「ハイコンテクストだからこそ意味を考えたくなるコンテンツ」の話をしたい。 自分の中では、ジャンルを問わずにこういうコンテンツはある。 アニメだと「少女革命ウテナ」。通しで三回観た。 最終的には「ある登場人物の心象や主観的な認識を、他の人間が認識(観測)すると(作内の)現実で事象として具現化するルールが存在する」と考えた。 【最終的な考察】もう一度「少女革命ウテナ」を全力で謎解きする。 ドラマでは「Nのために」も通しで三回観て、「希美と西崎は(深層化で)同一人物説」を取っている。 【ドラマ考察】「Nのために」のねじれまくっているストーリーの構造のすごさについて考えたい。 映画で
*二章までの感想。 www.saiusaruzzz.com 木村汎の「プーチンとロシア人」を読み終えた。 「国民性」という曖昧なものについて述べるに際して、著者は「おわりに」でこのような注意書きを寄せている。 また「国民的性格」という概念はきわめてとらえどころない、あいまい模糊とした概念であるために、学問的な精密な議論になじまないという欠陥も、指摘されるだろう。(略) 同じロシア人といってもモスクワ、サンクト・ペテルブルグなどの大都会に住む知識人や中流階層と、地方に住む年金生活者たちとのあいだでのさまざまな格差は実に大きいだろう。それにもまして、ソ連期にはエリート(選良)と大衆の差は実に大きい。 (引用元:「プーチンとロシア人」木村汎 ㈱ 湖書房光人新社 P327) ひと口に「ロシア人」と言っても、その性格、境遇、物の見方は千差万別だ。 人間の属性は国籍だけで構成されるわけではないので、性
プーチンとロシア人 作者:木村汎 産経新聞出版 Amazon 4月2日の読売新聞で、同じ著者の「プーチン人間的考察」が紹介されていたのをきっかけに読んでみようと思った。 著者である木村汎は2019年に亡くなっている。この本が書かれたのは2017年だ。 「はじめに」と第一章を読み終わったところだが、面白い。 「はじめに」は「プーチンを知る必要性」という副タイトルがつけられ、この本の主旨と書きたいと思った理由が述べられている。 「はじめに」で、この本の主旨が語られる。 ロシアは経済的には世界の中でそれほど発展しているわけでもないのに関わらず、現在の世界の動きの主導権を握り続けている。 それは「プーチンという(準)独裁者が自分の国を、実力以上の発言権、影響力を持っているように見せかけることに成功しているからだ」と著者は言う。 プーチンは果たしてどのようなやり方ないしはトリックを用いて、国際社会で
www.saiusaruzzz.com www.saiusaruzzz.com 「陰謀論」について考えたことの続き。 「陰謀論」について考えているうちに、「世界観なきエリート」と陰謀論は相性がいい(?)なとふと思いついた。 「世界観なきエリート・辻政信」のような人間と、その人が招く分断をどうすればいいのか。|うさる|note 頭は抜群にいい。 ただその見える距離や範囲が圧倒的に狭い。 目の前の物事をどう利用したら、どうなるかは分かる。現時点での自分にとって何が有利かもわかる。 でもその先のことは何も見通さないし、「何十年後かの未来がどういう世界になるのか」ということは、(見えないから)興味もないので、結果的に無責任になる。そもそも自分がそういう広い世界(未来)に関与しているという実感さえない。 「いまここで巧くやる、小手先のことは巧いがその先のことや目の前にあるもの(自分の視野)以外のこと
www.saiusaruzzz.com 前回の記事に関連しての補足。 「ネットは、知りたい情報をすぐに調べられて便利」だ。 日常でも何気なく使う表現だが、「陰謀論」について考えるときは、少し警戒したほうがいいかものかもしれない。 「『知りたい』情報」という言葉を使っている時点で、既に「その情報がある」ということを知っている、もしくは予測しているということだからだ。 この場合の予測は、「その情報があると予測」→「だから存在すると思われる情報を知りたい」ではなく、「知りたい(あって欲しい)という願望」→「自分が知りたいから存在すると予測する」に転倒しているのではないか、ということに警戒することが大切だと思うのだ。*1 文章にして説明すると「どちらでもよくないか」「そんなに差があるのか」と思うような細かい話に聞こえる。 だが陰謀論にハマる過程としてよく言われる 「ひとつの情報から関連する情報を次
*タイトル通り、基本的に否定的な内容です。 *ネタバレあり感想です。未視聴のかたはご注意下さい。 ドライブ・マイ・カー インターナショナル版 西島秀俊 Amazon *記事内の青字は、映画・原作からの引用。 映画「ドライブ・マイ・カー」は原作の謎解きを試みている。 ①原作の主人公・家福はどんな人物で映画版とはどう違うのか。 ②高槻を描くにあたって、外してはいけないと思う要素。「高槻は家福にとって同一性のない『他者』である」 ③みさきを描くにあたって、外してはいけないと思う要素。「みさきは親との関係に拘泥してはいけない」 ④原作「ドライブ・マイ・カー」は何の話をしているのか? ⑤映画版「ドライブ・マイ・カー」は「原作版の前提」を結論として語っている。 まとめ:映画版の一番好きなところ 映画「ドライブ・マイ・カー」は原作の謎解きを試みている。 この映画は、原作「ドライブ・マイ・カー」のストーリ
ソ連時代にノーベル文学賞を受賞したソルジェニーツィンの「イワン・デニーソヴィチの一日」を読み終わった。 イワン・デニーソヴィチの一日 (新潮文庫) 作者:ソルジェニーツィン 新潮社 Amazon 「文化革命時代の中国でこっそり読まれていた」と知って読み出したのだが、思いもよらずタイムリーな読書になってしまった。 後書きや作者本人の言葉を読むと、本作は「ロシアという国の特徴とロシア人の典型、ロシアの国民性」を描こうとするロシア文学の系譜につらなるものだ。 ドストエフスキーが「ゴーゴリの『外套』は、ロシア人の一類型を描いている」と評したように、ロシアの作家は他の国の作家よりも「ロシア人とは何なのか、どういう国民性なのか」にこだわっている印象が強い。 2022年2月26日の読売新聞朝刊で、ドストエフスキーの新訳(光文社版)を行った亀山郁夫がロシアの国民性について語っている。 ロシアには古来、個人
2022年2月24日(木)に放送されたNHKクローズアップ現代+「あさま山荘事件の深層・実行犯が獄中から独白」を見た。 「あさま山荘」に立てこもったのは、坂口弘、坂東國男、吉野雅邦、当時未成年だった加藤兄弟の五人。 このうち坂口弘は死刑囚、坂東國男は超法規的処置で出国した、未成年だった加藤兄弟はすでに獄中にはいない、ということで恐らく吉野雅邦の話だろうと思ったが、見てみたらやはりそうだった。 吉野雅邦は革命左派から連合赤軍に参加し、七名いた指導部(中央委員会)の序列七位だった人だ。 山岳ベースのリンチ、いわゆる「総括」で内縁の妻だった金子みちよさんとそのお腹の中にいた子供を亡くしている。 連合赤軍関連の書籍の中では、番組にも出演していた吉野の幼友達の大泉康雄さんが書いた「氷の城」が一番好きだ。 氷の城―連合赤軍事件・吉野雅邦ノート 作者:大泉 康雄 新潮社 Amazon 学生運動には参加し
「世界に復讐してやる」というルサンチマン文学が好きである。 具体的な被害を伴わない、漠然とした呪詛や憎悪、怨嗟は、現実で言動に表すのは咎められるべきだと思うが、創作では長く書き続けてこられたテーマだ。歴史に残る傑作もいくつもある。 そんなルサンチマンをテーマにした創作や創作内のキャラについての雑談をしたい。 「赤と黒」は粗筋だけ読んで、ダークヒーローによる血も凍るような復讐譚を想像していて凄い期待をもって読み出したらがっくりきた。 読んだのが大昔でそういう先入観で読んだので、もう一度読み返したらもしかしたら全然違う感想を抱くかもしれない。 [まとめ買い] 赤と黒 作者:スタンダール Amazon 「ダークヒーローによる血も凍るような復讐譚」と言えば、「嵐が丘」だ。 モームが「『ジェイン・エア』のロチェスター、『嵐が丘』のヒースクリフは、そもそものモデルは姉妹の父親なのだろうが、ロチェスター
ゴールデン・グローブ賞を受賞した記念に、「女のいない男たち」に収録されている「ドライブ・マイ・カー」をもう一度読み直した。 女のいない男たち (文春文庫) 作者:村上春樹 文藝春秋 Amazon 監督の濱口竜介は、原作に強く惹きつけられて映像化したくなったらしい。 確かに凄く印象的な作品だ。 村上春樹の文体と言えば独特のシニカルさがあって、「やれやれ」を始めとしてよく特徴を上げる人が多い。(それだけ特徴があるというだけで凄い) 個人的には、ある時期から文体を変えたのかな?と感じている。 元々「影響を受けた小説三選」に「ロンググッドバイ」を上げているように、ある程度ハードボイルドの影響を受けているのだと思う。 (文体としての)ハードボイルドとは何ぞや、という村上春樹の考えは「ロンググッドバイ」の後書きに詳しい。 ヘミングウェイはその登場によって、アメリカ文学の文体の可能性を革命的に大きく押し
2022年1月9日(日)読売新聞朝刊に掲載された、仏の歴史人口学者エマニュエル・トッドが今後の米中対立について語った話が面白かったので、その感想。(引用箇所は、全て記事から引用) 十四億という過大人口を抱える中国の来るべき人口危機は日本よりも遥かに深刻です。(略) 中国は国外移転の間もなく、急激な労働人口減に直面する。 中国は長期的な地政学的な脅威ではなくなると考えます。 現時点の世界の展望は、今後の世界は米中対立を軸に進んで行く、という見方が主流だと思うけど、トッドの考えはどうも違うらしい。 「中国はさほど脅威でなくなる。その理由が人口減」という考えが興味深かった。 人口減は先進国の共通の課題だけれど、中国は日本以上に急激に起こっているので対応しきれないのではないかという指摘には「そういうものか」と思った。 対応しきれないかどうかはともかく、そのために行っている政策が強引すぎて、さすがに
相変わらず「グイン・サーガ」を読んでいる。 43巻でダリウス大公が最期にブチかます「開き直った悪党の下衆な恨み節」を読んで、「そうそう、こいつ、最期の最期で滅茶苦茶面白いキャラになったんだよなあ」と思い出した。 読んだことがない人のために説明すると、ダリウス大公は「獅子心帝」と呼ばれる偉大な兄アキレウス(主人公グインの主君)に対して、ずっとコンプレックスを持ち続けてきた。 帝位を奪おうとして陰謀を企むのだが、それをグインに阻止されたために逆恨みし、さらに陰謀が暴かれ国を追われた後も野心を捨てられず、皇女シルヴィアを誘拐して帝位を要求している。 絵に描いたような下衆な悪役である。 余りにやることなすこと卑劣で悪辣なために、義兄からも部下からも見放され総スカンを食う。 「救いようのない悪辣さや冷酷さ」は、否定的な気持ちがわくからこそ目を引くが、ダリウス大公は陰険で冷酷、絵に描いたような下劣な悪
ラスト近くなって、若干駆け足かなと思っていたが、それでも十分面白い。 若いときから水戸学に傾倒して国を救うことに心を燃やしていた惇忠が、人生の最後で慶喜と対面したシーンには感動してしまった。 「自分の人生の意味」をはっきり認識できた、という感動が伝わってくる。 人として生まれて「自分固有の人生の意味を実感できること」ほど、幸福なことはないと思う。この時代の人は特にそうだったろうな。 兄い、良かった。 惇忠の人生は(本人の中で)ここで実質的に完結したので、死などはしつこく描かずナレ死させるところも好きだ。 「青天を衝け」は、「一人称視点の感覚」が凄くいいなと思う。 その流れから、慶喜が今まで頑なに拒んでいた自分の人生についての思いを語り出す。 慶喜の「人には役割がある」「その役割が自分にとっては、後半生、何もせずに引きこもることだったのではないか」と語る。 これも良かった。 なぜ、良かったか
同業漫画家から見た『鬼滅の刃』以降のトレンド ”省略の美”から”少女漫画的な共感性”を重視 | ORICON NEWS 他の人が自分の好きな作品について語っているのをみると、自分も「自分はここが好きだ」とむしょうに語りたくなる。 というわけで、今から「自分は『鬼滅の刃』のどこがそんなに凄いと思っているのか」を、心を燃やして熱く語りたい。 どれだけ書くんだ、というくらい今まで書いてきたが、とりあえず今まで書いたことの中で「一番凄いと思っていること」をもう一度整理して書く。 鬼滅の刃 カテゴリーの記事一覧 - うさるの厨二病な読書日記 自分が「鬼滅の刃」ので一番凄いと思っているのは、話の根底に感じる「無力感」とそこから生まれる「力への嫌悪」「絶望」である。 「鬼滅の刃」で最も大事なことは作内では語られていない。 「一番大事なことを語らない、触れないこと」にこの話の凄みを感じる。 自分が「鬼滅の
*この記事にはアニメ「迷家ーマヨイガー」のネタバレが含まれます。 三話まで見た感想。 www.saiusaruzzz.com アニメ「迷家ーマヨイガー」全12話を見た。 考えれば考えるほど、文句しか出てこない。 ・間が悪いために、聞いていて居心地が悪くなる会話。 ・展開が強引。 ・キャラが唐突に自分のトラウマや事の真相を話し出す。 ・モブと大して変わらないキャラが多すぎるのは仕方がないが、サブキャラでさえ扱いが中途半端でまったく活かしきれていない。 ・肝心のトラウマが掘り下げが少なく紋切り型になっている。 ・話の焦点がブレまくる。 ・というすべての要素が重なった上での、強引なラスト。 最大限好意的に見れば「尺が足りなかったのかな」という大人の感想になってしまう。 一般的には「駄作」の部類に入ってしまうので、まったくおススメしない。 ただ言葉として感想を語ると、出てくるのは駄目な部分ばかりな
連載していた時にずっと読んでいたけれど、澤井の言動以外はさして印象に残っていない。 「天」と「アカギ」を読み返した勢いで、購入して一気読みしてみた。 [まとめ買い] 無頼伝 涯 作者:福本 伸行 Amazon 無茶苦茶面白くて驚いた。 作者である福本伸行は 「読者の心情を読めず、不人気の末に打ち切られた失敗作である」と認めその原因については展開が遅すぎたためと分析している らしいが、自分も一読者の立場から「なぜ、この作品が本誌掲載の時点で人気が出なかったのか」を自分なりに考えてみた。(僭越) なぜ考えたかと言うと、「自分も本誌で読んでいた時はさほど面白いと思わなかった」「それなのに、今回読んだら滅茶苦茶面白くて驚いた」という、読者である自分の感じ方の落差に驚いたからだ。 *以下ネタバレ注意。 「涯」は大人向けのストーリー 最初に考えたのは、「動きが少なすぎたのではないか」ということだ。作者
*この記事には「天ー天和通りの快男児」のネタバレが含まれています。 天-天和通りの快男児 17 作者:福本 伸行 フクモトプロ/highstone, Inc. Amazon 久し振りに「天ー天和通りの快男児」を読み返している。 何度、読んでも面白い。 「天才は初太刀で殺す」とか読んだ瞬間に言いたくなる。 「天」で一番好きなキャラは僧我だ。 これから僧我のどこがそんなに好きかを、ひたすら語りたい。 自分の中で僧我は、「神さまを認めない男」だ。 「神さま」とは何かというと、「他人」「世の中」「運命」「天才」というもの全てを包括する「自分には手が届かず理解も出来ない、それでも従わざる得ない、この世のどこかにある絶対的な理」のことだ。 僧我にとっては、「神さま」が具現化した存在が赤木なのだ。 神さまに惚れこむ天やひろゆきや治、神さまを認めながらそれを利用したり食おうとする鷲巣や安岡、原田などどは違
*本記事には「ミッドサマー」のネタバレが含まれます。未視聴のかたはご注意下さい。 ずっと観たいと思っていた「ミッドサマー」を観た。 ミッドサマー(字幕版) フローレンス・ピュー Amazon 観る前は「2時間30分か。長いな」と思っていたが、観始めたら面白くて目が離せなくなった。 残り30分のところで「もう残りが30分しかないのか」と思ったが、こういう感覚は久し振りだ。 この映画で一番良かった点は、世界観や語りたいことが終始一貫しているところだ。 観ていて「この場所(ホルガ村)でこの事象が起こったら、こうはならないのでは」と思う箇所がほぼなかった。 ホルガ村という場所の思想(設定)が細部まで行きわたることで、ストーリーが成り立っている。 この話の主人公はホルガ村なのだ。 人間はホルガ村という生命体の一部である細胞に過ぎず、生命体の内部での役割・機能しかない。 細胞なので死も生(性)も管理さ
*この記事は映画「ジョーカー」の結末までのネタバレが含まれています。 今さらだけど「ジョーカー」を見た。 凄くよかったので、未視聴の人は、感想を読む前に見て欲しい。 読みやすさを優先して断言調で書いているが、ただの個人的な感想だ。 ジョーカー(字幕版) ホアキン・フェニックス Amazon 「狂っているのは世界なのか、私なのか」という命題。 映画の始まりで、アーサーが福祉カウンセラーの前で自問する。 「狂っているのは僕なのか? それとも世間?」 これがこれから始まる「ジョーカー」という話の命題だ。 「狂っているのは世界なのか、私なのか」 というお題は、厨二である自分にとっては非常に重要なので、この時点で話に引き込まれた。 哲学などは基本的には、ずっとこの話をしていると言っていい。 人にとって究極のテーマである「世界と自分との関係性」について話します、と言っている。 「ジョーカー」はこの問い
ずっとやりたいと思っていた「真砂楼」がswitchに移植されたので、さっそく購入。 store-jp.nintendo.com 廃業して廃墟となった旅館の中を探索するアドベンチャー。 周囲が暗くて見渡せない一人称視点は、懐中電灯の光源しか視界が効かない感じがよく出ている。 床のきしみや戸を開けた時の音も、異様にリアルだ。 畳の部屋でサンテラスのような場所に冷蔵庫と椅子と机が置いてあって、という昔よく泊まった旅館の雰囲気が再現されている。 本当に廃墟を探索しているような気持ちになれる。 序盤は敵は出て来ず宿の中を探索するだけだが、ただ歩いているだけで怖い。 敵が出てきてくれたほうが怖くなかったくらいだ。 このゲームで一番良かったのは、「崖に沿うようにして建てられた」という設定の、立体迷路のようになっている宿の作りだ。 従業員用の狭い通路を歩いているだけで楽しい。 七部屋だと宿としてはかなりこ
*若干ネタバレがあります。未読のかたは注意してください。 剣崎比留子&葉村譲シリーズ第三弾。 www.saiusaruzzz.com www.saiusaruzzz.com 「魔眼の匣の殺人」が凄くよかったので、期待値高めで読み出した。 超常的な要素でクローズドサークルが出来て、その中で殺人が起こるというシリーズのお約束を今回も踏襲している。 「屍人荘の殺人」では「リアルライン」(造語)という観点から、「ちょっとどうなんだろう?」と思ったが、二作目三作目となるうちに不自然さがなくなってきた。 ただこのシリーズは「偶然」「特殊な設定」「特定の登場人物の心理状況」に行動や事象の根拠を頼りすぎていることが気になる。 「一般的に」とか「常識では」は現実では余り好きな言葉ではないけれど、全てを書くわけにはいかない以上、読み手との間で一番暗黙の了解をとりやすいものだ。 最近読むものは「特殊な設定」を根
www.saiusaruzzz.com 前回の記事で語った通り、自分にとっては無惨よりも耀哉のほうが怖い。 「無惨よりも」というより、今まで読んできた創作の中でもトップクラスに入るほど、自分にとってお館様は怖いキャラである。 耀哉の怖さが一番出ていると思うのは、戦えないことを不死川に責められた19巻のシーンだ。 (引用元:「鬼滅の刃」19巻 吾峠呼世晴 集英社) もし耀哉が「済まない」や「申し訳ない」と返したなら、まったく怖くない。 「柱を始めとする鬼殺隊の隊士が、なぜ耀哉に心酔するのか」を表現するシーンだとしか思わなかっただろう。 つまり怖いのは、「話の内容」ではない。 「ごめんね」という言葉自体なのだ。 全ての相手に「私と君」で向き合う耀哉の異質さ 「済まない」「申し訳ない」と「ごめんね」の違いが何かと言えば、「ごめんね」は「公的(社会的)要素」が一切混じらない、「私的(個人的)要素」
*本記事には「鬼滅の刃」のネタバレが含まれす。注意してください。 「鬼滅の刃」の奥底に眠るものを、自分は理解できないと感じる 前に少し書いたけれど、「鬼滅の刃」という話の根底にあるものが、自分は頭ではわかっても感覚として理解できない、と思っている。 自分が「鬼滅の刃」の奥底に眠るものとして感じたものが三つある。 ①鬼と人間は同じものであることは百も承知だが、それを認めてはいけないという強迫観念にも似た禁忌。 ②「力」に対する嫌悪と不信 ③「自分という存在だけで物事が完結しない」という希望 特に②は、強くなることに憧れを感じ、強いものにを見るとわくわくわくしがちな少年(青年)漫画とは真逆の発想だ。 「鬼滅の刃」はバトル漫画でありながら、「力」に対する根強い不信と「なぜそこまで」と思うような嫌悪感をはらんでいる。 とりあえず順番に考えていきたい。 「鬼と人間は同じだ」とわかっているからこそ、「
ブログを始めたのは、この世のどこかにいる自分みたいな人間に読んで欲しかったからだ。 自分みたいな人間というのは、秒速だったら秒速を、クリスティだったらクリスティを、ゲームだったらゲームのことがとにかく好きで好きで、自分がそれをどう読んだか(観たか)を話したい、他の人がどう思っているかを聞きたくて仕方がない。 そんな人間のことだ。 この人は作品を倍速で観たりしない。要約を読んで済ませたりもしない。 むしろ三回くらい連続で見たり読んだりする。 気になった箇所は何回も巻き戻して繰り返し見るし、好きなセリフは暗記する勢いで読む。 この登場人物はどういう人間なのか、なぜこんなことを言うのか、なぜあそこで沈黙したのか、こいつは本当はこんなことを考えているのではないか、この事象にはこんな意味があるんじゃないか、いやそれだと辻褄が合わないから、もう一度、一から観て(読んで)みよう。 そういうことを、ひどい
立花隆の訃報を聞いて、今まで読んだ立花隆の本のことを思い出した。 「東大生はバカになったか」は、内容はともかく語り口が余り好きになれなかった記憶がある。 実際の講義を元にしている「脳を鍛える」のほうが面白かったと思い、探したら家にも「脳を鍛える」しか残っていなかった。 読んだのはかなり前で、内容をほとんど覚えていない。いまパラパラめくってみても、色々な分野の話をしていて面白そうなので後で読み返そうと思う。 自分の中で一番印象に残って*1面白かったのは、司馬遼太郎「八人との対話」の中で行われた対談「宇宙飛行士と空海」だ。 八人との対話 (文春文庫) 作者:司馬 遼太郎 文藝春秋 Amazon 立花隆が書いた宇宙飛行士のその後を追った「宇宙からの帰還」を司馬遼太郎が読んだ、という話から対談が始まる。 そこから、空海の室戸岬の体験が「宇宙論的体験」だったのでは、という方向へ話が進む。 空海の体験
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