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iPhone 16
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先日思い切って購入した「iPad mini(第五世代)」ですが、思い描いた通りの使用感で非常に満足です。 さて、しばらくは落っことさないように細心の注意を払いながら裸の状態で使っていたのですが、そろそろあちこちに持ち運び、よりアクティブに使い倒したくなってきたのでついにケースを購入しました。 【目次】 こだわったところ① 「コンパクトさを失ってはならない」 こだわったところ② 「ストラップホールがついている」 探し回った結果、いいやつを発見 ストラップを付けてみた ここまできたらApple pencilもカバーとストラップをつけてみる 無事カスタマイズ完了、大満足の出来栄え ちなみに…… こだわったところ① 「コンパクトさを失ってはならない」 iPad miniの最大のウリはこのサイズ感にあるわけで、私が購入した決め手になったのも、「片手で持てるサイズ」というものが大きかったわけです。 ケ
ついに手に入れました、「iPad mini(第五世代)」。 少しでも安く買いたいと思いあれこれと調べてみましたが、どこもそれほど変わらないということが判明し、王道のApple公式ストアで購入しました。 そしてどうせ公式で買うならと、現段階の最高スペックを購入することに。 容量256GBでWi-Fi + Cellularタイプというフルスペックの贅沢仕様です。正直容量に関しては、クラウドストレージがここまで発達した今ならそこまで大きいものでなくても構わないように思ったりもしたのですが、拡張性に乏しいiPad、後になってから本体容量の不足に悩むよりはと思い、奮発してみました。 そして何より、後述するように今後はこの「iPad mini」を今後のあらゆる仕事の起点にしたいと画策しているので、業務効率化の先行投資と思ってなけなしのボーナスを惜しげもなく注ぎ込んだ次第。これはもう後には引けなくなって
最近Apple Pencilを本格的に使い始めたところ、大げさでも何でもなく紙なんて必要なくなってきました。 これはあと一歩運用のシステムを確立させれば、本当に革命が起こりそうな勢いです。 【目次】 全ての立役者「Apple Pencil」 「デジタル×手書き」ならではのメリットたち 「GoodNotes5」という手書き特化アプリ 手描きならばレイアウトも自由自在 教材研究に十分耐えうる性能 画像として書き出し、そのまま生徒と共有できる もはや紙の手帳すらいらない 完全電子化のお膳立ては全て整った 全ての立役者「Apple Pencil」 とにかくApple Pencilの描写精度の高さには感動させられます。ペーパーライクフィルムを張り付ければ、ほとんど紙に書くのと同じような感覚でスラスラと遅延無く書くことができてしまう。 Apple?Pencil 出版社/メーカー: Apple(アップル
中間考査も終わって、生徒たちの学習に対するモチベーションの低下が凄まじい。 そりゃそうだよね、私だってモチベーション上がらないし。至って正常な状態だと思います。 ただ、ここであまりだらだらされても後々に大きく響いてくるため、あまり看過もしていられない。なんとか策を練りながら生徒たちのモチベーションを上げていく必要があります。 理想と現実のはざま モチベーションを上げるための手立ても様々です。 努力を続けることが、いかに自身の未来を明るいものにしてくれるのか。あるいは、成長することそれ自体がなんと喜びに満ち満ちたものであるのか。そんなことを伝えながら、たゆまぬ努力が継続できるようなだめすかしてあげる。そんなポジティブなやり方が理想。 www.yasuteru24.com そうはいっても、実際の現場において手っ取り早いのはお尻をひたすら鞭で叩くようなやり方だったりします。 ただ、こんなご時世で
何のために問うのか 教師をしていると、「なんでそんなこと言うんですか?」とか、「なんでこんな簡単なこともできないんだ?」とかいう発言をでよく耳にする。前者は説教をされている生徒の反論として、後者は説教中の教師の非難の言葉として、一種の常套句になっている感がある。 ただ、いつも思うのだけれども、これらの問を感情的に発する人があまりにも多い気がするのだ。 こうした人々からは、「問題解決に向けて、より正確な情報を獲得しよう」とする建設的な思想を見て取ることはほとんどできない。大抵は質問の皮を被った単なる我の押し通しであることが多い。 問うことは、問われること 「何故」の答えを他者に丸投げするのではなく、自分自身の問題として答えを探ろうとする姿勢はとても大切だ。 「なんでそんなこと言うんですか?」は「何故自分は怒られているのか」に、「なんでこんな簡単なこともできないんだ?」は「自分の教え方のどこが
本日生徒に伝えたメッセージ。折角なのでご紹介。 今から挑戦をする君たちへ これは、他の誰でもない、今これを見ている「あなた」へのメッセージだ。 この世でたった一人の、かけがえのない「あなた」に向けて、私は今から語りかけよう。 まずは、問おう。 主人公は、誰だ? なぜ、学ぶのか? 失敗とは、何だ? あなたは今、アイデンティティを見つける大事な瞬間を生きている。 自分と他人とを比べるのは、それによって自分を相対化するため。決して優劣をつけるためではない。多くの比較対象が存在して初めて、明確な自己が浮かび上がる。 他人との比較の何を恐れる必要がある? 自分のできることを見つけることができれば、それでいい。自分にできないことが存在することを知り、どうすればできるようになるのかを考えれば、それでいい。 目の前の数字や結果を評価するな。そこに至った自分の行動や思考を評価せよ。点数が低い。思うような結果
長年の謎。 私自身の幼少期よりの実体験に基づく疑問である。どうしても書店や図書館に行くと、トイレに行きたくなってしまうのである。これは母からもよく指摘を受けていた。曰く、「なぜちゃんと前もってトイレを済ませてこなかったのか」と。でも、仕方が無かったのである。どれだけ事前に対処していても、催すものは催す。出る時は出る。人間の生理現象であるが故、完全にコントロールすることはできないわけであり、幼心に「人体って不思議だなぁ」としみじみ感じていたものである。 その名も、「青木まりこ現象」 実はこれ、正式には「青木まりこ現象」と呼ばれており、1985年に発行された『本の雑誌』において「青木まりこ」と名乗る読者が提示した問に端を発した一連のムーヴメントに由来している。嘘のような本当のお話。Wikipediaにおける該当ページの充実っぷりは若干引くレベルで凄まじいものがある。ぜひ一度通読していただきたい
ひたすらテストの採点をする一日。 生徒たちが書いた答案を採点していて感じるのは、「記述問題」が本当に苦手なのだな、ということ。分かりにくい文章を平気で書いてくる。 いや、どちらかと言えばこの状況は、彼らに国語を教えている私に非があるのであり、生徒を責めるのはお門違いだ。これは結局、私の「記述力を育てる力」の無さなのである。 どうやってその力を鍛えてあげることができるのか。これが非常に難しい。無い知恵を絞る日々はまだまだ続く。 論理的な説明になっていない 生徒の解答で「一応日本語での文は成立しているけど、これでは伝わらないよな」となっている文章は、大抵は論理構造に欠落が生じている。因果の不成立とでも言おうか。 「AはBである。BはCである。ゆえにAはCである。」という三段論法に対し、「A=Cとなるのはなぜか?」と問われたとする。 分かりやすく説明するためにはBを登場させる必要があるのだが、そ
前回の続きです。国語教育について考えていることをまとめておきます。 yasuteru24.hatenablog.com 「作者の気持ち」なんて誰にも分からない どうも国語という教科は勘違いを招きやすい。 特に現代文に関しては、「センスの科目」などと言われ、果てには「どうせできるやつは何もせずともできるし、できないやつはできないんだから勉強したって無駄」とまで言われる始末。 (数学が壊滅的にできなかった私としては、数学の方がよっぽど「センスの教科」だと思うわけで、「それって結局どの教科・科目にも言えるのでは?」と常々思うのですが……) 時として、「文系は一生作者の気持ちでも考えてろよw」といったように揶揄されてしまうのも、国語という教科に対する世間の間違った認識から発せられるものなのでしょう。 (少なくとも、私の教員生活において「作者の気持ち」なるものを扱う機会は1度たりともないし、問題集
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