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ブックマーク / murrari.hatenablog.com (1)

  • 不在 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    1980年代の日の「現代美術」が回顧される際に、それが1980年代の日の「現代美術」として語られる事は些かも無く、しかし或る意味でその後の日の「現代美術」に最も繋がる形で最も重要なものの一つは、赤瀬川原平氏だったと今でも思う。 1980年代の赤瀬川原平氏と言えば、雑略に言えば「尾辻克彦」と「超芸術トマソン」の時代なのだが、後者が1982年に発売された「写真時代1983年1月号」の連載「発掘写真」の「街の超芸術を探せ」の回で登場した時、それを見て単純に「やられた」と思った。この人は何でこんなにもスマートに事を運べるのだろうか。「育ち」の違いをまざまざと感じさせられた。 日の1980年代「現代美術」に関して巷間言われるところは、相対的に「華やか」であるとかそうした類の形容であったりするが、しかしそれに対して総じて言えるのは、寧ろ「泥臭い」という事であり、また「自己承認」に対して何処かし

    不在 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術
    skam666
    skam666 2014/10/29
    "現在を起点とする通史的な意味で、1980年代の日本の現代美術に重要な存在は、実は赤瀬川(略)現在の日本人作家の「作らない」系譜の作品には、1970年代以降の赤瀬川原平氏という「水脈」も少なからず関係しているのでは"
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