2001年6〜9月、Venture NOW 「THE FOUNDER」に掲載された、株式会社ディー・エヌ・エー代表取締役社長・南場智子のコラムです。
2001年6〜9月、Venture NOW 「THE FOUNDER」に掲載された、株式会社ディー・エヌ・エー代表取締役社長・南場智子のコラムです。
意外に思われるかも知れませんが、僕は「日本語の乱れ」と言われるような話が好きではありません。 「どうぞ、いただかれてください」のように、謙譲語と尊敬語とがヘンにゴチャゴチャになっていると気になりますが、俗語や流行語に過剰反応するのはバカげていると思います。 一頃、「チョベリバ」みたいなギャル語が話題になったときにも、あれで日本語が壊滅的な打撃を受けているかのようなナイーヴな反応をする人がいましたが、ああいう局所的な口語の流行はいつの時代にもあるわけで、今ではそれを遣っていた当のギャルたちでさえ、誰も「チョベリバ」などとは言わないように、放っておけばそのうち廃れるものです。その中で、言葉としてしっくりくるようなものがあるならば、それはそのまま、日本語として定着していくのでしょう。 その意味では、たとえば、「なにげに」という言葉は、僕は定着するんじゃないかという気がしています。単なる予感ですが
究極のコミュニケーション能力は、介護のときに露呈すると思う。在宅介護でも病院介護でもいい。自分のことができなくなった人に対し、なにがほしいか、どうしてほしいか、なにをしてあげるべきか、を予測するのは容易ではない。 要介護の母が入院したときだった。兄が見舞いにやってきた。「飲み物持ってきた」とひとこと言った後、狭い病室で立ったままこれといってやることが見つからない。兄は「ちょっとタバコ吸いにいってくる」と言い部屋を出て行った。 しばらくして戻ったものの、やはり手持ち無沙汰。そこで「ほな帰るわ」と帰ってしまった。見舞いの時間は10分ほどだった。兄が「帰る」と決断したのはおそらく「なにもやることがない」ことへの納得だろう。 一方、私は病院に付き添うときに読もうと持参した新聞を読む暇もなかった。自分で身動きが取りにくくなってしまった病人が、あの狭いベッドの中で食事をしたり、オムツを替えたり、たまに
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