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考えるに関するsolailoのブックマーク (87)

  • 男子学生が「ヤマグチさん、僕達はクルマなんか要らないんです」と直言:日経ビジネスオンライン

    みなさまごきげんよう。 フェルディナント・ヤマグチでございます。 先般からお話ししております通り、「走りながら考える」編の方は月曜日に移転致しまして、木曜日はしばらくの間、慶應の学生諸君とアウディについて“走りながら考えて”いくことと相成りました。(なりゆきやプロジェクトの概要は前回を参照) 当面は月木の週2体制でお送りいたしますので、どうか両日とも変わらずご贔屓下さいますよう、伏してお願い申し上げます。学生諸君は多少荒削りなところがあり、思いの丈をストレートにぶつけて来る傾向がありますので、どうか怒らず呆れず、不肖フェルディナント共々、長い目で温かく見守って下されば幸甚に存じます。 え?荒削りはお前の方だろう、ですって?勘弁して下さいよ旦那。 私も学生諸君の手前、少しはカッコつけなきゃならんのですから……。 さて、イキナリ題に入るのも芸がありませんので、木曜の部も軽いヨタから入りまし

    男子学生が「ヤマグチさん、僕達はクルマなんか要らないんです」と直言:日経ビジネスオンライン
  • 世界の立石 - 北沢かえるの働けば自由になる日記■人間性を保ちつつ、組織で働くって、どういう状態なんだろう

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  • Magazine ALC コラム 2006/04

    『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 1 回 「ホテル・ルワンダ」が教えてくれるもの 月刊『マガジン・アルク』 2006/04号 要約:映画『ホテル・ルワンダ』には、虐殺用の山刀を中国から輸入する場面がある。なぜ労働の安いアフリカで、その程度のものを自前で作れないのか? なぜ輸送費分のハンデがあっても中国に負けてしまうのか? それがかれらの課題だ。かれらは搾取されているから貧困なのではなく、搾取される程度の技術水準もないために貧困なのだ。 いま「ホテル・ルワンダ」という映画が公開されている。数年前にあった、ルワンダの大虐殺をテーマにした映画だ。虐殺が進む中で、あるホテルの一支配人が難民たちをホテルにかくまい、最後まで守り抜いたお話だ。地味な映画で、最初は公開が見送られようとしていたのを、ネット上の署名運動によって一転して公開が決まり、単館とはいえロードショーで、しかも連日立ち見の満員御

    solailo
    solailo 2008/11/28
    いい話だけどジョークだったのかもしれないってのも思った。
  • 誤認逮捕する思考プロセスは正しい - 臨床してて思うこと(精神科) Doctors Blog 医師が発信するブログサイト

    新着コメント 臨床医に必要なのは統括能力である しぎ (09.30 09:32) Paul Carpenter (08.28 09:25) 医者はウソつきであるべき しぎ (09.30 02:42) 踏みとどまることの大切さ 山 由美子 (09.29 23:49) 山 (09.05 20:45) 海外S級ブランド品激安卸販売店【alise518】 (08.30 19:07) 海外S級ブランド品激安卸販売店【alise518】 (08.30 19:03) AAA級 ヴィトン、シャネル、グッチ、高級腕時計 (08.30 19:01) 人の行動を一生懸命と想像できない人間は好かん to (09.09 00:59) 親を責めてはいけない gouk (08.27 20:18) 刑事ものの映画を見ていると、目つきの悪い刑事が、見た目が怪しい人物を見つけて言いがかりを

  • 能力のこと - レジデント初期研修用資料

    「激動中国」という番組で、中国の医療が特集されていた。片目を失明してしまった少年が、 網膜のレーザー照射を受けるために700km離れた北京まで出かける必要があって、それには ものすごいお金がかかって、一家が経済的に傾くお話。 番組を作った人達は、高騰する医療費に批判的な、市場化が暴走した医療を問題視する 立ち位置だったけれど、取材を受けていた一家に限れば、問題はむしろ他にあるように見えた。 主人公の子供さんが受けていたのは、たぶんごくありきたりな治療。報道されていたのが全てだったら、 わざわざ北京まで出かけた先の「名医」は、必ずしもすごい技量を発揮していたわけではないし、 子供が受けていた、網膜のレーザー照射にしても、日だったらどこの市中病院にでも普通においてあるような機械。 中国の医療レベルは決して低くなくて、トップクラスは普通に英語をしゃべれるし、医療機器なんかも、 法律の縛りが穏や

    solailo
    solailo 2008/06/17
    ものごとを楽しめる人、とか。
  • ABlog いつからか僕の生活からは潰す暇がなくなった

    僕の個人的な生活サイクルで言うと、たぶん2004年から2005年のどこかの時点で、僕の生活の中から『暇』がなくなりました。 正確には、暇と言うより『何もやる事がない時間』がなくなったと言った方がいいかもしれません。ネットと携帯とiPodのおかげで、どんな小さな『何もやる事がない時間』に対しても、何かしらの適当な暇つぶしをあてがう事ができて、結果的にただぼーっとしてしまう時間がなくなったという事です。 こんなに幸せな時代はない、と思いつつ、面白いと分かっているのにやる時間のないゲーム、観る時間のない映画、読む時間のないが積み上がっていく事はものすごいストレスになります。 消費者ではなく、コンテンツの制作者の目からみても、こんなにたくさんのコンテンツがあっても読者、視聴者は消費しきれないだろうな、と感じる事があります。 まあ、作り手としては、いいものを作ればちゃんと見てもらえる、と信じて作る

  • 妄想のすすめ - 内田樹の研究室

    月曜日。午前中、下川先生のお稽古。昼から部長会。そのあと3回生ゼミ。それから杖道のお稽古。 新人がたくさんいるので、たいへん楽しい。 帰宅後、ひさしぶりに帰郷したるんちゃんと歓談。 歓談しすぎて、二日酔い。 火曜日。朝、湊川神社で申し合わせ。盤渉楽。とりあえず間違えずに最後までゆくが、最初のうち身体が硬い。 着替えてから大学。ゼミ二つ。ゼミのあいまに原稿書き。 大学院ゼミは戦後世代論。 黒田くんの発表を聞いているうちに、カッキ的な世代論を思いつき、それをご披露する。 家に戻って、るんちゃんと近くのイタリアンで晩ご飯。 ワインのみつつ歓談。 昔話にふける。 震災のときの山手小学校の校長先生(たいへん立派な方であった)の話など。 家にもどってバカ映画を見る。 あまりにバカな映画だったので、タイトルを思い出せない。 るんちゃんに「読むべきマンガ・リスト」を作ってもらう。 ただちにアマゾンに発注。

  • アメリカは反知性主義でもあるけど - finalventの日記

    きちんとした知性主義でもあるというか、インテリの層が厚い。医学や経済学なんかもきちんと信じられている。きちんというのはちょっと言い過ぎか。 あと、文学も生きている。 ちょっと言い過ぎその2だけど、米人のインテリはきちんと人生の悩みというのを正攻法で向き合っている。そしてそれが人類の良心というものへの意識にも繋がっている。 日人の社会的に成功した大人たちにはあまりそういう人生への向き合いや人類の良心といった意識は感じられない。日の場合、青年期には悩んだが今では克服したみたいなスタンスが一種様式化されている。 ちょっと言い過ぎその3は、そういう真摯な向き合いのなかで彼らは文学を活かしているけど、日人にとっては文学や思想というのが知的なお洒落というか、知性それ自体が他者との区別するシンボルになってしまうか、あるいは、奇妙な社会主義的な倒錯した理念につっこんで自滅してしまう。

    アメリカは反知性主義でもあるけど - finalventの日記
  • 被害者の呪い - 内田樹の研究室

    毎日新聞に三ヶ月に一度「水脈」というコラムを書いている。 いささか旧聞に属するが、そこに聖火リレーのことを書いた。 昨日の夕刊に出たので、もうブログに採録してもよろしいであろう。 こんな話。 オリンピックの聖火リレーをめぐる騒動を眺めていて、いささか気になってきた。何か「厭な感じ」がしたからである。何が厭なのか、それについて少し考えたいと思う。 熱い鉄板に手が触れたときに、私たちは跳びすさる。「手が今熱いものに触れており、このまま放置すると火傷するので、すみやか接点から手を離すことが必要である」というふうに合理的な推論してから行動するわけではない。たいていの場合、私たちはわが身に何が起きたのかを行動の後に知る。 聖火リレーにまつわる「厭な感じ」はそれに似ている。 だから、この論件については、誰の言い分が正しく、誰の言い分が誤っているというような「合理的」なことは申し上げられない。それは「

  • トキメキについての感性がない: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 他人事と自分事。 ものや情報、そして、他人と接していて、その対象にどれだけ「近さ」を感じることができるか。それがものづくりにおいても生きていくうえでも大事なことじゃないかと思いはじめています。 愛着、恋、親しみ。まぁ、なんでもいいのですが、自分が接する相手(人でも、ものでも、情報でも)にどれだけ身近さを感じられるか。他人事ではなく自分事として感じられるか。一体感でしょうか。それがないとものづくりも、人生も すこし前に養老孟司との対談集『「わかる」ことは「かわる」こと』を紹介した理論物理学者の佐治晴夫さんが松岡正剛さんと対談した『二十世紀の忘れもの―トワイライトの誘惑』というのなかにもおなじことに触れた掛け合いがあります。 はじまりは松岡さんのこんな発言から。 松岡 たまた

  • なぜ「本当のことを言ってはいけない」と言ってはいけないのか? - (元)登校拒否系

    反自由党 |  全国津々浦々の皆さん、反自由党は、当のことだけを言います。なぜ「当のことを言ってはいけない」のか(id:biscuit855さん) (前略) この劇を見たとき、ご多分にもれず僕は「つまらない」と思い、大あくびをかき、寝ぼけ眼でその劇を見つめていた。暗い照明と相まって、非常に寝たい気分だった。 やっと劇が終わり、照明が明るくなると、今度はプリントをもらって、感想を書かなくてはならなかった。その頃はやんちゃ盛りであったので、何か他とは違う文を書きたいと思った。教訓めいたことを書こうとしている真面目な子を尻目に、僕はわざと素直に「この劇から学んだことは何もありませんでした。面白くないです」みたいなことを書いた。 そうして一週間ぐらいたったホームルームの時間に、その感想を書いた紙を赤ペン付きで返された。正直説教めいたことが書いてあるんだろうと、ちょっと覚悟はしていた。しかし、よ

  • MORI LOG ACADEMY: 再び「すぎ」について

    WEB Davinci Last update 20 Jun,2004. WuƂɂ͏cDɊ҂BvԊO WuguKN̍hɕqȕ|͂ǂꂾHvԊO eWB fڎ҂ɂ͒IŐ}v[gI ̃v`i{ 6/5UP cȐ̖{oł�Â錻݁A ̒{ɂ낢{ɏo̂͂ȂȂނB vĂǎ҂݂̂ȂɁA_EB`ҏW Acホテル東京銀座 東京都 Anaインターコンチネンタルホテル東京 東京都 Bulgari Hotel 東京都 The Aoyama Grand Hotel 東京都 THE GATE HOTEL 東京 by HULIC 東京都 ウェスティンホテル東京 東京都 キンプトン 新宿東京 東京都 グランドプリンスホテル新高輪 東京都 ザ・キタノホテル東京 東京都 ザ・キャピトルホテル東急 東京都 ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町, ラグジュアリーコレクションホテル 東京都 シェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホ

    solailo
    solailo 2008/03/09
    組織の同質化
  • ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム<見本をつくろう>

    <見をつくろう> 「どれだけ不細工なもんでもいいから、 まずは見をつくってみるこった」 長老は言った。 この村のいまいちばんの悩みは、 せっかくためておいた穀物や、 さていまべるぞというアップルパイや、 テーブルの脚や、バスルームのせっけんが ろくでもないネズミどもにかじられてしまうことだった。 こんなにたくさんのネズミが、なぜ増えたのか 理由は、まだ村人たちにはわかっていない。 多少なにかがかじられたところで、 ネズミと戦おうだとか、皆殺しにしてやれだとかいう 物騒なことを言いださないのが、ここの村の人々だった。 だが、所帯を持ってまだ1年とちょっとの 若夫婦の間にできたかわいい赤ん坊のほっぺたの近くで ネズミが舌なめずりしていたという話を聞いたときには、 このおだやかな村の誰もが、 「ネズミを退治せにゃならん」とはっきり思った。 家ごと火をつけてしまえば、 ネズミも燃えて死んでし

  • ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム-公平と不公平について

    <公平と不公平について> このへんのことを書くと、 何かあったんですか、と後でよく訊かれるんだけれど、 「ないです」と、まず、言っておきます。 ずっと長いこと、会ったことのない大勢の人たちと、 会話をし続けていて、 「いつかこういうことを書こうかな」と思っていたことを、 いま、書きはじめてみただけです。 ま、うまく言えるかどうかわからないけれど、 とにかく書きだしてみます。 「全員が満足する結論なんてないよ」とは よく言われることだけれど、 やっぱりできることなら、 みんなが満足しているほうが、 自分にもみんなにも気持がいい。 清らかな瞳で、「この恋が実りますように」と お祈りしている乙女がいたら、 「ああ、うまくいくといいな」と、思ってしまうけれど、 彼女の願いが実現したら、 同じ男性に恋をしている他の乙女だかおばさんだかの願いは、 叶わないということになってしまう。 この寒い今ごろって

  • 頭の中にあることを瞬間的に出せる訓練をしないとコンセプトもへったくれもない:DESIGN IT! w/LOVE

    と言い切ってるところが痛快です。 殻に閉じこもって内側にイメージをずーっと溜めている、それが普通の人原さんがクロッキーの訓練をはじめたのは美大を卒業して会社に入って働き始めてから数年経った20代後半だったそうです。もちろん、美大でデッサンの訓練は積んでいて「フォルムを見る目の訓練」「ちゃんと精密にものを見て、再現する技術」はそこそこにあったと言っています。 それでも「それだけじゃアイディアをぱっと表出できない」と原さんは言います。 心の内と外側の世界は、案外簡単には行き来できないんです。殻に閉じこもって、自分の内側にイメージというものをずーっと溜めている、それが普通の人なんです。 対談者の阿部さんはこの話を聞いて「技術だけではなく、外に出せないと意味がないと」と応じていますが、まさに「外に出せないと意味がない」と思います。それもスピーディーに出せないといけない瞬間が仕事をしていればいくらで

    solailo
    solailo 2007/12/17
    『要するに、頭の中にあるイメージを外に出す、感じたことを外に出すということを、抵抗なくスムーズにできるのがドローイングでありスケッチなんです。』考えてることを形に出来る人になりたい。
  • ニッポンの小説 1万年の孤独 ここ10年くらいの村上龍について

    村上龍。 この名前から、何を連想するだろうか。初期村上龍のファンは、「セックスと暴力とドラッグの作家」というイメージで定着していると思う。 俺もそういうイメージを持っています。 『限りなく透明に近いブルー』で、第75回芥川龍之介賞を受賞し、一躍流行作家となった彼は、その後すばらしい作品を世に出してきました。 『コインロッカー・ベイビーズ』はとんでもない傑作ですし、『69』もそう。『悲しき熱帯』『ニューヨーク・シティ・マラソン』『イビサ』など、隠れた傑作も多いです。 最近では『村上龍映画小説集』『五分後の世界』『ラブ&ポップ─トパーズ2─』なども秀作といっていいと思います。 80年代、村上春樹とともに「W村上」と言われ、二人揃って爆発的な人気を誇りました。今でも、この二人の著作は最低でも10万部ちかく売れています。 春樹さんと龍さんどちらが良いかと聞かれたら、「村上龍だね」と俺は答えるでしょ

  • 404 Blog Not Found:プライドの高さ=井戸の高さ

    2007年11月12日12:00 カテゴリPsychoengineering プライドの高さ=井戸の高さ それでは遠慮なく。 理系の女の子の取扱説明書 - 毛の生えたようなもの 私は議論が大好きなので、大いに叩いてください。全然しらないひとだからといって臆する必要はないです。 何で寒気がするんでしょうか。 それは初歩的なことをわざわざ他人に教えられるのが嫌だから。嫌というか単純になれていない。もっと端的に言えばプライドが高いのです。 その程度のものを「プライド」と呼べるのが若さの特権か。 四年制旧帝大国立大学にいくレベルの学力があれば小学校・中学校と進む中でクラス・学年の成績の1番・2番キープは当たり前のはず。ものごころもついて、自分の見た目にもこだわりはじめる、もっとも女の子らしく生きるべき小学校・中学校の時期、まわりの男の子よりも出来がよいと何が悪いか。 その四年制の旧帝大に、「東大

    404 Blog Not Found:プライドの高さ=井戸の高さ
  • 哲学で博士号取る予定の俺が、どんな質問にも哲学的に答える:ハムスター速報 2ろぐ

    1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/07/25(水) 17:09:20.28 ID:Ecteuiyz0 アカポスとか就職とか、俺がになる質問以外。 2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/07/25(水) 17:09:49.38 ID:sR2Rucw20 世界中の童貞はどうしたら救われるのか・・・? >>2 セクロスしても救われるとは限らない、ってのが問題だよな。 信仰からの回答が一番手っ取り早い。信仰を持て、正当化しろ、価値観をひっくり返せ ニーチェは読むな、これに尽きる。 4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/07/25(水) 17:10:02.67 ID:W7cwMSVl0 悪の起源 >>4 悪ってのは、関係性の中に成立する。 つまり、善が存在するためには悪がなければならない。 フーコーが権力装置概

    solailo
    solailo 2007/11/10
    面白かった。哲学面白いなー。
  • 自己啓発モンダイを考える。 - くらやみのスキャナー

    沢尻エリカモンダイ同様やや昔の話題となってしまうが、栗原裕一郎さんによる岡田斗司夫『いつまでもデブと思うなよ』(新潮新書)の書評、及びそれに対するぶくまでの反応が非常に興味深かった。どこがどう興味深かったのかざっくり言うと、「自己啓発」「ライフハック」「GTD」というものに対する世間の評価・反応は賛否真っ二つだなあと。ほいで「自己啓発」というものの位置づけを自分なりに考えてみたのが下の図だがどんなものだろうか。その昔、60年代くらいだと、↓の赤く囲んだエリアに活力があったように思う。哲学・心理学と学生運動や市民運動。哲学も心理学もほとんどの人にとっては難解過ぎたはずだし、デモや投石を行って世界を変えられると思うのは、(当時としても)単純過ぎやしないかという懸念はあったはずだ。ただ、自分というものは複雑で把握し辛く、しかし世界はシンプルな方法で変えられるという認識は、概ね共有されていたのでは

  • 自転車旅行のように、仕事をしよう Part2

    ニートになってみて僕が気付いた事は、就業時間とか休みの日数とか、そんなつまらないことにいかに自分が囚われていたかという事でした。退屈だからゲームでもするかとも思ったけど、どうせまた明日の月曜日から一週間あるんだし今日は休んでアニメでも観ておくか、とか、休日にもゲームをしたのでそこはちゃんとネットの誰かにアピールしておかないとなと思ったり、とか、もう今日は休んだ方が良さそうだと思っているのに周りでみんなが頑張っているのでなんとなく自室にこもってみたりとか。 自分は経営者なんだし(自宅警備会社の)就業規則的なことなんて関係なく自分はやるべきことをやっている、と思っていたつもりでも、どこかでいつの間にかいろんなことを気にして行動するようになっていました。それに気がついたのです。 ニートになるとまず昼の時間が違います。だから出社時間とか終業時間とかが関係なくなって、1日のほとんどの時間世界のどこか

    自転車旅行のように、仕事をしよう Part2
    solailo
    solailo 2007/07/31
    でも、この差はなんか気になる。