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ブックマーク / www.mochioumeda.com (6)

  • 「下から見た小説」に映る新しい日本

    「下から見た小説」に映る新しい日 2007年6月10日[中央公論]より 「ケータイ小説」が売れに売れ、ベストセラー小説部門ランキングの上位を独占する現象が続いている。読者は中高生から二十代前半の女性が中心。「ケータイ小説」は、携帯電話を使って執筆され、携帯サイト上にアップされ、携帯画面上で読まれる小説のことだ。そのうちの大ヒット作品が続々と書籍化され、『Deep Love』(Yoshi 著)、『天使がくれたもの』(Chaco 著)など、次々にミリオンセラー(一〇〇万部突破)が出ている。アメリカには携帯電話をめぐるこんな文化は存在せず、世界中を眺めても、日発のまったくオリジナルな現象と言っていいだろう。 昨年末頃から、日の出版社の方々とお会いすると必ず「ケータイ小説」が話題に上るようになった。ただでもを手に取らない若者たちが、小説も携帯電話で読むようになった。までもがいずれ不要にな

    solailo
    solailo 2008/11/12
    『人間喜劇』がバルザックが観察して書いた「上から見た小説」だとすれば、七〇万余の「ケータイ小説」は、これまで作家の観察対象であった、ありとあらゆる層の人々の視線で書かれた「下から見た小説」なのである。
  • シリコンバレーで通用する英語の修行法(3)

    シリコンバレーで通用する英語の修行法(3) 2001年8月27日[BizTech eBusiness]より 慣れない「英語の話」を書いている。だから書き始めたときにはあまり結論めいたもののイメージは持っていなかった。実は「自分が当に言いたいことは何なのだろう」と書きながら自問していたわけだが、どうやら僕が読者の人たちに伝えたいことはたった一つのことのようだ。そう気づいた。 「英語」という漠然とした概念は、捨てたほうがいいということだ。 これが僕の「英語」についての結論だ。もちろん「英語」の基礎体力というのは最低限必要である。でもそのレベルに達している日人は実に多い。 問題となる「その先の英語」は、実に細かく専門分化していると考えるべきなのだと思う。「シリコンバレーで半導体の技術開発について話すための英語力」と「字幕なしでA.I.やジュラシックパークを理解するための英語力」と「獣医に行っ

  • シリコンバレーで通用する英語の修行法(1)

    シリコンバレーで通用する英語の修行法(1) 2001年7月30日[BizTech eBusiness]より 欄担当編集者の山岸君から「いつか英語の話を書いてください」と言われながら、約束を果たせずにいた。 シリコンバレーの連中も「久しぶりに今年は夏休みを取る」という具合で、米国を流れる時間もだいぶゆったりとしてきた。ちょうどいい機会というのも何なのだが、何回かに分けて、これまで書いたことのなかった「英語の話」を書いてみようかと思う。 「入社してから英語をしっかり勉強するように」という条件付きで僕が外資系コンサルティング会社、アーサー・D・リトル(ADL)に入社したのは1987年のことだった。留学経験はもちろんないし、学生時代に英語を徹底的に勉強するというようなこともなかった僕は、「辞書を引きながら時間をかければ、まあだいたいのものは読めるけれど、話すこと、聞くこと、書くこと、つまり実践的

  • 「アメリカで1人で生きていく」ということ

    アメリカで1人で生きていく」ということ 2001年6月18日[BizTech eBiziness]より 自分より若い人からの真剣な相談にはできるだけ乗るようにしている。つい最近も「ビジネススクールを卒業した後、日には帰らずにアメリカでやっていきたい」と考えている人に会った。日企業の駐在者という形では、アメリカに住んでいても、「アメリカで1人で生きていく」ことにはならないから、そうではない形でやってみたいと彼は言う。 こういう発想をいっとき持つ日人は決して少なくないが、現実に「アメリカで1人で生きていく」ことを選ぶ日人ビジネスマンは極端に少ない。 こういう相談に対して、私はいつもこんな風に答える:「それを実現できるかどうかは、人生のデザインにおける戦略性の問題と、その戦略を粛々と時間をかけて執行していく気があるか(つまり“アメリカで1人で生きていく”というイメージを、人生における他

  • 対談 今北純一×梅田望夫「欧州の真の力強さとは何か」

    対談 今北純一×梅田望夫「欧州の真の力強さとは何か」 2001年7月1日[中央公論]より 梅田 特にここ数年、ドッグイヤー(七倍速)的な時間が流れるシリコンバレーで、かなり激しく仕事をしてきたせいかもしれないのですが、昨年11月、パリ左岸のビュシー通りからジャコブ通りへと歩いていたとき、突然強い衝撃を受けたのです。あとから言葉で無理に表現すれば「この街では正しいことが正しく行なわれている」という感覚でした。それで半年も置かずに、無理に休暇を取って、またパリにやってきました。 今北 面白いですね。その印象は、人々の顔から来たのですか。 梅田 後から考えれば、街並みの美しさはもちろんですが、店でモノが売られている様、人々の表情や生活のあり方、ゆったり流れている豊穣な時間、そんなものの総体だったような気がします。私は、IT革命のフロンティア開拓のすさまじさ、面白さに惹かれて、シリコンバレーを生活

    solailo
    solailo 2006/02/22
  • 梅田望夫

    梅田 望夫(うめだ・もちお) ミューズ・アソシエイツ社長。パシフィカファンド共同代表。(株)はてな取締役。1960年生まれ。 慶應義塾大学工学部卒業。東京大学大学院情報科学修士。 コンサルティング会社「ミューズ・アソシエイツ」をシリコンバレーに設立。 2000年7月、岡行夫氏らとベンチャーキャピタル「パシフィカファンド」を設立。 2005年3月(株)よりはてな取締役。 (詳細)

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