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考え方と仕事に関するsoleil266564のブックマーク (117)

  • 「ワークライフインテグレーション」は脳からしても理にかなっている?RANGER

    昨年中頃に知人のRさんからこんな質問を受けたことがあった。 Rさん「田中さんは仕事とプライベートをどのようなものとして考えていますか?」 この質問をきっかけにRさんと下のようなやりとりをした。 私「仕事とプライベートをどのようなものとして考えているか・・・・ですか。現時点での考えになりますが大丈夫ですか?」 Rさん「もちろんです。」 私「そうですね・・・。先に結論から言うと、仕事はプライベートを愉しむためのもので、プライベートは仕事を愉しむもの、だと考えてます。」 Rさん「もう少し詳しく教えてもらえますか??」 私「はい。仕事とプライベートを分けて考える方もいると思うのですが、僕の場合は分けて考えるようなことはしてません。というか、なんかできないんです・・・」 私「例えば、仕事を通して学んだ努力の仕方はプライベートで何かをやる際にも使っているし、いい人間関係の築き方も多くを仕事の中から学び

    「ワークライフインテグレーション」は脳からしても理にかなっている?RANGER
  • 「他者のために」働きかけることができるのは、「自分のために」が満たされている人だけ。RANGER

    先日、知り合いからこんなエピソードを聞かせてもらった。 一週間くらい降り続いた雨の合間をぬって、家族で「無農薬のブルーベリー狩り」に行ったそうだ。 旦那さんと一緒に1キロパックに収穫していくと、その隣で収穫されたブルーベリーを子供たちはひたすらパクパクとべていく。 パクパクとべはじめてから30分くらい経つと子供たちに大きな変化が。 大人が何も言わずとも、子ども同士で「これ美味しいからどうぞ」をしたり、ブルーベリーを収穫している人を手伝ったりといった行動をしはじめた、というのだ。 幼児教育が専門のその知り合いは「自分が満たされると周りに目が向くんですよね」と言っていた。 育ちの核は「満たされること」だと。 これは言い換えると「まずは自分のためにが大事」ということになるのではないだろうか。 少なくとも私はそう思うに至った。 そして、このエピソードを聞いて、思い返され、頭の中で結びついたこと

    「他者のために」働きかけることができるのは、「自分のために」が満たされている人だけ。RANGER
  • 「すべての仕事に修正が入る」という考え方でスケジュールを組むからこそ「納期」に間に合う。RANGER

    10年以上仕事をしてきた中でよく分かったことは仕事は「納期」がウルトラ重要ということである。 「納期」というのは言い換えると「約束」であるから、「納期を破る」ということは「私は嘘つきです」「私は泥棒です」と公言しているに等しい。 嘘つきや泥棒を信用する人がいないように納期を守らない人も同じく信用されない。 したがって、信用がない人には仕事が回ってこないという運命が待っている。 こういうことをこれまでの仕事生活を通して散々見てきた。 だからこそ「納期は厳守しよう」と強く思うわけだが、実際に納期を守るために私が個人的にとても大切にしている考え方がある。 それが、 「すべての仕事に修正が入る」という考え方でスケジュールを組むからこそ「納期」に間に合う。 というものだ。 私の中で貴重な失敗経験となっていること 昔の話になるが、私が前職マーケティングファームにいた時の話だ。 私はプロジェクトを推進し

    「すべての仕事に修正が入る」という考え方でスケジュールを組むからこそ「納期」に間に合う。RANGER
  • 「個別化」という資質で説明ができるこれまでの私の行動、思考について。

    2018年5月に行った最新の「ストレングスファインダー」によれば、私には「個別化」という資質がある。 あらためて言うまでもないが「ストレングスファインダー」とは人がもっている資質を見つけ出すツールのことで、webサイトで180個ほどの質問に答えていくことで判明するようにできている。 実際に行うには下記の書籍から専用のコードの取得が必要だ。 資質は全部で「34」あり「個別化」というのはそのうちの一つ。 参照:なぜ私は「今日の仕事が、楽しみ」なのか。その質的な理由が分かった。 「個別化」の資質について、公式の説明には下記のように示されている。 「個別化」という資質により、あなたはひとりひとりが持つユニークな個性に興味を惹かれます。 あなたはひとりひとりの特徴や個性を覆い隠したくないので、人を一般化したり、あるいは類型化することに我慢できません。 むしろ、個人個人の違いに注目します。 あなたは

    「個別化」という資質で説明ができるこれまでの私の行動、思考について。
  • 「時間を確保して向き合う」と、自分で自分にしっかり「フィードバック」をかけられる。RANGER

    見たり、聞いたり、やったりというほとんどの行動はその後に自分に対して「甘いフィードバック」がかかるに留まってしまう。 例えば、 「文章を書いた、でもあまりうまく書くことができなかった」 「左足でボールを蹴った、左足で蹴るのは難しい」 「漫画を読んだ、この漫画は面白いかもしれない」 といった具合だ。 どれも自分の行動に対しての検証がなされ、自分に対してフィードバックがかかっていることにはなるのだがいずれのフィードバックにしても甘い。 とった行動に対して少しだけ誤差修正をする程度である。 これだから行動変容が起きるようなこともほとんどない。 一方、生きていると他者の介在によって下のようなしっかりとしたフィードバックをかけてもらうこともあったりする。 例えば、サッカーをやっている少年がいたとする。 その少年が憧れのクリスチアーノ・ロナウドにNIKEのイベントで「今のプレー最高だったぜ!」と言われ

    「時間を確保して向き合う」と、自分で自分にしっかり「フィードバック」をかけられる。RANGER
  • 「自己紹介は常にアップデートされていくもの」という話。RANGER

    数ヶ月前から自分のことを「プロジェクトデザイナー」と称するようになった。 端的に言うと「プロジェクト(やる前から何をしたらどんな結果が得られるかわからない挑戦的な活動のこと)を設計してゴールまで導く人」ということである。 グラフィックデザイナーの対象はグラフィック。 webデザイナーの対象はweb。 プロダクトデザイナーの対象はプロダクト。 であるように、プロジェクトデザイナーの対象は「プロジェクト」となる。 「デザイン」という言葉を聞くと、作り手によって細部まで完璧にコントロールすることと思う人もいるかもしれない。 これもデザインと言って間違いないと思う。 しかし「他者の意志」や「偶然」を取り込む類のデザインというのもあって、この場合は厳格さや緻密さより「柔軟性」や「自由度」の方が重要になる場合が多い。 これを判断していくのもまたデザインであるわけで、プロジェクトあるいは組織のデザインは

    「自己紹介は常にアップデートされていくもの」という話。RANGER
  • 「コミュニケーションの主導権は受け手にある」は重要な学びだった。RANGER

    私がマーケティング会社にいた頃に学んだことの中で「コミュニケーションの主導権は受け手にある」は重要な学びだった。 言うまでもなく、コミュニケーションが成立するには「送り手」の他に、それを受け取る「受け手」の存在が欠かせない。 しかし、ただ受け手がいるだけでは成立するわけもなく、送り手が送ったものを受け手に受け取ってもらう必要がある。 そうして初めて成立するのがコミュニケーションというものだ。 「コミュニケーションとはキャッチボールのようなもの」と喩える人が少なくないのはこうしたことからだろう。 さらに、コミュニケーションの成立とは「伝える」ではなく「伝わる」ことだ、と説明する人も多い。 「伝える」という概念には送り手しか存在しない。 伝えるのは誰にでも、例えば、小さい子供にもできることで、話せばいいし、書けばいいし、見せればいい。 つまり「伝える」というのは極めてイージーなことなのだ。 し

    「コミュニケーションの主導権は受け手にある」は重要な学びだった。RANGER
  • 「課題」と言いながら「問題」になっている人についての話。

    4年くらい前の話なのだが、お客さんから「社内向けの提案資料にアドバイスをもらえないでしょうか?」という相談を受けることがあった。 私に断る理由はなかったので相談に乗ることにし資料に一通り目を通した。 その中で、私が最も気になったのが「課題」が書かれた部分だった。 何かというと「課題」と言いながらも「問題」になっていた、のである。 その内容を直接的に書くのは問題がありそうなので別の例をいくつか挙げてみたい。 例えば、 ・課題は、顧客へのフォローが確実に行われていないこと ・課題は、ついついべ過ぎてしまうこと ・課題は、目標とする今月末の一斉リニューアルオープンに対して、計画通りに進捗していないこと という具合だ。 いかがだろうか? 何か違和感を感じるだろうか? 私の経験からいくと、これらはいずれも課題ではなく「問題」である。 したがって、私であれば、 ・問題は、顧客へのフォローが確実に行わ

    「課題」と言いながら「問題」になっている人についての話。
  • 社会人になったばかりの頃、悪くもないのに「すみません」と言わないこと、と教わった。幅を愉しむWebメディア RANGER

    すこし前に、はてな匿名ダイアリーでこんな記事を読んだ。 自分を軽く扱うこと、他人を軽く扱うこと 一部を引用させていただく。 会社の後輩に何を言っても謝る子がいて、1年くらいは謝る必要がないことで謝らないでと注意していたのだが一向に理解してもらえずにいた。 私は1年で諦めたが、私以外の社員もそれぞれがきちんと数年かけて悪くもないのに謝らないでと伝えている。 しかしこれが当に1ミリも伝わらない。 同じ言語話してますよね?っていうくらい、ここに関しては伝わらない。 褒めても注意しても、こちらの言動が丁寧でも雑でも、返事には申し訳ございませんがついてくる。 なので、数年経った頃から「どうせ申し訳ございませんしか言わないんだし丁寧なコミュニケーションは時間の無駄だ」と思うようになった。 雑に扱うようになった。 返事は一言。 雑談はしない。 だって、責めてもないのに謝罪されるから。 責めてもいないの

    社会人になったばかりの頃、悪くもないのに「すみません」と言わないこと、と教わった。幅を愉しむWebメディア RANGER
  • 自分へ厳しくダメだししないと、能力は上がらない。

    前にも書いたが、趣味で「フォートナイト」というゲームをやっている。 フォートナイトは世界で最もプレイヤーの多いゲームの一つで、世界大会(ワールドカップ)の賞金総額は100億円を超え、ゲーム内の仮想世界でライブイベントなども開催される、メタバースの代表格だ。しかも無料。 世界3億5000万人が集うゲーム、「フォートナイト」の磁力 人気歌手のアリアナ・グランデは8月にフォートナイト上でライブイベントを開催して話題となった 最近では、ダルビッシュ氏が息子さんとプレイしているという記事を見かけたが、著名人のファンも多い。 フォトナでリフレッシュ ダルビッシュが語る、心身の不調を『フォートナイト』に救われた話──『フォートナイト』は1日の終わりにひと息つける場所。 https://t.co/JkdotnTXn7 — 安達裕哉(Books&Apps) (@Books_Apps) March 5, 20

    自分へ厳しくダメだししないと、能力は上がらない。
    soleil266564
    soleil266564 2022/03/16
    少し前の自分は他人。ダメ出しされる環境に身を置き、ダメ出しをしてもらえるように見える化する。ここまでセット。ダメ出しされる環境にいても見える化することを恐れていては能力は上がらないってことですね。
  • 自己肯定感が低いのは、正しいことをまともに信じるからである。幅を愉しむWebメディア RANGER

    の高校生の7割以上が「自分はダメだ」と思っている、という記事を見つけた。 そこには、「自分に満足している」と答えた日人の割合は45.8%と他国より格段に低いという調査結果も載っていた。(内閣府より) これに対して、他の主要6ヵ国は、71.5%~86.0% となっている。 自己肯定感が低い人必見!高める方法と悪い習慣を学ぶ 自己肯定感は、わかりやすくいうと「自分は自分のことが好き」という気持ちのことだが、この数字からわかるように、日は他国に比べると自己肯定感が低い人が多いらしい。 このサイトに至ったのは、図書館から「自己肯定感低めの人」のための(2020/9/26)の確保通知が届いたことがキッカケだった。 予約したのがもう半年以上も前で、予約したことも忘れていたのだが、当時の予約待ちは100人を超えていたことを今になって思い出した。 このはよく売れているようだ。 そういえば、ここ

    自己肯定感が低いのは、正しいことをまともに信じるからである。幅を愉しむWebメディア RANGER
    soleil266564
    soleil266564 2022/03/07
    新しい記事が掲載されました。
  • 「脳は疲れない」という知見を知って、「時間の使い方」を見直した。RANGER

    今年に入ってから手にとったは私に大きな衝撃を与えるものがなぜか連続している。 先月読んだ脳研究の第一人者池谷祐二氏とコピーライターの糸井重里氏の対談「海馬 ー脳は疲れないー 」もその一つだ。 これは2005年に出版されベストセラーになったである。 「脳は奇妙なクセを持つ」で池谷氏のことを私は知っていたが、書を手にとったのは今年に入ってからだった。 「ずいぶん前に書かれただけどどうなんだろう?」 そう思いながらも読んでみると、疫病の影響で働き方が変わり、それと同時に生活様式についても再考する機会がふえた今だからこそ読む価値が大きいのでは、と感じた。 そして、書の中で語られている知見の中でもっともインパクトがあったものが、サブタイトルにもなっている「脳は疲れない」である。 書を読むまで私は「脳は疲れる」とすっかり思い込んでいたということもあり、これほど衝撃的なものはなかった。 思

    「脳は疲れない」という知見を知って、「時間の使い方」を見直した。RANGER
  • 何度確認しても、わたしが請求書の日付をミスしてしまう理由が、ようやくわかった。

    記事ではいろいろと偉そうなことを書いてはいるが、実はわたしはかなりのウッカリ者である。 自転車でスーパーに行ったのに徒歩で帰宅するとか、料理が完成してはじめてソースを作っていないことに気がつくとか、洗濯物を干してる途中でインターホンが鳴って翌日まで洗濯物放置とか、まぁざっとこんな感じだ。 夫に至っては、 「君がトラブルなしでなにかできるわけないじゃんw そんなの全部織り込み済みだよw」 と、なにが起こってもケラケラ笑ってくれるくらいの耐性を身に着けている。 とはいえ、ウッカリ者よりはシッカリ者のほうがいい。 だからやらかすたびに、「またやってしまった……なんでこんなにダメなんだ……もっと気を引き締めないと……」と思う。 もっと注意しなきゃ、もっと集中しなきゃ、と。 しかしそんなわたしの考えを、根底からひっくり返すに出会った。 その曰く、集中していないから失敗するのではなく、「集中するか

    何度確認しても、わたしが請求書の日付をミスしてしまう理由が、ようやくわかった。
    soleil266564
    soleil266564 2022/02/17
    タスクを処理する時に使う「集中する」って意識を一点に集中させるのではなくて、それをやるために時間、スキル、知識、経験を集中させると考える方がしっくりくる。意識はぼんやり全体に行き渡っていた方がいい。
  • 整理をすると『ここにアプローチすれば困り事や課題が解決できると分かっている状態』が作れるので、心に余裕ができるという話。RANGER

    整理をすると『ここにアプローチすれば困り事や課題が解決できると分かっている状態』が作れるので、心に余裕ができるという話。 整理をすることが自分にもたらしてくれる良いこと(=ベネフィット的なもの)ってなんだ?? この回答と言っていいと思うものがここにきて自分の中でムクムクと作られてきたので、記録のため書いておきたい。 * 卑近な話だが、私にはつい最近までによく注意されることがあった。 何かというと「爪切りの置き方」についてだ。 私はドラマやDisney+を横目で観ながら爪を切るという習慣があったため、TVモニターの側にあるの生活道具入れやその付近によく置いていた。 「あなたの爪を切った爪切りを私のところに置かないで!」 こういう注意を想像した人もいるかもしれないがこれとは異なる。 問題は「爪切りをアバウトに置く」ことが常習化していたところだった。 私には爪を切った後、の生活道具入れのあ

    整理をすると『ここにアプローチすれば困り事や課題が解決できると分かっている状態』が作れるので、心に余裕ができるという話。RANGER
  • 私が「バランス・イージー」という椅子をお勧めする理由は、人生100年時代だから。RANGER

    テレワーク時間の増加をキッカケにして、自宅の椅子を買い替える人がいると聞く。 この動きは、健康になるためのチャンスであり、疫病がもたらした明るい兆しとも言えるのではないだろうか。 前回記事で、 落ち着きのない健康オタクの末路。~焦らずに重要なことをコツコツと続けること~ 私が「一生使える」という信念をもつに至ったのが、「バランス・イージー」である。 この椅子の素晴らしさを伝えるために、少し長くなるのだが、股関節痛の治療の話から始めたい。 私の股関節痛の治療が始まってから約10年になるが、最近は改善が感じられるようになってきた。 改善の要因は、この椅子によるものではないのだが、この椅子の機能につながるものである。 もし子供の頃にこの椅子に出会っていたら、股関節痛はなかったかもしれないとも思う。 人間には個体差があるから、私のような症状が出る人は稀である。 実際に通ったいくつもの整体院から、私

    私が「バランス・イージー」という椅子をお勧めする理由は、人生100年時代だから。RANGER
  • 「敬意のなさ」を態度で示すことの問題は、「相手のパフォーマンスを下げてしまう」ところにある。RANGER

    批判はあって然るべき。ただ、長友へのそれは敬意を欠いたものが多すぎるとも思う — みぎ (@migiright8) January 28, 2022 ツイート主は、先日のサッカー日本代表の試合(W杯アジア最終予選 vs中国)の中で、左サイドバックの長友選手のパフォーマンスに対して集まった数々のコメントを見て一言言いたくなったのだろう。 私の観測の範囲だが、このツイートの他にも長友選手に集まる「敬意を欠いたコメント」に対して、苦言を呈する人は結構見かけられた。 かくいう私も「この人たちには敬意がないのか?」というような類の意見を持った人間だ。 ある脳科学の研究によれば、Twitterは日常生活において最も感情を刺激する行為の一つという報告がある。 これを考えれば「Twitterという環境」が「そうさせている」ところもあるのだろう。 が、それにしても、と私は思った。 それでこの件を端に、ちょっ

    「敬意のなさ」を態度で示すことの問題は、「相手のパフォーマンスを下げてしまう」ところにある。RANGER
  • 大きいものに屈しはしない。~あまのじゃくのすすめ~幅を愉しむWebメディア RANGER

    人は常に大きいものに憧れて、その大きさに安心や権威を感じるものだ。 体が大きい人に対しては、危険を避けるため従順であらねばならないと感じるし、大きい車を所有している人を見るとお金持ちだと思い、勝手に引け目を感じたりする。 私の父親は、買い物に迷った時に「大は小を兼ねる」という言葉に頼って決断していた。 この口癖に子供の頃の私は違和感を覚えた。 「大」がいいとは一概に言えないだろう。 反意のことわざに「畳針で着物は縫えぬ」というのもある。 ことわざを学ぶことが無意味だと思い始めたのは、このようなところからだったかもしれない。 学生の頃は、大企業こそが安定していて良い選択である、という多勢の声を疑うことはなかった。 今では、一概によい選択だとは言えないと実感するようになった。 親はまた、あまのじゃく(天邪鬼)という言葉をしばしば私に使うことがあった。 あまのじゃくとは、ひねくれた性格という意味

    大きいものに屈しはしない。~あまのじゃくのすすめ~幅を愉しむWebメディア RANGER
    soleil266564
    soleil266564 2022/01/25
    従順で素直であることは、支配されているということだから、実は不健全で不健康なのである。独立したあまのじゃくであることが、健全で健康なのだ。
  • 行動を変えるコツは、「意識」を変えようとするのではなく「環境」を変えようとすること。

    新しい年になり「今年の目標」や「今年の抱負」を各所で見かけた。 目標を掲げなければ始まらない。 確かにその通りだ。 自分の願望や理想は言語化してはじめて知覚することができると私も思う。 しかし、せっかく目標を掲げたものの上手く実行できず未達で終わってしまったり、尻切れとんぼになってしまう、なんてことも実際のところは多かったりするのではないだろうか。 要は「行動を変えようと試みてはみたが結局変わりきらなかった」というやつである。 かくいう私も昔(10代20代前半の頃)は特にそうだった。 年始などに掲げた目標や抱負はいつの間にか忘れ去られ、悉く継続したことがなかったのだ。 そういうわけか、昔掲げたものは今ほとんど思い出せないでいる・・・。 なんということだろうか。 こんな状況に不満を感じていたからか、仕事生活を通して社会という存在やその中における自分を確認していく中で、 「どうすれば行動を変え

    行動を変えるコツは、「意識」を変えようとするのではなく「環境」を変えようとすること。
  • 「面倒くさい」を乗り越えるために、本当に重要なことは「幸せでいる」ことだった。

    最近読んでいたの中で、私にとって遥かに大きな発見となったことの一つが「幸せは、めんどくさいを乗り越えるための精神的な原資」というものである。 生きていると「面倒くさいなあ」と思うことに多々遭遇する。 経験上、仕事において言えば、面倒くさいことを実行することが求められる場面は非常に多い。 そして、成果とはこういうものを積み重ねていった先にようやく現れるものだ。 したがって「面倒くさいはどうすれば乗り越えやすくなるのか?」は、私の人生において長らくの間、大きな関心毎の一つとなってきた。 以前、こうした背景から下のような記事を書いたこともあった。 参照:「面倒くさい」という「老化」の原因に立ち向かう手段は、色々とありそうなことが分かってきた話。 私の知る限り、多くの場合「面倒くさい」が行動しない理由の「音」だ。 掃除をしないのは、面倒くさいから。 発信をしないのは、面倒くさいから。 運動しな

    「面倒くさい」を乗り越えるために、本当に重要なことは「幸せでいる」ことだった。
    soleil266564
    soleil266564 2022/01/12
    新しく書いた記事です。以前から「幸せ」はよりよく生きる上で重要な概念だと認識していましたが、まさか、予測不可能な時代を生き抜くための精神的な原資になってくるとは。
  • 「子供の頃から沢山読書をしている人」の人間としてのスケールは、大きく違うという話。

    これは多くの人にとって「そんなの知っているよ」と言われてしまうことかもしれないが「子供の頃から沢山読書をしている人」の人間としてのスケールは、大きく違う、という話である。 この話をしようとした時、私が真っ先に思い浮かべるのは女優の芦田愛菜さんだ。 例えば、芦田さんは、映画「岬のマヨイガ」の完成披露試写会で下のようなコメントを残している。 「悩んだ時は、まずは自分の中で分からないなりにも考えて、一番自分が納得して行動できる答えを探して、行動を起こしたあとは結果は決まっているのだから、あとはなるようになるしかないと思うようにしている」 「うまくいかなくても自分を必要以上に責める必要はなく『既に結果は決まってて、自分はそこに行くための方法を選んだだけ』と考えれば納得しやすくなると思う」 これでまだ17歳というのだから喫驚する。 多くの大人が彼女のことを「芦田先生」と呼ぶように、人間としてのスケー

    「子供の頃から沢山読書をしている人」の人間としてのスケールは、大きく違うという話。