太田 竜さん(おおた・りゅう=評論家、本名栗原登一〈くりはら・とういち〉)が19日、腹膜炎で死去、78歳。葬儀はせず、後日しのぶ会を開く予定。喪主は妻千鶴子さん。 60年代以降の新左翼運動に理論的影響を与え、その後エコロジー運動にも取り組んだ。著書に「辺境最深部に向って退却せよ!」「アイヌモシリから出撃せよ!」など。
これまで日本の左翼は、旧左翼・新左翼を問わず、性をめぐる諸問題の把握に失敗しており、したがって、有効な介入ができないできた。この失敗は、一般にまったくの沈黙によって糊塗されているにすぎない。 もともと、マルクス主義は性現象や性問題になんの関心も払ってこなかったわけではない。わずかな例だけを挙げると、事実婚としてであったが、当時のヴィクトリア朝の性モラルに公然と違反して「ソロレート婚」(姉妹を順次娶ること)を実践してもいたエンゲルスは、『家族・私有財産・国家の起源』で、性の歴史的役割を考える場合、無視することが許されない議論を展開していた。いまでは古くなってしまった部分も多いが、アウグスト・ベーベルの『女性と社会主義』(『婦人論』という邦題で親しまれてきた)も同様である。一九世紀のドイツ社会民主党は、同性愛の刑法による処罰に唯一反対の声を挙げた政党であった。ベルンシュタインにはこの主題に
マッキノンの論文および著作等によれば、ジェンダー不平等の現実を批判するうえでの基盤となっている彼女の考えは、 セックス・イクォリティ(sex equality)」の追求、言いかえるとセクシュアリティ追究の平等である。 (略) 性的虐待は、もっぱら女にだけ起こり、セックスとして経験される。そのため性的虐待は、セックス・イクォリティについての主流の教義からは排除されてきた」[ibid. 243]。すなわち、性的虐待とは女にとってセックスそのものであるため、それが不平等問題であるとは考慮されてこなかったとマッキノンは言う。 (略) マッキノンの強姦認識は、スーザン・ブラウンミラーの「強姦=暴力」説に対する反論である。「強姦=暴力」説では、暴力的なセックスはセックスと認められない。これは、暴力的でない「善い」セックスの存在が前提となる。その前提自体の問い直しをマッキノンは主張する。「性的に侵害され
イリュージョンの『レイプレイ』バッシングが相当酷いことになってきた。(2) ジャンル : 政治・経済 スレッドテーマ : 表現規制問題 前回の続き。 前回に書いた情報から、崎山伸夫のBlogの崎山氏は、 (1)イギリスの創作物規制法に関わっている、法学部教授のクレア・マックグリンは、ラディカル・フェミニズムのシンパではないのか? (2)イクォーリティ・ナウはロンドンにも事務所を構えているため、イギリスの法規制と連動して何らかの策動を行っていたのではないか? と推測している。そして、この推測はほぼ当たっていると思われる。 また、崎山氏、及びに二次元至上主義!のDAI氏が注意を喚起している点だが、マックグリンの主張はエロゲーが犯罪を誘発するか否かにかかわらず、「文化的」な理由で社会から排除すべきだという内容になっている。これはラディカル・フェミニズムに特有の理論で、要するに彼らと「エロゲーはレ
キーボードを、持ち歩く。 久しぶりに、スマホ用のキーボードを使ってブログを書いている。 いくつかキーが壊れてしまっているので買い替えないといけないのだが、壊れるくらいには使い込んでいたんだなと思った。 当時は、今のようにPCを普段から持ち歩くことが少なかったので、出先でもブログ…
via http://d.hatena.ne.jp/islecape/20090108/p8 ※5/19追記:なんか文章としてかなりまとまりがないので、何度か書き直そうと試みたのですが、もとの文章が堅固なまでにまとまりがないので、どうにもうまくいきません(おいおい再挑戦するつもりです)。とりあえず三行でまとめておくと; 1:エロゲー規制は表現の自由に反する、という主張がネットでは大勢のようだけど、なんか過剰反応すぎない? ていうか感情的反発じゃないの、それ。 2:そりゃ僕も表現の自由は最大限守られるべきだと思うけど、ここは男女の非対称性を考える契機にしたほうがいいんじゃないかなあ。 三行いらなかった。 発端 とある国際的人権団体が、口に出すのもなんかアホらしい題名の日本製成年向けゲームを問題視したというニュースがちょっと話題になった。で、非難の高まりを受けてか、流通のみならずメーカーまで早
確かに、ヘイトスピーチ、性差別的表現、暴力表現は、差別や暴力の無い社会であれば問題にならないでしょう。しかしながら、それは「差別表現への批判が必要である」というよりも「差別のない社会では差別的表現が問題にならない」という事実を示しているに過ぎません。 なんじゃこりゃ!? 非モテを拗らせるからバカになったのか、元々バカだからモテないのか知らないが、差別の無い社会であれば性差別的表現は問題にならないだの、 暴力の無い社会であれば暴力表現は問題にならないだの、いったい何を言ってるんだこいつわ!? だったら「女性差別のない社会では女性に対する差別表現は問題にならない」のか!? 「朝鮮人差別のない社会では朝鮮人に対する差別表現は問題にならない」のか!? 殺されっぞ、おまえ!? 「差別や暴力の無い社会」に「性差別的表現」や「暴力表現」が生まれる筈はないのであって、そもそも語義矛盾であるし、その「表現」
先日テレビ欄のイナズマイレブンをイナズマレイプと空目したので、ちょっと控えようと思ったんだけど、id:Thsc さんからのブコメをきっかけに、やっぱりこれだけ書くことにした。 「自分たちレイプエロゲー愛好者はマイノリティだ」と言う人々がいる。 ある意味正しいが、この問題を語る上では間違っていると思うので、そこを書きたい。 そうそう。 増田でも絡まれたので、マイノリティ=少数の者と思う人は、以下の文章に出てくるマイノリティは、弱者とか被差別側、被抑圧者にでも読み替えて欲しい。 さて、 現実に「女性が陵辱され無理矢理妊娠させられ堕胎させられる」という事件があったら、そこに女性差別の問題がある、と言われて同意出来るだろうか? 男性が女性を支配し一方的に性を搾取したいという欲望に基づいているから差別的である。というような感じ。 ここまでは大半の賛同があるのじゃないかと思う。 なら、「女性が陵辱され
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く